↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花嵐恋歌  作者: 小夜
PR
8/8

7

 父王への伝令を任せたリサが三十分程で戻ってきた時、アリシアは普段着として使っている瑠璃色のオールドドレスに袖を通したところだった。

 美しいだけ、可愛いだけ、着るのに手間がかかるのがドレスだ。

 小国だからか、父が娘に興味がないからかは知らないが、式典を除いて、アリシアは一人で着られるドレスしか着ないし、髪も簡単な形なら、自分でまとめることが出来る。


「姫様、国王陛下が身支度を整えたらすぐに謁見の間に来るようにとのことでございます」

「分かったわ。髪をまとめるから手伝ってちょうだい」


 言いつつ、鏡台の前に座った。かしこまりました、と答えたリサの指がアリシアの髪をすくい、くしで梳いていく。

 鏡越しにその様子を眺めていたアリシアは、幼い頃から側にいる彼女の手つきに自分がすっかり馴染んでいることを再認識した。


「……悪いわね、貴女にこんなことをやらせて。本来なら、もっと年配の侍女がやるべきなのに」

「いいえ。六歳で王宮に来た私を、アリシア様が側付きに選んで下さったおかげで、今があるのです。感謝こそすれ、嫌だと思うことはありません」


 貴族とは名ばかりの貧乏伯爵家に生まれ、わずか六歳で身売りの様な形で王宮に来たリサに、彼女より三つも幼かったアリシアは手を差し伸べてくれた。それだけで、リサは一生をこの方に捧げようと誓ったのだ。


「……両親がどうなったのか、聞かなくていいの?」


 奇妙に感情の削げ落ちた声でアリシアが訊ねる。

 リサの両親であるアンソニー伯爵夫妻は、つい先月、脱税その他もろもろで国外追放処分となったばかりだ。王女付きの侍女であるリサに減刑を嘆願するよう何通も書状が来ていたのを、アリシアは知っている。


「姫様を通じて減刑を嘆願しろと文が来ましたが……」


 言いさしてリサは肩を竦める。

 白けた様な、投げやりな様な、けれどどこか、せいせいとした気分で。


「別に知りたくはありません。……どうでもいいです。生きていても死んでいても」


 生きていてくれとも思わないが、死んでいて欲しいとも思わない。

 思い出したくない、とも違う。例えばこんな風に両親の話を出された時に憎しみでも痛みでもない、他人を思う程度の感慨しか覚えない相手に、変えていければいいと思う。

 姫様もきっと……と思考を断ち切ったリサは、わずかな後れ毛も残さず結い上げたアリシアの綺麗な髪に、紺と銀のストライプのリボンを丁寧に結んだ。


「――ありがとう。私が嫁ぐ時に貴女を連れて行きたいわね」


 その出来栄えに、アリシアは高評価を下した。なら良かったですとリサは誇るでもなく答える。


「国外に嫁ぐ時に生国から侍女を連れて行けるのですか?」

「さあ? アーシェスタ国から出て行った王女に国から侍女を連れて行った例はなかったと思うけど……私の場合は例外尽くしだし、何とかなるんじゃない?」


 どうでも良さそうに答え、アリシアは立ち上がった。四日前までなら動いた拍子に肩や背中を滑った白い金髪(プラチナブロンド)が落ちてこないと、こんなにも楽なのか。



「お待たせいたしました、陛下。第二王女アリシアが参りました」


 謁見の間の最奥、玉座に座してふんぞり返るダレイオスは、跪くアリシアにつまらないモノを見る様な目を向けた。


「よう来た、アリシア。――早速だが、妃教育を始めるそうだな」


 頭上から降ってくるハスキーボイスは、昨日今日の飲み過ぎではなく、二十年以上の多飲による酒焼けのせいだ。


「はい。明日から始めるつもりでおります」

「そうか。教師は手配しておいた。よく励め」

「力の及ぶ限り」


 おざなりな激励に同じくらいの適当さで答え、アリシアはダレイオスの前から退出した。


   ✻ ✻ ✻


 クリストファーの執務室に集っていた王子三人はアリシアと国王の謁見が終わったところまでを、カイから聞いた。


「それで? アリシアは今どうしてる?」

「庭園にいらっしゃます。国王陛下の命で、明日から講義が始まるようで……最後の気分転換にと」


 思い出して不快になったのか、カイは「国王陛下」のところで侮蔑を滲ませた。

 その様子が普段の彼と重ならず、クリストファーは首を傾げた。


「どうした? お前にしては感情的だな」


 問われたカイは、虚を突かれた顔をしたが、すぐに訊かれたことの意味に思い至ったのか、顔を顰めた。


「……そりゃ、僕がいくら鉄仮面でも、あれはないって思います。王女殿下は罪人じゃないんです。なのにあんな、囚人みたいな扱い……周りの使用人たちも、リサって呼ばれてた侍女以外は全く敬意を払わないし」

「……今側にいるのは、陛下が付けた者たちだからな。扱いが粗雑でも仕方がない」


 自分で口にした慰めにもならない事実に、クリストファーは舌打ちした。納得は出来ても受け入れられないことはある。


「……昼に三人で様子を見に行くか」


 何とか絞り出した長兄の言葉に、二人の弟は一も二もなく頷いた。



 陽が中天を過ぎた、午後一時。

 アリシアは庭園の東側の東屋で、リサと護衛一人を伴ってお茶をしていた。

 わざわざ東側に来たのは、国王の住む中央宮から最も遠く、最後に姉と会った所であり、セドリックと話した所だからかもしれなかった。

 そして、そんな未練がましいことを考えてしまう自分を、アリシアは最も嫌悪していた。


「姫様、お代わりはいかがですか?」


 空になったティーカップを置いたアリシアに、傍らに座るリサが訊いた。


「お願い」


 はい、と答え、リサはポットに緑茶を入れ、ティーアーン(お茶専用のお湯が入った容器)から熱湯を少々注ぎ、軽く茶葉を回してお湯を捨て、改めてポットに砂糖とフレッシュミント、熱湯を注いで作ってミントティーをティーカップに注いで、アリシアの前のテーブル静かに置いた。


「もう少ししたら、アイスティーやパンチもいいかもしれないわね」


 ミントティーを一口飲んで独りごちたアリシアに、自分の分のミントティーを勝手に淹れて飲みながら、リサはそうですねぇ、と気もそぞろに返した。

 なお、パンチというのは、水、蒸留酒、砂糖、レモン・ライムなどの果汁、スパイス、そしてお茶から作られ、温かいもの、氷で冷やしたものの両方がある、王族専用のレシピも存在する、他大陸との交易によって持ち込まれた飲み物である。


「姫様、お昼に王子殿下方がこちらにいらっしゃるそうです。何かご用意しますか?」


 アリシアは読んでいた本から顔を上げ、右隣を見て、柱から覗く吸い込まれそうな蒼穹を眇め見た。


「そうね……疲れているだろうし、冷たいものをお願い」


 どこか茫洋とした眼差しで言うアリシアに、かしこまりました、と答え、ティーワゴンを押して離宮に向かうリサ。

 何となくその姿を目で追いかけていたアリシアの視線が、中央宮の方から歩いてくる三人の人影に止まった。

 それが誰かを認識し、アリシアはテーブルに本を置いて立ち上がった。


「ようこそおいで下さいました、兄上」


 これまでの「お兄様」「兄様」に変わって「兄上」。

 呼び方が変わったことに、三人は一様に哀れむ様な、痛ましいものを見る様な、何とも言いがたいやるせない顔をした。アリシアはそれに気づいていたが、自分にどうすることも出来ないことにこだわる程、今の彼女に精神的な余裕はなかった。


「今リサが飲み物を持って来ます。少しお待ち下さい」


 分かった、と代表してクリストファーが答え、アリシアは読書を再開した。何気なくその本に目をやたクリストファーが、タイトルを見て目を剥いた。


「おいっ……その本……」

「何ですか?」


 驚いた様に身を乗り出したクリストファーを、アリシアはキョトンとした顔で見返した。


「そんなドロドロのラブロマンス、何で持ってるんだ?」

「ああ……姉上の手紙がこの本に挟まっていたんです。一番好きな本なのかと思って、読んでいるんです……実を言えば、ちょっと鼻白んでますが」


 題名は『エターナル・ラブ』。『エターナル・ラブ(不滅の愛)』というタイトルの通り、どれだけの逆境があろうとも一つの愛を貫いたカップルが最後には結ばれるというあらすじで、純愛でありながら激しい濡れ場を展開し、主人公の周りでは頻繁に略奪愛や三角関係が発生するという、ラブロマンス、もしくは官能小説の枠に入る作品だ。

 ここに来る前にキャサリンの部屋で本棚の中身を確かめた三人は、クリストファーを覗いて、ああ……という顔をした。なお長兄は、テーブルに突っ伏す寸前で何とか堪えたとういう状態だ。


「アリシアの趣味じゃなくてよかったな、兄上」「うるさい、お前は黙ってろ」「余計なお世話です、兄上」「なるほど、だから一冊分棚に空きがあったのか」


 最後にトンチンカンなことを言ったのはクレイグで、他の三人はそれまでのやり取りを忘れて思わず彼の顔をまじまじと見た。


「……………………あんなにぎっしり詰め込まれた本棚で、よく隙間があるとか思いましたね、クレイグ兄様」


 一人冷静なクレイグはアリシアの二人称が変わったのに気づいたが、質問の内容とは関係のないことだったため、特に掘り下げずスルーした。

 それに、妹の言い分にも一理あった。キャサリンの本棚は壁一面に取り付けられ、全てがスライド式で個人の所有だというのに何百冊あるか分からないという状態だったのだ。本人はどの本がどこにあるか分かっているだろうが、これまで彼女の蔵書を気にしたことがなかった人間にしてみれば、どんな法則で本が仕舞われているかすら見当がつかない。あの中から目当ての本を探し出すのはさぞかし骨が折れるに違いない。


「その本、ナタリー・ハンクスのだろう? 『エターナル・ラブ』といえば彼女のデビュー作で代表作だ。他の作品は全てあるのに、それだけないのはおかしいと思ってな」


 ナタリー・ハンクスといえばラブロマンス(というより最早あれは性愛・官能小説だとアリシアは思っている)の大家。デビュー作の『エターナル』はシリーズ化し、現在は完結しているものの、今なお読者は多い。彼女は元娼婦で、若くして夫に先立たれた未亡人だ。生活のために書き始めた小説が好評を博し、現在まで百冊を越える著作がある。その中には普通の恋愛小説や冒険譚、はたまたミステリーもあるなど、引き出しの多さと洒脱かつテンポの良い文体で、庶民だけでなく貴族にも多くのファンがいる。

 クレイグの答えになるほど、と納得したアリシアはそれ以上追及する気が失せたが、長兄は別の方向に暴走したようだった。


「いやっ、それはともかく、性描写の多いその本はアリシアにはまだ早い。返しなさい」

「はあ……」


 クリストファーの言いたいことがよく分からず曖昧な反応を返したアリシアは、手元の本と兄の顔を交互に見、今更じゃないかなぁ…………と若干呆れ気味に思った。

 何せ、幼い頃からキャサリンを始め年上の侍女たちの口さがない噂話やゴシップを日常的に聞いていたアリシアである。年齢的にも立場的にも経験こそないものの、その手のことに関しては知識だけはあるかなりの耳年増だ。過激かつ大胆な濡れ場がどれだけ克明に描写されていようが、赤面どころか何の感慨も抱かずに読めるし、実際読んでいる。

 アリシアはチラッと正面にあるクリストファーの顔を見て、


「……『ストリクス』でエロ本を集めてる兄上に言われたくないのですが」

「ちょっと待て――――!!」「何だ、知ってたのか」「ええ、兄上の所の侍女が本棚の奥にこっそり隠してあったと言ってました」「へー。俺なんか普通に机に出しっぱにしてたのに。ところで兄さんはどこに隠してるんだ?」「私はそもそもポルノグラフィーを集めてない」


 クリストファーの絶叫に続いて、他の三人がてんでばらばらに話し始める。横で聞いていた長兄は、追撃を受けて身もだえしている。いい歳した青年が真っ赤になってぐねぐねしているのは中々に倒錯的かつ気味が悪いが、それを眺めている三人は、他意がなさそうで実は他意だらけという顔でそれを見ている。

 兄妹だけとはいえ(護衛は話が聞こえない所まで下がらせた)、中々にあけすけな物言いである。だが、クリストファーの弟妹三人は、外面完璧王子様の兄の、以外に人間らしい一面が割と気に入っている。なので、アリシアの発言を発端とする暴露話も、八割方確信犯だ。――なお、残りの二割は、普段完璧超人の兄をからかうのが楽しいだけである。

 ちなみに、『ストリクス』は王都の一角に存在する、いかがわしい書店や出版社が軒を連ねる猥雑な街の総称である。当局が規制しているにも関わらず、ポルノ関連書籍や春画などを制作し、それを目当てに紳士(おとこ)たちが集まる、ある種の聖地として有名である。

 なお、通りの特徴として女性客は少ないため(売り手は別)、以前、情報収集・交換に仕えると思った他国の諜報機関が『ストリクス』に拠点を構えていた例が存在した。発覚したのは数ヶ月に一度行われる査察中で(抜き打ちが前提の査察だが、実際は事前に情報を流して本当にマズいモノは出てこないようにしている)、店員の態度に疑問を持った査察官が憲兵に捜査を強制執行させ、エロ本や春画が積まれた机と棚を隠れ蓑に国家機密が漏れるところだったという顛末で、防諜部門の責任者の首がいくつか飛んだ。結果として上層部が入れ替わり、防諜部門の能力は上がったと聞く、のだが……実はこの事件、おまけがある。スパイが本国に送る情報の中に国王ダレイオスの性癖という「本当に国元に送る報告書か?」と思うものがあった。無論国王には知らせず(そんなことをしたら責任者の首が物理的に飛ぶ)、実物を見たクリストファーら国政に関わる重鎮たちは秘かに大笑いし、出回った噂を聞いた貴族たちは冷笑・失笑の嵐だった。だが、その中には当の本人も人には言えないような趣味(性癖)の者もいて、これぞ「目くそ鼻くそを笑う」という状態だったというオチもついている。


「……まあ、どんなに内容が過激だろうとポルノでさえなければ何でもいいというのが私の本音ですが」


 本をテーブルに置いたアリシアがボソッと言う。

 別に彼女は、性描写のある書籍が好きなわけではない。だが、こういう本が増えることで王族や貴族令嬢の箱入りが少しは解消されて、異性に対する(幸せな)誤解が減ればいいとは考えている。貴族の婚姻では、名前と顔しか知らない相手と結婚することはありふれている。そこに、純粋培養された夢見がち少女が嫁いで、理想と現実の違いに打ちひしがれる、というのも、まあ、聞かない話ではない。

 とはいえ、女性を卑しめ、苦しめる、いわゆるポルノには寛容になれないのだが、それは女性として普通の反応だ。むしろ、彼女の態度の方が少数派だろう。

 ところで、先程もクレイグが「ポルノグラフィ」と言った通り、性描写のある書籍や絵画は「ポルノ」の一言でくくられがちだ。アリシアは「官能小説」「ポルノ」と使い分けているが、(差別に繋がらないという意味で)健全な作品と性差別を伴う表現を使った作品の線引きは非常に難しく、この見極めは個人の判断に委ねられているのが現状だ。


(簡単には解決しないけど……この問題はどうにかしたいのよね……)


 とはいえ、アリシアは五年後には嫁ぐ身。この問題に本格的に取り組めるのはエイレスト国に行ってからになるだろう。あの国はあの国でまた別の問題も抱えている。それらを含めて、自分の一生でどこまで出来るか……。

 溜息をつきたくなったアリシアは、不意にダンッという殴打音で意識を引き戻された。

 音のした方を見れば、クリストファーが右の拳をテーブルに置いていた。どうやら先程の「ダンッ」は彼が拳を打ちつけた音だったらしい。

「…………っっっっっっっっ、こんなことを話すために来たんじゃないっ。いいか、アリシア。今から訊くことに正直に答えてくれ」

「……何でしょう」

 いつになく真剣な表情の兄に、アリシアは完全に普段通りの調子で答えた。


本当はもう少し続く予定でしたが、長いのでここで切ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。