140 ポメラニアンの決意
豪華なソファの上、優雅に伏せているアフロディーテ姫(注:現世ではオス)はいつも通り優雅に俺を見ている。やたら気位が高く、生前の賢者ソースですら敬っていたのでそれなりの地位があるとは思っていたが、まさか江戸の2代将軍、徳川秀忠の妻であるお江の方だとは。
説明しよう。
お江の方とは戦国武将・浅井長政を父に持つ浅井三姉妹の三女で、数奇な運命を辿った女性である。父を殺されて織田信長の元へ行き、初めての結婚。本能寺の変後に豊臣秀吉に保護され、甥の豊臣秀勝と再婚。その死後に徳川秀忠と再々婚した。
ちなみにお江の娘である和子が御水尾天皇に入内したため、大正天皇以降の天皇家はすべてお江の血を引いているのである。
そのお江の方、いやアフロディーテが優雅に尋ねてきた。
「私の一番古い記憶が、お江と呼ばれていた女性じゃ。その後何度か転生を繰り返しておるが、基本的は私はお江ということだ。亡くなったソースはその時、私の世話をしていた武士のひとりじゃった」
なるほど、生前の賢者ソースが彼女に頭が上がらなかった理由はそれだったのか。
「まあ良い、本題に戻ろう。あなた由井正雪ってご存知?」
「……えっと、江戸時代に反乱を起こした人、でしたっけ? あまり記憶にございません」
「今の歴史ではそうじゃな」
あとできちんと調べ直したので、先に説明しよう。
由井正雪とは江戸時代前期の軍学者だが、通称「由井正雪の乱」を起こしたことで有名である。由井正雪の乱は徳川家光の没後、幕府転覆を計ったが身内の密告によりその計画は失敗に終わり自決したのである。
「由井正雪はな、当時の『魔王』じゃった」
「ふぇっ?」
唐突な展開に思わず変な声が出てしまった。待てよ、でも幕府転覆は失敗したんだよね?
「私は当時の『勇者』と知り合いじゃった。その勇者も転生者だが、彼の知る歴史では、由井正雪の乱は成功し、江戸幕府は滅亡。由井正雪が征夷大将軍となるが、その後再び戦国時代が起こってしまうという地獄のような歴史だったそうじゃ」
「ちょっと待ってください! そんな歴史、聞いたこともありませんが」
「当然じゃ。勇者が転生して魔王・由井正雪を倒した歴史が、今の歴史じゃからな」
「でも、それじゃあ辻褄が合わない気がしますけど……」
アフロディーテの言いたいことはわかる。俺が今の『魔王』を正せば、この先に起こると想定される「地獄のような歴史」を回避できるのだろう。
だけど、それを成し遂げたところで、俺の知る「元の歴史」、つまり真王教ではなくあのカルト教団が事件を起こした歴史になるかというと、そうではない。
俺の知る歴史とは似通っているが、俺が生きるこの歴史はそれとは違う歴史になってしまっているのだ。
そういえば、俺が有名になったコマーシャル。あれだって、本来は西暦2000年代のものだったし、似通っているけどスポンサー企業名も違った。
「……そなたの知る未来の歴史とは、魔王の知るものと同一なのか?」
「はい、たぶんそうです。あと、くーちゃんもそうです」
アフロディーテは眉を顰め、しばらく何かを考えているようだったが、やがて頭を振った。
「わからぬ。誰も知らぬ未来を考えたところで詮方あるまい。ただ確信しておるのは、最終決戦が近いであろうということだけじゃ」
「……なぜそのように思うのですか?」
「いま起こっている、長野の事件じゃ。お主の知る歴史では、それは別の宗教団体が1994年に起こした事件なのだろう? 今は1990年じゃ。その後、日本を揺るがした大事件というのも、そう遠くないうちに起こると考えるのが自然じゃろう?」
確かに言う通りだ。あの悲劇の「地下鉄サリン事件」をこの時代で発生させてはならない。まして今回の教団の裏には、魔王の力も及んでいるのだから。
だけど……果たしてプーが、そんなことに力を貸すのだろうか。
「アフロディーテ様。それでも俺は、魔王がそんなことを引き起こすとはどうしても信じられないのです。彼女のことは俺が一番よく知っています」
「本当にお前は、魔王のことを知っているのか?」
「……!」
俺が知るプーは、海沿いの街で生まれ育った女子大生が転生した、可愛い茶色のトイプードルだ。俺と一緒にペットショップを脱走し、幸せに暮らしたいと願っていた、ごく普通の犬だった。
だけど、彼女の正体は『魔王』の生まれ変わりだった。なぜ彼女が魔王になったのか、いや選ばれたのか、それはわからない。第一俺だって、ごく普通のサラリーマンだったのに、転生してポメラニアンになって、今は『勇者』などと呼ばれている。
だけど、なぜ『魔王』や『勇者』なんて存在があるのだろうか?
「……わかりません。だけど……」
「だけど、何じゃ?」
「俺は勇者として、魔王を戦わなければならない。そうしないと、いろんな悲劇が起こってしまうはず。だったら……」
「……」
「やるしかない。最弱ポメラニアンの俺が、魔王を倒す」
俺の言葉を聞き、アフロディーテはゆっくりと目を閉じた。
「……お主にとっては辛いことかも知れぬが、それでも、やるのか?」
「はい。俺が、プーを倒します」
最終決戦は近いとアフロディーテは言った。
俺たち動物軍は『破魔の剣』を手に入れ、そして魔王軍を壊滅させ、真王教の目論見を阻止する。
その後にどんな歴史が待っているのかは、誰も知らない。
だけど、俺はやるしかないのだ。
(もう遅いのよ、ポメ)
プーが俺に言ったあの言葉。彼女はあの時から、もう決意していたのだろう。
勇者と魔王、どちらかしか生き残れないであろうことを。
第七章 完




