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キャサリンの訃報とアリシアとの婚約発表に関する打ち合わせを終えたセドリックは、王宮内に用意された部屋に戻る途中で、先に休んでいいと伝えた護衛が駆け寄ってくるのが見えた。
「デリックか。どうした?」
護衛の顔には戸惑いが浮かんでいる。
「それが……クリストファー殿下がお話しがあると先ほどお部屋に来られたのです。もう時間も遅いのでお断りしたのですが、少しでいいからと押しきられてしまって……」
なるほど、とセドリックは納得した。妹を溺愛する兄が怒鳴り込みに来たということか。
「分かった」
足早に部屋に戻ると、クリストファーは苛立たしそうな雰囲気を隠すことなく待っていた。
「お待たせしてしまい、申し訳ない」
「いや、こちらこそこんな時間に押しかけてすまない。少しいいだろうか?」
立場はセドリックの方が上だが、年齢はクリストファーの方が三つ上。セドリックとキャサリンが婚約していたという事情もあり、更に言えば元々アーシェスタ国とエイレスト国は友好国。『初めまして』ではなく『久し振り』という関係だ。
にも関わらず、クリストファーの表情は硬い。キャサリンの出奔を思えば当然かもしれないが、セドリックの目にはそれだけではないように見えた。
「何かお飲みになりますか?」
寝酒にと思い数本酒瓶を持ち込んでいる。正直、今のクリストファーに飲ませても悪酔いするだけだとは思うが、素面で彼の放つプレッシャーを受け続けるには、セドリックも疲れている。
「いや、結構だ」
クリストファーは迷う素振りもなく断った。
「そうですか。ところで、他の方々はどうされていますか?」
「クレイグはアリシアを送った後休みましたよ。あれはあまり体が丈夫ではない。トリスタンは捜索隊を編制してキャサリンを探している。まあ、見つかる可能性は低いだろうが……」
セドリックは答えが返ってくるとは思っていなかったからか、首を傾げた。
「何かあるのですか?」
「どうも、陸路ではなく海路を使ったらしく……既に出国した形跡があるんだ」
「もう、ですか? しかし、王宮を出たと分かってから二時間も経っていませんが……」
「一番近い港まで、馬を飛ばせば一時間とかからずに着く。船主に金を握らせて出航を待ってもらえば、不可能ではないだろう」
「協力者がいたと?」
「そう考えるのが自然だろう。それで――」
「クリスとフォー殿下」
セドリックは何かを続けようとしたクリストファーを遮った。
「そんな話をしにきたのではないでしょう? 自国で起こったことは自国でカタをつける。それが貴方の信条だったはず」
押し黙ったクリストファーに、セドリックは訊ねた。
「本当の用件は何ですか?」
忌々しそうな顔をしたクリストファーは、溜息をついて答えた。
「……察しはついているだろうが、アリシアのことだ」
「私が妹姫の夫となるには不適格だと?」
セドリックは敢えて挑発的に訊いた。
「いいや、それについては心配していない。二年前、十八で国王に即位して国を発展させている君の器が大きいのは自明の理だ。……私が分からないのは、何故君が父の無茶な話を断らなかったのかだ。大国の国王である君なら、いくらでも断れただろう」
予想通りの展開に、セドリックは内心で苦笑した。
「アリシア王女が王妃に相応しいと思ったからですよ。彼女なら、私の隣に立つことが出来る」
「それは……」
「愛情を持てるかどうかは分かりません。ですが、王は国と結婚する。王族に生まれた以上、政略結婚は当然のこと。『正妃』に必要なのは王の寵愛ではなく、信頼と同盟でしょう。そういう意味では、アリシア王女は既に覚悟を決めているようでしたが」
「……妹は都合が良いと?」
「違います。私が、あの方がいいと思ったから承諾したんです」
揚げ足取りはやめてくれと皮肉ったセドリックに、クリストファーは舌打ちせんばかりに表情を歪めた。
「……いいだろう」
組んでいた足を解き、クリストファーは物憂げな表情のまま立ち上がった。
「君が妹を娶りたいと言った覚悟は受け取った。だが――」
スッと歩み寄り、セドリックの胸ぐらを掴む。隅に控えていた護衛が殺気立つが、セドリックは視線で止めた。
「――もし、あの子を不幸にしたら、私は絶対に許さん」
吐息がかかる程顔が近い。殺意すら感じるクリストファーの剣幕に、
「もちろんです」
セドリックはにっこりと、キレイに微笑んだ。
正面からその笑みを見たクリストファーは、一つ溜息をついて手を放した。
「夜分に失礼した。時間があれば、滞在中に一席設けよう」
「喜んで。良い夜を」
パタン、と扉が閉まる音がして、廊下の向こうに足音が消えていった。
✻ ✻ ✻
クリストファーが出て行った後、控えていた従者が呆れた様に嘆息した。
「……あれは本音ですか? 陛下」
「クエンティン」
ソファーの背もたれ越しに顔だけ振り返った先にいるのは、従弟で側近の男だった。
「……さあな。お前はどう思ったんだ?」
隅にいたデリック――本名フレデリック――とは違う護衛に、手振りで部屋に備えつけのグラスを持ってこさせ、クエンティンが荷物から出した蒸留酒を開けた。
「アリシア王女が王妃に相応しいという意見には賛成です。――ですが、それだけではありませんよね?」
お前も飲めと言ってクエンティンを右側の一人掛けソファーに座らせ、セドリックは最初の一杯を一瞬で空にした。
二杯目は手酌で注ぎ、一口飲んで琥珀色の液体を眺める。木の香りを感じられるウィスキーは、最近の気に入りだ。
「……何て飲み方をしてるんだ」
クエンティンの口調が雑になっている。
「グラスは一つで一々注いでるんだ。マナーは守ってる」
嫌そうにボヤく従弟を無視して、セドリックは二杯目を飲み干した。
三杯目を入れていると、横から溜息が聞こえた。
「それで?」
「ん?」
「ん? じゃない。何があってアリシア王女を王妃にする気になったんだ?」
苛立たしそうにグラスを置いたクエンティンが鋭い眼差しで自らの主を見る。
「確かにあの王女には価値がある。だが、ついさっきまで婚約者だった女の妹を新たな婚約者にするなど、醜聞にすると宣言した様なものだ。そうでなくてもお前は今、足場を固めることに専念するべきなんだぞ」
感情の起伏が少ないこの男には珍しく、熱のこもった口調で言いきったクエンティンは、表情を変えないセドリックに舌打ちした。
「考え直せ。何も王族じゃなくても、国内で見つければいいだろう。コリアー家やシンクレア家の令嬢との縁談だって完全に消えてわけじゃないだ」
キャサリンと婚約する前に婚約者候補に上がった二人の令嬢の甘ったるい香水の香りを思い出して、セドリックは渋面になった。
「……あの二人のどこが王妃に相応しいんだ」
「足りないものだらけでも、最低限の条件は満たしてる。何より、今の王家には男子が少ないんだ。すぐに子どもを作れるのは、民の不安を解消する上でも得策だ」
「……だとしても、オレは嫌だ。それに、この状況で婚約を撤回したらアリシアの名に傷がつくし、あの国王の性格から考えて、まともな縁談は望めなくなる」
頑なにアリシアを王妃にすると言うセドリックの様子に、クエンティンは違和感を覚えて顔を覗き込んだ。
「……おい、お前何か意固地になってないか?」
「…………なってない。気のせいじゃないのか?」
言い張るには、空いた間が不自然過ぎた。
覗き込んだ自分から顔を背けたセドリックが気まずそうなのを見て、クエンティンはもしかして、と顔を青くした。
「……お前、まさか、本気であの姫に惚れたのか? 俺が気づかなかっただけで、お前って隠れロリ――」
クエンティンが言い終わる前に、ガンッ、とガラスとオーク材がぶつかる音がした。
「誰がだ! 下らんことを言うならシバくぞ!」
一国の君主にしては乱暴な言葉遣いだが、セドリックは十三歳からの三年間を全寮制の士官学校で過ごしていた。その間に嬉々として汚い言葉を覚えたんだとは本人の言である。
「だいたい、オレが彼女に対して抱いているのはそんな恋や愛ではなく、もっと別の――」
そこでセドリックはハッとして言葉を切った。隣を見ると、クエンティンがにやにやと笑っている。
「……何だ」
「いーえ。朴念仁の貴方が、遅咲きの初恋を見つけたのか思って、従弟として、幼馴染みとして、側近として喜んでいるんですよ」
嫌味の様に敬語で話す。
「お前なぁ……オレは恋なんぞしてる暇は――」
「はいはい。いいから今夜は飲みましょう。リーヴァイ、お前も参加しろ」
「もちろん」
部屋の隅にいた護衛が上着を脱いでいそいそとソファーに座る。
「それでは、陛下の初恋に、乾杯!」
「乾杯」「…………」
セドリックは勝手に盛り上がる二人を横目に、淡々とグラスを重ねた。
アリシアに王妃として隣に立ってほしいと思ったことは嘘ではない。嘘ではないが、理由の全てでもなかった。
アリシアのことは、以前からキャサリンに聞いていた。お人形の様に愛らしく、素直で聡明な自慢の妹だと。
これまで何度も王宮を訪れているセドリックとアリシアに面識がなかったのは、王女自身の年齢もさることながら、兄王子、特に王太子のクリストファーが宮殿の奥に隠していたからだと、キャサリンは呆れ気味に苦笑して言っていた。
セドリックは内心、その扱いはどうなのかと失笑していた。いずれは政略結婚で嫁に出す王女。王宮の奥で籠の鳥にしておいては、諸外国に嫁いで務めを果たすことは出来ないだろう。
今夜の宴で初めて顔を見たアリシアは、確かに可愛らしく、人形の様に愛らしかったが、貼りつけた変わらない笑顔、誰よりも大人らしい振る舞いのせいで、人間味を欠いていた。
どこの国も変わらないなと、セドリックは興を削がれて挨拶する気がなくなった。
その後、見合い相手との挨拶が一段落したアリシアは広間の隅で、よく似た顔立ちの、少し年上らしい少年と話していたが、すぐに姿を消した。
見つけたのは単なる偶然だ。ただ、闇雲に探していたかというと、そうでもない。
自分が生まれた頃に渡来し、開花時期が自分の誕生日に近いから、あの花、結構気に入ってるのよ、というキャサリンの話を聞いたことがあったのだ。
紫陽花の茂みに隠れ、声を殺して泣いていたアリシアを見つけた時、その背が昔の自分に重なった。
セドリックの父である先王アルブレヒトは、元々祖父王エーレンフレートの次男、第二王子だった。王族の義務として士官学校を出て軍務にこそ就いたが、生来病弱ということもあって、結婚を機に軍務から退き、兄王太子を支え、公務に精を出すようになった。
セドリックにとって、父の兄、伯父ヴェンツェルはいつも颯爽とした格好いい人だった。最新流行の服装、帽子にアクセサリーなど、時代を先取りしているかの様なスタイルで、幼い二人の妹も眼を輝かせていた。甘い容姿、魅惑的な声もあり、女性の人気も高かったようだ。だが、その人気に反して中々結婚せず、祖父王が亡くなっても独身だったことから、即位後すぐに跡継ぎ問題が取り沙汰されるようになった。
そんな折、伯父は一人の女性と出会い、親交を深めていった。ヴァレリー男爵未亡人シルビア。妖艶な美貌と豊満な肉体美、成熟した美を兼ね備えていた彼女に、伯父はすぐに夢中になった。だが、シルビアはその容貌に反して素行が悪かった。二回も結婚したにも関わらず、一回は離婚で実家に出戻り、一回は相手の病死で、その莫大な遺産を相続して贅沢三昧の生活を送っていた。当時二十二歳で、伯父と付き合いながら五人の愛人がいたという。伯父は重鎮たちから、彼女と玉座のどちらを取るか迫られ、「シルビア」を選んだ。これによって父は王位につくことになり、伯父は父からレームブルク公爵位と年金を受け取ることになり、王位継承権を放棄した。
父は一週間自室に引き籠もり、母は「人生が変わってしまう」と泣き崩れた。セドリックと二人の妹は、朝公邸から出かけた父を、帰ってきた時には国王として出迎えた。
セドリックの生活は一変した。
それまでは第二王子の長男、いずれ王族公爵となる立場だったため、比較的自由に過ごしていた。両親もそんな子どもたちを温かい目で見守っていた。それが、突如として第一王位継承者となり、国王・王妃となった両親とも二人の妹とも引き離され、巨大な王宮で次期国王としての教育を受けるようになった。
それまでのセドリックは、あまり活動的な性格ではなく、図書室に籠もってばかりの本の虫だった。父も似たような幼少期だったようで、王族として必要な教養以上を習得することを強制せず、学びたいことを学ばせてくれた。士官学校ではなく王立学院に通って学者になりたいという望みも、笑って受け入れてくれた。
セドリックはそんな父が好きだった。そして、同じ様に可愛がってくれた祖父のことも好きだった。祖父も元々第二王子で、兄の急死によって王位継承者となった。晩年、病床についた祖父は、見舞いに訪れたセドリックに、摂政を務める伯父への失望を吐露していた。セドリックが覚えている限りでも、伯父は謹厳実直な祖父や父とは違って、羽目を外したがる、陽気な性格だった。
伯父ヴェンツェルは、決して愚かだったわけではない。むしろ、生まれ持った才能だけで見れば父よりもはるかに国王に相応しい人だった。識見もあり、学問・武術にも優れ、性格は慈悲深く寛大で他人から好かれた。ただ、情に溺れやすく、贅沢好みで思慮の足りないところがあった。そして、最大の欠点は自らの短所を自覚しながら直そうとしないところだった。祖父王の生前は継承権を剥奪されることを怖れて言い出せなかったシルビアとの関係も、祖父が亡くなり、王位に就いた途端公にした。愛があれば全てが上手くいくと、短絡的に思い込めるのは一つの才能だが、その浅慮さは伯父らしかった。
そんな伯父に関する反省があったのだろう。セドリックと二人の妹についた教師は、三人を徹底的に国王、そして淑女に育て上げることに腐心した。一言でも口答えすれば、鞭が飛んでくる。セドリック自身は出来が良かったこともあってそんなことはなかったが、妹たち、特に気の強い下の妹は教師たちの標的になっていた。セドリックがそれに気づき、両親に報告して教師を替えさせた時には、既に五年が経っていた。妹の手のひらには今も傷跡が残っている。本人は何も言わないが、セドリックはあの傷を見る度にやるせない思いになる。
セドリック自身も、決して幸福だったわけではない。王宮に連れてこられた当時は、よく庭園の隅や自室でこっそり泣いていた。どんなに嫌でも、自分の意思は斟酌されない。頼るべき家族とも引き離されて、セドリックはすぐに反抗を諦めた。いや、反抗の気持ちを心の奥底に閉じ込めたのかもしれない。正直、あの頃の記憶は曖昧で、自分がどう過ごしていたのかうろ覚えの部分が多い。
回想に沈んでいたセドリックの意識は、ふと室内が静かになっていることに気づいた。隣を見れば、クエンティンがテーブルに突っ伏し、リーヴァイは長い脚を肘掛けに乗せてソファーで寝ている。二人ともそんなに酒に弱かったはずはないが、疲れていたのかもしれない。
セドリックは苦笑すると、続き部屋の寝室から毛布を持ち出し、二人にかけた。
昔とは逆だな、と思う。図書室で眠り込んだセドリックを、いつもリーヴァイが見つけてくれた。遊び相手としてつけられた三歳上のリーヴァイを、セドリックは兄の様に慕っていた。彼自身も幼かったにも関わらず、あの頃の彼は年齢よりもずっと大人だった。そこにクエンティンが加わり、王太子となって幼馴染みではなく主従の境界線が出来、少しずつ周りにいる人間は増えていったが、始まりの三人はいつも一緒だった。
二人は臣下として、主に王妃に相応しい婚約者が出来たことを喜んでいる。だがそれ以上に、セドリックが自分で望んで選んだことを喜び、祝ってくれているのだ。その捻くれつつも温かい祝杯を、感謝しないわけにはいかなかった。
たとえそれが、セドリックの本当の望みと違っていたとしても。
湧き上がる自分に対する苦い嫌悪を振り払ったセドリックは、テーブルに残された酒瓶を見た。まだ半分ほど残っている。
手酌で一杯分グラスに注ぎ、セドリックは立ち上がった。
「これで終わりにするか。……よく眠れよ」
寝室の扉をパタンを閉める。
上着を部屋に備えつけの一人がけソファーに放り、クラヴァットをその上に重ねる。
一息で飲み干したグラスをサイドテーブルに置き、セドリックはベッドに背中から倒れ込んだ。
今夜は予想外の事態が重なり、想定とは異なる結果となったこともある。
だが、それらについて対策を考えるのは一眠りしてからでいいだろう。
目の上に腕を置くと、一気に疲労が押し寄せてきた。
体から力を抜くと、スゥッと意識が遠ざかっていった。




