五月病の数式と、図書室のざわめき
放課後のあたたかな余韻から一転、翌日の午前二時間目の数学の授業中。黒板には複雑な三角関数の数式が並び、退屈しきった空気が教室を支配していた。
「……じゃあ、ここをこう変形してだな、公式に当てはめると……」
教壇で若い教師が単調な声を響かせる中、俺はノートの端にぼんやりと無意味な丸を描き続けていた。隣の席に座る奏多は、一見すると真面目に黒板を見つめているようだったが、その教科書の隙間には吹奏楽の細かい譜面が隠されているのがチラリと見えた。
やがて、気の遠くなるような時間が過ぎてチャイムが鳴り響く。昼休みになると、廊下は購買へと一目散に駆け出す生徒たちの足音とざわめきで一気に賑やかになった。
俺は自席から、前を通りかかった奏多の背中に声をかけた。
「おっ、奏多。今日も昼飯食ったら音楽室で自主練か?」
「……なんだよ、神宮寺。お前、最近やけに俺に話しかけてくるな。何か裏でもあるのかよ」
奏多は少し警戒したような、でもどこか面食らったような複雑な表情で足を止めた。
背の高いあいつと並ぶと、自分の線の細さや顔色の悪さが嫌でも目につく。けれど、そんなことを気にしてる暇なんてなかった。
「いいだろ、同じクラスメイトなんだからさ。それよりお前、相変わらず美術室の窓見てただろ。葵のこと、気になってるんだろ?」
「っ……! な、なんだよ急に! お前、変なこと言うなよ!」
図星を突かれたのか、奏多は耳の先まで真っ赤にして声を裏返させた。
あんなにクールで女子からの人気も高い吹奏楽部のエースが、こんなに分かりやすく動揺するのだから面白い。そんな不器用な親友の姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「大ありだって。あいつ、お前のサックスの音色聴くたびに、一生懸命キャンバスに向かっているぜ。……お前も、もっと素直になればいいのに」
「……お前に何がわかるよ。俺の音なんて、あいつにどう届いてるかなんて……」
奏多はそっぽを向いて小さく呟いたが、その耳の赤さはなかなか引かなかった。
俺が「それじゃあな」と軽く手を振ってその場を離れると、途端にポケットの中でじんわりと胃のあたりが痛む。
不意に込み上げてきた生温かいものを慌ててハンカチで押さえると、布地に赤い染みが小さく広がった。
(……まだだ。まだ、身体が動くうちに、あいつらをどうにかしねぇと)
見上げた五月の青空はどこまでも高く、俺に残された残酷な時間をあざ笑うかのように、あまりにも眩しかった。




