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徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第三部  作者: マスター


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第29話 第六泉は、誰のものでもなかった

第29話です。


第28話では、ルオム山麓村の大水車と、《雲見の母樹》の関係が明らかになりました。


大水車は、ただ村へ水を送るための装置ではありませんでした。


水を受け取り、村で使い、余った水や飛沫を森へ返す《戻し樋》を持つ、本来は循環装置だったのです。


しかし、乾いた年に畑へ送る水を優先するため、戻し樋は一時閉鎖されました。


その一時閉鎖は延期され、やがて記録から消え、水車は森へ水を返す道を失いました。


澪たちは、乾いたまま動き出した大水車を止め、戻し樋を微開放することで、《雲見の母樹》の根系反応をわずかに回復させます。


しかし、その先で新たな問題が浮かび上がりました。


《源流六泉》。


山の水は一つの泉ではなく、六つの泉によって支えられていました。


第一泉は閉塞。


第二泉は濁り。


第三泉は権利争い。


第四泉は踏圧。


第五泉は枯死。


そして第六泉は、所在不明。


さらに、水車の奥にはこんな言葉が刻まれていました。


《第六泉を隠せ》


《見つかれば、また奪われる》


今回は、その隠された第六泉を探します。

水車小屋の奥は、湿っていた。


いや、正確には、さっきまで乾ききっていた場所に、ようやく水が戻り始めていた。


戻し樋の細い隙間から、水がぽたり、ぽたりと落ちる。


その音が、古い木の軸と石壁に反響して、妙に大きく聞こえた。


神代澪は、泥だらけの手で壁の文字を見つめていた。


《第六泉を隠せ》


《見つかれば、また奪われる》


「……隠した理由が、めちゃくちゃ不穏なんだけど」


横でミルカが頷く。


「泉って、普通は見つかったら喜ぶものだよね」


「この世界、見つかったらだいたい揉めるよ」


「それはそう」


ライカが水車小屋の入口から顔を出した。


「ミオー、外、ちょっと空気悪いよ」


「物理的に?」


「人間関係的に」


「そっちの方か……」


澪は水車小屋の外へ出た。


広場には、村人たちが集まり始めていた。


第六泉。


隠された泉。


その言葉だけで、村の空気は変わっていた。


乾いた村で、隠された水源があると知らされれば、当然だ。


目の色が変わる者。


不安そうに周囲を見る者。


怒りを隠せない者。


そして、何かを知っているように口を閉ざす者。


村長エルワンは、広場の中央で額に手を当てていた。


「……最悪の時に、最悪の言葉が出た」


「知っていたんですか」


澪が聞く。


エルワンは首を横に振る。


「伝承としては、聞いていた。だが、場所は知らない。先々代が封じたとだけ」


カイムが、低い声で言う。


「先々代の村長の印だったな」


「そうだ」


「なぜ隠した」


「それも、伝承ではいくつか説がある」


エルワンは村人たちを見回した。


「泉を守るため。争いを止めるため。あるいは、村長家が独占するため」


最後の言葉で、ざわめきが一気に大きくなった。


「独占だと?」


「やはり、上の者は水を隠していたのか!」


「だから井戸が減ったのか!」


「子どもが喉を渇かせているのに!」


声が重なる。


澪の調律核が赤く明滅した。


《水源秘匿情報:拡散》


《村落不信:急上昇》


《権利争い発生予測》


《虚無反応:微増》


セラフィナが一歩前へ出た。


「静粛に。現時点で、第六泉の位置、水量、用途は確認されていません」


「天使様は黙っていてくれ!」


村人の一人が叫んだ。


「水があるなら、まず見るべきだろう!」


「見ることには同意します」


セラフィナは淡々と答える。


「ですが、未確認の水源を集団で踏み荒らせば、発見と同時に破壊する可能性があります」


その言葉に、数人が口を閉じた。


水が欲しい。


だが、水源を壊せば終わる。


砂漠でも、森でも、何度も見てきた構造だった。


「少人数で確認に行きます」


澪は言った。


「第六泉が何なのか、まず調べます。飲める水なのか、森を支える水なのか、危険な水なのか。それを見ずに奪い合えば、また壊れます」


「誰が行く」


カイムが問う。


「私、フィリア、ルシェリア、ライカ」


澪はすぐに答えた。


「水と森の声を見るためにフィリア。風と霧を見るためにルシェリア。道と匂いを追うためにライカ」


「戦闘役は?」


アオイが静かに言う。


「私も行きます」


「アオイは村に残って」


「なぜですか」


「こっちが揉めそうだから」


澪は広場の方を見る。


「水車、戻し樋、村人の動き。もし誰かが勝手に水門を開けたり、隠れて追ってきたりしたら止めてほしい」


アオイは少し考え、頷いた。


「わかりました。では、こちらを守ります」


「ミルカも残って。戻し樋の微開放を見て」


「了解。第六泉探しは行きたいけど、こっち放置したら水車がまたやらかす」


「セラフィナも残って」


「秩序維持ですね」


「うん。たぶん一番大事」


セラフィナは記録板を閉じた。


「調査隊の人数は、澪、フィリア、ルシェリア、ライカ、カイム。五名」


「え、カイムも?」


ライカが耳を動かした。


カイムは当然のように言った。


「山番の記録が関わっている。俺が行く」


「まあ、山道は知ってますよね」


澪は頷いた。


「ただし、弓は牽制用。泉を撃たないでください」


「泉を撃つ馬鹿がいるか」


「霧背鹿を撃った人たちを見たあとだと、念のため」


カイムは言い返そうとして、やめた。


「……わかった」


それだけ言って、弓を背負い直した。


***


第六泉への手がかりは、水車小屋の戻し樋にあった。


ミルカが泥を落とした壁面には、六つの小さな泉の印が刻まれていた。


そのうち五つは山の既知の場所と一致した。


しかし、第六泉だけは、泉の印ではなく、木の葉の印で描かれている。


「泉なのに、葉っぱ?」


ライカが首を傾げる。


「水が湧き出す場所じゃないのかも」


澪は言った。


「葉から水が落ちる場所。霧が水滴になる場所。あるいは、根が水を受け取る場所」


ルシェリアが風を読む。


「この印は、風向きの記号も兼ねています」


「風?」


「山の夜風と、尾根の霧が重なる場所です」


カイムが古い地図を広げた。


「この先に、立ち入りを避けていた谷がある」


「理由は?」


「道が悪い。霧が濃い。山羊も近づかない」


ライカの耳がぴくりと動く。


「山羊が近づかないのは、けっこう重要情報だよ」


「なぜ?」


「獣が避ける場所は、危険か、嫌な匂いがするか、何かいるか」


「どれも嫌だなあ」


澪は小さく息を吐いた。


徹夜続きのゲーム開発者としては、山道、霧、谷、危険地帯という単語だけで体力ゲージが赤くなる。


だが、行かない選択肢はない。


カイムを先頭に、五人は村の上手から山道へ入った。


尾根の残存林を抜け、菌糸橋の横を通る。


昨日作ったばかりの倒木と落ち葉の帯には、霧背鹿が降ろした細かな水滴が残っていた。


黒色菌糸の反応は、少しだけ弱まっている。


《菌糸橋:仮安定》


《黒色菌糸過負荷:低下継続》


《母樹根系:微回復》


「ここは、少し楽になっています」


フィリアが言った。


「黒い声が、前ほど重くありません」


「よかった」


澪は足元に気をつけながら答える。


「でも、ここを踏まないで。踏んだらミルカに怒られる」


「ミルカさんで済みますか?」


ルシェリアが微笑む。


「セラフィナさんも記録しますよ」


「それは嫌だな……」


ライカがぴょんと倒木を飛び越えた。


「私、踏んでない!」


「跳んだ時点でちょっと危ない」


「えー」


緊張の中に、軽い会話が混じる。


それでも、森の奥へ進むにつれ、空気は確実に変わっていった。


湿っている。


けれど、清々しい湿り気ではない。


閉じ込められたような湿気。


苔と古い落ち葉の匂い。


そして、わずかに甘い、腐った果実のような匂い。


「この匂い、嫌い」


ライカが鼻を押さえた。


「毒?」


「毒っていうより、空気が止まってる」


ルシェリアが風を指先で感じる。


「谷の中へ風が入りません。入っても、抜けていない」


霧が木々の間を漂っている。


ただし、流れていない。


白いもやが、空中に貼りついているように見える。


カイムが立ち止まった。


「ここから先だ」


「第六泉?」


「禁足谷。昔は、泉守だけが入ったと言われている」


「泉守?」


「第六泉を見張る役だ。だが、もう何代も前に途絶えた」


「途絶えた理由は?」


カイムは答えなかった。


代わりに、前方を指す。


霧の中に、古い石門があった。


高さは人の背丈ほど。


左右に苔むした石柱。


その上には、木の葉と水滴を組み合わせた紋様が刻まれている。


そして、中央の石板には文字。


《第六泉》


《汲むな》


《運ぶな》


《見張れ》


ライカが顔をしかめる。


「泉なのに、汲むな?」


澪は石板を見つめた。


「やっぱり、飲み水用じゃない」


カイムが低く言う。


「なら、何のための泉だ」


「森のため」


フィリアが答えた。


彼女は石門の向こうを見ている。


「ここは、人の喉ではなく、根の喉を潤す場所です」


***


石門の奥は、不思議な谷だった。


暗い。


けれど、完全な闇ではない。


地面一面に苔が広がり、そこに霧の水滴が落ちて淡く光っている。


木は多くない。


大木もない。


しかし、苔と低い草と細い根が、谷の底を薄い絨毯のように覆っていた。


中央には、小さな岩場がある。


そこから水が噴き出しているわけではない。


水たまりもない。


ただ、岩の表面が常に濡れている。


霧が触れ、水滴となり、苔へ落ちる。


苔が水を抱き、根へ渡す。


根がさらに地下へ伸び、見えない水脈へつながっていく。


「泉っていうより……」


澪は呟いた。


「霧を水に変える場所?」


ルシェリアが頷く。


「風がここへ霧を運びます。岩と苔で冷え、水滴になり、地中へ入る」


フィリアが膝をつく。


「水は少ないです。でも、とても古い」


調律核が反応した。


《第六泉:確認》


《別名:種泉》


《湧出量:極微》


《主機能:霧沈着/苔床保水/菌糸母床維持》


《副機能:雲見の母樹根系への微細水供給》


《飲用水源適性:低》


《大量取水時:機能停止》


「種泉……」


澪は表示を読む。


ここは、村の桶を満たす泉ではない。


川を作る泉でもない。


森の根と菌糸と苔を生かすための、小さな水の入口。


量ではなく、機能で重要な泉だった。


ライカが谷を見回す。


「でも、なんで隠したの? 汲んでも少ないなら、奪い合いにならないんじゃない?」


「少ないから、奪い合いになる」


カイムが答えた。


「乾いた年なら、一滴でも欲しい」


澪は苔床を見る。


もしここから水を汲めば、桶一杯にもならないかもしれない。


だが、喉が渇いた人には、その少量でも貴重だ。


そして一人が汲めば、次の一人も汲む。


誰かが持ち帰れば、他の誰かも求める。


泉そのものは、小さい。


だからこそ、簡単に壊れる。


「隠すしかなかったのか」


澪は呟いた。


その時、霧の奥から声がした。


「見つけてしまったのですね」


全員が振り向く。


苔の上に、一人の老婆が立っていた。


背は低く、髪は白い。


手には曲がった杖。


服は村のものに似ているが、ずっと古い形だった。


ライカが警戒して前に出る。


「誰?」


老婆は静かに頭を下げた。


「泉守の末裔、ユナと申します」


カイムが目を見開く。


「泉守は途絶えたはずだ」


「公には」


ユナは答えた。


「村が第六泉を忘れたあとも、見張る者だけは残りました」


「なぜ隠していた」


カイムの声が鋭くなる。


「村が乾いていたのに」


ユナは悲しそうに苔床を見た。


「見つかれば、また奪われるからです」


その言葉は、刻印と同じだった。


カイムが一歩踏み出す。


「答えになっていない!」


「なっています」


ユナは静かに言った。


「昔、第六泉は一度見つかりました。乾いた年に、人々が苔を剥がし、岩を削り、水滴を集めました。桶に半分も満たない水を得るために」


「それで?」


「翌年、雲見の母樹の葉が半分落ちました」


フィリアが息を呑む。


「苔床を剥がしたから」


ユナは頷く。


「第六泉は、水を溜める場所ではありません。水が生まれる前の場所です。ここを壊せば、ほかの泉も弱る」


カイムは黙り込んだ。


澪はユナを見る。


「でも、隠したことで監視も共有もできなくなりました」


ユナの顔に、痛みが走る。


「はい」


「閉じたまま、苔床が弱っている。風も抜けていない。母樹も枯れかけています」


「わかっています」


「なら、なぜ村へ伝えなかったんですか」


ユナは少しだけ顔を上げた。


「伝えて、守れますか?」


澪は答えられなかった。


ユナの言葉は冷たいが、現実でもある。


村人たちは、水車を焦って回そうとした。


霧背鹿を撃った。


隠された泉の存在だけで、不信が爆発しかけた。


第六泉を守るには、ただ公開すればいいわけではない。


だが、隠せば劣化し、独占疑惑が生まれる。


開けば奪われる。


閉じれば忘れられる。


また、二択。


そして、この世界の壊れた仕組みは、いつも二択の顔をしてやってくる。


その時だった。


谷の入口側から、怒号が響いた。


「ここにあったのか!」


「第六泉だ!」


「やはり隠していた!」


澪は振り向いた。


村人たちだ。


五人、いや十人近い。


誰かが尾行していた。


その中には、水門を勝手に開けた若者の仲間もいる。


手には桶。


短い鍬。


布袋。


カイムが弓へ手をかける。


「止まれ!」


だが、村人たちは止まらなかった。


苔床の上へ足を踏み入れる。


その瞬間、調律核が赤く点滅する。


《第六泉苔床:踏圧》


《保水層損傷》


《霧沈着効率:低下》


「踏まないで!」


澪が叫ぶ。


しかし、一人の男が苔を掴んだ。


「これを絞れば水が取れる!」


ユナが悲鳴を上げる。


「やめなさい!」


男の手が、苔を引き剥がそうとした。


その瞬間。


地面の下から、黒い根が噴き出した。


「うわっ!?」


男の腕へ絡みつく。


別の村人の足にも絡む。


苔床の下に眠っていた黒色菌糸が、防衛反応を起こしたのだ。


《第六泉防衛反応》


《黒色菌糸網:過剰起動》


《泉守機能:暴走》


霧が一気に濃くなる。


白かった谷が、黒を含んだ灰色へ変わる。


苔の下から、小さな獣のような形がいくつも立ち上がる。


第27話で見た黒根獣の、小型版。


「出た!」


ライカが身構える。


ルシェリアが風を起こそうとする。


だが、澪は叫んだ。


「強い風は駄目! 霧ごと苔が乾く!」


「では、どうしますか!」


「止めるけど、壊さない!」


「難しい注文ですね!」


「わかってる!」


テンポよく返したものの、状況は笑えない。


村人は黒い根に捕まり、苔床は踏まれ、霧は濁っている。


黒根獣を切れば、苔床ごと傷つく。


村人を放置すれば、菌糸に引きずり込まれる。


ユナは杖をつきながら、必死に祈るような声を上げている。


「第六泉よ、怒らないで。彼らは知らなかっただけです」


「知らないまま踏み込んだから怒ってるんですよね、たぶん!」


澪は調律核を見る。


水。


苔。


菌糸。


霧。


村人の位置。


根の動き。


「ライカ、踏まれていない苔床の縁を走って、逃げ道を作って!」


「踏まないルートね!」


「うん!」


「難しいけど、やる!」


ライカが跳ぶ。


苔を踏まないよう、岩と根だけを使って移動する。


「カイム、村人を撃たない! 根も撃たない! 桶を落とさせて!」


「どうやって!」


「矢で桶の紐を切る!」


「細かい注文を!」


「山番ならできる!」


カイムは一瞬だけ睨んだ。


だがすぐに弓を構える。


矢が飛ぶ。


桶の持ち手を結んでいた紐が切れ、桶が苔床の外へ転がった。


「フィリア、菌糸へ伝えて! 奪わせない。でも、引き込ませない!」


「はい!」


フィリアとネレイアが青い光を広げる。


「ルシェリア、霧を上へ逃がさないで。谷の中で薄く回して!」


「承知しました」


ルシェリアの風が、濃くなった霧を一点に集めず、谷全体へ薄く回す。


澪はユナへ叫んだ。


「泉守の道はありますか! 苔を踏まずに中央へ行く道!」


ユナははっと顔を上げた。


「石の列があります! 霧で見えにくいだけです!」


「場所を!」


ユナが杖で示す。


苔の下に、浅く埋まった平たい石が並んでいた。


泉守だけが使っていた踏み石。


「ライカ、その石を出して!」


「任せて!」


ライカが素早く苔を傷つけないよう落ち葉だけを払い、石の位置を出す。


道が見えた。


澪はそこへ走ろうとする。


カイムが止めた。


「お前が行くのか!」


「他に誰が!」


「俺が行く!」


「泉守の人と一緒に!」


「わかった!」


カイムはユナを支え、踏み石を渡る。


黒い根が二人へ伸びる。


フィリアの声が響く。


「彼らは奪いません! 道を直します!」


黒い根の動きが少しだけ鈍る。


カイムは捕まった村人へ手を伸ばした。


「苔を離せ!」


「水が!」


「水じゃない! 森の喉だ!」


カイムが怒鳴る。


「お前が掴んでいるのは、桶の水じゃない! 山全部の喉だ!」


男の顔が歪む。


ようやく、彼は苔から手を離した。


その瞬間、黒い根が緩む。


カイムが男を引きずり出す。


ライカが別の村人を誘導し、ルシェリアが霧で視界を確保し、フィリアが菌糸の怒りを鎮める。


一人。


二人。


三人。


村人たちは苔床の外へ出された。


最後に残った若者が、まだ膝をついている。


「妹が……水を……」


彼は震えていた。


水門を開けた若者とは別の男だ。


だが、同じ目をしている。


追い詰められた者の目だ。


澪は踏み石の上から言った。


「第六泉の水を持ち帰っても、妹さんは救えない」


「なぜだ!」


「量が足りない。苔を剥がせば、この先の雨も泉も弱る。そうなれば、もっと多くの妹や弟が渇く」


「じゃあ、見捨てろっていうのか!」


「違う」


澪は、サフラ中継井で避難民を見た時のことを思い出した。


「飲み水は、第六泉からじゃない。水車の戻し樋、第一泉、第二泉、村の貯水管理を直して確保する。ここは、その全部を支える場所」


「今ほしいんだ!」


「だからこそ、今ここを壊したら終わる!」


澪の声が谷に響いた。


若者は歯を食いしばる。


黒い根が、彼の足元へ近づいている。


カイムが手を差し出した。


「俺も父を失った」


若者がカイムを見る。


「だから、水がほしい怒りはわかる。何かを壊してでも、取り戻したい気持ちもわかる」


カイムの声は、昨日より低く、静かだった。


「でも、俺は霧背鹿を撃って、雨を落としかけた。今度はお前が同じことをするな」


若者の目から涙が落ちた。


彼は苔から手を離し、カイムの手を掴んだ。


黒い根が、その場で止まった。


***


村人たちが苔床の外へ出ると、谷は少しだけ静かになった。


だが、傷は残った。


踏まれた苔。


剥がれかけた保水層。


乱れた霧。


過剰に起動した黒色菌糸。


調律核の表示は厳しい。


《第六泉苔床損傷:12%》


《霧沈着効率:低下》


《黒色菌糸防衛反応:継続》


《大量取水リスク:高》


「このままだと?」


ライカが聞く。


「また誰かが来る」


澪は答えた。


「隠しても駄目。放っても駄目。完全に開放しても駄目」


「難しすぎない?」


「うん。でも、たぶん答えは一つ」


澪はユナを見る。


「第六泉を、公開管理にします」


ユナが息を呑む。


「公開すれば、奪われます」


「奪わせない公開です」


「そんなことが」


「やります」


澪は谷の入口を指した。


「まず、ここへ無断で入れないようにします。でも、存在は隠さない」


セラフィナがいれば、即座に記録板を出しているだろう。


澪は頭の中で彼女の声を想像しながら、言葉を整える。


「第六泉は飲み水ではない。汲まない。運ばない。苔を剥がさない。踏み石以外を踏まない。観測者は、泉守、村、山番、森側の四者」


「森側?」


ライカが聞く。


「霧背鹿」


「また規約に動物入るんだ」


「もう慣れよう」


ユナは呆然としていた。


「泉守を、戻すのですか」


「一人で隠して守る泉守じゃないです」


澪は言った。


「みんなが見られるようにして、でも勝手には触れないようにする。記録する泉守です」


カイムが頷く。


「山番も加わる」


「村の水係も」


澪は続けた。


「それと、飲み水が必要な人を第六泉へ来させないために、別の水場を早く直す」


「第一泉か」


「はい」


調律核を確認する。


第一泉は閉塞。


場所は比較的近い。


飲用に使える可能性がある。


「第六泉は、全部を支える種泉。飲み水は、まず第一泉を開ける」


ユナは杖を握りしめた。


「本当に、守れますか」


「保証はできません」


澪は正直に言った。


「でも、隠したまま壊れるよりは、守る人を増やしたい」


長い沈黙。


やがて、ユナはゆっくりと膝をついた。


苔床へではない。


踏み石の上へ。


「第六泉、最後の泉守として、公開管理を受け入れます」


その瞬間、谷の霧がわずかに動いた。


霧背鹿の気配がする。


姿は見えない。


けれど、白い霧の流れが、苔床の上を柔らかく撫でた。


フィリアが微笑む。


「霧背鹿も、見ています」


「怒ってる?」


ライカが聞く。


「いいえ。少し、安心しています」


澪の調律核が光る。


《第六泉:公開管理へ移行》


《泉守秘匿優先度:低下》


《苔床修復作業:開始可能》


《種泉機能:維持》


《源流森林調律ルート:第三条件一部達成》


《条件名:隠された泉》


「一部達成、か」


澪は表示を見る。


第六泉を見つけた。


けれど、完全に解決したわけではない。


苔床は傷ついた。


人々の水不足は続いている。


第一泉は閉塞したまま。


第二泉は濁り。


第三泉は権利争い。


六泉全体の問題は、まだ始まったばかりだ。


その時、谷の奥から低い音がした。


こぽ。


小さな水音。


誰もが振り向く。


苔床の奥、岩陰のさらに下。


そこに、黒い水がにじみ出ていた。


透明ではない。


泥でもない。


墨を薄めたような色。


フィリアの顔が強張る。


「これは、第六泉の水ではありません」


調律核が赤く点滅する。


《未知水脈反応》


《第六泉下層より上昇》


《黒色菌糸由来ではありません》


《照合中》


《照合結果:第一泉閉塞水》


「第一泉?」


澪が目を見開く。


閉塞しているはずの第一泉の水が、第六泉の下から逆流している。


つまり、第一泉の詰まりは、単に石や泥で塞がっているだけではない。


水が行き場を失い、第六泉の下層へ押し込まれている。


ユナが震える声で言った。


「第一泉は……山の始まりの水です」


カイムが続ける。


「そこが黒くなっているなら、六泉全部が危ない」


黒い水が、苔床の下から一滴、表面へ染み出した。


その場所の苔が、じわりと黒く変わる。


調律核に、次の警告が浮かんだ。


《第一泉閉塞圧:上昇》


《第六泉苔床汚染予測:四時間》


《源流六泉連鎖停止予測:三十六時間》


《推奨対応:第一泉緊急開放》


そして、その下に、遅れて表示された一文。


《注意:急開放時、山麓土砂流発生率 78%》


澪は、思わず笑いそうになった。


もちろん、笑える状況ではない。


「また、開けても駄目、閉じても駄目か……」


谷の霧が震える。


霧背鹿が、遠くで鋭く鳴いた。


次に向かう場所は、決まった。


閉じた第一泉。


ただし、急に開ければ、山が崩れる。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第29話では、《隠された第六泉》がついに見つかりました。


しかし、第六泉は、村人たちが期待したような大きな飲み水の泉ではありませんでした。


別名は《種泉》。


霧を水滴に変え、苔床へ受け止め、菌糸や根へ微細な水分を渡すための場所です。


湧き水として大量に流れる場所ではなく、森の根と菌糸と苔を支える、小さな水の入口でした。


だからこそ、汲んではいけない。


運んではいけない。


大量に取れば、泉そのものが壊れてしまう。


第六泉は、人の喉を直接潤すための水ではなく、山全体の喉を潤す水だったのです。


しかし、それを隠し続けたことで、別の問題も生まれていました。


第六泉の存在は村から忘れられ、泉守は公には途絶え、監視も共有もされなくなりました。


その結果、苔床は弱り、風も滞り、母樹根系も支えきれなくなっています。


守るために隠したものが、隠されたまま劣化していたのです。


今回、村人たちが第六泉へ押し寄せ、苔を剥がして水を得ようとしたことで、防衛反応が起きました。


黒色菌糸が過剰起動し、小型の黒根獣のような形を取りました。


けれど、それも単なる敵ではありません。


苔床と種泉を守るための、過剰な防衛反応でした。


澪たちは、第六泉を再び隠すのでも、完全に開放するのでもなく、《公開管理》へ移行させる方針を取りました。


第六泉は飲み水ではない。


汲まない。


運ばない。


踏み石以外を踏まない。


泉守、村、山番、森側の観測者が共同で見る。


存在を隠さず、しかし勝手には触れさせない。


これが今回の新しい形です。


ただし、飲み水の問題は残っています。


第六泉を守るだけでは、人々の喉は潤いません。


そこで次に向かうべきは、飲用水源になり得る第一泉です。


しかしラストで、閉塞しているはずの第一泉の水が、第六泉の下層から黒く逆流していることが判明しました。


第一泉を急いで開ければ、水は戻るかもしれません。


しかし、急開放すれば山麓土砂流が発生する危険があります。


開けても危険。


閉じても汚染が進む。


次回は、第一泉の閉塞と、山を崩さずに水を戻す方法へ挑みます。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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