30.空なる刃は切り裂けない
「真空斬撃魔法……エアァァカッタァァァ!」
春の森の中、麗しの公爵令嬢の裂帛の叫びがこだました。
「ブギィィィィィ!!!」
山脈にこだまするような巨大な獣の轟きが大気を震わせた。
『だから無理だというのに』
冷徹で皮肉屋な声がマリの脳内に斬撃魔法以上の鋭いツッコミを入れる。
バルザック子爵領内。
誰も立ち入らぬ森の中、四月の麦蒔きも終わり時は五月初頭。
前世の日本ならば労組がストライキを起こしたりメーデーメーデーと賃上げで騒いだり、一般人はゴールデンウィークの旅行を楽しんだり、
一部の女子たちが美形の男性同士が愛し合う薄い本で心を熱くしたりするそんな時期。
マリは青々と芽吹いた下草に膝をつき、こうべを垂れていた。
「なんで……何で切れないのよぉ!」
魔法実験の対象物は体長3.5メートルはあろう巨大な猪。
この世界での通称ビッグボアと呼ばれる野生の獣だ。
体中に光の加減を少し間違えると見えなくなるような細いワイヤーで動きを封じられている。
『いくら対象物に結界魔法を張り付けその中の空気を真空にしたとしても、起きるのは広範囲の内出血に過ぎない。痛みはあるだろうが所詮巨大なキスマーク。キミのイメージする斬撃にはなり得ないよ』
「だってラノベやアニメやゲームではあんなにスパッと……」
『キミがイメージしているのはかまいたちをモデルにしたものだろう。かまいたちというのは本当は物体が切れてるわけではない。気圧さで皮膚が避けているだけの現象だからな』
「まだまだ、次の魔法実験いくわよ!」
マリは叫ぶと、手をかざした。
「空気を限界まで圧縮して放つ大気のメス……!今こそ必殺の風のファイナルモード――大気圧縮・斬撃魔法エアリアルブレイド!!」
魔法を発動すると同時に、手のひらに集まった魔力が空気を徐々に圧縮し始める。
それは次第に固体のような形を帯び、淡く光を放ちながら高温化していった。
周囲の大気がゆらりと歪む。
「熱っ……!?」
次の瞬間、ビッグボアの悲鳴が森に響く。
毛の一部が焼け焦げ、皮膚には火傷のような跡が残っていた。
『だから言っただろう、無駄だと。空気を圧縮すれば当然、断熱圧縮効果が起こる。条件によっては鉄すら融かすほどの高温になるんだ。スペースシャトルの底面に耐熱タイルが貼られている理由が、今ならよく分かるだろう?』
「うぅ……あんまりだ……あァァァんまりだァァアァ!」
『かわいそうに、あのビッグボア。第三度の火傷を負っているだろうし、毛皮も台無しだ。』
「またそうやって説教する!もう、週刊少年誌のノリで魔法やって何が悪いのよ!」
『まったく……その漫画ネタをやめろというのに。しかもその二人のネタを出すということはあのビッグボアに死のウェディングリングでもかけるつもりか?』
「うっさい。前世は既婚どころか子持ちで孫もいたけど、こっちの世界じゃまだ花も恥じらう15歳の乙女なんですからね。……ったく、まだ婚約者もいないってのに~!まだまだ次いくわよ!今度こそ絶対に成功させてやるんだから!」
マリは深呼吸して、再び詠唱に入った。
「音波の力を使う!必殺――大気振動・斬撃魔法ソニックストラッシュ!!」
『……ああ、もう言わんこっちゃない。超音波をいくら強振させても、それは“針を起こす破壊音波”にしかならん。切断攻撃たりえない』
ビッグボアは小さく呻きながらもまだ立っている。
確かにダメージは受けているが、致命傷にはならない。
『いつまでもとどめが刺せぬまま攻撃を続けるのは、動物虐待と変わらんぞ』
「ううっ……くっ……! 次、次こそ!」
マリは歯を食いしばり、再び手をかざす。
「断熱圧縮を起こす直前の空気を放って、その衝撃波で——ウィンドブレーカー!」
『……次は芸風を変えて、細かな空気弾を“ミシン目”のように打ち出すつもりか?』
マリが手を振ると、無数の空気弾が雨のように放たれた。
しかし、それもただの衝撃波にしかならない。
『それは切断ではなく、衝撃兵器だ。1990年代に実用化された暴徒鎮圧用ショックカノンの応用と同じ理屈だな。』
「うぅぅ……理屈はどうでもいいの!“かっこよくスパッ”としたいのー!」
『しかしどうするつもりだ?
真空→できたのは内出血、
評価×。大気圧縮→深度三の火傷、評価×。
超音波→多少のダメージは与えるが結果×。
衝撃派攻撃→中程度のダメージは与えるも結果×。
前世でキミが習った現代物理学の常識から考えてこの結果は最早自明の理だろう。キミも生前は三回もノーベル賞を取った天才科学者だったのだからな』
「なんでよ!ここは魔法世界でしょ?どれか一個くらい……。ああもうこうなったら……!」
マリがまた手の平を前に構える。
『おや今度はどんなアプローチで攻める気かね』
「もういい、何も考えない。結果だけ。大気の力を使って……大気の力"だけ"を使ってビッグボアの首を切り落とす!大気斬撃魔法エアロギロチン!」
五回目の正直とばかりに春の若葉を震わせるマリの掛け声とともに、果たしてビッグボアの首はゴトリと落ちた。
胴体より噴き出す鮮血がまるで赤い噴水のように、芽生えたばかりの緑のじゅうたんを汚していく。
『マリ、今のは失敗だ。結果だけ見れば大成功だがな』
「え、何でよ?」
『私のセンサーで観測していたところによると、今の呪文は大気中の水蒸気及び、水素と酸素を反応させ水分を作り出しそれに圧力をかけて打ち出した……いわゆる前世地球にもあったウォーターカッターだな。キミのイメージする風の力で切断という現象には程遠い。しかも総合魔法力のコストが大きすぎる。1999年生まれの日本人たるキミに解りやすく言えば、非常にコスパが悪い。この一言に尽きる。』
「そ、そんなぁぁぁぁ……」
へなへなと地面に頽れるマリ。
その姿勢は見事なorzであった。
『気持ちは解るとは言えんが……キミのその熱意と努力は私も認めるところではあるよ、マリ。だが今キミがぶつかっている壁は、根本的なこの宇宙の物理学という絶対的な法則だ。まあもし、キミが想像するような現象が起こり得る宇宙が他次元宇宙にはあるのかもしれないがな』
「そう言えば、はるか銀河の彼方の帝国と共和国の戦いを映画にしていた監督さんがインタビューで言ってたわね。俺の宇宙じゃ宇宙船の光線は音が鳴るし、ライトセイバーは振る度に音鳴らすんだよって」
『ふむ、違う宇宙か。それを考えるとこの世界は不思議が過ぎるな。キミもそうは思わないか、マリ』
「え、何が?」
『動物植物昆虫細菌、そして肝心の人間に至るまでほぼ全ての生物のDNAデータが前世地球のそれとほとんど類似している。いやもちろん違った点は多々あるのだが、ここまで何もかもそっくりだとどうも……な』
「それこそパンスペルミア説を発展させたスターシードプロジェクトの一環なのじゃないの?前世地球 2085年もスターシートの第一歩として、地球人類は火星移民計画を始めていたわ。自分たちがそれを最初に始めた先駆者とは私は思っていない。地球も結局はスターシードで広がった宇宙種の 1種なんじゃない?それをこの世界が証明している気がするのよ」
レクシスはその発想はなかったと驚く。
そして首を切られて、だくだくと血を垂らしているビッグボアである。
『それにしてもこのビックボアちゃん本当に大きいわよね。体重500キロはあるんじゃあないの』
「こんなに巨体を維持するには、それなりに食料が必要なはずだが』
「それって多分これじゃない」
……と真里は自分の無限収納からまるで桜島大根のような大きな根菜を取り出した。
レクシスが遺伝子を検索する。
『これは前世地球のパースニップというセリ科の植物にDNAがそっくりだな。パースニップにも葉や茎にフラノクマリンという光線過敏症を引き起こす毒性物質が含まれていたが、これにはアルカロイド系の毒が多量に含まれている。この毒……私の見たことのない分子構造だ。ふむ、興味深い』
「ところで、パースニップってどんな野菜か私聞いたことがないんだけど」
『パースニップとは古代ローマから中世ヨーロッパにかけて、地中海沿岸でジャガイモが無かった時代に主に食用とされていた根菜だ。見た目は細長い人参のような見た目、色は白からクリーム色。食感はカブや人参によりむしろ芋やかぼちゃに近い。甘味があって、ほくほくとした食感で、ナッツのような甘い風味がする』
「はぁ。その植物がこんなに丸く大きくなっちゃってるの。しかもこれ毒性が強いって……」
『ああそうだな。アルカロイド系の有毒物質が入ってる』
「なるほど、こんなに大きくて栄養満点の野菜なのに、このビックボア以外が食べないわけね。ユーカリをコアラしか食べないようなものか。このビッグボアが主食にしてるみたいだから餌にして誘い出してみたけど……なるほど、そんなわけだったのね」
『現代ではあまり生産されなくなっていた。日本人のキミにはなじみのない野菜だろうな』
「オーケー。ところでこの野菜……ビッグパースニップでいいのかしら。それともジャンボパースニップ?」
『この根菜の名前が解ればそれに越した事は無いのだが、残念ながらデータがない』
「まあこの際ビックパースニップでいいじゃない」
『しかしすごいなこれは。野生種なのに手間もかけずにここまで大きくなるとは。これと見た目の似た桜島大根は生育に肥料や手間のかかるものなのだが』
「これを遺伝子改良して早速植えてみるわよ。いいじゃないいいじゃない、ジャガイモやカボチャに味が似てるんでしょ?食感ホクホクしてるんでしょ?」
『ならば、もう一度植え直し物植生推進魔法プラントナーサリーをかけて種を採布するところが始めなければ』
「そうね、早速やってみましょ」
その後、バルザック子爵邸近くの真里専用の実験畑でビッグパースニップ (仮)の育成実験が始まり、無事種を採取することができた。
真里はその種に早速遺伝子改変魔法ジーンコーディネートをかけ、食用のビックパースニップを作り始めた。
「うふ。これで今年の夏にはこの子を使って新しい料理が作れそうね。これは前世地球ではどう料理してたの?」
『煮込みや焼いたり、そのような料理法がメインだったが、こんなにも元のパースニップとは形が違うのだ。何か他の料理法ができるのではないかな』
「どんな料理法があうかしら……そうだ!食べたいものがあったのよ」
手をパンと打ち鳴らす真里。
『なんだ?』
「フライドポテト!それにポテトチップスも食べたい!あとポテトサラダにコロッケ!あのビッグボアも使って肉じゃがも悪くないかもしれないわね」
『日本人らしい発想だな』
「はぁ~、夢が広がるわ!あーでも、コーヒーも飲みたいし、チョコレートも食べたいなあ」
『コーヒーもチョコレートも代用品ならば比較的すぐに用意できるのではないか。前世地球でもチコリで作った代用コーヒーやキャロブ豆で作る代用チョコレートが使われていたぞ。パースニップもこれだけそっくりなものがこの世界にあったんだ、きっとチコリやキャロブも類似品や近縁種が存在するとみて間違いあるまい』
「早速それを探しに行くわよ」
空を飛んで出掛けようとした真里のところにバルザック子爵がやってくる。
彼が持ってきたのは王都からの召喚状。
例の大災悪アヴァドンを激滅した記念の祝賀舞踏会の誘いであった。




