16.公女様の農業革命(1)
「……想像以上の田舎ね」
飛行魔法で座面から腰を数センチ浮かし、馬車の激しい揺れをやりすごしながら真里は呟いた。
『子爵領とは思えない山間の限界集落だな』
「領地の一部としか言わなかったから間違いではないけど……あの糞親父め」
『貴族令嬢とは思えない言葉が出ているぞ。気候風土データから類似した場所をあげるのなら前世日本の長野県付近といったところか』
「ふぅん、じゃああの山々は日本アルプスってわけ?」
『公爵城にあった地図によればセレニア連山というそうだ。平均標高は2000~2500メートル。多少の違いはあるが、地理的には日本アルプスと似ていると言ってしまって差し支えはない』
父ライゼンボルグとの賭けに勝利し好きにしていいと許可を与えられた子爵領。
真里がやってきたその場所はよく言えば長閑、正直に言ってしまえば大分寂れきっていた。
ポツリポツリと家が点在し、遠くにはひたすらに山、山、山。
道路は殆ど整備されておらず、対策していなければ乙女の小さなお尻に大ダメージだっただろう。
城を一歩出れば農地と牧場、平民の家ばかりの公爵領と比べても相当な田舎ぶりだ。
ガタガタ車輪の揺れる音と風の音、虫の声で騒がしい。
「一応あのお父様の管轄内とはいえ、家から離れた場所で自由にできるってのはありがたいけど。はぁ~、何からやっちゃおうかなあ~!」
それから進むこと数分、鋭角な屋根の屋敷の前で馬車は停車した。
日本人の感覚からすれば十分広くしっかりとしたお屋敷だが、意識が目覚めて一か月と半分、すっかり公爵城を見慣れてしまった真里には小さく感じてしまう。
「おお、これはこれはマルガレーテお嬢様。こんな辺鄙な場所までようこそいらっしゃいました」
屋敷の玄関でこの地を治めるゲオルグ・フォン・バルザック子爵が恭しく頭を下げた。
真っ白な長い眉毛と顎髭を垂らした柔和な雰囲気の老紳士だ。
突然成人したばかりの貴族娘を押し付けられたというのに、その声の表にも裏にも不快そうな雰囲気はまるでない。
こんな感じの犬いたわよね……などと考えつつ、真里も淑女の挨拶を返す。
「今日からお世話になりますね。早速お願いした資料を拝見しても?」
「ここ五年程の小麦栽培の記録でよろしかったですかな」
「ええ、ありがとうございます」
通された応接間で真里は資料に目を通していく。
出された茶は温かな麦茶で、妙に懐かしい気分になる味だった。
(春撒き小麦の取れ高が1ヘクタール辺り最大で300キロ。ちょっとでも日照条件が悪い年だと200キロ後半がせいぜい……。この世界のって前提のもとで考えても大分少ないわ)
『公爵領は1ヘクタール430キロだったな』
(ええ、お母様の地力復活の魔法のおかげで毎年安定してその数字よ)
『ここまでくる間に軽く計測しただけでも、そもそも土地が痩せているのが第一の原因だろう。キミもその魔法を使ってみるか?』
(やぁね、公爵領の真似をするだけなんてつまらないでしょ?科学も魔法もめいっぱい使って、なんということでしょうってナレーション入るくらい豊かにしないと)
『どれだけ劇的な変化をもたらす気なんだ』
挑むように笑って資料から顔をあげる。
微笑ましそうに真里を見守っていた子爵を見据え――宣言した。
「子爵様、現状はよくわかりました。私に任せてくださるということでよろしいんですよね?この領地を絶対に今より豊かにしてみせます」
「はい、公爵様からお話が伺っております。しかし、お恥ずかしながら本当に何もない場所で……可能なのでしょうか」
「もちろんです、目標は1ヘクタール辺り400……いいえ、500キロ!」
「500ですか!?小麦だけの生産量でございますよね?それはまた……」
公爵領を超える数字を提示され、バルザック子爵も流石に驚きをあらわにする。
目元を隠す眉毛の下からまん丸になった目が覗いていた。
「そうと決まれば早速土作りから始めましょう。実際の土が見たいの、畑に案内してくださるかしら?」
「わかりました。す、すぐに案内させましょう」
令嬢らしく旅装からドレスに着替えることも、馬車旅で乱れた髪を整えることもせず真里は立ち上がる。
(もう9月下旬、一刻の猶予もないもの。楽しい土作りデスマーチを始めなきゃ)
一通り周辺の畑を見て回り、サンプルとして数か所から土を採取して、早速その日から真里は作業を開始した。
彼女に割り当てられた客室からは元々あったソファが取り去られ、文官の男性が使うような作業机が運びこまれている。
少女が好みそうな可愛らしい部屋でも豪奢な部屋でもなく作業しやすい大きな机のある部屋がいい。
公爵家のお嬢様相手に身構えていた使用人たちもその要望には呆気に取られた様子だった。
『詳細な測定が完了したが、本当に痩せた土だな』
「土地が栄養失調状態じゃあ育つものも育たないわね。うーん、異世界転生ものならノーフォーク農法の導入が定番なんだけど……」
『前世地球でも推奨されていた、シロツメクサなど根部に窒素を溜めやすい植物を繁茂させ、それを牛等の家畜に食べさせることで堆肥を作り出し地力を回復。そのローテーションで麦を栽培するという方法だな』
「そそそ。でもあれだと家畜がたっぷり飼える環境も必要だし、牛が足りなきゃ育てる年数もかかる。ワンシーズンで結果を出すには向いていないのよ」
『ならばその知識に頼らないやり方を使うのか』
「ええ、この際一気にやってしまうわ、緑の革命よ。窒素・カリウム・リン酸、前世地球100憶の人口を支えた三大化学肥料をここでぶちこんでやるの。領地を見て回った感じ、手に入りやすそうなのは魚粉、骨粉、それから――」
――コンコン。
レクシスとの会話に控えめなノック音が割り込む。
入ってきたのは子爵家のメイドの一人。
初めて見るであろう「公爵家のお姫様」に緊張しているのか落ち着かない様子だ。
「ば、ばばば、バルディアン公爵令嬢様、晩餐の支度が……」
「ああ、ちょうどいいところに。ちょっと用意をお願いしたいものがあるの」
「な、何でございましょうか」
「養鶏をやっている家から鳥の糞をかき集めてちょうだい!」
「…………は?」
固まるメイドに、真里は笑顔で鳥の糞よと繰り返した。
◇◇◇
一夜明け。
前日の内に出した指示によって集まった魚粉、骨粉、鶏糞を土に混ぜ込んでいく。
バルザック領は痩せた貧しい土地だが、そこの領主たる子爵は随分と人望があるらしい。
彼の呼びかけに従い、農夫たちは大人しく指示された作業を行ってくれている。
時折、公爵令嬢が何をと不審げな視線が飛んでくるが、それだけだ。
仕事をサボることも面と向かって抵抗することも無い。
一日目は領地をあちこち歩き回りながら細かな指示を出しつつ作業を見守り、その後、真里は客室の簡易実験室での作業を開始した。
『現在の作業でリン酸とカリウムは大分補えただろう』
「あとは窒素肥料を作らなきゃいけないわね」
『作成のための触媒はどうする?磁鉄鉱でも探すか』
「いいえ、もっといいものがあるわ。お父様からもらったこれ、ありがたく使ってしまいましょう。ここが豊かになるのは最終的に公爵家のためになるんだもの、きっと納得してくれるわよね」
デビュタントならばもう少し大人びた装飾品をと父親から送られたプラチナのネックレス。
それを触媒として利用し、魔法で熱と圧力を安定させてハーバー・ボッシュ法を再現し窒素肥料を作り出していく。
超臨界流体状態でので直接反応をきちんとした実験装置も無しに行えてしまう。
真里は改めて魔法技術の有用性ににやつきが止まらなくなる――が、それに浸ってもいられない。
農夫たちに今指示している作業が終わるまでに全ての窒素肥料作成を終えねばならないのだ。
『窒素肥料も完了だ』
「これで基本的な栄養は大丈夫として……ここの畑、水はけも良くないのよね。次はそれを改善しないと」




