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徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第三部  作者: マスター


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第26話 霧背鹿は、雲を食べていなかった

第26話です。


第三部「源流森林編」の本格開始回です。


第25話では、澪たちは砂漠を支える上流域へ向かいました。


砂漠の水不足は、砂漠だけの問題ではありません。


川は上流から来ます。


地下水も、雨も、源流域の森と土に支えられています。


山に森があれば、雨を受け止め、土へ染み込ませ、地下水としてゆっくり川へ返します。


けれど、森が失われると、雨は土に入らず、斜面を一気に流れます。


その結果、鉄砲水や土砂流は起きるのに、普段の川は乾くという状態になります。


澪たちは乾いた川底で鉄砲水に遭遇し、ルオム山麓村へ向かう途中で、森を失った斜面を目にしました。


そして、雲を背負った巨大な鹿、《霧背鹿》と遭遇します。


村では、霧背鹿は雨を奪う存在として恐れられていました。


システムも、討伐を推奨しました。


しかし澪は、これまでと同じように、すぐには倒さない選択をします。


霧背鹿は本当に雲を食べているのか。


それとも、雲が育たない森の異常を背負っているのか。


今回は、その正体へ近づいていきます。

ルオム山麓村は、森の村だった。


少なくとも、そう呼ばれていた。


案内役の隊商長は、村の入口でそう言った。


「昔はな」


その言葉どおり、村の周囲には、森だった名残だけが残っていた。


石組みの家。


木を組んだ屋根。


山から引いた細い水路。


水車の跡。


乾いた貯水池。


そして、家々の後ろに広がる斜面には、無数の切り株が並んでいる。


森と呼べるほどの木は、もうない。


ところどころに残った大木が、孤立した塔のように立っているだけだ。


その根元には、まだ薄い草と落ち葉がある。


だが、木と木の間は裸地だった。


赤茶けた土。


露出した岩。


雨で削られた溝。


乾いて固まった泥。


神代澪は、村へ入った瞬間から喉の奥が重くなるのを感じていた。


砂漠とは違う乾き方だ。


砂漠は、水が来なくなった土地だった。


ここは、水が来ても留まれなくなった土地だった。


「水車が止まってる」


ライカが壊れた水車を見上げる。


木の羽根は半分折れ、軸は乾いて割れている。


川幅だけはある。


だが、水は流れていない。


「雨の後だけ回る」


隊商長が答えた。


「それも、最近は回るというより壊される。鉄砲水でな」


水が少ないのに、水で壊れる。


矛盾しているようで、澪にはもう矛盾に見えなかった。


水が少ないことと、水が暴れることは両立する。


土が受け取れなければ、雨は恵みではなく衝撃になる。


村の広場には、人々が集まっていた。


疲れた顔。


汚れた服。


水の入っていない桶。


そして、弓や槍を持った若者たち。


その中心で、白髪混じりの男が澪たちを待っていた。


「あなた方が、川底で隊商を助けた者たちか」


「はい」


澪は軽く頭を下げる。


「神代澪です」


「ルオム山麓村の村長、エルワンだ」


エルワンは硬い声で言った。


「礼を言う。あの隊商は村の者だ」


隊商長が横で頷く。


「荷は失ったが、命は残った」


「命が残ったなら、まだ立て直せる」


エルワンはそう言ったが、その声に楽観はなかった。


村全体が、限界に近い。


澪が何かを言う前に、広場の端から若い男が進み出た。


「主調律者だか何だか知らないが、あんたたちは霧背鹿を見たんだろう」


鋭い目をした青年だった。


革の胸当て。


背には弓。


腰には短剣。


年齢は、澪と同じか少し上くらいに見える。


「見ました」


澪が答える。


「なら話が早い」


青年は弓を握りしめた。


「今夜、あいつを狩る。邪魔をしないでくれ」


空気が一気に張り詰めた。


アオイが一歩前へ出る。


セラフィナの光剣が、まだ抜かれないまま淡く浮かぶ。


澪は青年を見る。


「あなたは?」


「カイム。山番だった家の者だ」


「山番?」


エルワンが重く息を吐く。


「昔は、森を見て回る役があった。伐ってよい木、残す木、山羊を入れてよい場所、入れてはいけない場所を決めていた」


「今は?」


カイムが答える。


「森がない。山番も要らない。だから俺たちは、雨を盗む獣を狩る」


澪の胸元で調律核が明滅した。


《村落認識:霧背鹿=雨を奪う獣》


《討伐要請発生》


《推奨対応:霧背鹿討伐》


《討伐成功時予測:局所降雨確率上昇》


そこだけ見れば、魅力的な表示だった。


討伐成功。


局所降雨確率上昇。


雨を求める村にとって、これ以上ない報酬だ。


だが、澪はその下に小さく点滅する警告を見逃さなかった。


《副次予測:斜面表層流出増加》


《副次予測:土砂流発生》


《副次予測:源流安定化未達》


「……また、都合のいい部分だけ先に出す」


澪は小さく呟いた。


カイムが眉をひそめる。


「何か言ったか」


「霧背鹿を倒しても、森は戻りません」


「雨は戻る」


「雨が戻っても、斜面が受け止められなければ土砂流になります」


「そんなことはわかっている!」


カイムの声が荒くなった。


「だが、雨がなければ何も始まらない! 苗木も枯れる! 畑も戻らない! 井戸も乾く! あいつが雲を食べるたび、俺たちは待つしかない!」


フィリアが悲しそうに青年を見る。


「本当に、食べているのですか」


「雲が来るたびに現れる」


カイムは山を指した。


「背に霧を背負って、尾で雲を払う。あいつが通った後、雲は裂ける。雨は降らない。何度も見た」


「だから狩る」


「そうだ」


村人たちの間から声が上がる。


「今年こそ雨を戻さないと、下の畑も終わる」


「山に残った井戸も浅くなっている」


「子どもを下流へ逃がすしかなくなる」


「霧背鹿を倒せば、昔の雨が戻ると聞いた」


希望。


怒り。


恐怖。


それらが混ざり合い、霧背鹿へ向いている。


澪は、広場の空気が赤黒く濁っていくのを感じた。


《集団恐怖:上昇》


《討伐圧:上昇》


《虚無反応:微増》


「倒す前に、調べさせてください」


澪は言った。


カイムが即座に首を振る。


「時間がない。今夜、北の尾根に雲がかかる。霧背鹿は必ず来る」


「だからこそです」


「邪魔をするなら、あんたたちも敵だ」


アオイの表情が変わる。


けれど澪は、手で制した。


「邪魔はしません」


カイムの目が細くなる。


「なら、狩りに同行しろ。自分の目で見ればわかる」


澪は頷いた。


「同行します。ただし、攻撃する前に一度だけ観測させてください」


「一度だけだ」


カイムはそう言い残し、背を向けた。


エルワンが深くため息をつく。


「すまない。あれは父を山崩れで失っている」


「山崩れで?」


「三年前、植林地が雨で崩れた。苗木ごと、土ごと、作業者ごと流された」


澪は言葉を失った。


植えた木が育たなかったのではない。


植えた場所ごと崩れた。


カイムにとって、雨は必要であり、恐ろしいものでもある。


それでも霧背鹿を倒そうとしている。


雨がなければ終わる。


雨が来ても崩れる。


どちらにしても追い詰められている。


「森の状態を見せてください」


澪はエルワンへ言った。


「討伐の前に、斜面を見たいです」


エルワンはしばらく澪を見た。


やがて、静かに頷いた。


「見れば、我々がどれほど追い詰められているかもわかるだろう」


***


ルオム村の上には、かつて森だった斜面が広がっていた。


澪たちは、エルワンの案内で山道へ入った。


先頭はライカ。


続いてミルカ、フィリア、澪。


後方にはアオイ、ルシェリア、セラフィナ。


カイムは少し離れた場所で、こちらを警戒しながら歩いている。


「ここから上が、共同林だった」


エルワンが言う。


「家を直す木、炭にする枝、山羊を入れる場所、落ち葉を集める場所。昔は決まりがあった」


「今は?」


「決まりを守る余裕がなくなった」


木材はオルドアへ売られた。


炭は砂漠都市へ送られた。


山火事のあと、早く木を戻そうとして同じ種類の苗を大量に植えた。


しかし、乾季に枯れた。


残った若木は山羊に食われた。


斜面が崩れ、土が流れ、菌糸の残った場所も切り離された。


「誰が悪いんですか」


アオイが静かに尋ねた。


エルワンは答えに詰まった。


「誰か一人なら、楽だった」


重い言葉だった。


「木を売らなければ冬を越せなかった家がある。炭を焼かなければ税を払えなかった者もいる。山羊を入れなければ乳が取れない。オルドアも木材を求めた。下流も炭を求めた。山火事は落雷だった。虫害は誰の責任とも言えない」


「でも、森は消えた」


澪が言う。


「そうだ」


誰か一人の悪意ではない。


だが、結果は森の消失として現れている。


原因が複雑でも、被害は単純に来る。


水が出ない。


斜面が崩れる。


雲が育たない。


澪は調律核で斜面を走査した。


《表層土壌:薄化》


《落葉層:欠損》


《菌糸網:断裂》


《根系保持:不足》


《放牧圧:高》


《単一植林跡:枯死率 82%》


「単一植林……」


ミルカが表示を見る。


「同じ種類の苗を一気に植えたんだね」


エルワンが頷く。


「早く木材を戻すためだ」


「でも、根の深さも、水の使い方も同じになる。乾く時は一斉に乾く」


フィリアが、枯れた苗の根元へ手を触れた。


「この子たちは、互いに助け合う網を持てませんでした」


「網?」


「森の下には、根と菌のつながりがあります。水や養分をやり取りしたり、弱った木を支えたりします。でも、ここでは切れています」


澪は、砂漠の風留草を思い出した。


植物は単独で生きるのではない。


根圏が必要だ。


菌が必要だ。


有機物が必要だ。


森も同じ。


木の集まりではなく、つながりの層なのだ。


斜面の中腹で、ライカが立ち止まった。


「匂いが変」


「何の匂い?」


「湿ってる。でも腐ってる」


ミルカが地面を叩く。


空洞音。


「ここ、下が抜けてる」


「崩れる?」


澪が聞く。


「大きな雨が来たら危ない」


エルワンの顔がこわばる。


「そこは、三年前に植林した場所だ」


「根が張る前に、水が下を削ったんだと思う」


ミルカが斜面を見下ろす。


「表面だけ草が出ても、下に空洞があれば滑る」


調律核が警告を出す。


《旧植林地:地下空洞化》


《斜面滑落危険度:高》


《降雨時土砂流予測:村落方向》


カイムが唇を噛む。


「ここで父が死んだ」


誰も言葉を挟まなかった。


彼が霧背鹿を憎む理由が、少しわかった。


雲が来る。


霧背鹿が現れる。


雨は降らない。


でも、雨が降った時には父が死んだ。


怒りの行き場がない。


それでも何かを倒さなければ、耐えられない。


霧背鹿は、その怒りを背負わされている。


フィリアが空を見上げた。


「来ます」


「霧背鹿?」


「はい」


山の上から、白いもやが下りてきていた。


空は晴れている。


だが、尾根の周りだけに薄い雲が集まり始めている。


白いもやの中に、長い角が見えた。


枝のように分かれた角。


背には霧。


四本の脚は、斜面へ音もなく触れている。


霧背鹿。


その姿を見た瞬間、カイムが弓を構えた。


「待って!」


澪が叫ぶ。


「一度だけと言ったな」


カイムは弓を引く。


「今がその一度だ。見ろ。あいつが雲を背負っている」


霧背鹿は、尾根から下りてくる雲の先端へ首を伸ばした。


白い霧が、その背中へ吸い込まれるように集まっていく。


村人たちが見れば、確かに雲を食べているように見えるだろう。


しかし、フィリアは首を振った。


「食べていません」


「何がわかる!」


カイムが叫ぶ。


「雲が、行き場を失っています」


フィリアは胸に手を当てる。


「葉がない。枝がない。苔がない。落ち葉がない。だから、霧が留まる場所を探して、あの背へ集まっている」


霧背鹿の背には、白いもやが渦巻いている。


だが、口へ入っているのではない。


背中の毛と角に、霧が引っかかるように絡んでいる。


ルシェリアが風を読む。


「霧背鹿の周囲だけ、風が細かく乱れています。森の樹冠に似ています」


「樹冠?」


澪が聞く。


「木々の葉や枝が、風を砕く上層です。ここにはもうありません。だから、あの鹿の背が、失われた樹冠の代わりをしている」


澪の調律核が再計算を始めた。


《霧背鹿行動解析:更新》


《雲吸収行動:捕食ではなく捕捉》


《樹冠乱流代替:確認》


《霧保持機能:確認》


《降雨阻害要因:森林受け皿不足》


「やっぱり……」


澪は息を吐く。


霧背鹿は雲を食べていない。


雲を背中で捕まえている。


森が失われたため、霧が留まる場所がない。


だから霧背鹿が、失われた森の上層構造を一時的に代替している。


だが、それだけでは雨にならない。


霧を背負っても、下に受け取る土と葉がなければ、水は降ろせない。


カイムの指が弦を引いたまま震える。


「嘘だ」


「嘘じゃありません」


フィリアが言う。


「では、なぜ雨は降らない!」


「降ろせる場所がないからです」


その瞬間、霧背鹿が旧植林地へ足を踏み入れた。


そこは地下空洞化が進んでいる危険斜面だった。


霧が、斜面の上で濃くなる。


調律核が警告を出す。


《局所霧密度:上昇》


《降水転化可能性:上昇》


《斜面浸透率:低》


《滑落危険度:急上昇》


「まずい」


澪が呟く。


霧背鹿がここで霧を降ろせば、雨になるかもしれない。


だが、受け皿のない斜面では、雨は土砂流になる。


霧背鹿は、だから霧を背負ったまま動いていたのだ。


雨を奪っていたのではない。


雨にしてはいけない場所で、雨を降ろさないようにしていた。


「カイム!」


澪が叫んだ。


「撃たないで! 今撃ったら、霧が落ちる!」


「落ちれば雨になる!」


「土砂流になる!」


カイムの目が揺れる。


その一瞬の迷いの間に、別の矢が飛んだ。


村の若者の一人が、恐怖に負けて放った矢だった。


矢は霧背鹿の背をかすめる。


白い霧が、大きく揺れた。


霧背鹿が身を震わせる。


背中に集まっていた雲が、旧植林地の上へ崩れるように広がった。


「来る!」


ルシェリアが叫ぶ。


霧が冷え、細かな水滴へ変わる。


最初は霧雨。


次に雨。


乾いた斜面へ、一気に水が落ち始めた。


地面が黒く染まる。


水は染み込まない。


表面を走る。


細い溝がつながり、濁った筋になっていく。


《局所降雨:発生》


《旧植林地表層流出:急上昇》


《地下空洞圧力:変動》


《斜面滑落予測:十二分》


「十二分!」


澪は叫んだ。


霧背鹿はよろめきながら、斜面の上に立っている。


攻撃された怒りではない。


自分が支えていた霧を落としてしまった痛みに、身体を震わせている。


「まず雨を止める?」


アオイが盾を構える。


「止められない!」


澪は調律核を見る。


「水を散らして、斜面の速度を落とす!」


ミルカが即座に動く。


「低い枝帯を作る! 流れに直角じゃなく、斜め!」


「材料!」


ライカが周囲を見る。


枯れ枝。


倒木。


切り株。


植林に使われた古い支柱。


流された荷車から回収した木片。


すべてを使える。


「アオイ、枝を運んで!」


「はい!」


「ライカ、村へ走って人を呼んで! 縄と杭!」


「了解!」


「ルシェリア、雨を横へ散らして! 一か所へ集中させないで!」


「やります」


「セラフィナ、危険線を出して! 村人を斜面下から退避!」


「承知しました」


「フィリア、霧背鹿に伝えて!」


澪は霧背鹿を見た。


「雨を全部落とさないで。まだ背に残せるなら、尾根の残った森へ運んで!」


フィリアはネレイアとともに霧背鹿へ声を伸ばす。


「あなたのせいではありません。けれど、今は力を貸してください」


霧背鹿の目が、澪たちを見た。


鹿の瞳は、深い霧の色をしていた。


そこには、怒りよりも疲労があった。


何度も雲を背負い。


何度も降ろせず。


何度も人に憎まれてきた疲れ。


それでも霧背鹿は、角を上げた。


背中の霧の一部が再び集まり、尾根の方へ流れ始める。


ルシェリアの風が、それを支える。


雨は弱まらない。


だが、一点集中は避けられた。


その間に、アオイと村人たちが枝を運ぶ。


ミルカが斜面へ低い枝帯を組む。


水を完全に止めるのではない。


流れを斜めにずらし、速度を落とし、複数の小さな流れへ分ける。


砂漠で防風格子を作った時と同じだ。


流れを消すのではなく、壊れない速さへ整える。


カイムは弓を握ったまま動けずにいた。


澪は彼へ叫ぶ。


「そこに立ってないで、杭を打って!」


彼は一瞬、澪を見る。


「俺は……」


「撃ったかどうかの話は後!」


澪の声が強くなる。


「今、斜面が崩れたら村が死ぬ!」


カイムの顔が歪む。


そして、彼は弓を捨て、杭を掴んだ。


「杭! こっちへ!」


カイムが叫ぶ。


村の若者たちが動き出す。


矢を放った男も、青ざめた顔で杭を運ぶ。


セラフィナが斜面下へ光の線を引く。


「この線より下へ退避! 作業者以外は近づかないでください!」


エルワンが村人たちへ叫ぶ。


「聞け! 主調律者の指示に従え!」


その声で、混乱が少し収まる。


雨は続く。


斜面は水を弾く。


だが、枝帯に当たった水の速度が落ちる。


泥が枝の手前に溜まる。


小石が引っかかる。


その上へ、さらに枝と落ち葉を重ねる。


即席のリター層。


即席の根の代わり。


完全には程遠い。


しかし、何もない斜面よりはましだった。


調律核の表示が少し変わる。


《表層流速:低下》


《土砂流発生予測:十二分 → 十八分》


「伸びた!」


澪が言う。


「でも止まってない!」


ミルカが叫ぶ。


「もっと上にもう一列!」


アオイが息を切らしながら枝を運ぶ。


ルシェリアは雨と霧を散らし続けている。


フィリアは霧背鹿との接続を保つ。


ネレイアの光が弱くなる。


「フィリア、無理しないで!」


「もう少しだけ」


霧背鹿が、背の霧を尾根の残った森へ運ぶ。


そこには、わずかに落ち葉が残っていた。


苔もある。


古い木の根も残っている。


霧がそこへ触れると、雨ではなく、細かな水滴として葉や苔へ留まった。


ゆっくり落ちる。


土が受け取る。


旧植林地の雨量が下がる。


《局所降雨強度:低下》


《尾根残存林:霧沈着確認》


《旧植林地滑落危険度:高 → 中》


村人たちの間に、安堵の息が広がる。


だが、その瞬間。


旧植林地の下部で、地面が大きく沈んだ。


どん。


低い音。


空洞が潰れた。


枝帯の下で、泥が一気に動く。


「下が崩れる!」


ミルカが叫ぶ。


完全な土砂流ではない。


だが、斜面下へ向けて、泥と石が滑り出す。


その先には、古い水路と村の貯水池がある。


貯水池へ泥が入れば、残っている水も使えなくなる。


「アオイ!」


澪が叫ぶ。


「止めるのではなく、貯水池から逸らして!」


「はい!」


アオイが盾を構え、泥の先端へ走る。


今度は水ではなく、泥と石。


彼女一人では危険だ。


カイムが隣へ飛び込んだ。


「こっちだ!」


彼は斜面脇の古い排水溝を指す。


「昔、余った雨水を流す溝があった! 埋まってるが、方向は残ってる!」


「ミルカ!」


「見えた!」


ミルカが構造線を走らせる。


古い排水溝は半分埋まっていた。


だが、泥を一部だけ誘導するには使える。


「アオイ、盾を右斜め! カイム、溝の入口を開けて!」


「わかった!」


カイムが泥まみれになりながら、溝の入口を掘る。


アオイが盾で泥の流れを受け流す。


ルシェリアの風が、雨で見えにくくなった視界を開く。


ライカが村人たちを誘導し、枝を溝の縁へ運ぶ。


セラフィナが光剣で貯水池側の境界を守る。


泥の一部が排水溝へ流れ込んだ。


古い溝は軋む。


だが、流れを受けた。


貯水池への直撃は避けられる。


数分後。


斜面の動きは止まった。


雨も弱くなっている。


霧背鹿は尾根の上に立っていた。


背中の霧は薄くなっている。


だが、消えてはいない。


残った森の上に、白い水滴が静かに落ち続けていた。


澪はその場に座り込みそうになった。


「止まった……?」


ミルカが斜面を確認する。


「完全じゃない。でも、今回は村まで行かなかった」


カイムは泥まみれの手で膝をついた。


矢を放った若者も、顔を伏せている。


エルワンが霧背鹿を見上げた。


「雨を……奪っていたのではないのか」


フィリアが静かに言った。


「雨を降ろせる場所を、探していました」


霧背鹿は、こちらを見ている。


村人たちも、霧背鹿を見ている。


長い沈黙。


そしてカイムが、弓を拾い上げた。


一瞬、アオイが身構える。


だが、カイムは弓を背中へ戻し、矢筒を地面へ置いた。


「今日は、撃たない」


澪は彼を見る。


「今日だけ?」


「まだ、信じたわけじゃない」


カイムは泥に濡れた斜面を見た。


「だが、今撃てば村が壊れることはわかった」


それで十分だった。


最初から信じろとは言えない。


憎しみは、一度の観測で消えるものではない。


だが、矢は放たれなかった。


調律核が表示を更新する。


《霧背鹿分類:再評価》


《旧分類:雲捕食型脅威》


《新規候補:樹冠代替霧保持体》


《討伐ルート:保留》


《源流森林調律ルート:代替条件発生》


《条件名:霧の受け皿》


澪は表示を見つめた。


霧の受け皿。


つまり、森をいきなり戻すのではなく、まず霧が落ちても斜面を壊さない場所を作る。


枝帯。


落ち葉層。


苔床。


菌糸の母床。


山羊を入れない保護区。


水を受け止める小さな段。


「最初に戻すのは、木じゃない」


澪は呟いた。


砂漠でも同じことを言った。


今度は山でも同じだ。


木を植える前に、雨が落ちる場所を作る。


雲が育つ場所を作る。


霧背鹿が、背負った霧を降ろせる場所を作る。


その時、調律核が新しい警告を出した。


《尾根上部:残存林反応》


《霧沈着:成功》


《同時に、黒色菌糸反応を検出》


《残存林内部:虚無侵食率 16%》


「黒色菌糸……?」


フィリアの顔が強張る。


尾根の残った森。


霧背鹿がようやく霧を降ろせた場所。


そこに、別の虚無反応がある。


森の最後の受け皿まで、すでに侵食が始まっている。


霧背鹿が短く鳴いた。


それは警告の声だった。


第三部は、霧背鹿を倒さないだけでは済まない。


雨を降ろす場所そのものが、もう壊れ始めていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第26話では、《霧背鹿》の正体に一歩近づきました。


村では、霧背鹿は雨を奪う獣として恐れられていました。


雲が来るたびに現れ、背中に霧を集め、通り過ぎた後には雨が降らない。


そのため、人々は霧背鹿が雲を食べていると考えていました。


しかし実際には、霧背鹿は雲を食べていたのではありません。


森が失われたことで、霧や雲が留まる場所を失っていました。


木々の枝葉、樹冠、苔、落ち葉、土壌、菌糸。


それらが失われた斜面では、霧は水滴として落ちる場所を持てません。


霧背鹿は、その失われた樹冠の代わりに霧を背負い、雨として降ろせる場所を探していました。


つまり、霧背鹿は雨を奪っていたのではなく、雨を壊れた斜面へ落とさないようにしていた存在です。


今回は、矢によって霧背鹿の背の霧が崩れ、旧植林地に局所的な雨が発生しました。


けれど、その斜面には落ち葉層も根も菌糸網もなく、地下には空洞がありました。


雨は土へ染み込まず、表面を走り、土砂流になりかけました。


澪たちは、枝帯、古い排水溝、風、光の境界を使い、水と泥の速度を落とし、貯水池への直撃を防ぎました。


ここで重要なのは、雨をただ降らせればよいわけではないという点です。


雨には受け皿が必要です。


落ち葉があり、根があり、菌糸があり、苔があり、土が水を抱えられる状態でなければ、雨は恵みではなく災害になります。


砂漠で「最初に植えるのは木ではない」と示されたように、山でも、いきなり森を植えればよいわけではありません。


最初に必要なのは、霧や雨を受け止める場所です。


枝帯。


落ち葉層。


苔床。


菌糸の母床。


小さな段。


放牧を止める保護区。


それらを作ることで、初めて苗木が育つ場所になります。


霧背鹿は討伐対象ではなく、《樹冠代替霧保持体》として再評価されました。


ただし、問題はまだ終わっていません。


霧背鹿が霧を降ろせた尾根の残存林には、黒色菌糸の虚無反応が検出されました。


つまり、雨を受け止める最後の森にも、すでに侵食が始まっています。


次回は、残存林の内部へ入り、森の地下で何が起きているのかを調べていきます。


原案・構想:マスター


物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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