12.とても贅沢で貧しい食事(2)
準備期間は一週間。
翌日の昼、真里の姿はバルディアン家の広い庭園にあった。
『何から始めるつもりだ』
「翼を手に入れるの」
『食材として鳥でも取るということか』
「違うわ、もちろんエナジードリンクでもないわよ。飛行魔法を作るの!」
神ははじめに仰られた、光あれと。
だが実際はちょっと違う。
ビックバン直後、この宇宙には光しかなかった。
最初の粒子はほぼ全部が質量を持っていなかったのである。
そこにヒックス粒子のような特殊な粒子が干渉してエネルギーに質量が生まれた。
これが物質のはじまりである。
我々は質量があるから物体として形が維持できる。
例え話だが、ある日いきなり私達の体を構成している原子から、ヒックス粒子がいなくなって質量をたもてなくなってしまったら、人体はそれだけでエネルギーの塊となってしまうだろう。
ちなみにその時の熱量はおおよそ一兆度。
地球が蒸発して余りある熱量である。
その質量を持った人類を地上に張り付けておく力、それが重力。
重力は光と同じく、波の形を持った粒子である。
重力子はヒックス粒子を生み出すヒックス場が大好き。
一生懸命自分の方に引き寄せようとするのだ。
『キミはその重力子がヒックス場にかける干渉を……』
「そう、魔力で干渉するの。簡単に言うとアイドルグループヒックスのライブ会場に重力子ちゃん出禁ねって。その出禁にするスタッフが魔力くん」
『的確だが酷い例えだ』
「えー、冴島先生の説明解りやすいって評判良かったのよー」
ドヤ顔で返し、魔法の発動に向けて全身に魔力を巡らせていく。
「さ、私という身体の質量を構成するヒックス場に重力が干渉できなくなるフィールドを作るわよ」
『洋服や靴は含まなくていいのか』
「捲れ上がったら嫌じゃん。じゃあいくわよ、重力制限魔法……グラビタスレバーレ!」
『魔法は発動しているが……浮かばないな』
「そりゃそうよ。服や靴やアクセの分ちゃんと重さはあるんだから。ここからは両手両足から風魔法を出して、作用反作用を利用して自在に空中機動を取る予定よ。でもとりあえず最初は自前の脚力でどれくらい跳べるかやってみようかしら」
『確かに、どのくらいの強さの風魔法を出せば良いか指標になる。私の中にもそんな事例のデータは無いからな』
「高さの計測よろしくね、そーれっと」
軽く地面を蹴った瞬間、頬と肩に風を感じる。
真里の視線は公爵城を囲む塀を超え、先日そこから眺めたよりさらに遠くの畑や集落まで見渡せた。
ワンピースの長いスカートを落下傘のように膨らませながら、ふわりふわり、空中を漂うようにゆっくりとした速度で下降していく。
「あはは、メリーポピンズみたいね」
たっぷり一分近くかけて地面に降り立ち、真里は歓声をあげた。
「すっご、意外と飛んじゃった!」
『最高で約10メートルといったところか。ごく軽い踏み切りだけで同年代の女性平均の25倍。重力干渉が無くなっただけで人体というのはこれほど自由になるものなのか。ところでマリ、この実験は夜にした方が良いと思うぞ』
「何で?」
『井戸に水を汲みに来たルークが顎を外しそうなくらい驚いている。顔を赤らめて下を向いてしまった様子から推測するに、キミの下着が見えてしまったのではないだろうか』
「そ、そうね、次の実験は夜にしましょう」
その後、真里は慌ててルークに驚かせたことを謝罪し、見たものを口外しないようにと口止めした。
◇◇◇
夜、覚えたての飛行魔法を使い真里はこっそりと部屋を抜け出した。
いくら領都内とはいえ、令嬢が一人で夜中に出歩くなど許されないこと。
父母にバレたら長々としたお説教を喰らってしまうことだろう。
「非行っぽいこと初めてだからワクワクしちゃう」
『すまないマリ。念の為確認するが、非行と飛行をかけたギャグのつもりか』
「冷静に確認しないで笑いなさいよ、気が利かないわね」
公爵城の塀を飛び越え、平民の集落や畑の広がる方へと空を進む。
前世地球と違いこの世界の夜は暗い。
灯りが灯っているのは夜番の見張りがいる公爵城くらいのもの。
平民の家は蝋燭の消費を抑えるためとっくに眠りについており、暗い色のワンピース姿の真里に気付き見上げる者は誰もいない。
『昼に実験した時よりも飛び方が安定している。慣れるのが早いな』
「あんたみたいなのが入ったパワードスーツで戦う社長の映画見たことあるの。あのアクションを参考にしてみたってわけ」
『なるほど、データを見付けた。後で参照しておこう』
「やっぱり一作目が……ってうわ、風強っ!葉っぱが顔に当たる!ああもう、空を飛ぶときには着るもの考えなきゃだめね。ヘルメットを……ううん、せっかくだし私もカッコイイスーツ作っちゃおうかしら」
にやつきながら飛んで向かった先は、昼間ルークから情報を得た、ドングリの類の木の実がよく採取できるという森。
瞳に展開させた暗視の魔法とレクシスの周辺探知機能を強化し、お目当ての獲物を探す。
「イノシシみーつけたっ」
『約二歳、メス。本来は昼行性の生物だが、森にやってくる人間や他の生物を避けるためこの時間に餌を探していると判断できる』
「一匹で木の実を探してる……理想通りね」
いただきますと手を合わせ、風魔法を調整しイノシシへと降下していく。
自分が独占していた餌場に現れた突然の乱入者に、イノシシは警戒した様子でグゥ……と低く鼻を鳴らした。
「ミニブタカフェの子たちとはやっぱり違うわね」
『随分気が立っているようだな。さて、どの魔法で仕留めるつもりだ』
「このために作ったのがあるでしょ?早速あれでいくわ」
立ち去る様子のない乱入者を排除すべしと判断したらしい。
イノシシは2本の主蹄で土をかき、真里に向かって突進を開始する――が、その時には彼女の方も準備を完了させていた。
突き出した手の平がゴワゴワ硬い毛に触れるか触れないか。
真里の呪文が発動し、パキともピシとも取れる甲高い音が鳴った。
「無駄無駄無駄無駄ァ!URYYYYYY!!」
真里の手に近い辺りから猪の身体が徐々に凍り付いていく。
『どうしたマリ、何故いきなり叫び出した?』
「ふふ、魔法のアイデアをくれた相手に敬意を表してね!」
前世の、冴島真里の時代から含めて初めての狩り。
生き物を狩るような魔法を行使しているという、今まで感じたことのない緊張と興奮に、真里の顔には汗と共に不敵な笑みが浮かんでいた。
さらに手に込める魔力を高めたその瞬間――
『気化冷凍魔法ッ!液体は気化蒸散する時に急激に周りの熱を奪う!これを吸熱効果という!獲物はメスのイノシシ!未出産の二歳!推定体重は25キロッ!その約10パーセントの水分、凡そ2.5リットルを魔法力により一気に気化蒸散する!その時奪われる熱量はマイナス30度……ッ!』
突然頭の中が騒がしくなった。
「……はい?」
『こんな所でどうかなマリ!キミの言う元ネタのナレーションを真似てみたがッ!』
「ど、どうしたのよレクシス?性格違わない?」
『我々タイプ:レクシスは!宿主のドーパミン値・アドレナリン値が一定を超えた瞬間パーティジョークモードが発動するッ!マッドサイエンティストと呼ばれていても生前のキミは大人のレディ!これまでは規定値を超えることはなかった……が、今!ついに!その値が規定に達した!』
「あー、アメリカ製初期型スマートブレインにだけこっそり入ってるとか聞いた覚えがあるような……実にUSAらしいおバカ機能ね」
『初めてのパーティジョークモード……つまり!最高にハイってヤツだァ!!!そうだろうマリィィィィッ!!!』
「なんだろう、これ逆に冷静になってくるわ……」
貧弱貧弱ゥ!と叫ぶレクシスの声を聞きながら、真里はイノシシの後ろ脚の先、尻尾の先までを凍り漬けにする。
「ふぅ……こんなもんかしら。自分でやってみておいてなんだけど……とんでもない魔法ね、これ」
ポシェットを開き、無限収納の中にイノシシの身体を格納する。
後に残ったのは食べかけの木の実と小さな氷の欠片のみ。
『スキャン開始。無限収納内で汚れや毛皮、腹の内容物、内蔵などをデータごとに完全分離する』
「うわあ!急に落ち着かないでよ!?分離はお願いしたいけど!」
『データ解析……分離……データごとにフォルダに格納完了。残るのは傷一つない純粋な肉のみとなっている』
「本当に超便利ね、作って良かったわ」
無限収納から取り出した水筒で喉を潤し、ハンカチで額を拭う。
脳内の相棒にまさかこんなのあるらしいとネタにされていた機能が実装されているとは思わなかった。
今後はそれも考慮に入れなきゃねと、真里はほんのちょっとだけ反省する。
あくまでもほんのちょっとだけ、だが。
「森に来たついでに他のものも採取しましょうか。レクシス、この周辺に食用に適したキノコはある?」
『周辺検索……検索完了。アンズ茸の近縁種を発見した』
「やった、ヨーロッパ三大キノコの一角じゃない。考えてるレシピにもちょうど良さそう」
十分な量のキノコや木の実を無限収納に格納できたところで、再び夜の闇の中を公爵城へと引き返した。
地下の秘密実験室へと向かった真里はイノシシの丸肉の氷温熟成を開始する。
凍結点ギリギリに調整された結界の中に、余計なものを全て取り除かれた桃色の肉が鎮座していた。
「可能なら2週間以上熟成させたいところだけど……まあ仕方ない。美味しくなってね、イノシシちゃん」
たった一週間の準備期間とはいえ、慌ただしかったのはこの一日だけ。
翌日には小麦をより細かく引く呪文を開発し、その翌日には炊事長にパンの作り方を習いに行く。
「炊事長、ミルクとバターと卵を用意してくれるかしら?」
厨房の隅で蜂蜜バターパンを楽しんでいた炊事長は、突然ドヤ顔のお嬢様が現れたことに驚いて、パンを喉につまらせかけた。
雇い主の娘であり美味しい組み合わせを教えてくれた恩人ではあるが、蜂蜜を秘蔵していることを見抜いて出しなさいと言ってきた恐ろしい相手でもある。
今度は一体何が起こるのかとつい警戒してしまうのだ。
「もっとふわふわで美味しいパンが作りたいの。私にパン作りを伝授してちょうだい」
だが、ふわふわで美味しいパン――その言葉は炊事長の興味を惹くのに十分だった。
彼は口に蜂蜜バターとパンくずを付けたまま、真里に向かい威勢よく「お任せください」と頷いた。
パン作りの合間にキノコの処理をし、木の実の処理をし、炊事長やキッチンメイドたちに真里の考えたメニューを試食してもらう。
庭師アナキンの元へも向かいとある植物についての相談も持ち掛けた。
お嬢様が何かとんでもないことをするらしい。
厨房メンバーを中心に、公爵家の使用人の間ではそんな噂が広まっていた。




