28.伏線も脈絡も無しに始まる世界の危機(4)
十数分後。
真里の下には地獄があった。
はっきりとふちの解らない黒いもやの塊から吐き出される銀色の霧のようなものが、地上にあったであろう生きとし生けるものだけでなく城や建築物、ありとあらゆるものにまとわりつき少しずつ砂に変えている。
『マリ、全てではないぞ。よく見てみろ』
「あーうん、見えてる。見えちゃった。見なきゃよかった」
上空からでも、スマートブレインの視覚補助によって地表の様子をとらえることができる。
ズームするように、先程まで銀色の霧に見えていた一つ一つ――いや、一匹一匹の姿までがしっかりと目に入ってきた。
外骨格の中で真里はあからさまに顔をしかめる。
『あれが表皮が金属でできていると言われる毒イナゴ「アポルオン」か。なるほど興味深い。まさか襲った人間の遺体に卵を産み付けて自分の複製体を作るとはな。前世地球の寄生蜂の類のようだ』
「ごめんレクシス、いくら興味深いデータだからってあの毒虫野郎のアップのスキャニングデータ見せないで。銀色でメタリックなくせに頭部が人間そっくりの造形してて気持ち悪いのよ。しかも人間の目に当たる所から出てるの…あれ何?」
『推定になるが触覚だろうな。顔の横、ちょうど耳の辺りに付いているのが複眼だろう。人間の下あごに擬態している部分が真ん中に二つに割れて顎になる構造になのか。ふむ、興味深い』
「だー!だから脳内画像消してー!データは取っといていいけど私への画像共有無し!誰よあのデザインでゴー出した奴は。SAN値がピンチになるじゃない」
『コールオブクトゥルーに出てきそうなモンスターではあるな。実に伝統的だ』
「ああもう、被害範囲はどのくらいなの?」
『アポルオンによる食性被害範囲は凡そ半径250キロ。被害範囲の拡大スピードは一時間当たりおよそ10キロと推定。増殖スピードとその総数は……』
「もうわかったわかった!一発で決めるわよ!胸部装甲オープン。エーテリウム純結晶体振動開始。アクセラレーション範囲設定」
『了解。原子スピン加速目標ターゲットロック。ターゲットスキャニング完了まで凡そ600秒。外部ミスリルアーマーより大気中からの魔力を同時吸収開始』
ミスリルとはアルミニウムと炭素ともう一つ、真里がエーテリウムと名付けた超重元素を特定の割合で共有結晶化させた合金である。
素材となる元素こそ、それこそ佃煮にして余りあるほどにあるが、共有結晶物質としてこの世に存在するものは数少ない。
何せこれを作り出せる人物がほぼいなかった。
魔法合金の名の通り魔法を使ってしか生み出すことのできない合金。
口伝にもあるが、まさに「どこにでもあるがどこにもない」金属なのである。
そしてこの魔法合金に使われているエーテリウム。
これは元素番号124番という非常に重い超重元素であるが、驚くべき特性を持っている。
この元素、一つ一つの原子は非常に安定しているが、これがなかなか状態として安定しない。
地上1気圧常温状態では水銀が液体であるように、この元素も1気圧常温状態では昇華蒸散してしまう。
この世界の大気に薄く飛び散り、魔法の大元になっている第五の力マナ粒子にくっついたり離れたり色々とわけの分からない動きをする自由奔放極まりない原子なのである。
そのため、この世界を呼吸している植物・動物・昆虫・細菌に至るまですべての生き物の体内には、極々微量ながらエーテリウムが存在している。
それはもちろん人間も同じくであった。
人間が魔法を使用する際には、脳で作られたイメージを魔法として対外で発現するために、血管という人体の中を走る線路を魔力という乗客を乗せて電車のように走る。
魔力の交通インフラのような役目を果たしている物質である。
そんなエーテリウムを直接練り込み結晶化させた魔法合金は、魔力の媒体としての魔法伝導率が極端に高い。
前世地球で言うところの常温超電導物質のようなものである。
有効利用すれば大気中に漂うマナ粒子を、呼吸で吸い込むよりも効率的に体内に取り込むことができるのだ。
こうしている間にもマナ粒子は取り込まれ続け、白銀の外骨格が薄青く発光し始める。
しかし、その輝きを見る者はいない。
地上にはもう、毒イナゴ以外の生き物は残っていないのだから。
「遠慮はいらないってことでもあるけど……まあ酷い状況よね」
はるか下の地獄を見下ろすように上空に慄然と立つ白銀の人影。
その分厚い胸部装甲が左右に開いた。
内側から現れたのは、ゼラチン質の半球体に包まれた心臓の鼓動のように赤く明滅する二つの球体。
その球体こそ純エーテリウムの共有結晶体。
冬の間、自然界に微量に存在するエーテリウムをちびちびとそれはもうちびちびと集めては無限収納にしまい、集めては無限収納にしまい、
最終的にレクシスの物性データ管理機能と圧力をかけ続けかけては魔法で結晶化させたものだ。
蒸散しないように生体パーツの中に閉じ込めておいたそれを現出させ左右同時に共振を始める。
それがいったい何を引き起こすか。
「いくわよレクシス」
『オーケーだ』
「原子運動強制魔法ブラストパニッシャー!」
上空より放たれた真里の魔法力が地表で蠢くアポルオンたちに届いた時、地表は飢餓地獄から焦熱地獄へとその様相を変える。
原子運動強制魔法ブラストパニッシャー。
それは物体を構成する原子の回転運動に魔力で干渉し、そのスピン運動を乗数的に跳ね上げる魔法である。
例えるならば、100個の部品で構成された何らかの機械のパーツ一つ一つの1度ずつ温度が上昇したとすると、その全体の総熱量は100を超える。
況やアポルオンも異界からの毒虫とはいえ生物は生物である。
その体を構成する総原子数の数はそう言うまでもない。
数千万に及ぶアポルオンの群れは、次の瞬間にはその体の全てを蒸散し熱エネルギーに変わっていった。
そして地表で発生した熱エネルギーは、大気と一緒に膨張爆発し、上空に毒々しい毒キノコの雲を生やすところであったが――。
『続けていくぞ』
「了解よ。こんな国の近くで大気中に塵を拡散させてたまるもんですか」
『同意する。放射能入りではないが、決して拡散させて良い物ではない』
超電磁保温魔法マグネティックウォーム。
真里が魔法を編み上げ作り上げた超電磁フィールドが地表を覆い、熱気を完全に閉じ込め何処にも逃がさない。
かつて父に饗したローストボアの厚く焼けた鉄皿を覆ったクローシュのよう。
作られた超電磁の力場は、前世地球でも核融合で作り出された超高温のどんな物質でも梳かしてしまうプラズマを炉心の中に大人しくさせておくためのものであった。
「ふぅ、これなら」
『ああ、物体は飛び散らないが。だがどうするつもりだマリ』
「何が?」
『結局は何らかの方法であの中に籠った熱エネルギーを何とかせねばなるまい?』
「あっ……」
『ちなみに熱力学第二の法則、いわゆるエントロピーの法則で換算するなら自然な熱エネルギーの拡散を待つとしたらあの総熱量では4、5年かかるな』
真里はしばらく対応策を考え、無理矢理に答えを出した。
『で、結局力業というわけか』
「しょうがないじゃない。クソデカい焼き物じゃないんだから」
『まあ普通の焼き物ならば2、3日でゆっくりと徐々に冷えるわけだが』
「そういう規模じゃないもんね」
『しかしながら無限収納にしまいこんだ熱エネルギー、一体何に使うつもりだ』
「うーん、何かに使わなきゃだめだよね」
『そのエネルギーで風呂を沸かすというわけにもいかんだろうしな』
「それよレクシス、ナイスアイデア」
『……は?』
この事件から一月後、バルザック子爵領セレニア連山某所にて、なぜか火山でもないのに一部の廃坑から温泉が湧き出たと老子爵に報告が入ったという。




