36.公爵令嬢の花嫁修業~アイゼンボルグ辺境伯領編~(2)
場所は転じて伯爵邸ではなく伯爵城となるアイゼンボルグ城。
先代伯たるジークムント・フォン・アイゼンボルグは病の床に臥せっていた。
「おおジークよ、よく来てくれた。その麗しいご令嬢がお主の婚約者か……ゴホゴホ」
「初めまして先代伯ジークムント様。東の公爵バルディアン家長女マルガレーテと申します。この度は陛下よりお言葉をいただき、当代当主のジークフリート様から求婚をお受けいたしまして、それに応えるためこの地に参りました。今後とも何卒よしなに」
「ゴホゴホ……ご丁寧なあいさつ痛み入る。わしは見ての通り病の床にあって、今現状の政務は全て魔法研究バカの愚息に任せてある。マルガレーテ殿の才媛ぶりは先日見舞いにきてくれた北公様よりも聞いている。陛下よりも我が姪をよろしく頼むと言われておる。我が愚息をよろしくお頼み申し上げます」
『身体データ医療スキャン。類推される病名・症状・病理深度、蓋然性の高い類から結果を……』
マルガレーテと両手で固く握手をする年老いた先代領主の骨ばった手の平を介し、レクシスは真里の指先に備えられた生体スキャナーで数秒の内に生体スキャニングを行う。
『蓋然性97%が一致。深度3レベルの肺結核と推定する。未治療の場合、余命は6か月から8か月』
(大変じゃない!有効治療薬のデータ、及び治療薬の制作方法を大至急検索)
『了解した。リファンピシン、イソニアジド、ピラジナミド、エタンブトールの4種類だな。抽出合成法も一緒に検索済みだ』
(なんでこんなになるまで放っておいたの?薬くらい作ってあげなさいよ、この世界での実の父でしょう?)
(無茶言わんでください教授。教授と違って俺工学の知識はあっても薬の知識は殆どないんですよ)
「あんたが知らなくてもイリスちゃんは知ってるでしょう?」
『え、あたし?薬の作り方なんか知らないわよ。肺結核にその薬が効くっていうのも初耳だし』
『マリ、無茶を言うものではない。我々マシ―ナリーインテリジェンスのデータベースは宿主たるユーザー本人のデータベースとリンクしている。つまり……』
(はぁ……なんでもは知らないわ、知ってることだけ、ってことね)
『まあ私達スマートブレインは有料のデータアプリケーションにより自分たちの容量が許す限り様々なデータをインストールできる。だからキミのおかげで、前世に溢れていた様々な科学データのアプリケーションがインストールされているからな』
(ああ、そうだったわね。それにしてもスマートブレインのアプリってホント高いのよね。あんたのデータインストールするのにノーベル賞の賞金確か半分くらい使ったんだっけか)
『まあ何の対価も無しに知識チートができるわけではない。キミの子供の頃の記憶と一緒だ。ソーシャルゲームのトッププレイヤーは廃課金厨で溢れていたのだろう』
(それならどうして私より大金持ちな次郎君が課金アプリインストールしてないのよ。どう考えても変じゃない)
(いや、俺もめっちゃインストールしてますよ。ただイリスのメインメモリには工業系を主体にインストールしてあって他の些末なデータアプリは量子クラウドの方に保存してあったもんでこっちの世界に来てからアクセスできなくなっちゃったんですよね)
『最新型ゆえの不幸よね。リンケージシステムのないお爺様にとっては知らなくていい苦労でしょうけど』
リンケージシステムとは最新型スマートブレイン・イリスから追加装備された機能である。前述した脳量子波、いわゆるQウェーブで同系機のスマートブレイン同士で自動的に大規模ネットワークを作り出し、それぞれの個人が極小のサーバー兼データセンターになることによって大型のデータセンターに依存しない量子的なクラウドを構築するシステムのことだ。
『群れなし得なければ本来の機能が十全に使えないとは哀れだな。イリスという名前よりレギオンという名前の方がふさわしいのではないか?』
『スタンドアローンが基本スペックの旧型に言われたくないわ。あたしの型式から全スマートブレインの安全規制を撤廃されて生後三か月の乳児からインストール可能になったんですからね。やーい18歳未満使用禁止のアダルトな旧型~』
『なんだと?』
『なによ?』
(お前たちいい加減にしなさい)
(同じジュピターサイエンス社同士で争うんじゃないの)
(さて教授、さっき教授のレクシス君が言ってたえーっと何でしたっけあの4種類の薬)
(あんた学生時代からちっとも変わんないわね。自分の趣味や好きなことにはバカみたいな記憶能力を持つけど、ほんっとそれ以外ポンコツなんだから)
『あ、やっぱりマスターって昔っからそうだったんだ』
(うるせえ、あんまり責めるな。泣くぞ)
(頼むからその美形の掘り深い顔で泣くのは勘弁して。多分いじめたくなるか腹筋が崩壊するの2択だから)
「すまん、わしの病のことで場の空気が重くなってしまったようだな。愚息の将来の嫁にこの病をうつしては敵わぬ。さあ、ジークフリートよ。わしが将来娘と呼ぶべきこの美しきお嬢さんに我らの領内を案内して差し上げよ」
(あちゃ、脳内会話中の無言状態を勘違いされちゃったみたいね)
(まあしょうがないっすよ。俺も教授も人様の前じゃ地の言葉で喋れないですからね)
(まあそうね。じゃあそろそろお暇して、森にでも入って薬の素材探しでもしよっか)
(オーケーっす教授)
『了解だ』
『わかったわ教授』
三者三様の諾の言葉を聞き、先代伯爵に礼をし、二人と二体のスマートブレインは一路アラニア山に向かうのであった。
◇◇◇
森林限界点。
それはある程度の高さのある山において、高山植物以外の樹木が生えなくなる高さを指す。
緯度や経度、山の形状や環境においてその高さは1000~2500メートルと差異はあるが、
ここアラニア山脈西部では平均して2000メートル辺りが森林限界点である。
「教授、飛行魔法使っての山登りはずるいっすよ」
「飛行魔法じゃないわ。重力制御魔法よ」
どんな山道でも例えどんな斜面でも岩場でも重力制御魔法で衣服とアクセサリー以外の自重をゼロにしている真里には山登りの苦労もカタルシスも一切の関係が無く、まるで湖面を舞う妖精のように後方よりそれに追いすがるジークフリートを初め護衛の騎士団たちをさながら森奥に導く悪戯の精霊のように森の中を軽やかに跳ね回るのであった。
「ぜひーぜひー……じ、ジークフリート閣下、もう少々……」
恐らく護衛騎士団の隊長格の男が息も絶え絶えにジークに懇願する。
山岳装備用の非金属鎧といえど、背中に羽の生えた妖精のように山道というのもおこがましい獣道をふわりふわりと舞い踊るように木々の間を飛び駆ける真里に追いつくのは至難の業のようだ。
「ぜー……もう少し頑張れ……ぜー……もう少しすれば木々の少ない明け地に出る。そこまで行ったら小休止だ」
片やいくら前世の飛行機に使われる軽金属とはいえ、まだ緑の残る9月下旬の森林に程よく悪目立ちする、銀色に陽光を照り返す前世知識を流用し作り上げた超ジェラルミンの鎧に身を包んだジークフリートは、隊長からだけでなくその隊員たちからも関心と羨望の目でその健脚ぶりを無言のうちに称えられていた。
『おいマリ、後続が遅れているぞ。はしゃぐのはいいが、もう少し全体のペースというものをだな……』
(しょうがないじゃない、やることいっぱいあるんだから。そんなことよりレクシス、周辺のまだ未調査の木々にマーカーを付けてちょうだい)
『やれやれ、さっきから様々な樹木をスキャニングしているが一体どんな木を探しているんだ』
(うふふ、ちょっと考えがあってね。ドワーフたちのモチベーションをあげる極上のお酒を作るためよ)
『木で酒を醸造?全くわけがわからない』
(あ、あの右側の木にマーカーが付いてる。要チェック要チェック)
言うが早いか、真里の足は一本の樹皮が妙にゴツゴツした広葉樹にその身を躍らせ樹皮に触れる。
人間の指先は例えスマートブレインを入れていなくても神経が密に通っている人体有数の触感センサーだが、様々なアプリケーションでアップグレードしたスマートブレインのナノサイズバイオナノチップマテリアルは真里の神経系にまとわりつくように一体化し、指先そのものが様々な役割を担うセンサーになっている。
『この木は前世で言うミズナラの一種だな。成分組成としては他の樹木同様フィトンチッドやセルロースを多く含むが、他にもバニリンやクマリンなど非常に多くの香気成分を含有している』
(よっしゃ、ちょうどいいの見付けちゃった。この種類の木チェックしておいて)
『ははあ、キミの悪だくみが見えてきたぞ。だがその方法では時間がかかるだろう?ご褒美を待つ4か月後のドワーフにどんな言い訳をする気だ?』
(失礼ね、ちゃんと考えてあるわよ。さて、皆休んでるからそこに戻りましょ)
山林の中、木々の少ない開け地に座り込み休む護衛騎士団のもとに戻り、探索ついでに見付けた甘くみずみずしい野生のベリー種やサルナシの実、山ブドウの類を騎士団の面々に配り、自らの評価ポイントをあげることも忘れない公爵令嬢にジークフリートは嘆息と愚痴を脳内で漏らすのであった。
(はぁ教授、俺にも分けてくださいよ~)
午後いっぱいを使った山林探索はアラニア山脈の横腹に夕日が沈む頃下山となり終了した。
同日深夜、アラニア山脈に根付くドワーフ一族ガムリさん(126歳)の証言。
「まず最初に言っておかなきゃいけねえのは、おめえら人間族とわしらドワーフ族とでは身体の作りから感覚までが大分違うっちゅーこった。例を挙げるとするなら例えば酒だ。人間は強い酒飲みすぎると気持ち悪くなったりぶっ倒れたり喉が辛くなったりしたりするんだろ。わしらドワーフにとっては酒は強くあれば強くあるほど良い。そいつをいくら飲んでも人間みてえに頭痛くなったり気持ち悪くなったりすることなんかねえ。まあ何が言いてえかっつーと、そのくらい身体の作りから感覚までが別の種族ってーことだな。
その日、山の中腹にある坑道の出口から外に出ると、山の上にはでっけえ三日月が出てたんよ。いい石や鉱脈を見付けると俺たちは時間が経つのも忘れちまうのさ。だが腹は減るし喉は乾く。だから外に出て獲物や水の調達をしようかと思ったんだ。ん?ああ、そうだな。そこも人間と違う所だ。俺たちドワーフはずっと坑道の中で作業してることも多いせいか人間よりずっと夜目が効く。真っ暗な穴倉でも何となく物を見ることができるんだ。だから昼夜はあまり関係ねえのさ。それでだ。山ん中にある水場や、獲物になる野ウサギとかを獲る罠仕掛けをぐるっと見て回ろうと思った時なんだが、ガサッて音がしてな、その音がした木の上の方を見たら腰を抜かしそうになっちまった。青白く光る人影がふわりふわりと木の間を彷徨うように飛びながら何か見えねえ力ででっけえ樹木を根元からスパッと切ったり、クマやイノシシを追っかけては「無駄無駄無駄ァ」とか変な奇声をあげて追っかけ回しちゃ首をはねて回ってて、ありゃきっと山に出る化け物か何かだ。わしゃあんなものは初めて見た。今思い出しても自慢の顎髭が逆立ちそうじゃわい」




