23.公女様の農業革命(8)
「麦ってめんどくさいわね」
『そうだな。キミたち日本人は主食が米だから乾燥、脱穀までの期間が半月と短いが、麦を主食とする人種は麦の乾燥、麦内のたんぱく質の熟成に半年ほど保存をするのが通例だ。これをしっかりしない麦はとかく製粉しづらくていけない』
「まあ日本人は米を粒のまま食べるからね。製粉しない場合は麦も麦粥のようにして粒のまま食べるんでしょ」
『まあそのために前世地球でもヨーロッパ等、麦を製粉してパンにする文化圏では、ここのサイロのように麦を保存乾燥熟成させるこのような建物が当たり前のように建っていたのだがな。前世ではサイロといえば牧場においてある謎の建物という認識が強いが、あれはそのような麦食文化の名残なのだ』
「でもこういうところは異世界って感じがするわよね」
真里が見るのはサイロの四隅。
そこには金網に覆われて緑色の鱗がとぐろを巻いて鎮座していた。
『ああ、昔のヨーロッパではネズミ除けにヨーロッパヤマネコやリビアヤマネコを家畜化したイエネコを飼っていたものだが』
「まさか蛇を使うとはねえ」
『ところ変われば品代わるというのは日本のことわざだっただろうか』
「そうそう、それにあれ。初めて見たときは何かと思ったわ」
真里が見上げるは天井よりやや低めの位置に作られたまるで神棚のような巣箱。
その出入り口の穴は固そうな尾羽でしっかり蓋がされている。
『まあ確かに。私もあれを初めて見たときはここがやはり異世界なのだなと確信できたよ』
「前世地球にはあんな生き物はいなかったからね」
その生き物の名前は歩きミミズク。
全長60センチほどの大型の飛べない鳥。
見た目のシルエットは前世でいう世界最大の飛べないオウムカカポによく似ている。
ミミズクの名が示す通り耳のような羽角があり、羽ばたいて空を飛ぶことはできないが、強力な脚力で5メートルほどの跳躍なら可能。
主に夜行性でとても大食漢。
ネズミを大の好物としており、捕食対象になるそれを見付けると飛ぶことに使わなくなった羽を広げ、それを振動させ高周波を出し獲物を捕まえ捕食する。
見た目はいかついが非常に憶病で野生種は地面や大樹に穴を掘り、鳥類一固いともいわれるその尾羽で巣穴を塞ぎ外敵より身を守る。
特徴的なのは高周波を出す羽や空を飛ばずに陸上行動をするだけではなく、フクロウやその他猛禽類が口から吐き出す消化困難物(獲物の骨や体毛)を固めたペレットである。
普通ペレットは吐き出しやすいようやわらかなゲル状のものが大半だが、歩きミミズクだけは押し固められたような四角いキューブ状のペレットを吐く。
何故そんなものを吐くのかは今はまだわかっていない。
「いやあびっくりしたわよ。夜の山の中で野生種のこれを見付けたときは。うわあリアルモスマンキター!と思ったもん」
『モスマン。1960年代にウェストバージニア州で発見が報告されたという謎の未確認動物のことだな。ギョロリと赤い大きな目が特徴的だったという発見者の報告が多かった』
「そうそうそれそれ。まあ夜の山の中でこんなギョロっとしたおっきい目を見たらびっくりするわよ」
『しかし人間はこんな生物も自分たちの利益のために家畜として利用するのだから……全くもって』
「全くもって?」
『いやなんでもない。だがこの生き物を家畜として利用するならばこの世界ではイエネコというペットはいなさそうだな』
「えっ!?」
『当然の帰結だろう。ヨーロッパヤマネコやリビアヤマネコは鼠害から人間の利益を守るために家畜化された生物だ。この歩きミミズクという生き物が家畜となっているこの世界ではイエネコという種が発生する理由があるまい』
「え、どうしよう、それ困る!猫がいない世界なんて嫌!」
『安心しろマリ。ヨーロッパヤマネコやリビアヤマネコに近縁した食肉目だったら恐らく実在するだろう。まあそれより重量級の食肉目の動物がいるとは類推できるが』
「ね、ねこ……可愛いにゃんこぉ……」
厳しい世界の現実を知って悲観に暮れる真里であった。
三月に入り、茶色い傘に覆われていた新芽が柔らかな緑の木の芽の色を出し始め、それとは逆に新緑だった麦の穂は少しずつその色を落とし、黄金色に色付き始める頃。
サイロの扉は開かれ去年の初秋に収穫した夏麦を大量に脱穀するシーズンになった。
今までの脱穀は麦打ちといいカラカラに乾燥した麦の穂を、鞭やカラ竿で叩き穂から麦の粒を落とすことが主な作業でまさに村人総出の重労働。
収穫量の多い領都や耕作地等では、犯罪者の刑罰や奴隷まで総動員しての農作業時の一大イベントであった。
そう、今まではあったということになる。
「お嬢様、何ですかなこれは」
水車の軸可動部分に取り付けられた開店する筒状の丸太に、八枚の金属製のくしが取り付けられたものが音を立てて回っている。
「これはね、自動脱穀機よ。さあ子爵様、その麦の穂の束をこの回転するくしの上に押しあてるようにおいてみてくださるかしら」
「う、うむ」
回転する金属のくしに穂についた麦粒はすき取られるようにバサバサパチパチと音を立て、取れた麦粒は、回転する金属くしの奥にある木の板にぶつかり音を立てる。
木の板に当たった麦粒は同じく水車の動力でゆっくりと動くふいごの起こす風の力を受け、細かなごみや麦の髭、未成熟な軽い殻が横に飛ばされ、ずっしりと実った麦の粒だけが下に置かれた木箱に集まるというシンプルな作りだ。
「こ、これは……!」
「どうです子爵様。これなら脱穀と風選が一気に行えて、しかもたった一人で何十人分もの仕事が一気に賄えます」
「素晴らしい!素晴らしい仕掛けですぞ姫様!」
「父上、私にもやらせてください」
「おじい様次は僕にもやらせてください」
「ふふふ、いかがですか子爵様。風車小屋と水車小屋でこれを行えば、脱穀に携わる領民の手間もずっと少なくて済みます。逆に言えば、今まで脱穀しきれなかった量の小麦を増産することも可能ということです」
「ほほう、そうなると」
「ええ、麦の耕作地を増やすことができます」
「なんと……!」
「そのための開墾地の予定と区分けも既にこのように……」
丸めた地図を広げる真里。
それを見ながら驚愕する老子爵。
「計算上最大二倍までは増やすことができますが、次の春撒きの時までに余裕をもって増やせるのは現在の耕作地の1.5倍までが限界でしょうね。私がいる間ならば母様譲りの土属性魔法で微力ながら開墾のお手伝いができると思いますわ」
老子爵は長い眉毛を感涙の涙に濡らし、マルガレーテの両手を握りしめた。
「ありがとうございます!ありがとうございます……!我がバルザック子爵家は未来永劫、この受けた恩を忘れませぬ。我ら一族永遠の忠誠をこ、公爵家に……」
やいのやいのと喜びながら回り続ける脱穀機で今まで味わったことない感触と感動的な作業効率に喜ぶ子爵一族と領民たち。
それとは対照的に感動と忠誠の涙にむせび泣く老子爵とそれを受け取る公爵令嬢。
前世辺りなら写実系の大家ミレーが絵画にでもしたらルーブルに飾られそうな一幕だが、
その裏では――。
「さてこの調子でいけばサイロを増やさないとね」
『このまま農業改革が公爵領全体にいきわたれば、公爵家の財力はおおよそ4割ほど強化されるな』
「計画通り」
『だからその邪悪な笑い顔をやめろ』




