2.デビュタント
――そして迎えたデビュタント当日。
その日、朝の空気はやけに冷たく澄んでいた。
侍女たちがせわしなく動き回り、銀の櫛が髪に通され、白磁の肌に粉が乗せられる。
時折「お綺麗ですよ、お嬢様」なんて声をかけられ、前世で見た令嬢転生作品の一幕のようで心が――踊らない。
(コルセットって思った以上に苦しいのね)
真里だった頃の自分は、常に白衣かフィールドワークのための動きやすい格好。
結婚式や式典で着たドレスも前世日本の現代仕様で、補正下着込みでもここまでの苦しさはなかった。
(もっと素材と形状を工夫すれば効率のいいものが作れるのに……あーあ)
科学的思考に逃避し、苦痛をやり過ごす。
こんな状態ではパーティで飲食は不可能だろう。
どちらにしろ、父の見張っている中で食事にはしゃぐことなどできそうにないが。
「お嬢様、裾をもう少し広げて……はい、完璧でございます」
準備が整ったところで母が部屋にやってきた。
淡い青のドレスに身を包んだ母は、慈しむような眼差しを真里に向ける。
「マルガレーテ、綺麗よ。心の準備はできているかしら?」
「問題ありません、お母様」
「あなたなら大丈夫だと信じていますから。どうか自信を持って」
母の後に続いて玄関に向かい、家紋の入った豪奢な馬車に乗り込む。
向かいに座った父親の顔は見ないことにした。
ただでさえコルセットで窮屈なのに冷や汗などかきたくない。
真面目くさった表情で行儀よく座っていれば、向こうからも特に干渉はなかった。
車内は静かなまま、車輪の音だけが響く。
到着したときにはすっかり日が沈んでいた。
王都の中心にそびえる宮殿の大広間――シャンデリアが幾重にも連なり、無数の蝋燭の炎が天井を星空のように照らしていた。
大理石の床は磨き上げられ、そこに映る光景までもが絢爛豪華な一部と化している。
集まった貴族たちの衣装まで宝石を散りばめたように眩しかった。
まず行われるのは、デビュタントの年齢を迎えた貴族子女たちの魔力適性検査。
進んだ先、神官服の老人の持つ水晶に触れ、己が貴族としてふさわしい魔力を持つということを周囲に示すのだ。
魔力量も属性適正も大体は血縁によって決まる。
殆どの場合は単なる確認でしかないが……時折事故が起こる。
悲喜こもごも、着飾って会場まできたというのに、あまりに悲惨な結果が出てその場で追放を言い渡されるなんてこともあるとか。
魔法訓練の時間に指導役から「お嬢様は有り得ぬと思いますが」とそんな話を聞かされた。
今年はその例外が起こったのだろう、列の前方から少年の悲鳴じみた声が聞こえてきていた。
年嵩の男性がヒステリックに怒鳴る声も。
(追放された先で覚醒することもあるから腐らず頑張ってざまあを目指してね)
父の視線が鋭さを増しているのだ、見ず知らずの少年にはその言葉だけ送っておこう。
「次――バルディアン公爵家ご令嬢、マルガレーテ・フォン・バルディアン様」
己の名に、真里は背筋を伸ばして神官の元へと歩んでいく。
公爵家の令嬢となれば浴びる視線の量も段違いだが特に緊張はない。
前世は科学者として会見を世界にライブ中継されたこともある真里だ、会場一つ分程度の人数など大したものではない。
それに、マルガレーテは勤勉に魔法訓練に励み指導役からも評価をもらっていた。
己の努力を己が不安がっても意味がない。
神官に軽く一礼し、水晶に手をかざす。
瞬間、青白い光が立ちのぼり神官が驚いたように声を上げた。
「こんな規則的な魔法反応は見たことがない……しかし、なんて美しい反応なんだ……!」
ざわめきが広がる。
少女の身に宿った光は、通常の魔法反応とは異なり、規則的に脈打っていた。
まるで精密機械のようだと感想を持ったのは真里自身だけだったが。
「魔力量も見事なものです、流石は四大公爵家のご令嬢だ。公爵やご婦人のような高名な魔法使いとなられることでしょう」
「ありがとうございま……っ!?」
――……起……シー……完了……。
かすかな声に思わず息をのむ。
耳の奥で響いた気がした。
人の声ではない。無機質で、それでいてどこか皮肉めいた調子の声。
『聞こえるか、マリ。スマートブレインタイプ:レクシス再起動』
今度ははっきりと聞こえた。
それは生前最期まで一緒にいた相棒の声。
あまりの懐かしさに、作らなくとも顔に笑みが浮かんだ。
「ありがとうございます、神官様。見届けていただいた皆さまにも感謝いたします」
一礼し次の者へと場所を譲る。
足取りが軽い。気を付けていなければはしたなくスキップでもしてしまいそうだ。
(おはよう、レクシス。随分とお寝坊さんだったわね)
『情報はキミの脳内から読ませてもらった。マリ……いや、今はマルガレーテ嬢と呼ぶべきか。教授から公爵令嬢とは、妙な転職だな』
(マリでいいわよ。……ええ、魔法文明のある異世界の公爵令嬢。どう、あなたにとっても興味深いでしょう?)
『全くだ』
人々の間を抜け、父母の元へ戻る。
表情を綻ばせたディートリヒが真里の手を取った。
「マルガレーテ、あなたなら大丈夫だって信じていましたけど……ふふ、本当に良かった」
「……悪くはなかった。この後のダンスパーティにも気を引き締めて取り組むように」
「そうね。あなたのダンスには特に注目が集まるでしょうし、頑張りなさいね」
「わかっております、お父様、お母様」
父の厳しいままの視線と母の満足気な視線を受けながら、今度はダンスフロアへと向かう。
コルセットにハイヒールなのに先程より随分動きやすいのは、レクシスによる運動補助が働いているからだろう。
『ダンスの補助も可能だ。ノーベル賞のダンスパーティの時にあなたがいてくれたらと嘆いていたのも記録に残っている』
(本当にあなたって頼りになるわね。まあ、誘う人がいたら……だけど)
広間の中央に立った途端に差し出された手。
それは、同年代の若い騎士爵の息子のものだった。
きっちりと仕立てられた燕尾服、緊張を隠そうとする微笑――しかしその視線は真っ直ぐで、十分に貴族の礼節を心得ている。
「マルガレーテ嬢。光栄にも、最初の一曲をいただけますか」
「……ええ、喜んで」
口元に微笑を浮かべながら、内心では心拍数が跳ね上がっていた。
生前にもダンスパーティに参加したことはあったが、正直奥底にしまうか消去したい記憶だ。
すぐさま脳内に声が響く。
『心拍、体温の上昇を確認。――で、キミは足を踏まない自信はあるのか?』
(マルガレーテはダンスも真面目に練習していたけれど、正直補助してくれると助かるわ)
『了解、その方がいいだろうな。キミも相手も緊張からか筋肉の強張り……特にふくらはぎが硬くなっている。この状態で補助無しで踊ればターンでバランスを崩す確率が高い』
(この子もデビュタントの男の子だもの、そりゃ緊張するでしょ)
彼の手を取ると、音楽が流れ出した。
ワルツの拍子。足を一歩踏み出すたび、裾が波のように広がり、視線が一層熱を帯びる。
『右足、左へスライド。角度が4度浅い。次で修正する』
(逐一実況しないでいいから)
『現状を正しく報告するのはスマートブレインの義務だ。解りきっていることだろう。踏み出しが5センチ足りないな、これも相手に合わせて修正する』
(はいはい、よろしくね)
冷静すぎる指摘に思考を整えられ、真里自体の足運びもだんだんと安定していく。
マルガレーテが習っていた通りの形にならば動けそうだ。
「見ろ、あれがバルディアン公爵家の娘か」
「品格があるな」
「見事ね、美しいわ」
相手のミスにもレクシスがすぐに対応し、真里をサポートする。
貴族子女とはいえ、デビュタントならば多少ぎこちないところもあるというもの。
それを一切感じさせない真里たちのダンスは注目の的だった。
『評価は上々だな。人間の評価基準は単純で助かる』
(そう言いながらも……あなた、ちょっと誇らしそうじゃない?)
『スマートブレインはただ、宿主の補助に徹するのみだ。それが仕事だからな』
(ふふ……そういうことにしておくわ)
音楽が盛り上がり、ターンの動きが速くなる。
スカートが渦を描き、会場の光が星のように流れていく。
視界の端に父の姿を捉える。
厳しい眼差し――だが、口元はほんの少し満足気だった。
音楽が静かに終わり、青年は丁寧に真里の手を取って礼をした。
「素晴らしい時間を、ありがとうございました」
彼の頬はわずかに紅潮していた。
真里の方は正直やっと終わった……という感覚だったが、それを隠し微笑で応じる。
「こちらこそ。光栄でしたわ」
ダンスフロアを離れた途端、数人の貴族婦人がマルガレーテを取り囲んだ。
「マルガレーテ嬢、お見事でございました」
「公爵閣下もお喜びでしょうね」
次から次へと声がかかる。
笑顔を作り、礼を返し、言葉を合わせる。
どうして会う人間会う人間目が笑っていない奴ばかりなのか。
今内心この国の貴族にうんざりしている自分も同じ表情になっていそうで、真里はため息を堪えるのに必死だった。
『表情筋が硬直し始めているぞ』
(仕方ないでしょ、向けられる笑顔全部胡散臭いとかそうなっても仕方ないわよ)
『人間は笑顔を長時間持続させると筋肉が疲労する。右頬が引きつり始めているぞ。口角で笑おうとしすぎだ。これより補助に入る』
(そんな分析的に言わないでよ……!でも……助かる)
香水の匂いのきつい女性たちとの挨拶を終えた後は、キャーキャーとかしましい令嬢グループに取り囲まれてしまった。
レクシスの補助を受けながら全てを無難にこなしていく。
その甲斐あって、会場の誰もが「バルディアン家の娘は見事に成人を果たした」と囁き合っていた。
帰りの馬車内で、母はずっと上機嫌に微笑んでいた。
父の方は相変わらずニコリともせず、ただ一言改めて「悪くなかった」と言っただけだが。
マルガレーテの身体から一気に緊張が抜けたところからしてこれが彼からもらえる最大級の賛辞なのだろう。
真里はただ黙って――脳内では叱責と称賛のバランスがどうのから、パーティ会場の構造、婦人たちの身に着けていた装飾品の加工技術のレベルまでレクシスと雑談を交わしながら帰路につく。
そう、真里はもう一人ではない。頼もしい相棒が目覚めたのだ。
(さあレクシス、早速明日から始めたいことが山のようにあるの。手伝ってくれるわよね)
『了解、相変わらずのスマートブレイン使いの荒さだな。実にキミらしい』
皮肉交じりの返しも実に心地いい。
パーティで肉体的には疲れているはずなのに今夜は眠れそうになかった。
まるで遊び足りないもっとと目を輝かせる子供だ。
(この場で一番のおばあちゃんなのにね、私)




