第4章 第66話 二人の素顔
『時花』のCMが放送されて以来、紗江と葵のもとには、広告や雑誌の撮影依頼が相次いで舞い込むようになった。
二人が並んで花火を見上げる姿は大きな反響を呼び、町を歩いているだけで声をかけられることも増えていた。
そんなある日、高瀬プロモーションに、人気情報番組のトークコーナーへの出演依頼が届いた。
平日の午後に放送されている、生放送の番組だった。
その企画書を前に、香織は難しい顔で腕を組んでいた。
「どうしたんですか、社長。とてもいいお話じゃないですか」
会議室に集まった社員の一人が尋ねる。
「今のお二人なら、もっと多くの人に知ってもらえると思います」
「それは、そうなんだけど……」
香織は企画書へ視線を落とした。
「心配なのは、葵よ」
「ああ……」
社員たちは、すぐにその意味を察したようだった。
「葵は、聞かれたことに何でも正直に答えてしまうでしょう? そのうえ、あの話し方よ。変に誤解されないか心配なの」
「でも、社長。むしろ、あの話し方が葵さんの個性になるんじゃないでしょうか」
若い女性社員が身を乗り出す。
「今までにいない雰囲気ですし、誰に対しても態度を変えませんよね。話しているうちに、誠実な人なんだって伝わります」
「ただ、生放送ですからね。今の話し方にも、少し慣れてもらった方が安心だと思います」
男性社員の言葉に、別の社員も頷いた。
「紗江さんも飾らない人ですよね。撮影の合間に二人で話しているところなんて、見ているこちらまで笑顔になります」
「そうですよ。テレビだけではなく、InstagramやYouTubeも始めませんか?」
「二人の日常を少し見せるだけでも、きっと人気が出ます」
次々と意見が上がり、会議室はたちまち賑やかになった。
香織は、社員たちを見回した。
たしかに、危うさはある。
けれど、二人の人柄をもっと知ってほしいと思う気持ちは、香織にも分かった。
「みんなの気持ちは分かったわ」
香織が口を開くと、会議室が静かになった。
「出演の依頼は受けましょう。その前に、葵には少し話し方を覚えてもらいます。打ち合わせも念入りにして、どこまで話していいのか、二人にきちんと伝えておいて」
「はい!」
「SNSのことは、それから考えましょう。まずは、目の前の仕事を一つずつね」
明るい返事が重なった。
香織はもう一度、企画書へ目を落とした。
二人の魅力が伝わる機会にしたい。
そのためにも、準備だけは十分にしておこうと思った。
出演が決まると、葵は話し方の指導を受けることになった。
「葵。この機会に、今の時代に合った話し方を覚えましょう」
香織に告げられても、葵は嫌な顔をしなかった。
「そうだな。皆とは、話し方が少し違うと思っていた。教えてもらえるのはありがたい」
「それから、紗江も。人前で『葵様』と呼ぶのは、やめた方がいいわ」
「でも……」
紗江は困ったように葵を見る。
江戸で出会ったときから、ずっとそう呼んできた。今さら呼び方を変えるのは、話し方を直すより難しく思えた。
「仕事のときだけでもいいの。『葵さん』でもいいし、呼べそうなら『葵』でも」
「葵……」
紗江が恐る恐る呼ぶと、葵は穏やかに微笑んだ。
「それでよい」
「やっぱり、慣れません……」
「急ぐことはない。私も一緒に覚えよう」
その言葉に、紗江は小さく頷いた。
葵は物覚えがよく、教えられたことを次々と身につけていった。
言葉遣いや語尾を少し変えるだけでも、話し方はずいぶん現代的になる。
何度か練習を重ねる頃には、意識している間は、ほとんど違和感なく話せるようになっていた。
そして、出演当日。
紗江と葵は、香織に付き添われてテレビ局を訪れた。
控室へ案内されると、番組スタッフから、トークの参考にするためのアンケートを渡された。
氏名、年齢、趣味、特技――。
香織が担当者との最終確認で席を外している間に、二人は並んで用紙に向かった。
紗江は氏名の欄に『織原紗江』、特技の欄に『洋服作り』と書いた。
隣では、葵が『徳川葵』と記し、特技の欄に『剣術』と書き込んでいる。
二人は何の疑問も抱かず、そのアンケートを番組スタッフへ渡した。
やがて、本番の時間が近づいた。
「間もなくご案内します!」
声がかかると、紗江の表情が強張った。
「葵様……緊張していますか?」
「葵と呼ぶように言われただろう?」
「あっ、そうでしたね……葵」
呼び捨てにした途端、紗江の頬がわずかに赤くなる。
葵はその顔を見て、目元を和らげた。
「紗江の照れた顔も、可愛らしいな」
「もう……。そういうことを、皆さんの前で言わないでください」
「なぜ?」
不思議そうに首を傾げる葵に、紗江は言葉を詰まらせた。
近くにいた女性スタッフが、こらえきれないように微笑む。
その笑顔に気づいた紗江は、恥ずかしそうに俯いた。
けれど、先ほどまで強張っていた肩からは、少し力が抜けていた。
華やかな音楽とともに、トークコーナーが始まった。
司会者がカメラへ向かって明るく告げる。
「それでは、本日のゲストをご紹介しましょう。ピンク色のノンアルコールビール『時花』のCMで人気急上昇中のお二人です。織原紗江さん、そして徳川葵さんです!」
カメラの後方で見守っていた香織は、思わず顔を上げた。
そばのモニターにも、二人の名前が表示されている。
『織原 紗江』
『徳川 葵』
――どうして、本名が。
拍手に包まれながら、紗江と葵が頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「今日は、よろしくお願いします」
練習どおりの自然な挨拶だった。
けれど、ほっとする間もなく、司会者が手元の資料へ目を落とす。
「ところで、葵さんは『徳川』とおっしゃるんですね。やはり、あの徳川家と何かご関係が?」
「それは――」
葵が答えようとした、そのときだった。
香織が、カメラの後方から両腕で大きくバツを作った。
そばにいた番組スタッフが気づき、進行を担当するスタッフへ合図を送る。
司会者は一瞬そちらへ視線を向けると、カメラへ笑顔を戻した。
「さて、ここでいったんCMです。このあとも、お二人にお話を伺います!」
明るい音楽が流れ、カメラの赤いランプが消えた。
香織は、すぐさま二人のもとへ駆け寄った。
「二人とも、アンケートに本名を書いたの?」
「はい。氏名を書く欄でしたので……」
紗江が答えると、葵も頷いた。
香織は額に手を当てた。
「そう……。仕事のアンケートにも芸名を書くのよ。そこまで説明しておくべきだったわ」
葵の経歴は尋ねない。
それが、契約の際に紗江と交わした約束だった。
苗字を出さず、『紗江』と『葵』を芸名にしたのも、そのためだ。
けれど、二人にとっては、芸名を使うことさえ初めてだったのだ。
「これからは、仕事で名前を書くときは『紗江』と『葵』。迷ったら、出す前に私に聞いてね」
「はい」
「承知した」
番組スタッフが、アンケートを手に近づいてきた。
「申し訳ありません。こちらの記入に合わせて、紹介用の資料を直してしまいまして」
「私も確認が足りませんでした。名前は、事前にお伝えした芸名に戻してください。それと、ご家族や過去の経歴については、質問を控えていただけますか」
「承知しました。司会にも伝えます」
スタッフを見送ると、香織は葵へ向き直った。
「それにしても、徳川という名前には……いえ、聞かない約束だったわね」
口にしかけた問いを、自分で引っ込める。
「すみません……」
目を伏せた紗江に、香織は首を横に振った。
「謝らなくていいの。話したくないことまで、話す必要はないわ。二人を守ると約束したでしょう?」
紗江が顔を上げる。
香織は二人を見て、声を和らげた。
「答えていいか迷ったら、まず私を見て」
「笑顔、ですね」
打ち合わせで教わった言葉を、紗江が口にした。
「そう。慌てずにね。あとは、こちらで何とかするから」
二人は揃って頷いた。
「間もなく再開します!」
スタッフの声に、香織はカメラの後方へ戻った。
紗江は膝の上で重ねた手を、そっと握り直す。
隣から葵が目を向けた。
その落ち着いた眼差しに、紗江も小さく頷いた。
CMが明けると、司会者は明るい声で話を再開した。
「改めまして、紗江さんと葵さんにお越しいただいています。ここからは、お二人の好きなことや、これからの夢について伺っていきましょう」
画面の下に表示された名前は、『紗江』と『葵』に変わっていた。
「まず、紗江さん。特技は洋服作りだそうですね」
「はい。服飾の専門学校に通っています」
「今も学生さんなんですね。将来は、やっぱり服飾関係のお仕事を?」
「はい。服飾デザイナーになりたいです」
「どのような服を作りたいですか?」
紗江は少し考えた。
自分の仕立てたものに袖を通し、喜んでくれた人たちの顔。
初めて葵の着物を仕立てたときの、胸の高鳴り。
「着た人が、笑顔になってくれるような服を作りたいです」
言葉にすると、緊張に隠れていた思いが、素直に胸からこぼれた。
客席から、温かな拍手が起こる。
「すてきですね。いつか紗江さんが作った衣装を、葵さんが着ることもあるかもしれませんね」
紗江は隣を見た。
葵が頷いてくれている。
それが嬉しくて、自然と笑みが浮かんだ。
司会者は、続いて葵のアンケートへ目を移す。
「そして、葵さんの特技は……剣術。これはまた、すごいですね。剣道とは違うんですか?」
「剣道ではありませんが、剣は幼い頃から扱っています」
「なるほど。CMでの立ち姿も、とてもきれいでしたから、何かされているのではないかと思っていました」
司会者はカメラへ向き直り、楽しそうに呼びかけた。
「時代劇の制作関係者の皆さん、聞いていらっしゃいますか。剣術が得意な葵さんなら、殺陣も期待できそうですよ!」
客席から拍手が起こる。
葵は司会者へ向き直り、深く頭を下げた。
「司会者殿、ありがたい」
その言葉が出た瞬間、葵はわずかに目を見開いた。
隣の紗江も、思わず葵を見る。
司会者は一瞬驚いたものの、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。
「おや、もう時代劇が始まりましたね。もしかして、出演が決まっているんじゃないですか?」
「いえ、まだ何も決まっていません」
葵は今度こそ、現代の言葉で答えた。
「今のは、つい……」
少し困ったように微笑むと、客席から笑いが起こった。
紗江も口元を押さえながら、葵を見ている。
普段は凛としている葵が、照れたように笑っている。
その表情に、香織もようやく肩の力を抜いた。
「そのまま時代劇に出られそうですね。お話が来たら、どうしますか?」
司会者に尋ねられ、葵は少し考えてから紗江へ目を向けた。
「出られることになったら、いつか紗江に衣装を作ってもらいたいです」
突然名前を出された紗江が、驚いて葵を見る。
「私が作ってもいいの?」
「ああ。紗江の作ったものを着たい」
まっすぐに向けられた言葉に、紗江の胸が温かくなる。
「……じゃあ、もっと勉強しないと」
その声には、先ほどまでの緊張よりも、喜びがにじんでいた。
葵が嬉しそうに頷くと、再び拍手が起こる。
その後も、トークは和やかに進んだ。
紗江は少しずつ自分から話すようになり、葵はその声に耳を傾けていた。
紗江が言葉を探す間も、葵は急かさずに待っている。
話し終えると、真っ先に紗江を見て微笑んだ。
香織には、見慣れた光景だった。
事務所でも、撮影の合間でも、二人はいつもこんなふうに互いを見ている。
社員たちが言っていたのは、こういうことなのだろう。
香織は、二人を見守りながら小さく笑った。
「また、お二人でいらしてくださいね」
最後に司会者から声をかけられ、紗江と葵は揃って頭を下げた。
「ありがとうございました」
コーナーが終わり、カメラの赤いランプが消える。
紗江はようやく、大きく息をついた。
「終わりましたね……葵」
今度は、ためらわずに呼べた。
葵が紗江を見る。
「ちゃんと呼べたな」
言われて初めて気づいたように、紗江は少し驚いた顔をした。
それから、照れくさそうに笑った。
香織は二人のそばへ歩み寄りかけ、その笑顔を見て足を緩めた。
CMで人々の目を引いた二人が、今日は、自分たちの言葉で話した。
少し危なっかしくて、ときどき周りを慌てさせる。
それでも、もっと知りたいと思わせるものが、二人にはある。
「お疲れさま。よく頑張ったわね」
香織が声をかけると、二人が顔を上げた。
その表情を見て、香織も笑った。
これからも、きっと気を揉むことは多いだろう。
けれど、今日の二人を見てもらえてよかった。
そう思いながら、香織は二人と並んでスタジオをあとにした。




