117 この世に君臨することを誓う
真王教団改め『真王教』は、私(魔王のマオちゃんのこと)を中心とした宗教団体だ。
組織図で書くと、こんな感じみたい。
魔王ーー宗祖ーー大師ーー師ーー信者
でも実際には、宗祖の上にミニチュアシュナウザーのカールがいる。宗祖は、カールを恐れているみたい。なんであんな子犬にビクビクしてるんだろうって思うけど、アイツには何か恐ろしい能力があるっぽいよ。
「そしてその他に、我ら動物による組織がございます」
「動物の組織? そんなのあるの?」
「はい。今回は魔王様が動物であるが故、動物たちによる活動が有効なのです」
カールによると、動物側の組織(魔王軍って名前みたい)はこんな感じ。
魔王ーー使徒ーー四天王ーー支部長ーー動物たち
「四天王って何? それこそジャン○マンガみたいなんですけど」
「四天王は、魔王軍の実力者によって成り立っております。今は私カールを筆頭に、東北にいるツキノワグマ、神奈川のチベット犬、あともう1匹は流動的ですな」
熊までいるんだ、怖っ。でも動物たちって何するんだろ? 動物を使って日本の政府を転覆? 想像しただけでちょっと笑っちゃうんですけど。ワンニャン大戦争って感じ?
ごめん、なんだかふざけていないと、自分の精神が保たないんだ。
今はただ淡々とカールの言う事を聞き、あっちに行き、こっちに行き、色々な話を聞いている毎日なんだけど、常にあの心配が私の心から消えることはないんだ。
「ねえカール。私、いつになったら覚醒するの?」
カールは片側の口角をクイッと上げ、私を見る。こいつ、いつまで経っても私のことをバカにしている気がする。
「さてな。正直、あなた様次第ってところですかな」
「何よそれ! アンタの言うこと聞いてればいずれ覚醒するって言ってたよね?」
「……たぶん、そう遠くはないと思いますがね」
「何よ、それ……」
早く覚醒しないと、瑠璃ちゃんの病気を治すことができない。それにコイツの言い草だと、何か、たぶん何かが近いうちに起こるんだと思う。何が起こるかなんて、今の私にはぜんぜんわからないけど。
◇◇◇
でも《《その日》》は、予想以上に早く訪れた。
若い女性信者と一緒に、広い庭園で散歩をしていた私のところに、大林大師が駆け寄ってきた。いつも冷静な彼にしては珍しく息せき切って、表情も固い。その顔を見ただけで、私は何か嫌なことが起こった事を予想していたんだ。
「運動中恐れ入ります、魔王様。私とすぐに同行していただいてもよろしいでしょうか?」
「くう〜ん?(何が起こったの)」
もちろん言葉が通じるはずもないが、ジェスチャーだと大林さんもわかるかもと、私は首を傾げながら声を出す。大林さんは理解したように大きく頷いた。
「はい、瑠璃お嬢様の容体が急変しまして、すぐに病院まで参りたいのです」
急性リンパ性白血病、それが私の飼い主である瑠璃ちゃんの病名。まだ会ったことはないが、彼女の母親も同じ病気で入院中だと聞いた。
でも、急に容体が悪くなるなんて……
「ワン!(すぐ行こう!)」
吠えるなり、私は大林さんより早く車庫へと駆け出した。
「(私が行っても、どうにもならないかもしれないけど……)」
私はまだ魔王として覚醒していない。カールの話では、私が魔王として覚醒すれば『怪我や病気を治癒するチカラ』を持つことができるという。まるで信じられない夢物語というかファンタジー世界のお話のようにも聞こえるが、今はそれを信じるしかない。
鎌倉の家から向かったのは、横浜市内の大きな病院。
私は病院のスタッフに見咎められないように大きなカバンに入れられ、大林さんに運ばれて病室の一つに入った。
「魔王様、今カバンからお出しします」
ケースから出て私が見たのは、様々なチューブや呼吸器が付けられ、ベッドに横たわる瑠璃ちゃんの姿だった。呼吸はゆっくりだが、その顔は体の痛みからなのか、苦悶の表情を浮かべていた。
「くう〜ん……(瑠璃ちゃん……)」
ベッドの側で機械を操作していた白衣の男は大林さんに何かを言われると、私に説明をはじめた。大林さんによると、彼も真王教の信者だそうだ。
「魔王様、お嬢様の現状をご説明します。急性リンパ性白血病は、血液がんのひとつです。治療のためには化学療法を行う他なく、手術などによる外科的治療は望めません」
手術とかできないの……?
「今朝がたお嬢様の容体が急変いたしまして、現在は非常に危険な状態になります」
でも、私にはどうすることもできないんだよ……?
私は病院に来るまでの車中で、ずっと瑠璃ちゃんの病気が治りますように!ってお祈りしてた。だけどやっぱり奇跡は何も起こっていない。
「この24時間が山かと。あとは魔王様のお力に頼るより方法はございません」
医者の癖になんて非科学的なことを言うんだろう。こんな可愛いトイプードルに病室で土下座されても、私にはどうすることもできないよ。
そう思った時、病室のドアがガチャリと開いた。見るとカールが立っている。この犬、どうやってここへ来たんだろう? いつも突然現れるけど、ワープでもできるのかな……?
「魔王様、いかがですかな? このままではお嬢様は助かりませんな」
口調も失礼だが、何よりイラつくのはその表情だ。口角の片方を上げてバカにしたような顔をするのは、コイツの癖なんだろう。
その時だった。
心音を刻む機械の電子音が、急激にそのテンポを早めた。同時に、ベッド上の瑠璃ちゃんが苦しそうに喘ぎ出す。
「ん……う……」
眉をギュッと下げ、額には脂汗が流れる。医者が急いで点滴か何かの機械を操作する。
「残念ですな、魔王様。あなた様さえ覚醒していれば、お嬢様は助かったのに」
「うるさい! なんなのよアンタ。私にどうしろって言うのよ!」
こんな時に嫌味を言っている場合ではないだろ、このクソ犬。
「今回の魔王様は、本当に役立たずだ。正直がっかりしているのはこっちの方だ。魔王様の来訪を長年待ち続けた我らの希望を打ち砕く、チカラを全く持たないバカ魔王にうんざりしているのはこっちの方なんだよ、このニセ魔王!」
罵倒の言葉のあと、カールは「グワオォーーーーーーーーーン!!」と私に向かって吠えた。その声は病室を揺るがすほどの大音声で、大林さんが両耳を押さえて苦しそうにうずくまり、医者がその場で昏倒してしまうほどだった。
私もあまりの声の大きさにビックリして目を閉じた。何かガラスが割れる音がして、見ると病室の窓にヒビが入っている。
「……ちょっと! いきなりなんなのよ、あんたウルサすぎるのよ!」
瑠璃ちゃんに何かあったらどうすんのよ! と私は怒り心頭でカールに食ってかかる。するとカールは驚いたような顔をしてこちらを見つめている。
「私の絶叫砲が、効かないだと……?」
「はぁ? 何なのよアンタ。なにが絶叫砲よ、うるさく吠えただけじゃん。迷惑だから、アンタは動かないで黙ってて!」
私がそう言うなり。
カールは硬直し、その場でバタリと倒れた。目だけは開いたまま私を見つめているが、どことなく怖がっているようにも見えるけど……?
でも、こんなバカな犬のことなんてどうでもいい。今は瑠璃ちゃんのことを考えないとダメだ。
機械を動かしていた医者が倒れてしまったが、ベッドの瑠璃ちゃんは変わらず苦しそうに呻いている。私は椅子を伝ってベッドに飛び乗り、瑠璃ちゃんの顔の側に立った。
「瑠璃ちゃん……何とかしてあげたいけど、私、何もできないんだ。苦しいよね、ごめん。私が魔王として覚醒していれば、何とかなったかもしれないのに。苦しんでいる私を助け出してくれて、一緒に遊んでくれて、愛してくれたのに、ごめんね……」
私は瑠璃ちゃんの顔をペロペロと舐めた。ひたすら舐め続けると、苦しそうな表情が少し緩み、瞼がピクピクと動きたしたかと思うと、薄く目を開いた。
「…………ま…お……ちゃん……なの?」
途切れ途切れな掠れた声。目はどことなく焦点が合っていない。あんなに元気で明るい瑠璃ちゃんが、今、この世から去ろうとしている。彼女は何も悪いことをしていないのに。
私みたいに、教授と未知ならぬ不倫をしていたわけでもない。親が宗教団体をやっているからって、彼女には何の非もない。彼女は飼い犬である私のことが好きで、一緒に遊びたくて、普通に暮らしたくて、ただそれだけの、ごく普通の子供なのに。
私の目から涙が溢れた。犬なのに、悲しくてポロポロと涙が溢れる。
(神様! 仏様! それとも悪魔? 誰でもいいから、瑠璃ちゃんを助けて!)
(生まれ変わった私のこの命をあげてもいいから、この子供を助けてあげて!)
(お願いだよ……私を魔王に覚醒させてよ……そしたら、何でもするから……)
そこまで考えたときだった。
ふと頭の中に、殷々と響く声が聞こえてきた。男だか女だかわからない、まるで機械音のような、変な声だ。
『覚醒を望むか、魔王よ』
だから、そうだって言ってるじゃない!
『覚醒すれば、後には戻れぬぞ?』
そんなの知らんけど! 早く覚醒させてよ!
『では、復唱せよ。我の言葉を……』
私はその響く声が言った言葉を、そのまま復唱した。
「わたくしマオは、平成時代の魔王として、この世に君臨することを誓う」
復唱を終えた瞬間。
私の体に、何かが入り込んできた気がした。すごく汚らしくて、臭くて、悍ましい何かが。
私はその瞬間、自覚した。
私は当代の魔王であること。この世を統べる事が目的であること。自分の持つチカラの全てを。
自らの麾下である真王教と魔王軍を使い、勇者を倒さねばならないことを。
平成元年4月26日。
元人間の女子大生、そして転生者したトイプードルである私は、真の魔王に覚醒した。




