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去年亡くなった祖母から譲られた鏡台は、まるで夢の世界の宝石箱の様だと、アリシアは思った。
蝶を模した透き通る薄桃色の香水瓶、銀細工の丸い白粉箱、薄紅、輝くサテンのリボン。キラキラと光を放つ瓶や箱、眩い宝飾品が、これでもかという程敷き詰められている。
アリシアは肩を出した純白のシフォンドレスに身を包んでいた。デコルテを華やかに彩るための首飾りには、ダイヤモンドとエメラルドがいくつも散りばめられている。それとお揃いの耳飾りを侍女につけてもらいながら、鏡の中の自分が憂鬱そうに顔を曇らせる。
陽に当たると透き通る様に輝くプラチナブロンドを大人の貴婦人の様に結い上げた自分は、昨日までの自分ではない。アリシアは口を開くことも出来ずに、身じろぎせずに変わっていく鏡の中の自分を見守っている。薔薇を模した首飾りと同じくダイヤモンドとエメラルドに彩られたティアラは、スッキリとしたデザインながら、装いを華やかにしている。
「姫様、出来ましたわ」
アリシアを囲んだ侍女たちは、自分たちの仕事ぶりの結果が大層上出来であることにひどく満足げだ。
「アリシア様、今夜は本当にお美しいですわ」
「国王陛下も王妃様も、このお姿を見たらビックリされますわ」
「アリシア様の社交デビューを待っている貴公子は星の数ほどいらっしゃいますもの。今夜はダンスのお相手が途切れないでしょうね」
口々に誉めそやされながらも、アリシアの形の良い眉は晴れない。
十歳のなったアリシアは、今夜初めて舞踏会に出席することになっている。それは子どもの世界を出て、大人の仲間入りをするということだ。小国でありながら多くの金銀や鉄を産出する鉱山をいくつも有するアーシェスタ王国の、「妖精姫」と謳われる程の美貌を誇るアリシアの社交デビューとあって、今夜の舞踏会の出席者はかなりの数だった。近隣諸国の王族もやってきて、王宮は華やいでいる。
この日のために、姉と侍女たちが顔を突き合わせて相談に没頭しているのを、アリシアは何度も見かけた。
ドレスはどんな生地で何色で、どこの仕立て屋に頼もうか、身につける宝石は?
アリシアも姉に呼ばれて何度も今夜のための話を聞いた。
ダンスの練習、扇の持ち方、会話を途切れさせないための話し方、異性のあしらい方……。
「……もう、子どもではいられないのね」
ポツリと落ちた呟きは、はしゃぐ侍女たちの耳には届かなかった。その代わり、
「大丈夫よ、今すぐ婚約者を押しつけられることはないわ」
部屋の入口から聞き慣れた優しい声が聞こえて、アリシアは驚いて振り返った。
「お姉様……!?」
そこに立っていたのは十歳上の姉姫、キャサリン・ローズだった。
「まあまあ、キャサリン様」
「どうされたのですか?」
「ご自分の準備はよろしいのですか?」
「大丈夫よ。ほら、この通り」
扉に隠れていた体を出してクルリと回る姉が身に纏うのは、黒いベルベットに青いビーズを散りばめた夜空の様なイブニングドレス。回転のよって裾がフワリと浮き上がり、目も綾な美しさを醸し出している。
「素敵、お姉様。でもいいの? セドリック様と一緒にいなくて……」
セドリックは隣国エイレスト王国の若き国王で、姉の婚約者でもある。
「いいのよ、どうせこれから嫌って程顔つき合わせることになるんだし、今くらいはね」
そのあけすけな物言いに、アリシアは苦笑する。
「……お姉様、今日までいて下さり、本当にありがとうございました」
「ふふ、いいのよ。まだまだ心配だけど、アリシアはいい子に育ったわ」
「はい、お姉様のお陰です。だから……幸せになって下さいね」
「もちろん」
おどけた様にフフッと笑う姉につられて、アリシアの表情もやっと晴れた。
「時間になったら呼ばれるから、それまで一緒にいない?」
「よろしいのですか?」
今夜の主役はアリシアだが、今夜が終わればキャサリンは国を出てエイレストに嫁ぐ準備を始めなくてはならない。
残り少ない祖国での日々、それも王女として自由に過ごせるのは今夜が最後だ。そんな貴重な時間を自分と過ごしていいのかと問う妹に、キャサリンは優しく微笑んだ。
「いいのよ。私は慣れたものだけど、アリシアは初めてなんだから」
むしろキャサリンには、この宮廷に一人残していく妹の方が心配だった。兄や弟たちとは違い、アリシアは人一倍心優しいこの魔窟に耐えられないのではないかと思うほどに。
けれど、妹は最終的にそれらを受け入れるだろう。王女として受け入れられ、国のために人生を捧げることを当たり前だと認識している、自分たちが歪に育ててしまったその心故に。
だから、せめて願うのだ。
この優しい子が、その優しさをそのまま持っていられるように。
やがてエスコートを買って出てくれた兄王子クリストファーとともに、アリシアは大広間に繋がる通路を歩く。
少し前まで一緒にいてくれたキャサリンは、既に婚約者とともに大広間に入っている。
「……ねえ、今日はどれくらいの人が来ているの?」
「登城許可のある国内貴族家の当主のその連れ、三百人。国外からの招待客六十人とその従者の方、百二十人。国王陛下と王妃陛下、クレイグ、トリスタン、キャサリン、俺とお前を合わせて、四百八十七人だな」
小声でやり取りするアリシアたちの前で、儀礼官がアリシアの入場を高らかに告げ、合図のラッパが鳴らされる。
大広間へと続く正面扉が重々しく開かれた。
(眩しい……)
煌めくシャンデリアは勿論のこと、そこここに常夜灯が灯されている。
これだけの灯火があると、夜を感じさせないくらいに明るくなる。
やや甘みのある薔薇の香りが漂っているのは、高級な蝋燭が惜しげもなく使われているからだろう。
気づいてアリシアは苦笑した。
あの吝い男が末王女の祝いをここまで盛大にやるとは、だうやら父は、アーシェスタ国王ダレイオスは、何としてもアリシアの婚約者を今夜、決めたいらしい。
鉱山と交易のおかげで富裕とはいえ、アーシェスタは小国だ。父王も母妃も、兄たちもいつだって倹約を心がけてきた。
王族の社交デビューの夜会に同伴出来るのは『妻』か『子』。あるいは『姉妹』だ。
アリシアのエスコートも本来ならば父王が行うべきだったが、あの人は娘のためとはいえ、エスコートなぞクソ食らえと面と向かって吐き捨てる程子どもに愛情がない。
「……エスコートがクリス兄様でよかった」
「それを言うな。あの二人を親に持った自分の運のなさが悲しくなる」
二人でこっそりと両親に対する愚痴を零す。
二つに割れた人垣の真ん中を歩きながら、にこにこと両側の人たちに愛想を振りまく。面識のある人もいるが、ほとんどは誰が誰だか分からない。
クリスも、こんな内容の話をしているとは思えないほどにこやかな表情をして知己らしい相手と目線だけで挨拶を受けたり、会釈を交わしたりしている。
「……お父様は、見向きもしてくれませんでした」
「そうだな。……俺は、あんな思いを自分の子どもにさせたくない」
最前列に姉と婚約者のセドリック、他の二人の兄王子を見つけ、小さく手を振った。キャサリンがニッコリと頷く。
「……お兄様が結婚どころか婚約者も作らないのは、それが理由ですか?」
「ああ。……これに関しては、反面教師がいてよかったと思う」
「……そうですね」
静かに頷きを返し、階段に足をかける。
兄と別れ、一人で父がいる最上段まで登りきる。スカートを翻し、最上段まで全ての招待客を見下ろす。
ヒュッと喉が鳴る。
これが、王族。
言葉一つ、振る舞い一つで、多くの人の人生を左右する立場、身分。
そこに立ったのだと、アリシアは今、本当の意味で理解した。
傍らの父王が声を上げる。
「皆の者、今日はこのアリシアの十回目の誕生日だ。思う存分飲んで歌って踊って祝ってやってもらいたい!」
「皆様、本日はわたくしのためにお集まり下さり、誠にありがとうございます。アリシアは嬉しゅうございます」
酒杯を掲げる父王に倣い、アリシアも礼を述べた。すると、それを待っていたかの様に貴族たちが一斉に唱和した。
「おめでとうございます、国王陛下!」
「アリシア様! おめでとうございます!」
こうして、アリシアの社交デビューは始まった。




