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花嵐恋歌  作者: 小夜
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「おい、何があったんだ!?」「王女殿下二人ともいらっしゃらないぞ!」「賊が入ってきたんだ」「まさかそいつらに攫われたのか!?」「そんなことより早くお探しに行け!」


 ざわめきが聞こえる。意識が水面から浮かび上がる様に感じたが、瞼が重く、開くことが出来ない。

 何か言わなければと思い、口を開こうとするものの、空気を食(は)むだけで音にならない。

 やがて自分が、何かに囲まれていることに気づいた。


(ここは、庭園……? 私は……そうだ、お姉様……!)


 何者かの襲撃、走って行った姉の背中――いくつかの場面が思い出されて、アリシアの意識は急速に浮上した。

 ようやく、軋む様な瞼を持ち上げた。

 見慣れた、いつもの庭園だった。

 ボヤけた視界に飛び込んできたのは、姉――キャサリンが消えていったあの隠し穴だった。


(これは、何――? 私は何故こんな所に――)


 茂みに隠れてそっと外を窺えば、侍女や従僕、近衛や王宮警備の兵どころか、この時間にはいないはずの庭師や厩番まであちこちをうろついている。

 その表情は焦っている様であり、何かに追い立てられている様に見えた。


「――キャサリン様、アリシア王女、いらっしゃいませんか!?」「王女殿下、いらっしゃれば返事をして下さい!」


(使用人たちが探している……ということは、王宮内に彼らが入ってお姉様がいなくなったのがバレたのね)

(でもどうして? あれからそんなに時間は経っていないはず……)

(体調不良で部屋に戻ると言えばすむ話なのに、行方不明になっている……?)


 その時ふと、思い出した。姉は、キャサリンはあの時、何と言っていた?


『私ね、この国を出て行くのよ。ロッドと一緒に。だからアリシア――――――を、見てみてね』


 アリシアはドレスの裾たくし上げると、足に絡みつかないように膝上まで持ち上げて縛った。

 茂みに沿って這いつくばって進む。

 そのまま来たのと同じ道を辿り、大広間ではなく居室のある方向へ向かう。

 宮殿内に入ったところで使用人用の手洗いに駆け込み、手早く衣装を直した。

 髪が乱れていないことを確認すると、アリシアは出入口から行き交う使用人たちを見た。宴を予定通りに進行するために急いではいるが、外で見た者たちの様に何かに追い立てられているという感じではない。

 これなら行けるかもしれないと、アリシアは人がいなくなった隙を見計らって手洗いから飛び出し、姉の居室がある方向へ駆け出した。

 廊下で行き会う使用人たちは、何も知らされていない証に、大広間にいるはずのアリシアに会ったことを驚き声をかけてくるが、全て「ごめんないさい」ですませ、目的の部屋へ急いだ。

 辿り着いた部屋の周りには人気がなく、あっさりと扉を開け、室内へ踏み入る。

 壁際に置かれている本棚から、教えられた題名の本を取り出す。

 そして、宛名のない、裏に姉の名前だけが書かれている真っ白な封筒を見つけた。


「……あったっ……!」


 破る勢いで封筒を開け、姉の筆跡であることを確かめる。


「……そんな……」


 目を通したアリシアは、キャサリンが言っていたことは間違いではなかったと分かり、その場にへたり込んだ。


「どうして……そんな……」


 震える体を抱き締める。最後に見たキャサリンの笑顔が脳裏にちらつき、嫌な想像が頭から離れない。


「お姉様、お姉様、嫌です、どうして……だってお姉様には……お姉様、お姉様……」


 過呼吸を起こしそうになってハァ、ハァ、と息をつく。心臓がドクドクと脈打ち、嫌な汗が背を伝う。

 ガタガタと震えるアリシアの脳裏にふと、一人の青年の声が聞こえた。


『大丈夫だ』


 あの時の声が響く。

 違う、あの人はここにいない。この状況で言ったわけでもない。

 けれど、何故だろう。こんなにも心が落ち着き、呼吸が静まっていくのは。

 あの人の声は、言葉は、安心出来る。


 ハァ、ハァ……と息を整え、額に浮いた汗と目尻に浮いた涙を懐に入れたハンカチで拭った。


「……大広間に行かなくては」


 いつまでも座り込んでいても仕方がないと、覚束ない足取りで立ち上がった。

 そのまま、キャサリンの部屋を出て大広間へ向かう。

 兄と歩いたのと同じルートを辿っていくと、扉の前に三兄のトリスタンが国軍の兵士とともにいるのが見えた。


「――お兄様!」


 アリシアの呼びかけに気づいたトリスタンが、驚いた様な、ホッとした様な表情で駆け寄ってくる。アリシアも駆け寄りながら、手に持っていたキャサリンの手紙を差し出した。


「お、お兄様。これが、お姉様の、机の引き出しに入れて、ありました」


 健康とはいえ、アリシアは王宮で育てられた箱入りだ。体力は人並みにしかない。それをここまで全力疾走で来たのだから、息が切れるのは当たり前だった。

 トリスタンは息切れになりながらも懸命に言葉を繋ぐアリシアの背を撫でながら手紙を読み、さっと目つきを険しくした。


「――アリシア、これをどうやって見つけた?」


 兄の声音が変わったことに気づきながら、アリシアは必死に答えた。


「わ、わたくし、気分転換に庭園を歩いていたんです。そうしたら、男の方たちの話し声が聞こえて、何かと思って見ていたらお姉様が来て……」


 そこまで言ったところで、アリシアはこれ以上言ってもいいのかと兄を見上げた。

 トリスタンは大丈夫だと言う様に頷き、アリシアも一つ頷くと、キャサリンに言われたことを必死に思い出した。


「お姉様は、この国からロッドと一緒に出て行くと、仰っていました。ロッドというのが誰なのかは、わたくしには分かりませんが……」


 聞いたトリスタンは、少し考えると、アリシアに向き直った。


「いいか、アリシア。これは姉上を探していた侍女が見つけて、俺が受け取ったことにする。お前は何も言うな。いいな?」


 肩を掴まれて、いつになく真剣な顔で言われ、アリシアはこくりと頷いた。

 それを確認したトリスタンはいい子だと言う様にクシャリと頭を撫で、部下の一人にアリシアを預けると、大広間の扉を開けて中に入って行った。

 兄に続いて広間に入ったアリシアは、中にいる人数が少なくなっていることに気づいた。

 国王夫妻と二人の兄、宰相ノーフォーク侯爵と何故かその嫡男ルーファス、キャサリンの婚約者のセドリック、その従者。


(何故こんなに人が少ないの……?)


 不思議に思いながらもトリスタンについていくと、弟の後ろから来たのがアリシアだと気づいた次兄のクレイグがほっとした様に側に来てくれた。


「大丈夫だったか? アリシア」

「ありがとうございます、クレイグ兄様。それより、何かあったのですか?」

「実はな、アリシア――」


 クレイグがアリシアに何かを言おうとしたその時、父王の耳障りな怒鳴り声が聞こえた。


「――これはどういうことだ!?」

「ですからその手紙に書かれている通りです。姉上はミハイル大公の嫡子ロッドと駆け落ちしました。その手紙は、姉上を探していた侍女が見つけ、私に届けてくれたものです」


 ミハイル大公は先々代の王の末の弟で、その嫡子であるロッドは現在二十五歳でアリシアの父である国王の従弟に当たる。

 アリシアにとってはたまに遊んでくれる優しい親戚という存在で、ロッドという愛称も知らなければ、姉と恋仲になっていたことも、思いもよらなかった。


「こんな……婚約者がいる身で他に男を作るなど……クソ、どいつもこいつも余を馬鹿にして……!」


 ダレイオスは後じさると、足をもつれさせて転びそうになった。宰相とクリスが慌ててそれを支える。

 呆然としたままの父王を尻目に、アリシアは姉の手紙の内容を反芻する。



   家族の皆へ


 王国のためにこの身を捧げることが責務と何度も自分に言い聞かせてきましたが、やはり私には耐えられそうにありませんでした。

 私には心に決め、将来を誓った方がいます。その方を想う心を隠して陛下に嫁ぐことは何よりも罪です。そして私には、その罪を背負ったまま生きることは出来そうにありません。

 私は今夜を限りに城を出ます。陛下へは、急な病で身罷ったと伝えて下さい。

 また今後、アリシアに想う相手がいれば、どうかその相手と縁を取り持っていただきたく願います。この様な思いを、妹にはさせたくないのです。

 どうかお体に気をつけ、末永く長生きして下さい。


                          キャサリン・ローズ



 家族へ、とあるが、内容からいって父王であるダレイオス宛てだろう。

 キャサリンの真意を聞いたアリシアとしては鼻で笑う内容だったが、恋人がいるのに結婚したくないという気持ちは、理解出来なくはなかった。

 冷笑を浮かべた顔を見られるのを避けるために俯いたアリシアの耳に、父王の溜息が聞こえた。


「終わりだ……我が国は……余は……」

「父上、落ち着いて下さい」


 クリスが宥める様に言う。


「こんな……駆け落ちなど……駄目だ、絶対に外に漏らすわけにはいかぬ」

「父上……」


 トリスタンも困惑した様に声をかけあぐねている。


「そう、病じゃ、キャサリンは病で死んだ。――突然の病であれば、動揺はあるにせよ、責は問われまい。……そういうことにするしかない。使用人に口止めしなければ……」


 アリシアは溜息をつきたくなった。

 父は娘の出奔より、国の将来を案じている。国王としては正しい姿勢だが、この人の救いのないところは、本気で娘のことを考えていないところだ。

 のろのろと顔を上げたダレイオスの目が、ふとアリシアを捉えた。

 そのままふらふらと歩み寄ってくる。


「アリシア、お前はいまや余の、たった一人の娘だ」


 そう言って、アリシアの肩を掴む。


「お前は王女だ。国のために尽くせ」

「……はい、お父様」


 父王の雰囲気に危ういものを感じ、クリスが何かを言おうとしたが、ダレイオスが口を開く方が早かった。


「アリシア、お前が――キャサリンの代わりにエイレスト国王陛下の元へ嫁ぎなさい」

「え……」

「父上、いえ陛下、待って下さい! アリシアはまだ十歳です」

「そうです! そんなこと許されるはずがありません!」


 クリスとクレイグが反駁するが、ダレイオスは錯乱した様に口角泡を飛ばした。


「何を言うか! セドリック殿、キャサリンの代わりにアリシアを貴方の婚約者、ひいては王妃に迎えて下され。この通りですっ!」


 アリシアの腕を引いて頭を下げさせる。頭を掴まれた痛みに顔を顰めたが、ダレイオスは全く気づかない。


「いや、それは……」


 セドリックも戸惑った様に口ごもっている。

 アリシアは身を捩って父王の腕から抜け出した。


「待って下さい、お父様。私は王妃になるための教育を受けてきていないのですよ? それに、私は嫁ぎたくありません」


 ダレイオスは驚き、首を横に振った。


「何を申すか、そなた。教師ならつけてやるし……これほどの栄誉はないのだぞ」

「栄誉などいりません!」

「まさかそなたまで、他に誓った相手がいるなどとは言わぬだろうな!」

「そうではありませんが……だいたい、姉の婚約者を奪ったなどと私は言われたくありません!」


 国王夫妻が育児放棄同然の親だったために、アリシアは乳母と侍女たちと、キャサリンに育てられた様なものだった。どれだけ腹が立っていようと、十年間積み重ねてきたものを簡単に捨て去ることは出来ない。

 しかしダレイオスは怒りに震え、顔を真っ赤にした。


「親の決めた相手に嫁ぐのが娘の務めだぞ! 何という親不孝な!」


 アリシアは強く肩を掴まれて、痛みに顔を顰めた。


「お父様、お姉様が駆け落ちしたことはお姉様の名誉のためにも国のためにも伏せておくべきだと思います。ですから病で亡くなったと……そう公表すればよいでしょう。我が国から王妃が出なくても、きっとそのうち他国か他家から他の方が選ばれます。アーシェスタはこれまで通り貿易を続ければよいでありませんか。セドリック陛下にしても、結納の品をお返しして謝罪し、新たに条約を結び直せばいいのです。この件を公表してもエイレスト王国には何の利益もないのですから」


 訥々とした説得に、三人の兄たちが天を仰ぎ、セドリックの後ろにいた従者たちが目を瞠ったが、父王に意識を集中していたアリシアは全く気がつかなかった。


「何も分かっておらぬ!」


 そう言ってダレイオスはアリシアの方を揺さぶる。


「我が国にとって王族の婚姻は死活問題なのだ! お前が嫁がねば国はどうなる? 余やクリスたちとて、いつ戦争で死ぬか分からぬのだぞ! 頼むアリシア、父を助けてくれ。救えるのはお前だけなのだ!」

「お父様……」


 充血した目でアリシアを見つめるダレイオスの様子は真剣そのものだ。アリシアは困惑して押し黙った。

 その場の微妙な空気を破ったのは、バリトンの笑声だった。


「ダレイオス陛下、私は構いませんよ。キャサリン王女が亡くなったと公表するとともに、両国の友好の証としてアリシア王女との婚約を発表しましょう。正式な婚約は喪が明けてからになりますが、それでもよろしければ」

「「「「な……!?」」」」


 アリシアと兄たちが目をむく。


「おお、ありがたい! それで構いません!」


 ダレイオスはセドリックの手を握ってブンブンと振っている。

 その様子にアリシアは我に返った。


「ま、待って下さい! セドリック陛下、本当によろしいのですか!?」


 話が纏まったとこに水を差され、ダレイオスは顔を顰めた。


「これ、アリシア。余計なことを言うでない」

「ですが……!」


 なおも言い募ろうとしたアリシアに、セドリックはしゃがみ込んで目線を合わせた。


「いいんです、アリシア王女。私は貴女を妻にする。貴女が十五歳になって成人したら、我が国にお迎えしましょう。結婚式で着るドレスは私から贈らせていただきます」


 そう言ってアリシアの左手を掬うと、薬指の付け根にキスをした。


「ここに、いずれ指輪を贈らせていただきます」

「セドリック様……」

「……アリシア、今日はもう疲れただろう。早く休もう」


 呆然と目の前にある端正な顔を見返したアリシアに、クレイグが声をかけた。曖昧に頷いたが、その目はいまだセドリックを見据えている。

 クレイグに手を引かれて大広間から退出するまで、父王が何かを言っているのが聞こえたが、アリシアの耳には一切届かなかった。ただ、自分の人生が大きく変わってしまった、それだけが頭を廻っていた。





 この時、アリシアは心に深い傷を負った。

 本人は認識していなかったが、この傷はこの後、ことある事に彼女を苦しめることになるのだが……。

 それはまた別の話だ。


 ともあれ、キャサリンの駆け落ちによって、アリシアの、そしてアーシェスタ王国の命運も大きく変わっていくことになったのだった。


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