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元禄美装録  作者: 月島 桃


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第2章 第24話 七つの光と、帰る場所

――霞ノ郷を発つ、その朝


一行は霞王に別れを告げ、山を下り始めた。

朝日が連なる山々を照らし、鳥たちの澄んだ声が響いている。


「俺たち、本当にやり遂げたんだな!」

隼人が弾んだ声で、仲間たちを振り返った。


「隼人は元気そうだな。もう一度、行くか?」

蓮が笑みを浮かべる。

「勘弁してくれよ!」

隼人が慌てて答えると、皆から笑い声がこぼれた。


葵は、一人ひとりの顔を確かめるように見回した。

「……皆と、こうして帰れる。それが何よりだ」


その声には、肩の荷を下ろしたような安堵が滲んでいた。

皆も頷き、互いの顔を見合わせた。


紗江は、新たに手に入れた鏡《瑠璃天糸鏡》を見つめていた。

「これが……私の神器」


瑠璃色の鏡面には、笑顔の自分が映っている。

仲間たちと共に試練を乗り越え、こうして同じ道を歩いている。そのことが、何より嬉しかった。


「紗江の鏡、すげえきれいだな」

隼人が横から覗き込む。

「きれいなんだけど……使い方がわからなくて」


紗江は鏡面を見つめ、少し困ったように笑った。

それから、鏡を大切にしまった。


少し後ろを歩いていた清之助が、皆に声をかけた。

「皆様、本当にお疲れ様でした」


「清之助、お前も無事でよかった」

蒼馬が、その肩を軽く叩く。

「いえ……私は、ただ皆様の帰りを待っていただけで……」

清之助は、申し訳なさそうに俯いた。


葵が足を緩め、清之助を振り返る。

「待っていてくれる者がいる。それは、心強いものだ」


清之助が顔を上げた。

「お前の顔を見て、戻ってきたのだと実感した」


その言葉に、清之助の目が潤む。

「……ありがとうございます」

今度は俯かず、皆を見つめて微笑んだ。


「最初は、何者かと思ったんだけどな。こっそりついてくるから」

隼人が楽しげに言った。

「そ、それは……申し訳ありませんでした」


清之助が慌てて頭を下げると、皆はくすくすと笑った。


――前夜・夜鴉の本拠


玄斎の前に、冥が跪いていた。


「何……?」

低く響いた声に、怒りが滲む。

「葵たちが、霞ノ郷へ向かっただと?」

「はい」

冥が静かに答えた。


「厄介なことになった……」

玄斎は、ゆっくりと立ち上がった。


「霞ノ郷で神器を手に入れれば、私の《冥幻》も破られる恐れがあります」

「急げ! 配下を率い、すぐに霞ノ郷へ向かえ!」

「御意」


そう答えると、冥の姿は闇の中へ溶けるように消えた。


玄斎は窓辺に立ち、夜空に浮かぶ月を見上げる。

「……間に合えばよいが」


――山道・昼過ぎ


一行は順調に山を下っていた。

だが、不意に葵が足を止めた。


「……来るぞ」


「え?」

紗江が顔を上げる。


次の瞬間、頭上の木々から無数の黒い影が舞い降り、一行を取り囲んだ。

夜鴉の羽。その数は数十人に及ぶ。


清之助が息を呑んだ。

お蘭はすぐにその腕を引き、道脇の大きな岩の陰へ導いた。

「清之助様、こちらへ。身を低くしていてください」

「はい……!」

清之助は皆の荷を手元へ引き寄せ、岩陰に身を伏せた。


黒装束の群れが左右に割れる。

その奥から現れたのは、冥だった。


「……葵」

低い声が、静かな山中に響く。

「虹輝こうきの神器が揃う前に、決着をつけるつもりだったが……」


冥の視線が、一人ひとりの神器をなぞっていく。

「まさか、すでに七つが揃っているとはな」


「冥……貴様か」

葵が紗江を庇うように、一歩前へ出た。


「だが、神器があろうとも変わらぬ」

冥が片手を上げる。

「貴様の命――ここで絶つ」


その手が振り下ろされた。

夜鴉の羽たちが、四方から一斉に襲いかかる。


「させない!」

蓮が扇《翠水扇》を大きく開いた。

一振りすると、凄まじい風が渦を巻き、迫り来る羽たちをまとめて吹き飛ばす。


「うわあっ!」

黒い影が宙を舞い、次々と地面へ投げ出された。


「すげえ! 蓮、やるじゃん!」

「感心している場合か!」

蓮の声に、隼人はにやりと笑った。

「分かってるって!」


隼人が鎖《碧風鎖》を放つ。

風をまとった鎖が生き物のように地を走り、立ち上がろうとした羽たちの足に絡みついた。

「悪いけど、そこから動くなよ!」


羽たちが鎖を振りほどこうともがく。


「蒼馬、頼む!」

「任せろ!」


蒼馬が槍《黄雷槍》を突き出した。

青白い雷が地を駆け、碧風鎖に捕らわれた羽たちの足元で弾ける。

短い悲鳴が重なり、羽たちは次々とその場に崩れ落ちた。


「これが……神器の力か」


黄雷槍を握る蒼馬の前へ、さらに新たな敵が迫る。

「まだ来るぞ」


無刄が蒼馬の傍らへ踏み込み、双刃《紅蓮刃》を抜いた。

「来い」


夜鴉の羽たちが左右から斬りかかる。

無刄が二つの刃を振り抜いた瞬間、紅蓮の炎が地を這い、敵の前に立ち上がった。


「ぐあっ!」

羽たちは熱気に顔を覆い、慌てて後退する。


その背後へ、お蘭が音もなく踏み込んだ。

「逃がしません」


髪から抜き取った簪《橙月華》が、淡い月光を放つ。

お蘭が簪を薙ぐと、光は幾筋もの刃となって飛び、羽たちの持つ刀を次々と弾き飛ばした。


「お見事」

無刄が背中合わせになりながら笑う。

「そちらこそ」

お蘭も、わずかに口元を緩めた。


その時、一人の羽が戦いの隙を縫い、紗江へ迫った。


紗江は瑠璃天糸鏡を取り出した。

けれど、どう力を引き出せばよいのか分からない。


刀を振り上げる男の姿が、瑠璃色の鏡面に映る。


「紗江!」

葵の叫びが響いた。


逃げなければ。

そう思うのに、足が動かなかった。


それでも紗江は、鏡を握る手に力を込めた。


もう、守ってもらうだけではいたくない。


恐怖に目を逸らしそうになりながら、迫る男へ鏡を向ける。


(お願い……私に力を貸して……!)


強く願った瞬間、瑠璃天糸鏡が眩い光を放った。


男の動きが止まる。

振り上げていた腕が震え、その目が大きく見開かれた。


「う……うわああああっ!」


刀が地面へ落ちた。

男は目の前の何かを振り払うように両手を振り、怯えながら後ずさる。

やがて踵を返すと、そのまま森の奥へ逃げ去っていった。


紗江には、彼が何を見たのか分からなかった。

ただ、鏡面には一瞬、逃げ場を探す男の顔が映っていた。


「今のが……瑠璃天糸鏡の力……?」

紗江は、光を宿した鏡を見つめる。


「何か、恐ろしいものを見たようだったな」

蓮が、男の逃げた先へ目を向けた。

「相手の心にあるものを映したのかもしれない」


「私も……まだ、よく分からなくて」

鏡を握る紗江の指は、震えていた。


葵はその前へ戻り、太刀《紫皇刀》を抜いた。

黒紫の刀身が、日の光を受けて輝く。


冥が短剣を構え、立ちはだかった。


「冥……お前の幻には、ずいぶん苦しめられた」

葵は紫皇刀の切っ先を、冥へ向ける。

「だが、今は一人で抗う必要はないと知っている」


その背後には、共に試練を越えた仲間たちがいた。


「……来い」


冥の周囲で、空気が揺らぐ。

幾つもの幻影が生まれ、一斉に葵へ襲いかかった。


葵は動じなかった。

「もう、惑わされぬ」


紫皇刀が一閃する。

黒紫の光が幻影を切り裂き、その奥にいた冥の短剣を弾き飛ばした。


「なっ……!」

短剣が宙を舞い、地面へ突き刺さる。


冥が後退するより早く、葵は間合いを詰めていた。

紫皇刀の切っ先が、喉元を捉える。


「終わりだ」


その時、冥が懐へ手を入れた。

葵が動きを制する寸前、煙玉が足元へ落ちる。

白煙が噴き上がり、二人の姿を覆い隠した。


「紗江、下がれ!」

葵は声を上げ、紗江のいる方へ身を引いた。


白煙に視界を奪われた紗江が、足元の石につまずき、小さく悲鳴を上げた。


「紗江!」


葵が振り向いた、その一瞬。


冥は身を低くして背後へ回り、懐から二本目の短剣を抜いた。

刃が葵の背中へ迫る。


「葵様!」


お蘭の叫びとともに、橙月華の光が白煙を貫いた。

短剣が弾かれ、刃先が逸れる。


続いて、風を切る音が響いた。

碧風鎖が冥の腕へ巻きつく。


「させないよ!」

隼人が鎖を強く引き、冥の体勢を崩した。


だが、冥も踏みとどまり、鎖を引き返す。

隼人の腕に鋭い痛みが走った。それでも歯を食いしばり、鎖を離さなかった。


「蓮!」

「ああ!」


蓮が翠水扇を振り抜く。

突風が白煙を吹き払い、冥の姿を露わにした。


「そこだ!」

蒼馬が黄雷槍を地面へ突き立てる。

放たれた雷が冥の足元で弾けた。


冥の身体がびくりと震え、その場に膝をつく。

短剣が手から滑り落ちた。


さらに無刄が紅蓮刃を振るい、立ち上がる炎で退路を塞いだ。

冥は顔を上げ、なおも空いた手を懐へ伸ばそうとする。


「紗江、鏡を!」

葵の声に、紗江は瑠璃天糸鏡を冥へ向けた。


(もう、誰も傷つけないで……!)


鏡から放たれた光が、冥を包み込む。


「何を……」


次の瞬間、冥の目の前に、忘れたはずの光景が広がった。


信じていた者に裏切られた日。

助けを求めて伸ばした手を振り払い、誰もが背を向けていく。


そして、たった一人、暗闇の中へ置き去りにされた幼い自分。


「やめろ……」

冥の声が震えた。

「それを……見せるな……!」


紗江たちには、その光景は見えなかった。

けれど、先ほどまで刃を向けていた男が、今は何かに怯え、顔を背けている。


「置いて……いくな……」


かすかな声が漏れた。

紗江の胸が詰まる。


鏡を持つ手が下がると、冥を包んでいた光も薄れていった。

冥は荒く息をし、膝をついたまま動かなかった。


葵が静かに歩み寄る。

紫皇刀を構える姿に、冥は固く身をこわばらせた。


黒紫の刃が閃く。

鋭い斬撃が、冥の面だけを斬り裂いた。


割れた面が二つに分かれ、乾いた音を立てて地面へ落ちる。


その下から現れたのは、まだ若い男の顔だった。

頬には幾つもの古い傷が刻まれている。

剥き出しになった瞳には、怒りと恐怖が入り混じっていた。


葵は返した刃の切っ先を、冥の喉元へ突きつけた。


「……なぜ、殺さぬ」

冥が掠れた声で呟く。


「お前はもう、戦えぬ」

葵は、冥の顔をまっすぐに見つめた。

「ここで命まで奪うつもりはない」


「……情けをかけたつもりか」

「どう受け取っても構わぬ」


葵は切っ先を下げた。

「だが、次も紗江や仲間に刃を向けるなら、私は止める」


冥は答えなかった。

地面に落ちた面を見つめたまま、固く唇を結んでいる。


やがて隼人が鎖を緩め、無刄も炎を収めた。

冥はふらつきながら立ち上がると、残った夜鴉の羽たちへ撤退の合図を送った。


最後まで何も語らぬまま、彼らと共に深い森の奥へ姿を消す。


その気配が遠ざかるのを確かめてから、葵は紫皇刀を鞘へ納めた。


――戦いの後


張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。

一行は武器を収め、互いの無事を確かめるように顔を見合わせた。


「やったな……」

無刄が大きく息を吐く。

「ああ! 俺たちの勝ちだ!」

隼人が拳を突き上げた。


「隼人、無理するんじゃありません」

お蘭が、その腕を気遣うように見つめた。


「腕は平気か、隼人」

蓮が尋ねる。

「ちょっと痺れたけどな。まだまだ動けるよ!」


隼人が腕を回してみせると、蒼馬が肩をすくめた。

「それだけ動ければ、大丈夫そうだな」


紗江は瑠璃天糸鏡を胸元へ抱き寄せた。

戦っている間は、必死だった。


今になって膝が震え、目に涙が浮かんでくる。


葵が傍らへ歩み寄った。

「紗江、怪我はないか」


紗江は頷いた。

「はい……」


涙を拭っても、次々とこぼれてきた。

「怖かったです。でも……私も、皆さんの力になれたんですね」


「ああ。紗江がいてくれて、助かった」

葵は紗江の頭に、そっと手を添えた。


紗江は顔を上げ、仲間たちを見回した。

誰もが、いつもと同じ顔で自分を見ている。


そのことが嬉しくて、涙の中に笑みが浮かんだ。


少し離れた岩陰では、清之助が皆の無事に胸を撫で下ろしていた。


誰かが危うくなれば、別の誰かが手を伸ばす。

言葉を交わす間もなく、互いを助けていた。


(これが……皆様の強さなのですね)


「清之助!」

隼人が大きく手招きした。

「もう大丈夫だ。こっちに来いよ!」


清之助は皆の荷を抱え、岩陰から出てきた。


「清之助様、お怪我はありませんか?」

お蘭の問いに、清之助は頷く。

「はい。おかげさまで……。皆様こそ、お怪我を」


皆の袖や手に目を走らせ、荷の中から手当てに使えそうな布を取り出した。

「これを、お使いください」


「助かる」

蒼馬が布を受け取った。

「ほら、お前も座れ。ずっと気を張っていただろう」


その言葉に、清之助の表情が和らぐ。

「……はい」


皆のそばに腰を下ろすと、ようやく深く息をつくことができた。


――帰路へ


傷の手当てを済ませ、しばし身体を休めた一行は、再び山を下り始めた。

木々の間から差す日が、少しずつ傾き始めている。


やがて眼下に、麓の家並みが見えてきた。


「今夜は、あそこで宿を取ろう」

葵が告げると、皆が頷いた。

「明日は、江戸へ向かうぞ」


「加賀屋の女将さん、心配してるだろうな」

紗江が苦笑する。

「ええ。それに、きっと山ほど仕事を用意して待っていますよ」

お蘭がさらりと告げた。


「ええっ! せっかく戦いが終わったのに、帰ったらすぐ仕事かよ!」

隼人が情けない声を上げる。


「帰ったら、まず荷運びを頼むぞ」

蒼馬が容赦なく言い放った。

「そんなあ……少しは休ませてくれよ」


がっくりと肩を落とす隼人を見て、誰からともなく笑い声がこぼれた。


紗江も笑いながら、鏡をしまった懐へそっと手を添える。


帰ったら、また着物を作ろう。

待っていてくれる人たちに、無事に戻ったと伝えよう。


隣を歩く葵と目が合うと、紗江は微笑んだ。

葵も頷き、皆と共に麓の宿へ向かって歩みを進める。


明るい笑い声が夕暮れの山道に響き、茜色の空へと溶けていった。

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