第2章 第35話 悲しみを縫う糸
「誰か……! 手を貸してください!」
澄月庵の門をくぐったお蘭の声に、隼人が振り向いた。
「お蘭? どうし――」
背負われた紗江を見た途端、言葉が途切れた。
「紗江……!」
隼人は駆け寄り、力なく垂れた腕を支えた。
その声を聞きつけ、葵が姿を現した。
蓮と無刄も、その後ろから出てくる。
紗江の背に広がる血を見て、葵の足が一瞬止まった。
「……何があった」
「背を、刺されました」
お蘭の声が震えた。
葵はすぐに紗江の身体へ手を添えた。
「部屋へ。隼人、布団を」
「はい!」
隼人が駆け出した。
葵と蓮が支え、お蘭の背から紗江を慎重に下ろす。
「紗江、聞こえるか」
葵が呼びかけても、返事はなかった。
蓮は紗江の顔を覗き込み、息を詰めた。
「……夜鴉か?」
「分かりません。女が一人……蒼馬が捕らえております」
お蘭は傷口の布を押さえ直した。
「医者は」
「蒼馬が手配を……こちらに向かっているはずです」
無刄が顔を上げた。
「俺が迎えに行く」
返事を待たず、門へ走った。
部屋に敷かれた布団へ、紗江を横たえる。
蓮はお蘭の手元を見ると、すぐに清潔な布を取りに立った。
葵は紗江の傍らに膝をついた。
つい今朝まで、声を交わしていた。
帰ったら工事の様子を聞かせると、笑っていた。
その唇から、今は浅い息だけが漏れている。
「紗江」
頬へ触れる。
瞼は閉じたままだった。
「葵様……」
お蘭が、深く頭を下げた。
「申し訳ございません。私が、お傍を離れたばかりに……」
「お蘭、謝るな! 紗江はまだ死んでいない!」
お蘭が、はっと顔を上げた。
葵は紗江の顔を見つめていた。
頬へ添えた手が、かすかに震えている。
「……そなたのせいではない。今は、紗江を助けることだけを考えろ」
お蘭は唇を引き結び、頷いた。
葵は一度息を整えると、お蘭へ目を向けた。
「そばについていてくれるか」
「はい。お傍におります」
戻ってきた蓮が、お蘭のそばへ布を置いた。
隼人も水を運び込み、布団の脇に膝をつく。
ほどなくして、無刄が医者を伴って戻ってきた。
葵たちは廊下へ退き、お蘭がその場に残った。
誰も、口を開かなかった。
障子の向こうで医者が何かを尋ね、お蘭の答える声がした。
やがて、蒼馬が足早にやってきた。
「女は屋敷の座敷牢へ入れました。見張りもつけております」
葵は頷いた。
蓮は、閉ざされた障子を見つめていた。
やがて、何も言わずに踵を返した。
蒼馬の目が、その腰元へ動いた。
刀の柄に、手がかかっていた。
「蓮」
返事はなかった。
蒼馬はすぐに後を追い、門へ向かう蓮の腕をつかんだ。
「どこへ行く」
「……放せ」
振り向いた顔を見て、蒼馬は腕をつかむ手に力を込めた。
「その手を離せ」
蓮の指は、柄を握ったままだった。
「紗江が、何をした」
低い声が漏れた。
「何で、あいつがこんな目に遭わなきゃならない」
蒼馬は答えなかった。
蓮の手が震えていた。
「……紗江は、お蘭に、その女を殺すなと言った」
蓮の目が、蒼馬へ向いた。
「刺されたあとだ。それでも、止めた」
しばらく、蓮は動かなかった。
「葵様だって、堪えているんだ」
蒼馬は、蓮の目を見据えた。
「紗江様が目を覚ました時、言えない事はするな!」
蓮は、柄を握る手に力を込めた。
「……くそっ」
顔を伏せ、詰めていた息を吐く。
やがて、柄を握っていた指が、一本ずつ離れた。
蒼馬はそれを確かめてから、腕を放した。
蓮は何も言わず、門へ向けていた足を、ゆっくりと戻した。
手当てを終えても、紗江の意識は戻らなかった。
夜が更けるにつれ、熱が上がっていった。
熱にうなされながら浅い呼吸を繰り返し、紗江の額には絶えず冷や汗が滲んでいた。
お蘭はほとんど眠ることなく、その傍らに付き添った。水に浸した布を固く絞っては額を拭い、祈るように紗江の手を握りしめる。
――紗江が襲われた日の夕刻。
お鈴は葵の屋敷の座敷牢にいた。
膝を抱えていても、あの女の顔が浮かんだ。
美しい着物をまとい、何の憂いもないように笑っていた顔。
自分は、あの人と暮らす小さな家さえ望めなかった。それなのに、あの女は商いで金を得て、大きな屋敷まで建てようとしている。
(私は悪くない……あの女が、何もかも持っているから)
そう言い聞かせても、倒れていく姿が脳裏から離れなかった。
お鈴は、それを振り払うように膝を抱きしめた。
どうして、あの女ばかり。
その思いにしがみついていなければ、失った人のことを考えてしまう。
もう帰ってこない人の名を、お鈴は膝に顔を埋めて呑み込んだ。
日が傾き始めたころ、年配の女が膳を手にやってきた。
「お絹と申します。お食事をお持ちしました」
お鈴は顔を背けた。
「……いらない」
お絹はしばらくその背を見つめていたが、やがて膳を畳に置いた。
「ここに置いておきますね」
責める言葉を待っていたお鈴は、わずかに眉を寄せた。
けれど、お絹はそれ以上何も言わず、出ていった。
膳からは、味噌汁の匂いがした。
お鈴は、とうとう箸を取らなかった。
翌朝も、お絹は膳を運んできた。
手つかずのままの膳を見ても、咎めはしなかった。
「お水だけでも、お飲みください」
差し出された湯呑みに、お鈴は手を伸ばさなかった。
「……あいつに、言われたの」
お絹の手が止まった。
「私に、情けをかけろとでも?」
顔を上げると、お絹は静かにこちらを見ていた。
「紗江様は、まだ目を覚ましておられません」
お鈴は口を閉じた。
「高い熱が続いております。お蘭様が、ずっとお傍についておいでです」
お鈴は膝を抱く腕に力を込めた。
目を覚ましていない。
その言葉が胸に引っかかった。けれど、お絹の顔を見ていられず、目を背けた。
「何だって持っているじゃない……あいつは」
吐き捨てるつもりだったのに、声はかすれた。
「あんな大きな屋敷まで……」
「あれは、お住まいではございませんよ」
お鈴の目が、お絹へ向いた。
「働くところも、身を寄せるところもない女たちのために、紗江様がお作りになっている場所です」
「……そんなの、嘘」
「針仕事を覚えれば、自分の手で暮らしていける。そうお考えになって」
お鈴は首を振った。
あの女を憎む理由なら、何度も何度も胸の内で繰り返してきた。
けれど、お絹の話は、そのどこにも収まらなかった。
「私に、そう言えと言われたんでしょう」
「紗江様は、あなたがここにいることも、まだご存じありません」
お絹は湯呑みを膳のそばへ置いた。
お鈴は俯いたまま、その手が離れていくのを見ていた。
三日目の昼。
お絹が膳を下げに来ると、飯が少しだけ減っていた。
「召し上がれたのですね」
お鈴は答えず、膝の上で指を握った。
お絹が椀を重ねる。その音を聞きながら、何度も口を開きかけた。
「……あの人は」
ようやく、それだけが出た。
お絹は手を止めた。
「まだ、お目覚めになりません」
お鈴の指が、いっそう強く握られた。
「あの場所を作ろうと、お決めになったのは……」
お絹は少しためらってから、続けた。
「駆け落ちをした二人が捕まり、男の方が亡くなったというお話を、お聞きになったからだそうです」
お鈴は顔を上げた。
「残された女の方は、これからどうやって生きていくのだろうと、案じておいででした」
お絹の顔が、ぼやけた。
自分があの人を失い、泣くこともできずにいたころ。
顔も知らない女が、自分の行く末を考えていた。
その女を、自分は――。
お鈴は両手を見下ろした。
袖をつかんだ感触が残っていた。振り向いた顔も、倒れていく身体も、目を閉じればすぐそこにあった。
「……私、知らなかった」
お絹は黙っていた。
「何も……」
言いかけて、お鈴は唇を噛んだ。
知らなかったと言えば、何が変わるのだろう。
あの人は、何も知らずに背を向けていた。
自分がどれほど憎まれているかも、お鈴の手に何が握られていたかも。
お鈴の喉から、細い息が漏れた。
お絹は椀を重ねる手を止め、お鈴に向き直った。
「紗江様には、助かっていただかなくては」
その声が震えていた。
お鈴は、初めてお絹の顔をまともに見た。
目元が赤かった。
この人も、眠れていないのだ。
それでも毎日、自分の食事を運んでいた。
「……どうして」
お鈴は俯いた。
「どうして、私にまで……」
お絹はすぐには答えなかった。
膳の縁に添えた手が、固く握られた。
「私だって、あなたが憎いですよ」
お鈴は息を止めた。
「紗江様が何をなさったというのです。あの方を傷つけて……あなたの大切な人が、戻ってくるのですか」
言い終えたお絹の唇が震えた。
お鈴は何も答えられず、深く俯いた。
しばらく、二人とも動かなかった。
やがて、お絹は膳から手を離した。
「……それでも、食べるものは食べてください」
湯呑みを、お鈴のそばへ寄せる。
「ご自分のなさったことに向き合うにも、生きていなければならないでしょう」
涙が、膝に落ちた。
お鈴は慌てて拭ったが、あとからあとから溢れてきた。
お鈴は湯呑みを、震える両手で取り上げた。
「……ごめんなさい」
お絹は黙ったまま、膳の脇に座っていた。
その夜、お鈴は眠れなかった。
夕餉を運んできたお絹にも、紗江はまだ目を覚まさないと聞いた。
次にお絹が来たら、何と告げられるのだろう。
考えるのが恐ろしくて、けれど、そのことばかり考えていた。
あの人を失ったとき、自分の先にはもう何もないと思った。
けれど、紗江はその先に、働く場所を作ろうとしていた。
自分が誰かを憎むことしかできずにいた間にも。
お鈴は膝を抱え直し、額を押しつけた。
あの女ばかり、と繰り返していた。
その人が何をしているか、一度も知ろうとしなかった。
自分には思いつきもしなかった。
同じ苦しみを抱えた女たちのために、何かをしようとすることなど。
あの人と暮らすはずだった、小さな家を思った。
帰りを待つ者がいる。
帰ってくる者がいる。
それがどれほど大切なことか、自分は知っていたはずなのに。
紗江にも、帰りを待っている人たちがいる。
お絹の赤い目が浮かんだ。
お鈴は両手を固く握り合わせた。
(どうか……)
その先を言葉にしようとすると、喉が詰まった。
額を伏せたまま、幾度も同じ願いを繰り返した。
――四日目の朝。
淡い朝の光が、澄月庵の障子を透かして差し込むころ――。
紗江の瞼が、ゆっくりと震えた。
「……ここは……?」
かすかな声が漏れる。
お蘭は、はっとして身を乗り出した。
「紗江様……?」
紗江の目が、ゆっくりとお蘭を捉えた。
「お蘭……」
その声を聞いた途端、お蘭の頬を涙が伝った。
「はい……お蘭でございます。よかった……本当に……!」
握っていた手に、そっと額を寄せる。
お蘭は涙を拭い、廊下へ声をかけた。
「どなたか……! 紗江様が、目を覚まされました!」
すぐに足音が応えた。
知らせは、瞬く間に皆へ伝わった。
ほどなくして、葵が部屋へ入ってきた。
布団の傍らに膝をつくと、紗江の顔を覗き込む。
「紗江」
「葵様……」
葵は、紗江を見つめたまま、すぐには言葉を返せなかった。
頬へそっと手を添えると、紗江がその手に頬を寄せた。
葵の口元が、かすかに緩んだ。張り詰めていた肩が下がり、深い息がこぼれる。
「……ようやく、呼んでくれたな」
頬に添えた手の親指が、そっと肌を撫でた。
紗江は、弱々しく微笑んだ。
障子の向こうには、蒼馬、蓮、隼人、無刄の姿もあった。
「紗江……」
蓮が部屋へ入り、布団のそばに膝をついた。
「俺たちの顔、分かるか?」
紗江が小さく頷くと、蓮の口元がようやく緩んだ。
「痛むところは? 何か、してほしいことはないか」
隼人もそばへ来た。
「あれこれ聞くなよ。目ぇ覚ましたばかりだろ」
そう言いながら、自分も紗江の顔を覗き込む。
「……水、飲めるか?」
無刄はその後ろで、ほっと息をついた。
「よかった……」
蒼馬が、静かに頭を下げる。
「皆、案じておりました」
紗江は、一人ひとりの顔を見つめた。
「みなさん……心配をおかけして、すみません」
「なぜ、紗江様が謝るのですか……私が、目を離したから」
お蘭が、紗江の手を両手で包んだ。
「紗江様……申し訳ありません」
「お蘭のせいではありません」
葵も、静かに頷いた。
「とにかく、今は二人とも休め」
それから、紗江を囲む仲間たちへ目を向ける。
「皆も、少し待ってやれ」
蓮たちは顔を見合わせ、頷いた。
紗江は皆の顔をもう一度見つめると、安心したように目を閉じた。
その朝、葵の屋敷では。
朝餉を持ってきたお絹を、お鈴は顔を上げて迎えた。
「……紗江様は」
初めて、その名を呼んだ。
お絹はお鈴を見つめ、膳を置いた。
「目を覚まされましたよ」
お鈴は、動かなかった。
やがて、詰めていた息が震えながらこぼれた。
両手で顔を覆う。
「……よかった」
声にした途端、涙が指の間を伝った。
お絹も目元を拭っていた。
お鈴は畳に手をつき、深く頭を下げた。
「お絹さん……私……」
声が途切れた。
謝ろうとしても、何をどう詫びればいいのか分からなかった。
お絹は急かさず、そばにいた。
助かったからといって、自分のしたことが消えるわけではない。
それでも、生きていてくれた。
自分のような女のために、まだ見ぬ暮らしを思い描いてくれた人が。
お鈴は涙を拭った。
「……お会いして、お詫びをしたいです」
膝の上で、両手を握りしめる。
「許していただけなくても……」
お絹はしばらくお鈴を見つめていた。
紗江様にしたことを思えば、まだ許せない。
けれど、膝の上で手を握りしめ、返事を待つ姿に、初めのころの刺々しさはなかった。
(……根っからの悪人ではなさそうね)
「まずは、紗江様のお身体が回復されてからです」
「……はい」
お鈴は頷いた。
膳には、温かな粥が置かれていた。
お鈴はそれを引き寄せ、両手を合わせた。
お絹が毎日運んでくれた食事を、今日は残さず食べようと思った。
――澄月庵では。
ひと眠りして、少し水を飲んだあと。
紗江は、傍らのお蘭へ尋ねた。
「……あの人は?」
お蘭の表情が硬くなった。
「蒼馬が捕らえ、葵様のお屋敷で預かっております」
「どうして、私を……」
お蘭は葵と目を合わせてから、静かに事件の経緯を話した。
紗江を襲ったのは、駆け落ちに失敗し、愛する男を失った花街の女だった。
紗江が贅沢な屋敷を建てているという噂を信じ、憎しみを募らせていたのだという。
紗江は、しばらく言葉を失った。
あの、駆け落ちの――。
行くあてを失ったその人のために、自分にも何かできないかと考えていた。
その人が、自分を憎んでいた。
背中を襲った衝撃がよみがえり、身体がこわばった。
「紗江様、今はもう……」
お蘭の声に、紗江はゆっくりと顔を向けた。
「お蘭……」
「はい」
「……その人と、話がしたい」
「なりません!」
お蘭の鋭い声が、部屋に響いた。
「紗江様のお命を狙った者なのですよ! そのような女を近づけるなど、絶対に……!」
紗江は、お蘭の手に自分の手を重ねた。
「私も、思い出すと怖い。でも……あの人が何を思っていたのか、聞きたいの」
葵は黙って紗江を見つめていた。
「お願い、葵様」
長い沈黙ののち、お蘭が息を吐いた。
「……まずは、身体を治してからです」
葵も、深く息をつく。
「私も同席する。お蘭もだ。それが条件だ」
「はい。……ありがとうございます」
お蘭は何も答えず、重ねられた手を握り直した。
それから数日後。
紗江がようやく布団の上に身を起こせるまでに回復したころ――。
部屋の障子が、ゆっくりと開いた。
お蘭に伴われ、一人の女が入ってくる。
その両手は、固く縄で縛られていた。
葵は紗江のすぐ傍らに座り、蒼馬、蓮、隼人、無刄も、女を囲むように控えていた。
女は皆の険しい視線に射すくめられたように膝を折ると、額を畳に擦りつけた。
「……申し訳、ございませんでした……」
声は震え、頬を伝った涙が畳にぽたりと落ちた。
蒼馬は怒りを堪えるように拳を握りしめ、蓮は刃のように鋭い目で女を見据えている。
隼人は女へ一歩近づきかけたが、葵の静かな視線に制され、その場にとどまった。
無刄は何も言わず、女へ冷たい眼差しを向けていた。
お蘭もまた、紗江をかばうように、その傍らから離れようとはしない。
張り詰めた沈黙が続いた。
紗江は息を整え、女へ声をかけた。
「……顔を上げてください」
女は動かなかった。
「どうして、私だったのか……聞かせてもらえますか」
女の肩が震えた。
やがて、かすれた声が返ってくる。
「あなたが……大きなお屋敷を、建てていると……」
紗江は黙って耳を傾けた。
「商いで大金を得て、何もかもうまくいっていると……皆が、そう話していて……」
女は、畳に落とした視線を上げられずにいた。
「私たちは、小さな家でよかったんです。あの人が帰ってくるのを、待っていられたら……それだけで……」
言葉が途切れた。
縛られた手が、膝の上で固く握られる。
「あなたが、何もかも持っているように見えて……」
涙が、また一つ落ちた。
「あの人を奪ったのは、あなたじゃない。それなのに……あなたが笑っているのを見たら……悔しくて……」
女は唇を噛み、深く頭を下げた。
「あのあと、お絹さんから聞きました。あれは、お屋敷ではないと……働くところも、住むところもない女たちのための場所だと……」
お蘭は、何も言わずに女を見ていた。
「私は……何も知らずに……紗江様を……」
その先は、声にならなかった。
紗江は、布団の上で指を握った。
「あなたがしたことは、なかったことにはできない」
女の肩が、小さく跳ねた。
「もし、あのまま気がつかなかったら……大切な人と、二度と会えなかった。そう思うと……」
紗江は葵を見た。
お蘭を、そしてその場にいる仲間たちを見つめた。
誰も、言葉を発しなかった。
「……申し訳、ございません……」
女は頭を下げたまま、繰り返した。
少し間を置いて、紗江は口を開いた。
「私ね、あなたのことを聞いて、決心できたの」
女のすすり泣きが止まった。
恐る恐る、その顔が上がる。
「駆け落ちした二人が捕まって、男の人が亡くなったって……噂を聞いたの。その女の人は、これからどこへ行けばいいんだろうって思った」
女は、呆然と紗江を見つめていた。
「働く場所があって、安心して眠れて……明日も生きていけると思えたら、選べる道が増えるかもしれない。そんな場所を作りたいと思ったの」
女の唇が、かすかに開いた。
だが、言葉は出てこなかった。
紗江はその顔を見つめ、穏やかに問いかけた。
「……あなたのお名前は?」
女はためらい、震える唇を動かした。
「……鈴……鈴と申します……」
「お鈴さん」
紗江は、その名を確かめるように呼んだ。
そして――。
「うちで、一緒に働かない?」
一瞬、時が止まった。
「紗江……!」
葵が、低く鋭い声を上げる。
蒼馬も、蓮も、隼人も――無刄でさえ、驚愕に目を見開いた。
お蘭は声も出せず、信じられないものを見るように紗江を見つめている。
お鈴もまた、涙に濡れた目を大きく見開いたまま、身じろぎひとつできずにいた。
張り詰めた空気の中で、ただ一人――。
紗江は、布団の上で握っていた指を、ゆっくりとほどいた。
そして、お鈴を見つめ、そっと微笑んだ。
――そのころ、花街では。
「お鈴の野郎、また俺たちの目を盗んで出ていきやがった」
男が苛立たしげに吐き捨てた。
「もう何日たつと思ってやがる。早く連れ戻さねぇと、今度こそ俺たちもただじゃ済まねぇぞ!」
「けっ、ふざけやがって。金だけは返してもらわねぇとな」
男の一人が、顎をしゃくった。
二人は夕暮れの通りへ足を踏み出した。




