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徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第三部  作者: マスター


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第27話 黒い菌糸は、森を殺していなかった

第27話です。


第26話では、澪たちは《霧背鹿》の正体に近づきました。


村では、霧背鹿は雨を奪う獣として恐れられていました。


雲が来るたびに現れ、背に霧を集め、雨を降らせない存在。


けれど実際には、霧背鹿は雲を食べていたのではありませんでした。


森が失われたことで、霧や雲が留まる場所を失い、霧背鹿は失われた樹冠の代わりに霧を背負っていました。


雨を奪っていたのではなく、受け皿のない斜面へ雨を落とさないようにしていたのです。


しかし、霧を降ろせた尾根の残存林にも、新たな異常が見つかりました。


《黒色菌糸反応》。


森の地下に広がる菌糸網が、虚無に侵食され始めています。


源流を支える最後の森で、何が起きているのか。


今回は、澪たちが残存林の中へ入っていきます。

雨が止んだあとの山は、静かだった。


静かすぎた。


さっきまで斜面を叩いていた雨音も、枝帯に泥がぶつかる音も、村人たちの叫び声も消えている。


残ったのは、濡れた土の匂いと、崩れかけた斜面から時折落ちる小石の音だけだった。


神代澪は、泥だらけの靴を見下ろした。


「……これ、洗えるかな」


隣でライカが尻尾を振る。


「川があれば洗えるよ」


「その川が問題なんだよね」


「たしかに」


乾いたら固まりそうな泥を見て、澪は小さくため息をついた。


その横で、アオイは盾にこびりついた泥を木の枝で落としている。


セラフィナは光剣をしまいながら、作業者と負傷者の人数を確認していた。


ルシェリアは尾根から降りてくる風を読み、フィリアはネレイアを休ませている。


ミルカだけは、もう次の問題を見ていた。


「残存林の侵食率、まだ上がってる」


彼女の手元に、調律核と連動した構造図が浮かんでいる。


《尾根残存林:虚無侵食率 16% → 18%》


《黒色菌糸反応:拡大》


《霧沈着地点:根圏異常》


《推奨対応:感染根焼却》


「焼却……」


澪は嫌な顔をした。


砂漠で廃棄物を燃やすか土へ戻すかを散々考えたばかりだ。


今度は森で、根を燃やせと言われている。


「また燃やすんだ」


ライカが耳を伏せる。


「燃やしたら一番早く見えるからね」


ミルカが言った。


「黒いものを消すには、たしかに早い。でも、根まで焼けば土を支えるものも消える」


フィリアが残存林の方を見た。


尾根の上に、小さく残った森。


森と言っても、大きな塊ではない。


斜面の上に取り残された島のような木々だ。


その上には、霧背鹿が降ろした細かな水滴がまだ残っている。


葉の先。


苔の上。


落ち葉の間。


そこだけは、周囲の裸地と違って、かすかに湿っていた。


しかし、その下に黒い反応がある。


「燃やさないでください」


フィリアが静かに言った。


「まだ、声がします」


カイムが泥のついた手で弓を拾い上げながら、眉をひそめる。


「声?」


「森の下の声です」


「黒い菌は、苗木を枯らす。根を腐らせる。俺たちは何度も見てきた」


カイムの声は硬い。


さっき霧背鹿へ矢を放つことはやめた。


だが、まだ何も信じきってはいない。


「黒い菌糸が広がった場所に植えた苗は、全部枯れた。だったら焼くしかない」


「焼いたら?」


澪が聞いた。


カイムは一瞬、口を閉じた。


代わりに村長エルワンが答える。


「焼いた場所は、翌年の雨で流れた」


「……でしょうね」


澪は額に手を当てた。


「黒い菌を消したら、今度は土ごと消えた」


「だが、残せば苗が枯れる」


カイムが言う。


「だから、どちらにしても詰んでいる」


その言葉には、疲れがあった。


怒りではなく、諦めに近い疲れだ。


澪は残存林を見る。


雲を留める最後の場所。


霧背鹿が霧を降ろせる、数少ない受け皿。


そこを焼けば、確かに黒い菌は減るかもしれない。


だが同時に、落ち葉も、苔も、根も、菌糸も失う。


雨を受け止める場所そのものが消える。


「見に行こう」


澪は言った。


「焼くかどうかは、そのあと」


「焼かない前提ではないんだな」


カイムが問う。


「危険なら隔離します。でも、何なのか見ないで燃やすのはなし」


「……一度だけだ」


「それ、さっきも聞いた」


ライカがぼそっと言う。


カイムが睨む。


ライカは澪の後ろへ隠れた。


「ミオ、睨まれた」


「余計なこと言うから」


「でも本当だし」


緊張の中で、ほんの少しだけ空気が緩んだ。


澪たちは、尾根の残存林へ向かって歩き出した。


***


残存林の中へ入ると、空気が変わった。


乾いた斜面とは違う。


少し涼しい。


少し暗い。


少し湿っている。


頭上には、まだ葉を残した木々がある。


多くは古く、幹に傷があり、枝も折れている。


けれど、それでも葉を広げていた。


足元には落ち葉が積もっている。


薄い苔。


倒木。


小さな虫。


湿った匂い。


澪は、思わず深く息を吸った。


「森の匂いだ」


「さっきまで泥の匂いしかしてなかったからね」


ミルカが足元の落ち葉をどかす。


その下に、白い菌糸が細く広がっていた。


さらにその下。


黒い糸が見えた。


墨のような色。


根と根の間を縫うように伸びている。


それは腐敗したようにも見えた。


病気のようにも見えた。


だが、完全に死んだものではない。


黒い糸の先は、まだ生きている木の根へつながっている。


調律核が表示を出す。


《黒色菌糸網:確認》


《虚無侵食率:18%》


《接続先:残存母樹群》


《接続先:枯死根群》


《接続先:旧植林地断裂根》


《状態:過負荷》


「過負荷?」


澪が呟く。


「病気じゃなくて?」


ミルカが膝をついた。


「菌糸網が水分と養分を抱え込みすぎてる。流す先が少ない」


「流す先?」


「生きた根が減った。枯れた根は多い。切り株も多い。つまり、受け取る相手より、処理する死んだ材料の方が多すぎる」


フィリアが目を閉じる。


ネレイアの青い光が、黒い菌糸へそっと触れた。


その瞬間、フィリアが小さく息を呑む。


「重い……」


「大丈夫?」


澪が支える。


フィリアは頷いたが、顔色は悪い。


「水を返せない。栄養を返せない。死んだ根が多すぎる。生きている根が遠すぎる。だから、抱えたまま黒くなっています」


「森の廃棄物処理が詰まってる感じ?」


ライカが言う。


「言い方は変だけど、近いかも」


澪は黒い菌糸を見る。


木が伐られる。


根が死ぬ。


落ち葉が減る。


土が乾く。


菌糸は死んだ根を分解しようとする。


だが、生きた木へ戻す流れが断たれている。


行き場を失った有機物と水分と情報が、黒く濁っていく。


砂漠で見た虚無と同じ構造だった。


捨てたものは消えない。


戻る先を失えば、滞る。


滞れば、虚無が入り込む。


「黒い菌糸は、森を殺してるんじゃない」


澪は言った。


「森が死んだものを、抱えきれなくなってるんだ」


カイムが低く言う。


「でも、苗は枯れた」


「たぶん、弱い苗がこの中へ入ると、黒い菌糸に負ける」


ミルカが答える。


「菌糸が悪いというより、バランスが悪すぎる。処理中の場所へ、根の細い苗を植えたら耐えられない」


「じゃあ、どうすればいい」


カイムの声が鋭くなる。


「焼くな。植えるな。では何をしろと言う」


澪は答えようとして、言葉を探した。


その時。


森の奥で、枝が折れる音がした。


ぱきん。


全員が振り向く。


霧の中に、黒い影が動いた。


鹿ではない。


人でもない。


黒い根が絡まり合い、獣のような形を作っている。


四本脚。


低い姿勢。


背中から伸びる、無数の菌糸。


顔にあたる場所には、空洞のような穴が二つ。


《黒根獣:形成》


《黒色菌糸網防衛反応》


《推奨対応:焼却》


ライカが叫ぶ。


「出た! 森の黒いの!」


アオイが盾を構える。


黒根獣は低く唸った。


音というより、木の根が擦れるような振動だ。


カイムが即座に弓を構える。


「やっぱり化け物じゃないか!」


「撃たないで!」


澪が叫ぶ。


「でも来るよ!」


黒根獣が飛びかかった。


速い。


湿った落ち葉を蹴り、低い姿勢でアオイへ向かう。


アオイが盾で受ける。


重い衝撃。


「っ……!」


黒根獣の爪のような根が、盾へ絡みつく。


アオイは力で引き剥がそうとした。


だが、澪が叫ぶ。


「力任せに剥がさないで! 根が切れる!」


「では、どうすれば!」


「セラフィナ!」


「拘束します」


白銀の光剣が、黒根獣の周囲へ六角形に刺さる。


切るのではなく、動きを制限する。


ルシェリアが風を送り、黒根獣の周囲の霧を薄くした。


フィリアが一歩前へ出る。


「待ってください!」


黒根獣の空洞のような目が、フィリアへ向く。


その瞬間、黒い菌糸が地面から伸びた。


澪の足元へ。


「うわっ!」


ライカが澪を引っ張る。


「ミオ、足!」


黒い菌糸が澪の靴へ絡みつきかけていた。


アオイが動こうとするが、盾に根が絡まっている。


カイムが矢を放とうとする。


「やめて!」


澪は叫びながら、調律核を起動する。


表示が乱れる。


《黒色菌糸網:接触》


《情報流入》


《枯死根記憶》


《伐採記憶》


《乾燥記憶》


視界が揺れた。


澪の脳裏に、森の記憶が流れ込む。


斧の音。


倒れる木。


乾く根。


切り株の断面。


火。


山羊の蹄。


苗木の根が浅く乾く感覚。


雨が来て、土が剥がれる感覚。


助けようとして伸ばした菌糸が、死んだ根ばかりへつながる感覚。


返せない。


届けられない。


抱えきれない。


繋ぎたい。


繋がらない。


繋がらない。


繋がらない。


「っ……!」


澪は膝をつきかけた。


フィリアが肩を支える。


「ミオさん!」


「これ、防衛反応じゃない」


澪は息を荒げながら言った。


「助けを呼んでる」


「助け?」


カイムが叫ぶ。


「これがか!」


黒根獣は、アオイの盾へ絡みついたまま動いている。


敵にしか見えない。


けれど、攻撃の向きが違う。


澪を地面へ引き倒そうとしているのではない。


森の記憶を見せようとしている。


「黒い菌糸は、つながる相手を探してる」


澪は立ち上がる。


「でも、人も苗も弱いから、触れたら傷つける。だから化け物に見える」


「どうすればいい!」


アオイが盾を押さえながら叫ぶ。


澪は周囲を見た。


倒木。


落ち葉。


古い切り株。


生き残った大木。


断裂した菌糸。


霧背鹿が降ろした水滴。


「橋を作る」


「橋?」


「生きた根に直接つなぐんじゃなくて、間に倒木と落ち葉の帯を作る。菌糸が暴れずに広がれる通り道」


ミルカがすぐ理解した。


「菌糸橋!」


「うん!」


澪は指示を出す。


「アオイ、倒木を運んで! でも黒根獣にぶつけないで!」


「はい!」


「ライカ、落ち葉が厚い場所を探して!」


「了解!」


「ルシェリア、乾かさないように風を弱く!」


「承知しました」


「セラフィナ、黒根獣をそこに留めて! 切らずに!」


「維持します」


「フィリア、黒い菌糸へ伝えて! 燃やさない、切らない、でも直接苗へはつなげない。まず橋へ!」


フィリアは頷く。


「伝えます」


カイムは弓を構えたまま動けずにいた。


澪は彼を見る。


「カイムさん!」


「……何だ」


「山番なら、落ち葉が溜まる場所を知っていますよね!」


彼の表情が揺れる。


「俺は、もう山番じゃない」


「でも、山を知ってる!」


「っ……」


カイムは歯を食いしばる。


次の瞬間、弓を下ろした。


「北側の大岩の下だ! 風が弱く、落ち葉が流れ込む! そこに古い倒木もある!」


「それを使います!」


カイムが走った。


村の若者たちも続く。


さっきまで黒根獣を射ようとしていた者たちが、今度は落ち葉と倒木を運び始める。


森の中に、小さな作業の輪が生まれた。


***


菌糸橋は、見た目にはただの湿った倒木の列だった。


斜面に沿って、しかし水の流れを邪魔しすぎない角度で置く。


下には細い枝。


その上に倒木。


さらに落ち葉。


苔のついた石。


少量の生きた土。


霧背鹿が降ろした水滴を含む苔を、フィリアが慎重に置く。


「菌糸が通れるけど、苗の根へ直接入らない緩衝帯」


ミルカが説明しながら、枝の向きを直す。


「水も少し止める。落ち葉も溜まる。乾きすぎない。これなら黒い菌糸が一か所で抱え込まずに広がれる」


「森の中の仮設道路みたいなもの?」


ライカが聞く。


「菌糸用のね」


「小さすぎて見えない道路」


「でも重要」


黒根獣は、セラフィナの光の境界の中で暴れていた。


だが、フィリアが声を届け続けるうちに、動きが少しずつ弱まる。


アオイの盾へ絡みついていた根も、少し緩んだ。


「今です」


フィリアが言う。


「菌糸橋へ、行けます」


澪は調律核を見る。


黒色菌糸網の流れ。


抱え込んだ水分と分解途中の有機物。


行き場を探す情報のようなもの。


「黒根獣を橋の方へ誘導」


「どうやって?」


ライカが聞く。


「攻撃じゃなくて、道を見せる」


ルシェリアが、霧を細く流した。


菌糸橋の上だけが、少し湿る。


フィリアがネレイアの水をほんの一滴落とす。


その水滴は倒木の溝を伝い、落ち葉の間へ染み込んだ。


黒根獣の空洞の目が、その方向を向く。


セラフィナが光剣を一本ずつ退かす。


逃げ道を全部開けるのではない。


菌糸橋へ向かう道だけを残す。


黒根獣が、ゆっくりと動いた。


一歩。


二歩。


根の爪が落ち葉を踏む。


その足元から、黒い菌糸が倒木へ伸びる。


倒木の中には、古い白い菌糸が残っていた。


黒と白が触れる。


一瞬、赤黒い光が走る。


カイムが息を呑む。


「燃えるのか?」


「違う」


フィリアが言う。


「つながっています」


倒木の内部へ、黒い菌糸が入る。


落ち葉へ広がる。


苔の下へ伸びる。


生きた木の根へ直接殺到するのではなく、一度倒木と落ち葉の中へ広がっていく。


調律核の表示が変わる。


《菌糸橋:接続》


《黒色菌糸網過負荷:低下》


《分解中有機物:緩衝帯へ移行》


《残存母樹群への直接負荷:低下》


《虚無侵食率:18% → 14%》


「下がった!」


ライカが跳ねる。


「まだ跳ねないで! 根を踏む!」


ミルカが怒鳴る。


「ごめん!」


黒根獣の形が崩れ始めた。


四本脚だった根がほどける。


背中の菌糸が落ち葉の下へ潜る。


空洞の目が小さくなり、最後には黒い根の塊へ戻った。


ただし、それは消滅ではない。


菌糸橋の一部として、森へ戻っていく。


アオイが盾から根を外し、ほっと息を吐いた。


「倒さずに済みました」


「うん」


澪も肩の力を抜く。


その瞬間、膝から力が抜けかけた。


アオイが支える。


「ミオさん」


「ごめん、ちょっと森の記憶が重かった」


「休憩を」


「セラフィナに言われる前に言われた」


「私も学習しています」


「アオイまで休憩管理側に……」


セラフィナが近づいてくる。


「正しい傾向です」


「増えた」


ライカが笑い、フィリアも少しだけ笑った。


カイムは、菌糸橋の前に立っていた。


その顔は複雑だった。


怒り。


戸惑い。


後悔。


そして、ほんのわずかな希望。


「黒い菌糸は……燃やさなくてもよかったのか」


「全部が安全とは限りません」


澪は答えた。


「でも、少なくともここは、燃やす前に流れを作るべき場所でした」


「俺たちは、何度も焼いた」


「その時は、それしか知らなかったんだと思います」


慰めになっているかはわからない。


だが、それは事実だ。


危険なものを目の前にした時、最もわかりやすい方法は消すことだ。


燃やす。


切る。


封じる。


倒す。


それで一時的に危険は見えなくなる。


けれど、支えていた構造まで消してしまうことがある。


カイムは黙ったまま、倒木の上に落ち葉を一枚置いた。


「……父は、黒い根を焼くなと言っていた」


澪は彼を見る。


「お父さんが?」


「古い山番の記録にあった。黒い根は、死んだ森の嘆きを抱える。燃やす前に、湿った木を渡せ、と」


「読んでたんですか」


「読んだ。だが、信じなかった」


カイムは拳を握る。


「父は、そのやり方で森を守ろうとして、斜面崩れに巻き込まれた。だから俺は、古い教えなど役に立たないと思った」


「でも、完全に忘れてはいなかった」


「忘れたかっただけだ」


雨上がりの森で、カイムの声は低く震えていた。


「俺は霧背鹿も黒い根も、全部敵だと思いたかった。敵なら、撃てばいい。燃やせばいい。父が死んだ理由も、それで片づく」


澪は何も言わなかった。


その痛みに、簡単な返事はできない。


フィリアがそっと言う。


「でも、今、あなたは落ち葉を置きました」


カイムは、倒木の上の落ち葉を見た。


「……一枚だけだ」


「最初は、一枚でいいと思います」


その言葉に、カイムは顔を背けた。


***


菌糸橋の仮接続によって、残存林の空気は少し変わった。


黒い臭いが薄くなる。


湿った落ち葉の匂いが戻る。


尾根の上で、霧背鹿が静かにこちらを見ていた。


霧背鹿は近づいてこない。


けれど、逃げもしなかった。


背中の霧が、残存林の上へ薄く広がる。


今度は急な雨にはならない。


葉の先へ水滴がつく。


苔が吸う。


落ち葉へ落ちる。


倒木へ染み込む。


菌糸橋が、その水を受け取る。


調律核に表示が流れた。


《霧沈着:安定》


《菌糸橋:水分保持》


《残存林リター層:微回復》


《母樹群ストレス:低下》


《源流森林調律ルート:第一条件達成》


《条件名:霧の受け皿》


澪は表示を見ながら、小さく息を吐いた。


第一条件。


つまり、まだ先がある。


「森を戻すって、本当に段階が多いね」


ライカが言う。


「水、土、風、菌、落ち葉、動物、人」


澪は指折り数えかけて、途中でやめた。


「多すぎる」


「でも、面白い」


ライカが笑う。


「ライカ、前向きだね」


「走る道が多いから」


「そういう理由?」


「うん」


その単純さが、少し羨ましい。


ミルカは菌糸橋の端に小さな標識を立てていた。


《踏むな》


《燃やすな》


《乾かすな》


三つだけ。


わかりやすい。


「説明少なくない?」


澪が聞く。


「現場の標識は短い方がいい」


「たしかに」


セラフィナは、その横に詳細記録板を置いた。


菌糸橋の材料。


設置角度。


湿度。


霧沈着量。


黒色菌糸反応。


作業者。


観測者。


停止条件。


こちらは細かい。


「バランス取れてるね」


澪が言う。


「当然です」


セラフィナとミルカが同時に答えた。


「二人とも似てきた?」


「似てない」


「似ていません」


即答だった。


アオイが少し笑う。


ルシェリアも静かに微笑んだ。


その時、フィリアが森の奥を振り向いた。


「まだ、声があります」


「黒い菌糸?」


「いえ」


フィリアは残存林のさらに奥を見る。


木々の間。


苔の深い場所。


そこだけ、霧が不自然に濃い。


「もっと古い声です」


澪の調律核が反応した。


地図が更新される。


残存林の中心部。


これまで表示されていなかった、巨大な根の構造が浮かび上がる。


《残存母樹群:接続解析》


《中心根系:確認》


《旧名称照合:雲見の母樹》


《状態:切株》


《根系生存反応:4%》


「雲見の母樹……」


エルワンが驚いたように呟いた。


「知っているんですか」


澪が聞く。


「伝承だけだ。昔、この尾根には雲を呼ぶ大樹があったと聞く。だが、もう残っていない。ずっと昔に伐られた」


カイムが顔を上げる。


「伐られた? どこへ?」


エルワンは言いにくそうに口を閉ざした。


「村長」


カイムの声が低くなる。


「どこへ使った」


エルワンは深く息を吐いた。


「ルオムの大水車だ」


全員の視線が、村の方を向いた。


壊れた水車。


乾いた川の横に立つ、村の象徴。


その中心軸に使われたのが、雲見の母樹。


雲を呼ぶと伝えられた大樹。


その根が、まだ四パーセントだけ生きている。


そして、霧背鹿が雲を降ろせる場所を探していた。


澪の調律核に、警告が重なる。


《雲見の母樹根系:虚無侵食進行》


《霧背鹿同期先:母樹根系》


《母樹根系枯死時、霧保持機能喪失》


《予測:山麓降雨形成さらに低下》


《残存時間:二十七時間》


「二十七時間……」


ライカが呟く。


「また時間制限?」


「みたい」


澪は壊れた水車の方角を見る。


村を支えてきた水車。


森を失わせた象徴でもあるかもしれない水車。


そして、まだ生きている母樹の根。


次に行くべき場所は、決まった。


カイムは拳を震わせていた。


「父は……これを知っていたのか」


誰も答えられなかった。


霧背鹿が、尾根の上で短く鳴いた。


それは、急げという声に聞こえた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第27話では、尾根の残存林に広がっていた《黒色菌糸》の正体を調べました。


村人たちは、黒い菌糸を苗木を枯らす病気だと考えていました。


実際、黒い菌糸が広がった場所へ植えた苗は枯れていました。


そのため、焼却や伐根が繰り返されてきました。


しかし、黒い菌糸は単純に森を殺す病原体ではありませんでした。


木が伐られ、根が死に、落ち葉が減り、生きた根のネットワークが切断されたことで、菌糸網が分解途中の有機物や水分を抱え込みすぎていたのです。


つまり、森の地下で循環が詰まっていました。


死んだ根は多い。


生きた根は少ない。


返す先がない。


届ける先がない。


その過負荷状態に虚無が入り込み、黒い菌糸となって現れていました。


黒い菌糸が苗を枯らしていたのも、弱い苗の根が、過負荷の菌糸網に直接触れて耐えられなかったためです。


そこで澪たちは、黒い菌糸を燃やすのではなく、《菌糸橋》を作りました。


倒木。


落ち葉。


苔。


少量の生きた土。


霧背鹿が降ろした水分。


それらを使い、黒い菌糸が直接苗や母樹へ殺到しないように、緩衝帯を作ったのです。


菌糸橋は、菌糸のための道であり、同時に水と有機物を一時的に保持する場所でもあります。


その結果、黒色菌糸網の過負荷は下がり、虚無侵食率も低下しました。


今回の要点は、危険に見えるものを即座に燃やす、切る、倒すのではなく、それが何を抱えているのかを見ることです。


黒い菌糸は、森を殺していたのではなく、死んだ森を抱えきれなくなっていました。


ただし、問題はさらに深い場所へ続きます。


残存林の中心には、《雲見の母樹》と呼ばれる大樹の根系が、わずかに生き残っていました。


その木は昔に伐られ、村の大水車の中心軸として使われていました。


霧背鹿は、その母樹根系と同期しており、母樹が完全に枯れれば、霧を保持する力も失われます。


次回は、村の象徴である大水車と、伐られた母樹の残響へ向かいます。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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