38.公爵令嬢の花嫁修業~アイゼンボルグ辺境伯領編~(4)
その日の昼食、給仕をするメイドたちの視線は、いつにも増してつやつやと輝く領主の婚約者の滑らかな金髪に集中していた。
おかげでソースパンからローストにかけるはずのソースをテーブルクロスにかけてしまうほどの粗相ぶりだったのだ。
「ああ美味しかった。やっぱり鹿のローストには甘酸っぱいソースがぴったりね」
「教授、あんまりうちのメイドのことたらし込むのやめてくださいよ」
「あら人聞きが悪いわね。髪の毛のこと聞かれたから答えてあげただけじゃない」
『仕方がないわよ教授。この世界の整髪料っていえば香油しかないんだもの。そんなボタニカルエッセンスまで配合した極上の美容品を目にしたら、大抵の女性はそりゃあもうイチコロよ』
「この世界、美容品も貧しいのかしら。前世の中世ヨーロッパにも、乳化剤じゃなかったけどリンスもどきなら結構あったとはずなんだけどね」
『仕方ないわよ。石鹸ですらこの世界は輸入品頼りだもの。下手をすると絵具と一緒で、好物を粉にして獣脂と混ぜたような毒物一歩手前の化粧品があるくらいよ。おかげでうちのマスター、自領のメイドや貴婦人方には化粧の禁止令まで出したくらいなんだから。まあそのおかげでお固くて質実剛健を旨とする領主って思われてるんだけども』
「まあ身内ってわけじゃないですけど、うちの寄り子の奥さんやメイドさんたちが鉱物薬害で肌や体がボロボロになる所見たくないですからね」
「かといって工業バカの次郎君に化粧品を自作するスキルはないものね」
「工業バカは余計っすよ教授。まあ、事実っすけど」
「そうね、そっちもなんとかしなきゃね。よし、考えておく。まあその話は別として次郎君に渡しときたいものがあるの。これよっ」
「何すかこの壺。まさか霊験あらたかな幸運を呼ぶとか」
「どこの新興宗教よ。でも霊験あらたかっていうのは当たらずとも遠からず。私達日本人にとっては魂の源泉といっても差支えのない物よ」
「はあ?で一体何が入ってるんで」
『コウジカビ……アスペルギルス・フラバス。基本的な日本の発酵食品、酒・味噌・醤油の種母となる一品だ』
「いやレンネットを作る黒カビを探してる時に偶然発見しちゃってさ。あるのよね、本命の素材探してる時に他のレア素材が大量にドロップすることって」
「確かにこりゃ日本人からしたら魂の源泉といっても差支えが無い奴ですね」
「でしょでしょ?公爵領から大豆、西公領からは大豆、レンズマメをお土産にもらってきたわ。されこれから次郎君に大切なミッションを命じます」
「は、はぁ……」
「レクシス、イリスちゃんに例のマニュアルデータ転送をお願い」
『了解した』
『おっけー、受け取ったわ。ファイル名は、と……日本の魂復興プロジェクト?』
「要するにこのレシピを基にして本格的にこの世界で味噌や醤油を作ろうって魂胆すね」
「そゆこと。米が無いから日本酒は無理だけど、麦みそやしょうゆだったら何とかなるかと思ってね。大豆とそれを同じくらいたんぱく質の多いレンズマメをサンプルに提供してあげるから発酵に慣れてるエール職人に領主命令で作らせてみて」
「そりゃいいですね。教授の作った醤油もどきでも十分乾燥できましたけど、逆にやっぱり本物を思い出しちまうんですよね」
「そう、そうなのよ。パースニップで作った肉じゃがもどきも、王都で仕入れたチコリやイナゴ豆で作った代用コーヒーやチョコレートも所詮は代用品だものね。しばらくは自分をだますことはできるんだけど」
「本物の満足はできないってことですよね」
「そう、その通り。特にコーヒーやチョコは、カフェインやらテオブロミンが無いとダメよね。舌は騙せても体や脳が満足しないって言うか、まあノンアルビール飲んだ時の物足りなさと一緒よ」
「ああわかりますそれ。ほんとそれに尽きますよね。」
『人間は不便なものだな。記憶やデータのリロードだけでは身体的な満足は得られないのだから』
『まあそこが私達体を持たないスマートブレインと本体というものに依存して生活する人間との差よ。私は不便と思うより羨ましいと思うけどね』
『はあ、これが若さか』
「はいはい、ジジ臭いこと言ってんじゃないの。午後ももうひと働きいくわよ」
『やれやれ、またあのカビだらけの研究室におこもりか。全く脳内まで菌糸に汚染されてしまいそうだ』
◇◇◇
真里がチーズの種母を求めての足を使うことのない長い旅路は、10月の中旬頃にゴールへと辿り着いた。
その旅の長い道程は某国営放送のX計画のフレーズが似合いそうな、真なる黒カビを求めて歩き続けるブラック労働環境であった。
その結果――。
「できたあああ!」
『うむ。データ的にフランス産のシェーブルチーズとほぼ変わらない完成度となっている』
「これまた真っ白なチーズですね」
『うふふ、山脈が雪化粧する前に教授が真っ白い山作っちゃったわね』
茶巾のように布で絞り上げた包みを解くと、そこには白くうず高い新雪で覆われた小山のようなそれが姿を現す。
かぐわしいチーズ特有の発酵臭を観察者たちの鼻孔に届け、パッと見そのチーズとは思えない外見から想像し得ない味の興味を見やる面々に引き起こさせた。
「で、教授、これはもう食べても大丈夫なんで?」
「まあすぐ食べてもフレッシュで美味しいとは思うけど、やっぱり2~3週間寝かせた方が美味しくなるわよ」
「ですよね~」
『まあ正直このままじゃヤギ乳内のたんぱく質を酵素で固めて水気を絞っただけのものですものね』
『うむ、たんぱく質が自然分解してアミノ酸化しなければ人間で言うところのうま味は出ないな』
「そゆこと。まあ出来立てに軽く蜂蜜をかけて食べるのもオツなもんなんだけどね」
「そりゃ酒のつまみにはあまりあわないってことじゃねえですかい。ねえ教授、魔法でパパッと何とかなりませんか」
「次郎君、魔法ったって万能じゃないんだから。時間を操るなんてことできるわけ……あったわ」
『え、何それ何それ。教授まさか時間魔法でも開発しちゃった?』
『まあ確かにあれはある意味時間魔法だな』
「まさか教授、ほんとにチーズをちょちょいのちょいと」
「まあ発酵促進魔法はできないことはないけど発酵はできるだけ天然資源に任せたいところだしね。特に食べるものに関しては。まあ人の命のかかる薬物とか作るときだったら話は別だけど。まあ興味があるんだったら、将来の旦那様になる次郎君にも見せておきましょうかね。ついてきて、私の地下秘密実験室に」




