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花嵐恋歌  作者: 小夜
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 アーシェスタ王国第一王女キャサリンの訃報と、それに続く第二王女アリシアの婚約成立。相手はキャサリンの婚約者だったエイレスト国王セドリック。姉の婚約を妹に引き継がせるのは反発もあったものの、慶事を祝う勢いに押され、大きな声にはなっていない。


 という話を、社交デビューの夜会から二日後の朝に侍女のリサ――メリッサ――から聞いたアリシアは、ようやくベッドから起き上がれるようになった状態だった。

 リサから聞いた話だと、クレイグに送ってもらった後、張りつめていた糸が切れた様に気を失い、熱を出したのだという。診察した侍医は、疲労と緊張が途切れた反動で神経が参ってしまったと言っていたらしい。

 そこまで聞いたところで、アリシアはさりげなく周囲を見た。リサ以外の侍女が、全員入れ替わっている。室内にはリサを含めて四人の侍女がいる。扉の前には交代の見張りがおり、アリシアを見失えば家族の命はないと父王に脅されているらしい。

 部屋の中はがらんどうの様だった。まるで今のアリシアの心をそのまま映したみたい。首を吊ることの出来る布、喉を突けそうなアクセサリー、頭を打ちつけられそうな壺、あらゆる物が持ち出されている。雨戸も閉まり、内側から板が打ちつけられて、飛び降りることが出来なくなっている。

 アリシアにキャサリンと同じことをさせないために、父は必死だ。


(お姉様……)


 姉の手紙を思い出す。

 あの手紙を読んで、アリシアはキャサリンのことを何一つとして理解していなかったのだと思い知った。

 優しい笑顔、穏やかな声音。凜とした背筋も、姉の全てではなく、一面に過ぎないと、分かっていたはずなのに、アリシアはいつの間にか忘れていた。

 クッ、と口端が引き攣る。

 キャサリンにその気はなかったとしても、アリシアに全てを押しつけたことを、恨んではいない。けれど、心のどこかに残る蟠りを、捨てきることは出来ないだろう。

 自分でも分かっている。こんな想いは、ない方がいい。いっそ全てを忘れることが出来れば、どんなに楽かしれない。それでも、忘れられずに苦しみ、進んだ先に何かがあると信じるから、人は生きていくのだろう。


(お姉様も、そうだったの……?)


 キャサリンにも、今までの二十年を擲っても構わないと思う何かがあったのか。

 今のアリシアには、それが何か分からない。生きる理由も、これから先王女として在り続ける拠り所も分からない。けれど、アリシアには理由が分からないからと投げ出すことは出来なかった。

 王女の義務を全て振り捨てて逃げたキャサリンを、許せる日は来ないだろう。

 それでも、確かにアリシアはキャサリンを愛していたのだ。


「――リサ、お父様……国王陛下にお伝えして。お妃教育を始めます、と」


 アリシアがそう言ったのは、それから一日が経った朝だった。


    ✻ ✻ ✻


 兄の執務室に入ったクレイグは、室内の惨状に唖然とした。

 本や書簡があちこちで山となって雪崩を起こし、天球儀や定規、割れたコンパス、脱ぎ捨てられたブラウスやブーツがその上に重なっている。

 ギィ……と不気味な音がした方を見れば、隙間があれば何かを突っ込まれ続けた本棚は傾いて今にも倒れそうだ。

 奥へ行こうとした弟を――うろうろとうろつき回るクレイグを、部屋の主クリストファーが呼び止めた。


「イヴァン、その奥へ勝手に行くなよ」


 ミドルネームで呼ばれたクレイグは振り返った。ソファーから起き上がったクリストファーはげんなりと疲れた顔をしている。クレイグの方も似たり寄ったりだ。

 年々執務を放棄する父王ダレイオスに代わって王国の政治を担っているのは王太子クリストファーと第二王子クレイグと第三王子トリスタン、宰相を始めとする譜代の臣下たちだが、最近はあまりに仕事が増えて連日徹夜だ。しかも今はキャサリンの出奔とアリシアの婚約で更に過重労働だ。宰相たちもかなりの量の仕事を分担してこなしてくれているが、国王代理の決裁印を必要とする書類も多い。


「……何でこんなに散らかってるんだ」


 普段は潔癖症かと思うほど整然としている部屋の変わり果てた有り様を見て、クレイグは訊ねた。


「この三日、部屋に帰ってないからな。八つ当たりしまくったらこうなった」


 そう言って眠そうに伸びをしている。


「気持ちは分かるが……そういえば、トリスタンはどこにいるんだ? 昨日の夜帰ってきたと聞いたんだが」


 身体の弱いクレイグに無理はさせられない。そう言って、昨夜も零時は回っていたが先に休まされたのだ。起きてすぐ、侍従からキャサリンの捜索に出ていたトリスタンが帰ってきていると聞き、寝室に行ってみたがいなかった。


「ああ、リオンならそこにいるぞ」


 身支度をしていたクリストファーは、ローテーブルを挟んで正面にあるソファーを指差した。


「え…………」


 山と積まれた本に埋もれた下に、上着がかろうじてはみ出しているのが見え、クレイグは慌てて本の山をかき分けた。

 上着の下から見慣れた淡い金髪が見え、クレイグはほっ……と息を吐いた。


「ん……兄さん……? もう朝か……おはよう」

「おはよう。窒息していないようで何よりだ」


 トリスタンの反応は正しいが何かが間違っている。だが、そこに違和感を感じないクレイグも、何かがずれているのだろう。


「お前ら、起きたんなら仕事を手伝え。どうせ陛下は昼過ぎまで寝てるんだ」

「へいへい。けど、俺が分かるのは軍に関することがほとんどだぞ」


 トリスタンは現在士官学校の四回生。剣の天才と称される武術だけでなく、全試験で主席を逃したことはない。国政に関わることも一通りは仕込んだが、得意とするのはやはり軍事に関することだ。


「何も出来ないよりマシだ、さっさと取りかかれ。イヴァン、お前もだ」

「へーい」

「了解」


 声のした方を見れば、既に椅子に座ったクリストファーがペンを持っていた。

 上着こそ羽織っていないものの、ベストを着てクラヴァットを締めた姿は絵に描いた様な「王子様」だ。


「我が兄ながら、その変わり身の早さには脱帽だ」


 呆れた様に言いながら、クレイグも彼用にと置かれたデスクにつき、積み上がった書類を上から処理することにした。

 弟たちが椅子についたのを確認して、クリストファーは訊いた。


「そうだ、侍従から報告は聞いたんだが、キャサリンの捜索はどうだったんだ?」


 かろうじて書類から頭がはみ出している状態でトリスタンは意識だけを兄に向けた。


「兄上の予想通り、サリンズ港から南大陸行きの船に乗っていた。途中で補給のためにいくつか港に寄るらしいから、その港に兵を派遣するが……」

「……発見は難しいだろうな。冬でないとはいえ、我が国から早馬を飛ばしても船の方が早い。目撃情報だけで終わりそうだ」


 クリストファーが苦々しそうにトリスタンの後を繋いだ。


「女神の祝福を越えるには時間がかかる。迂回して公国から行っても、最初の港に着くまでに十日はかかるだろう。全く、よく考えられている……ミハイル大公が悔しいが誇らしいとか訳の分からないことを言うわけだ」


 兄と弟の話を聞いていたクレイグが、ここで初めて驚いた顔をした。


「あの方が王宮に来たのか? 領地に引き籠もって滅多に王都には来ないのに」


 ミハイル大公は父王ダレイオスの叔父。わずかに年上とはいえ、年齢はほとんど変わらない。政争の火種になるのを怖れて、普段は領地で静かに暮らしている。


「陛下が呼び出したんだ。お前の躾はどうなってるんだと延々喚いていたが」


 その空間はさぞやクリストファーの胃に悪かったことだろう。後でハーブティーでも入れるかと、クレイグは考えた。ついでに自分と弟の分も。


「それは……お疲れ様としか言いようがないな」


 トリスタンも唾を飛ばして騒ぐ父王を思い出して頭が痛くなり、若干遠い目で慰めを口にした。


「はは……いや、それはいいんだ、それは。バカに何を言っても通じないことは分かってるから、嵐が過ぎるのを待てばいい。俺が許せんのはなぁ――あのセドリックの笑顔だ!」


 クレイグとトリスタンは思わず目が点になった。……何故ここで妹(姉)の婚約者のこと?


「あー……兄上? 何があったんだ?」


 トリスタンとしては飛んで火に入る夏の虫の気分だ。何故わざわざ火中の栗を拾わなければならない。


「あの男に一国を治める君主の器量があるのは承知している。だが、女を幸せに出来るかどうかは別問題だ」


 クリストファーは苦々しそうに吐き捨てた。クレイグとトリスタンはああ……と書類越しに顔を見合わせた。


「まあ、あの人は……」

「根っから……かどうかは知らないが、『国王』だからな」


 王族は『王族』という名の生き物だ。ここにいる三人もそれを地で行くが、彼らから見てもセドリックは『国王』だった。


「あの嘘くさい笑顔が気に喰わんっ」

「いや、兄上がそれを言ったらお終いだろ」

「クリスが言っても説得力がないな」

「お前ら、兄に対する優しさはないのか……」


 立て続けに弟たちから容赦ない突っ込みをくらい、クリストファーはがっくりと項垂れた。

 半笑いで流したトリスタンは、ふと疑問が頭にもたげた。


「そういう意味じゃ、姉上はどこで駆け落ちなんて発想に至ったんだろうなー」


 キャサリンの生活は三年前まで分刻みで管理されていた。十歳の時にエイレスト王太子の婚約者に決まってから、全ての時間を妃教育だけで埋められた。十七歳の時には教育を終え、いつでも嫁ぐことが可能になっていたが、祖母の逝去による服喪、セドリックの王位継承などが重なり、式は伸び伸びになっていた。ロッドと恋仲になったとしたら、この期間だろうと三人は考えていた。


「まあ、提案したのはロッドだろうが……そういえば、キャサリンの部屋に『愛の逃避行』がテーマの本が何冊もあったな」


 それも駆け落ちして僻地に行くとか、追い詰められて海で心中とか、略奪愛とか三角関係とか、ドロドロのラブロマンスばかり。

 調べたクリストファーは、妹は一体どんな趣味をしているのかと怖ろしくなった。


「育て方を間違えたかもしれない………」


 キャサリンの本のラインナップを聞いたクレイグは頭を抱えた。


「いや、駆け落ちを許して時点で教育を間違えたのは確実だろ」


 姉上の教師だった奴、殺されないといいなー、とトリスタンは他人事の様に嘯いた。


「その件なら陛下に確認して、処分しないと言質を取ったぞ」


 早っ、とトリスタンが驚いているのを横目に、クレイグは兄に向き直った。


「クリス、セドリックと一回飲むと言ってなかったか?」

「ああ、あの件なら、俺も忙しいし、アイツも婚約者が変わって動き出す連中がいるから早く帰るというんで取り止めになった」

「反対派ってことか……即位して二年経つのに大変だな」

「何年経とうが、執念深い奴は変わらないということだろう……聞けば、先王の時代からの反対派もいるらしい」


 そういう連中は忠臣と区別がつかないレベルで紛れ込んでいて、中々特定するのが難しいらしい。

 そこでトリスタンは、夜会のことを思い出した。


「忠臣と区別がつかない反対派っていえば、宰相はどうしてアリシアの婚約に何も言わなかったんだろうな」


 宰相ノーフォーク侯爵。嫡男ルーファスを第二王女アリシアの幼馴染みとして送り込み、王国史上初めて、王女を国内貴族に降嫁させようと画策している。

 王国に背くことはないが、自らの野心を満たすためならどんなことでもする、狂気と紙一重の男でもある。


「……まあ、アリシアが望むなら、その選択肢もあっただろうが……いずれ滅びる国に残るのもな」

「クリス」


 自嘲する様に言うクリストファーを、クレイグが鋭く咎めた。

 チラリと弟を見たクリストファーは、肩を竦めただけで何も言わなかった。


「……夜会といえば、セドリック陛下の側近が何も言わなかったのは、アリシアがあれを口にしたからか?」


 クレイグは強引に話題を変えた。


「おそらくな。全く、いくら嫁ぎたくなかったからといって、条約のことまで持ち出すとは……あれで価値に気づかない陛下も陛下だ。あと二年は嫁ぎ先を吟味出来たものを……」


 表向きは縁談がなくなった代わりの友好の証と取られるだろうが、事情を知る者にとっては、エイレスト国に有利な条約を結び直すチャンスだ。そして、エイレスト国に有利な条約を結ぶことは、実はアーシェスタ国にとっても利益があるのだ。


「……輸出品にもよるが、いざという時にエイレストの力を借りられるのは大きい。今から変更出来ないか……」


 クリストファーの苦々しそうな呟きを、彼の二人の弟は聞き流した。

 何しろ、国家間の婚姻というのは、送って終わる話ではない。

 嫁いだのが敵国であれば、送られた者はスパイの役割も兼ねることになる。

 相手の心を捕らえ、有事の際には生国に有利な状況になるよう働きかけるだけの外交的な手腕を持っていなくてはならない。だからこそ国側も送っておしまいにはせず、定期的に金を送り、人脈を作るよう仕向けるのだ。


 三人は確信している。お妃教育の成果は上々だったが、キャサリンには絶対無理である。末妹は知らないだろうが、彼女はどうにも思慮が浅く楽観的で、現実を直視しない悪癖があった。

 そして、アリシアは確実にそっちの面でも申し分ないので、三人は正直迷っていた。


「可哀相にアリシアは部屋に軟禁か……」


 トリスタンが嫌悪を滲ませる。

 アリシアがキャサリンと同じ轍を踏むことを怖れたダレイオスによって、軟禁どころか監禁同然で自室に閉じ込められている。側仕えの者も一人を除いて全て入れ替えられ、頼る者もいない。

 妹の部屋の前に立つ近衛たちの温度のない目を思い出したクレイグの唇に、嘲笑が一滴滲んで、滑り落ちた。


「……あの子は脱走なんかしない。キャシーと違って、王女の義務を最優先に考えているから」


 幼い頃から、不思議な気品を持っている子だった。誰に教えられるわけでもなく、穏やかに微笑み、優雅に振る舞った。まるで始めから知っていたかの様に。

 誰の支えもなく頂点に立ち続けることも、アリシアなら苦痛ではないだろう。自分の誕生を祝う者が一人もいない誕生会で、笑い続けるのと同じに。

 室内に落ちた沈黙を破ったのは、コンコン、と響くノック音だった。

 部屋の主であるクリストファーが入室を許可すると、「失礼します」という声とともに若い、まだ少年と言うべき侍従が入ってきた。王宮勤めらしく上手く取り繕っているが、どことなく焦りの滲んだ雰囲気が、三人に嫌な想像をさせる。


「――カイ。どうした?」


 カイと呼ばれた少年は、密室だというのに辺りを憚る様に声をひそませる。


「先ほど、アリシア様についていた侍女から聞きました。王女殿下が『お妃教育を始めると仰った』、と」


 ガタンと耳障りな音がした。一斉に振り向かれてしばらくして、クレイグはそれが自分が椅子を蹴倒した音だと気づいた。


「――あ、」


 何か言おうと開いた口は結局何も言葉を発さず閉じた。自分が何を口走るつもりだったのか、結局何も言わなかったので分からない。

 トリスタンが席を立ち、倒れた椅子を起こしてからクレイグの肩を押さえた。強く膝を折らせる様な圧力で添えられた椅子に戻される。


 ――頭が冷えた。


 クレイグが落ち着いたのを確認し、クリストファーがカイに向き直った。


「すまない。続きを」


 兄を真っ直ぐ見据えて詫びると、カイに視線を移して説明を求めた。


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