4.蜂蜜色の豊穣(2)
公爵城の四方を囲む高さ5メートル、幅2メートルにわたる城壁。
その上に座り、真里は厨房で調達した蜂蜜バターパンを楽しんでいた。
「はぁ~脳みそに糖分が染みるわぁ~」
『キミは一貫しているな。脳糖分が不足するまで根を詰め、肉体が危険信号を出してから栄養を摂取する。そんな生活をしていれば、前世世界……2085年の日本で平均より若い年齢で老衰となるのも当然の結果だ』
「っさいわねえ。作業中でも糖分不足は飲み物でカバーしてたじゃない」
『砂糖をたっぷり入れた紅茶、コーヒー、ココアの類だな。飲みすぎると胃の内粘膜や腸壁に影響がある』
「もうあんたはいっつもいっつもああ言えばこう言う」
『宿主でありオーナーである主人を心配しているだけだ。まあ帰結的に私自身の心配とも言える』
「へいへい」
適当に受け流してパンに齧り付く。
食文化が未発達な世界で用意できる甘くて美味しいもの。
かつ手軽に食べやすく満足感があるもの。
そんな我儘な条件に合うものを厨房で探し選んだのは、白パンと蜂蜜、バターを組み合わせた蜂蜜バターパン。
石窯で焼かれたパンは素材こそ素朴だが、輻射熱によって表面は香ばしく、内側は程よく水分を残し噛み応えある食感に仕上がっている。
多孔質構造に絡んだ蜂蜜と溶けたバターが噛む度に染み出し混ざりあい、口内に広がる甘さと香りに思わずだらしなくにやけてしまう。
食堂の用意をしようとする使用人を止め、こうして人目に付かない場所での食事を選択して正解だった。
見晴らしもいい、空気もいい。
『人間というのは本当に不思議なものだな。九割が我々を導入しても、外食産業やそれに類する小売業も絶滅しなかった。スマートブレインを用いればたとえどんな素人でも、プロとほぼ同等のレシピが再現可能だというのに』
じっくりとパンを味わっていると、脳内にそんな声が聞こえてきた。
「あら、解ってないのねレクシス。人間の味覚は舌の上だけで感じるものではないわ」
『そのくらいのデータはある。舌の上にある味蕾で感じる五味、歯や歯茎で感じる食感。口蓋粘膜は人間の感覚器官でも特に感覚の鋭い部分だ。飲みこむ際に咽頭部に感じるのど越し。鼻腔にかけて通ずる嗅覚――それら含めての味覚だという主張だろう』
「ふむふむ?」
『栄養摂取の単純作業に感覚器官、我々で言うセンサーを使いすぎだ。リソースの無駄遣いと言っていい』
「ぶっぶー。人工意識体であるレクシスくーん。今の回答では不十分。D判定、赤点ね」
これまた食堂で手に入れたホットミルクを味わいつつ、彼の主張に容赦ない採点を下す。
質問をすれば何でも優しく答えてくれるのにレポートの採点は鬼のように厳しい、どっちかにしろと前世ではこっそり言われていたものだった。
「ちゃんと視覚共有して見てごらんなさい。この眼下に広がる麦畑を」
『夏麦が色付いているな。もう十日前後で刈り入れ時期と推測できる。この景色がどうかしたのか』
「黄金色で綺麗だと思わない?この金色の大地の恵みの中で、綺麗な小麦色に焼けたパン、その中に入っている黄金色の甘い滴り、そしてその色とは違う黄金色のバター。料理というのは見た目も大事だし、それを食べるときの雰囲気や情景もデータには現れない味の奥行を広げてくれるのよ」
不満げなノイズ。
脳内の生徒くんはまだ納得しきれていないらしい。
『それと外食産業が無くならなかった関係性は?』
「一流の店、一流のコック、一流のサービス、一流の食器。そしてその中で一流の美食に舌鼓を打つ自分に酔いしれることができるのが人類というものよ」
『随分とエモーショナルな解答だな』
「そういうところがまだ人工意識体に足りないのかしらね」
『我々スマートブレインにインストールされているマシ―ナリーインテリジェンス――いわゆる人工意識体は確かに心というものは持っているが、それらはあくまで宿主である人間とのコミュニケーションを潤滑にするためのもの。言わば気づかいだ。私の心が情緒的でないとするならば、それは私の宿主たるキミの心が貧しいという証左ではないか』
「はぁ、あんたの苦ぁい皮肉を聞きながら食べる甘い甘い蜂蜜バターパン最高だわ」
皮肉を皮肉で返したわけでもなく、ただの本音である。
今は手に入らないブラックコーヒー代わりにちょうどいいと思いつつ、真里は小さくなったパンに齧り付いた。
「ほんとこの味、教授時代を思い出すわね」
『キミがよく大学のコンビニエンスで買っていた、蜂蜜風味のシロップと人口油脂をサンドしたパンとは雲泥の食べ物だな』
「蜂蜜風マーガリンサンドもあれはあれで美味しいの」
いつでも手に入る安心感といつ食べても変わらない安定感。
飽食と美食の日本ならではの美味を否定することなど元日本人の真里にはできない。
「でもそうね。炊事長が出したがらなかったとっておきの蜂蜜と焼き立てパン、それに朝作りたての新鮮なバターですもの。最高の素材だわ。ああ、この天然蜂蜜のほんのりした酸味がたまらないわ」
『成分的には百花蜜と呼ばれる物か。蜂蜜は糖度17度以上で発酵しないが、15度以下ではアルコール発酵を起こす。この蜂蜜は天然状態でほんの少しだけ発酵したのだろう』
両手をパンパンと払って口をもごもごと動かす真里。
その両手に既に蜂蜜パンはなく、城壁の外に見える黄金色より褐色に染まった広がる限りの麦畑を見下ろしていた。
「綺麗だけどこりゃダメな畑の基本ね」
『農業用灌漑水路が存在しないな。高地に溜め池を作り、そこから水路を引けば水撒きや耕作も効率化できるだろうに』
「私の記憶を掘り返すと、雨の足りないシーズンは貴族たちが降雨魔法で雨を降らせて土地を潤す。連作障害や土壌の問題はお母様みたいな地属性持ちの魔法で何とかしていたそうよ」
『問題解決は貴族の魔法に依存せざるを得ない、か。大した反乱も起きないはずだ。よくできたシステムだな』
「うん、でもさあ、あれを見ちゃうとね」
真里はくるりと振り返った。
視線の先には城内の庭にある石造りの井戸と、そこから水を汲み上げる少年。
額に汗し、小さな体で必死に紐を引っぱる姿は痛々しいほどだ。
「水回りは生活の基本なのにあれ、なのよ」
『キミのことだ。あんな非効率な労働で搾取される少年を見るのは耐え難いだろう』
「ま、そういうこと。行くわよレクシス」
『了解した』




