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元禄美装録  作者: 月島 桃


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第2章 第28話 京への旅路

――京への旅路


紗江と葵、お蘭は、街道の景色を眺めながら歩いていた。

誠一も杖をつきながら、ゆっくりと一行の後に続いていた。


「いい天気だな」

葵が空を仰いだ。

澄み渡る秋空が、どこまでも高く広がっている。

「ええ。まことに、よい旅日和でございます」

誠一も目を細めた。


葵は紗江のそばを歩き、時折、その顔へ目を向けている。

「紗江、具合はどうだ?」

「はい。こうして景色を眺めながら歩くのは、楽しいです」

紗江が葵を見上げ、にこりと笑う。


「葵様、先ほどから何度目でございましょう」

隣を歩くお蘭が、楽しそうに声をかけた。

「何がだ」

「紗江様のご様子をお尋ねになるのが、です」

「慣れぬ旅だからな。無理をしていないかと思って」

「ありがとうございます。今のところ、大丈夫です」

紗江が微笑むと、葵も表情を和らげた。


「こうして景色を眺めながら進むのも、いいものですね」

「ええ。今日はゆっくり楽しめますね」

お蘭も、道の向こうへ目を向けた。

「気になるものがあれば、遠慮なく言うといい。急ぐ旅ではないからな」

「はい、葵様」

紗江は嬉しそうに頷いた。


穏やかな旅路に、三人ともいつになく心が浮き立っているようだった。

そのやり取りを後ろから眺め、誠一も静かに頬を緩めた。


最初の宿場である品川に着いた頃には、日が傾きかけていた。

道の両側に並ぶ旅籠や茶屋から、客を呼び込む威勢のよい声が響いている。行き交う旅人や荷を運ぶ馬で、宿場は夕暮れ時になっても賑わっていた。


葵が足を止め、街道沿いの茶屋へ目を向けた。

「少し休んでいこうか」

「私も、あちらの茶屋が気になっていたんです」

紗江の言葉に、お蘭が微笑んだ。

「お団子もあるようですよ」

「では、決まりだな」


一行は街道沿いの茶屋に入った。

腰を下ろすと、誠一が皆のために団子と茶を頼んだ。

ほどなくして運ばれてきた団子を手に取り、お蘭が嬉しそうに目を細める。

「歩いたあとの甘いものは格別でございますね」

「ええ。お茶もおいしいです」

紗江も団子を頬張り、ほっと息をついた。


しばらくして、お蘭が誠一へ目を向ける。

「誠一さんが京都へ戻られるのは、お久しぶりなのですか?」

「ええ……十年ぶりになります」

「十年……」

お蘭の顔から、ふっと笑みが消えた。


「さぞ、懐かしいことでしょうね」

「はい。懐かしくもあり……少し、恐ろしくもあります」

誠一は、手にした湯呑みに視線を落とした。


弥吉は、自分との再会を喜んでくれるだろうか。

それとも、何も言わずに姿を消した師を、今も恨んでいるだろうか。


「誠一さん」

紗江の声に顔を上げると、彼女は穏やかな目で誠一を見つめていた。

「私たちも一緒です。焦らず、一歩ずつ行きましょう」


「……そうでございますね」

誠一は静かに頷いた。

その目に、揺れていた迷いがわずかに薄れた。


――箱根越え


一行は川崎、神奈川、戸塚と宿場を重ね、さらに西へ進んだ。

道中、宿場で名物を味わい、街道沿いの景色を眺め、時には土地の者と言葉を交わした。

旅を始めた頃には、どこか緊張した面持ちだった誠一も、紗江やお蘭の楽しそうな声を聞くうち、次第に表情を和らげていった。


そして、一行は箱根へと差しかかった。

「これは……ずいぶん険しい道だな」

葵が山道を見上げた。

石の転がる急な坂が、深い霧の向こうへと続いている。

道の両脇には木々が生い茂り、濡れた葉から落ちた雫が、冷たい音を立てていた。


「足元に気をつけろ。焦らず進もう」

葵が皆に声をかける。

四人は足元を確かめながら、慎重に坂を上っていった。


山道の途中、紗江がぬかるみに足を滑らせた。

「きゃっ!」

身体が傾いた瞬間、葵がその腕を支えた。


「紗江、怪我はないか?」

「だ、大丈夫です。少し驚いただけです……」

「足をひねってはいないか?」

「はい。どこも痛くありません」

紗江は足元を確かめ、そっと姿勢を戻した。


「ありがとうございます、葵様」

「ここは滑りやすい。私につかまっていろ」

差し出された葵の手に、紗江は自分の手を重ねた。

「はい」


再び一行が歩き始めた、そのときだった。

誠一の足が止まった。

「……っ」

右腕を押さえ、わずかに顔を歪めている。


「誠一殿、どうした?」

葵が振り返る。

「何でもございません。冷えたせいか、古傷が少し疼いただけで……」

「少し休むか?」

「いいえ。皆様をお待たせするわけにはまいりません」

「急ぐ旅ではない」

葵はそう言うと、誠一の歩みに合わせて速度を落とした。


「葵様、私は大丈夫でございます」

「私も、ゆっくり歩きたいだけだ」

「ですが……」

「気にするな」

葵は前を向いたまま、それ以上は何も言わなかった。


誠一は、その横顔を見つめる。

やがて、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」


紗江も誠一の隣に並び、歩調を合わせた。

お蘭も少し先で足を止め、皆を待っている。

誠一の胸に、温かなものが広がった。


(本当に、よい方々に巡り会えた)


もし弥吉に会えたなら、江戸での日々を話そう。

加賀屋のことも、紗江のことも、葵たちのことも。

そして、自分が決して不幸ではなかったのだと伝えよう。


誠一は杖を握り直し、再び一歩を踏み出した。


――京都へ


箱根を越えた一行は、さらに西へ向かった。

富士の姿を遠くに望み、いくつもの川を渡り、宿場から宿場へと旅を続ける。

尾張を過ぎ、近江へ入ると、空気の中に漂う匂いまで、誠一の記憶と重なり始めた。


京都が近づいている。


その日の夕暮れ。

宿場の茶屋で休んでいると、誠一は西の空をじっと見つめていた。

山の端に沈みかけた夕日が、茜色の光を投げかけている。


「誠一さん?」

紗江が声をかけると、誠一はゆっくりと振り返った。

「……もうすぐです」

「え?」

「明日には、京都へ入れるでしょう」

誠一の声が震えていた。

「弥吉に……会えるのですね」


待ち望んだ再会が近づくほど、胸の奥に喜びと恐れが入り混じる。

紗江は、そんな誠一の心を察したように優しく微笑んだ。


「大丈夫です。弥吉さんも、きっと誠一さんに会いたいと思っています」

「そう……でしょうか」

「はい。だって、誠一さんが教えた織り方を、今も大切に受け継いでいるのでしょう?」


誠一は、目を見開いた。

遠い昔、自分が弥吉に教えたもの。

それが今も、あの反物の中に生きている。


「……そうでございますね」

目尻に浮かんだ涙を、誠一はそっと指で拭った。

「ありがとうございます、紗江様」


そして、江戸を発って十数日後。

峠を越えた一行の目の前に、夕日に照らされた古都の町並みが広がった。


幾重にも連なる瓦屋根。

遠くに見える寺の塔。

町を包む山々は、秋の色に染まり始めている。


「……京都だ」

葵が静かに呟いた。

紗江は足を止め、初めて目にする古都を見渡した。

「わあ……綺麗」


現代で知っている京都とは違う。

高い建物も、車もない。

目の前に広がっているのは、この時代を生きる人々の息遣いに満ちた、生きた古都だった。

誠一は何も言わずただ立ち尽くし、懐かしい町並みを見つめていた。


十年ぶりの古都。

十年ぶりの故郷。

かつて夢を抱き、ひたすら機を織り続けた町。

すべてを失ったと思い、逃げるように去った町。


そして——

弥吉が待つ町へ帰ってきた。


(弥吉……)


胸の奥から込み上げてきた熱いものに、誠一は唇を噛みしめた。


(私は、帰ってきた)


秋の夕日が四人の影を長く伸ばすなか、一行は静かに京都の町へと足を踏み入れた。

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