37.公爵令嬢の花嫁修業~アイゼンボルグ辺境伯領編~(3)
明けて翌日。
「で、これをやっちまったというわけですね、教授」
「カッとなってついやってしまった。今は反省してます」
『カッとなってというか好奇心の赴くままにというべきだな。このアラニア山脈の生物体系はセレニア連山のそれとは大分違う』
『ティタノベア、クロウグリズリーをはじめ、既知のクマ種が4種、あら他にも見慣れないクマ種がいるわね』
『ああ、それは遺伝子データから見て恐らく混雑種、まあF1種だな。データとしてとって面白かったがどうせ2世代もしないうちに大自然に取り込まれてしまう種だ。ちょっとしたイレギュラーとしてみるだけで面白い』
「で、そのクマだけで100頭前後。他にもイノシシ種やシカ種、全部合わせると……ああ、レクシス君。全部で何頭くらいとってあるんだいこりゃ」
『全頭合計して442頭。私としてもせっかく作った魔法戦専用外骨格の様々な実験ができて実に有意義な一夜だったよ』
「はぁ……で、どうすんですかこれ」
「えっと、クマ肉とイノシシはベーコンとかにして……シカの類は全部スモークジャーキーにしようかな~って……てへぺろ」
「てへぺろって教授、あんた一体何歳っすか」
「花も恥じらう乙女に向かって失礼ね。女の子に歳を聞くもんじゃないわよ。あなたの婚約者は今年で16歳になったばかりの乙女ですぅ~」
「前世ではあんたの方が30歳近く年上だったじゃねえですか。ったく……」
山脈近く特有の陽光を煙らせる朝もやがまだ静まらぬ早朝、一晩のプチ家出を咎める父親的な位置でジークは困った顔をしていた。
一方真里はポケットや空き瓶にみっしりとダンゴムシやその手の類の虫を詰め込んでホクホク顔で帰ってくる悪童のように、最初はその猟果を自慢していたが、まあ自己の興味の赴くままに行動を起こした人間の末をは得てしてこんなものだ。
「で、何であいつらがいねえんですか?」
「え、あいつらって?」
「狼っすよ、狼の類」
「ま、まあ食肉目はお肉がマズいっていうか、食えたもんじゃないっていうか~……」
『マリ、正直に言った方がいいぞ。犬猫の類は狩猟対象にならないと。主に感情的な側面で』
「ああ、まあやっぱそうっすよね。前世でも教授、飼ってる犬猫の話、他の生徒ともいっぱいしてましたもんねえ」
精神年齢が概ね100歳の公女様はまるで駄々っ子のように、執務室のソファーの上で手足をじたばたしながら言い訳をする。
「無理無理無理ぃ!だってあの狼の類の子たちのピンとした耳とか長めのマズルとか見ちゃうと、前にうちで飼っていた柴犬ちゃん思い出しちゃうんだもん」
「かと言って、野生の狼種を全部ペットにするわけにもいかんでしょう?一体どうしたんです」
『狼たちには群れごと絶対的な恐怖を与え、精神的な外傷を与えお暇いただいた』
「あ、なるほど。2040年代頃の学説でしたっけ。『遺伝子に残るトラウマ』でしたっけ。ええと確か、個体の生命、もしくは種族存亡の危機に値するトラウマは遺伝子的な記憶となり、世代間を超えて潜在的な恐怖心として刷り込まれる」
『ってことは狼ちゃんたち、よっぽど怖い目にあわされたのね。やだかわいそー』
『まあおかげであそこらへん一帯はヤギを捕食するクマ種も狼種もいない。食性の被るシカ種やイノシシ種もいない。まさにヤギの楽園となったわけだ。食料となる下草も豊富、予測される頭数増加率は最低数でも1.5倍。最大期待値で2倍といったところか』
「まあそうね。あとは麓に安心して体を休めることのできるヤギ小屋を作るだけよ」
「これで平地の少ないこの領地でも牧畜が可能となったわけだな」
「そゆこと。んで次郎くん、放牧するためのヤギはどれくらい集まってる?」
「現在50頭前後。今、他領から迎え入れて最終的には100頭前後になる予定っすね」
『で、教授。そんなにヤギ増やして最終的にどんな答えを導き出す方程式なわけ』
「いい質問ねイリスちゃん。少なくとも4か月後、来年の年明けには早速一つ形にするつもりよ。ま、それだけじゃないんだけどね」
『ちなみに前子爵領でのクマ肉やイノシシ肉をベーコンに加工調理する時のレシピデータを、キミの頭の中の口さがない我が子孫に送っておいてもいいかね』
「とりま一眠りさせてもらっていい?徹夜明けで眠いのなんの。あーコーヒー欲しい……。お肉の付けダレの準備ができたら起こしてね。無限収納から在庫取り出す時にワタや血抜き骨抜きはやっておくから」
「はいはい、わかったっすよ。寝室でご存分に惰眠をお楽しみください。イリス、受け渡してもらったレシピデータ、ファイル展開。必要材料のリストアップを頼む」
『オーケーよマスター。そんじゃ教授、おやすみなさーい』
「ふわあ……おやすみ~……」
ソファから立ち上がり、ふらふらと領主執務室から寝室へと歩を進める真里。
その姿からは港で領民を沸かせた聖女のような神々しさはなく、
まるで締め切り明けの漫画家のようであった。
真里は朝から夜着に着替え、布団の中の住人になっていたころ、
ジークフリートは仕事を進め、ヤギ小屋・精肉小屋・燻製小屋の設計図と建築発注書をそれぞれの部下たちに手渡し、昼食後に子爵領からの手土産であるそば茶で一息つきながら今後の領地開拓の膨大な計画案を脳内で確認しながらまだ味わって無い未来の疲れを予測してはぁ……と大きなため息を一つ吐いた。
10月初旬、タリアンド半島最北部に位置するアイゼンボルグ領の秋は、
まるでキツネ狩りの獲物のようにその足を速くする。
早い樹木は夜会の貴婦人のようにその色どりを変え、
雪化粧される山脈上部を比較するように夏の緑から派手な装いへと変化する。
そんな過渡期の正午――。
「教授、昼食前だから言うんですけど、いや本来昼食前にレディに言うことじゃないんですけどね」
『ちなみに教授、今日の昼食は鹿肉のローストと教授がお土産で持ってきてくれたパースニップたっぷりのキッシュよ』
「あら素敵じゃない。あっさりしたお肉とホクホクのキッシュだなんて」
『欲を言えばビタミン類とカルシウムが足りない所だな。フレッシュなチーズと葉野菜たっぷりのサラダがあれば栄養面では言うことが無いのだが』
「いやその飯前に言っておきたい事なんですけどね、教授……正直にカビ臭いっす」
「あーまあね……今ちょ~っと色んなカビを研究してるもんで」
『マスター最近ため息の平均値の数が増えてるわよ』
「農業改革、灌漑水路、科学肥料工場に山すそを使ってのヤギの放牧。今度は一体何をやり始める腹積もりで?」
「うん、まあ、次郎君とこの地下にもちょっとばっかり秘密の実験室を作らせてもらったんだけどね」
「ああ……あのレベル4相当の実験施設か。一体どんな化学兵器作ってんですか?」
「失礼ね。2000年初頭亡国の共産党や傘のマークの製薬会社じゃあるまいし、変な細菌兵器なんか作ってないわよ。今作ってるのは美味しいものの源。いわばチーズの命ね」
「っていうとカマンベールに使う白カビとかブルーチーズに使う青カビとかっすか?」
「残念。正解は黒カビでした。チーズのたんぱく質を固めるのに使うレンネットって酵素があるんだけどね、この世界だとまだ子牛の第4胃から抽出してるのよ。で、それを黒カビから作り出すのが今回の私の目的なんだけど、今のところこの世界で言い感じの黒カビが見つからなくてね。菌糸1株1株を遺伝子改変魔法で弄くりまわして最適解を探してる最中ってわけ」
「へえ、チーズってそんな風にして作るもんだったんすね。なんとなく牛乳から作るってのは知ってましたが」
「まあフレッシュで単純なチーズだったら、レモンと塩で作ることもできるけど、ちゃんと長期熟成長期保存できるチーズはきっちり酵素で固めないとダメなのよね。ただたんぱく質を固めればいいってもんじゃないの」
『流石教授は博識よね。工学にしか興味のないうちのマスターにも見習わせたいもんだわ』
「あらいいじゃない、何事か一本に打ち込んで自分の夢を諦めない男って私好きよ。前世の旦那もそんな人だったし、息子の和ちゃんもそういう男だったもの」
『確かにキミの配偶者はある意味とんでもないロボティクスエンジニアだったな。日本風に言うならロボットオタクというところか』
「まあね、まさか現実世界で有人の巨大人型合体ロボットを作ったのはあの人が初めてだったでしょうからね」
「え?っていうと、あの火星開拓用ロボット……あれ作ったの教授の旦那さんだったんですか」
「よく知ってるじゃない次郎君」
「うわマジか。あれの開発って教授の旦那さんがやってたんすね。ちくしょう、俺も教授のコネでチームに入りたかったっす」
「何言ってんの。あれはNASAとの共同開発でゴーサインが出たのよ。いくら開発責任者が私の旦那でも、次郎君の実家のコネを使っても早々チームに入れるもんじゃないわよ。……それよりそんなに私カビ臭いかしら」
『残留菌糸は結構残っているな。周りを汚染しない内に大気の洗浄を勧める』
「そうね、ご飯の前にシャワーでも浴びようかしら。そうだ、次郎君、何だったら一緒に浴室に行く?」
「勘弁してくださいよ教授。いくら婚約者とはいえ結婚前のご令嬢と一緒に浴室に行くなんてことが執事や家令に知れたら、親父が家宝のミスリルソードぶん回しながら俺のこと追っかけてくるに決まってるでしょう」
「あはは、あの固そうなお父様だったらやりかねないわね。そういえばどう?お父様の肺結核の具合は」
「ええ、教授が作ってくれた薬のおかげで大分症状は改善したと思いますよ。でも完全に治るまではもうちょっと日にちがかかるんですよね」
「そうね。一般生活送る分には3ヵ月もあれば十分だけど、完全に再発を防ぐのだったら経過を見ながらの長期治療が必要ね」
「教授、マジでありがとうございます。あなたは今世の俺の親父を救ってくれた。まさに命の恩人です。俺が協力できることだったら何でも手伝いますよ」
「そ、じゃあ早速食事の後にでもお願いしちゃおっかな」
「へ?」
「じゃあレクシス、シャワー行こっか。抽出した大豆レシチンで作ったリンス早速使ってみよっか」
『了解した。だがせっかく抽出した乳化剤の最初の使用目的が美容用品とはね』
「そゆこと言わないの。出来が良かったらディート母様にも送ってあげなきゃ」




