11.とても贅沢で貧しい食事(1)
――ある夜のこと。
使用人が扉を開くのを待って真里は晩餐の間へと入室する。
室内には既に両親と弟達が揃っていた。
「……遅かったな」
「すみません、お父様。着替えに時間がかかってしまいましたの」
「ふふ、お昼は姿が見えなかったから心配していたのよ。一緒に食事ができて嬉しいわ」
「ありがとうございます、お母様」
研究に熱中して昼食なのか晩餐なのか失念していたのも、それで部屋を間違えて誰もいない部屋に入ってしまったことも笑顔の奥に隠す。
マルガレーテでしかなかった時代に散々教え込まれた令嬢の嗜みだ。
バルディアン公爵城には食事ごとに違った部屋が存在する。
朝日を取り込むための大きな硝子窓と緻密な木工細工で飾られた朝食の間、常に多数の新鮮な花が生けられた昼食の間、そして豪奢すぎるシャンデリアが高い天井でギラギラ輝く晩餐の間。
さらにはサロンに庭園茶室、招待客ごとに赴きの違う二種のパーティ用ホールまで。
(社交のためのパーティホールはともかく……家族で食事するだけに三部屋使うって流石はお貴族様ね)
家族全員同時に食卓に着くのも難しそうなルークの――平民の家とはまるで違う。
これだけ部屋にこだわるのだ。
それならば食事の内容も豪華なのだろうという期待は、真里としての意識が戻って三日目で消失した。
まず運ばれてきたのはサラダとは名ばかりのくすんだ緑。
『三種の葉野菜のグリーンサラダ。ルッコラとアンティーブ。こちらは原種に近いレタスか。大分苦味の強そうな所を酢と塩、少量のタラゴンで味付けされたもののようだな。残念だな真里、キミの好きなキュウリは来年の夏までキミを捨てるようだ』
現世日本のサラダのように多数の彩も食感の変化もない。
盛り付けもざっと混ぜただけといった状態だ。
何よりかけられたドレッシングはただ酢と塩を混ぜただけのもの。
ハーブで変化が付けられていればまだいいが、それがなければただただきつい味と香りの酢が激しく主張し、ふくらみも何もない。
(せっかく新鮮な生野菜が使えるんだからもっと丁寧に使って欲しいわよね)
次に、スープが運ばれてきたタイミングで小皿に盛られたパンを手に取る。
20%のライ麦と80%の小麦と水と塩だけのシンプルすぎる白パン。
先日は蜂蜜とバターを染み込ませ軽くあたためることで美味しく食べられたが、
そういった加工をしないときめの粗さが目立ってしまう。
(口内の水分全部持ってかれそうなこの感じ……甘くない落雁かしら)
『焼きたてのパンは皮目の歯ごたえや香ばしさも味わいの一つとされているが、このテーブルパンはグリッツの引きが甘すぎる。歯ごたえは……キミのデータの中ではせんべいが最も近い』
せっかく殆ど小麦で作れる環境にあっても製粉の技術も製パンの技術も粉にできればいい、焼いて主食にできればいい以上の発展をしていない。
前世世界ではこういったパンはスープに浸すなりすることで、シンプルさやきめの粗さを長所に変えることができていたが、肝心のスープが残念ではそういった楽しみは生まれない。
前に置かれた透明に近いスープに視線を落とす。
『三種の根菜が含まれている。カブと白色のニンジンのようだな。もう一つは前世ヨーロッパでいうリーキ。和名ポロネギだろう』
このスープを食べる度、真里は料理下手な友人の家で食べた味噌溶き湯を思い出す。
(出汁が……ないわ)
『極々微量だが燻製肉から染み出したうま味成分が存在するぞ』
(私の味覚、お出汁文化の日本人なんですけどー……)
野菜と少量の燻製肉を煮込み、塩で味を付けただけのもの。
別途出汁を取って加えるといった作業工程はそこには存在しない。
(せっかく燻製肉が使えるのだから、これでもっと丁寧に出汁を取れば美味しくなるだろうに。すぐ火が入るからって煮方も甘い……ネギを丁寧に炒めてから作ったら味わい変わるのになあ)
『飽食の時代の出身というのも難儀な物だな』
平民が食べる焼いてから何週間経ったかわからないような硬い黒パンと、野菜クズだけのスープと比べれば雲泥の差。
彼らにはこの後に運ばれてくるメインディッシュはない。
贅沢を言っているのは真里自身重々承知していた。
だが――どうしても勿体ないと感じてしまって納得ができないのだ。
部屋にこれだけ凝れるのなら、どうして料理に凝ろうと思わないのか。
どうしてもっと、料理を楽しいものにしようとしないのかと。
晩餐の間に聞こえるのは、食器の音と飲食する音だけ。
幼い弟達だっているのにそこに喜びの声はない。
ただ全員が感情のない顔で黙々と出される物を詰め込んでいく。
メインディッシュとして供されたのは鹿肉のグリル。
貴族男性の嗜みとして父が魔術で狩り取った獲物だろう。
『このグリルも味付けは塩だけか。今まで使われてきた調味料は酢と塩だけだな。この公爵領はそれ程貧しいわけでもないと思うのだが』
(内陸のここでは塩が一番貴重な調味料なの。だから公爵様こそ塩を使うもの、らしいわよ)
噛み締めるとじゅわりと血の味。
血抜きも甘い、臭みを消すための工夫も足りない。
新鮮な肉に塩を振って焼いただけという代物だった。
(炊事長は美味しいものを知っている人のはずなのに……)
『キミに蜂蜜を発見されて悲鳴を上げていたあの男か』
(そう、あの人よ。バター作りだって丁寧な仕事をしていたわ。このパンに塗って軽く焼き直したらきっと美味しくなると思うの)
『だがこの食卓には使われていない』
(決まり通りに作ってるからね。まあ、それがつまらない料理の原因だと思うけど……)
最後に、デザートとして果物が運ばれてくる。
品種改良のされていない、妙に酸味と渋みの強いリンゴに似た果実。
『新鮮な果実も公爵家の品位を現すものということか』
(だからこそただ切っただけ、なんだけど……バターで焼いてシナモンかける一工夫で砂糖なしでも美味しくなりそうなのになあ)
真里の脳内に浮かぶのは甘く香ばしい匂いを漂わせる焼きたてアップルパイ。
それをきっかけに、次々に前世地球の美味たちが浮かんでくる。
(カレー……目玉焼きのせハンバーグ……揚げたて唐揚げ……とろとろ卵のオムライス……チーズ増量照り焼きマヨネーズピザ……)
『どうした、小学生の好きな食べ物ランキングデータか?』
(私の好物よ!悪かったわね、子供舌だって当時の助手にも言われたわ)
もう一口リンゴをかじり……思わずため息が漏れた。
「うぅ、貧しい食事……」
漏れだしたのは息だけではない。
泣き言じみた本音まで、前世との差に耐え切れずに出てきてしまう。
小さな声だったが、その声は食卓を囲む全員の耳に届いてしまった。
不思議そうな母にも、驚いたように顔を上げる弟達にも、
もちろん――真里の最も苦手とする父にも。
「マルガレーテ!我が公爵家が貧しいとはどういう意味だ」
しまったと口を抑えるが時すでに遅し。
ライゼンボルグの眉間にはくっきりと皺が刻まれ、瞳は真里を見据えていた。
「晩餐のメニューは公爵家の品位を厳格に現すため、余計な物を省き希少な塩を使って作られている。それの何が貧しいと?」
「ごめんなさい、お父様。失言でした」
「全く、怪しげな研究を始めたかと思えば、今度は我が家の品位に口を出し始めるなど……!貧しいどころか豊かさの象徴と言える食卓ではないか!」
最近真里に言い返せずにいた分が溜まっていたらしい。
目の前の父親の態度にまだまだ若いわねなんて内心ボヤきながら、真里も引くことなく視線を返した。
このまま品位だのなんだのを理由につまらない食生活を続けるなど彼女には耐えられない。
(これ……チャンスにできないかしら)
『穏便に済ませた方が良いのではないか。彼は当主だ、不興を買いすぎれば今後動きづらくなる可能性もあるぞ』
(研究と食事は私の人生の二大娯楽なの。どちらも諦めるわけにはいかないのよ)
脳内の相棒に宣言し、唇を開く。
「……いいえ、お父様。あまりにも貧しい食事だと思います」
「なんだと!?」
「品位を現す?余計な物を省く?そのために味を――料理として大事なことを犠牲にするなど本末転倒ではありませんか。希少な塩だ当主の狩り取った肉だとそこばかりに目を向けて、処理も調理もおざなりだなんて。ああ、己の視野の狭さを現わしていらっしゃるんですか?それならば納得です」
「黙れ!お前に何がわかる!これはバルディアン家に古くより伝わってきた伝統的な食卓。15の小娘などに……」
「わかります。料理のことはお父様よりわかっているつもりです」
「ほう……?料理人でもないお前にか?」
さらに鋭くなる父の視線に、弟達はオロオロと視線を彷徨わせる。
母がそっとそれを宥めているのも視界の端に映った。
(ごめんね弟達……でも美味しいものでちゃんとお詫びするから!許して!)
マルガレーテの身体も幼い頃から染みついた父親への苦手意識で震えそうになる。
それを振り払うため、フライドポテト!お寿司!ミートソース!と頭の中で繰り返した。
『やはり小学生の好きなメニューランキングではないか……』
(大事な局面なのよ!宿主を応援しなさい!)
ふぅ……と息を吐きだす。
上擦りそうになる声を抑え、力強く聞こえるようにと意識して声を出した。
「基本的な材料は変えず、追加するとしても全てこの領地で取れるもののみ。それさえあれば王宮の晩餐に出しても恥ずかしくない美味を生み出せます」
「お前にそんなことができるとでも?先日の薬の件で調子に乗っているのではないか」
「ええ、もちろんできます。賭けてもいいですよ」
「もしできなければ怪しげな実験は全て禁止……という条件であっても賭けに乗るか?」
「なら、できたときにはご褒美にお父様の領地の一部を好きにさせてください」
ライゼンボルグは渋い顔をしつつも頷くしかなかった。
ここまでの条件を出しても引かない相手を前に、当主たる自分が引くわけにはいかない。
「チャンスは一度きりだ」
「ありがとうございます、お父様!準備がありますので、一週間後の晩餐でお願いします!」
「ふん……」
会話に決着が付いたのを見計らったように、リィン……と小さくベルの音。
「二人とも、たくさんお話して喉が渇いたんじゃないかしら」
扉が開き、メイドたちがティーポットとワインボトル、それぞれに合わせた瀟洒なカップとグラスを運んでくる。
「カールたちにはハーブティね。大人は赤ワイン……マルガレーテも成人したんだし、もう飲めるわよね。どうする?」
先程までの張りつめた空気を溶かすような柔らかな声に、真里の身体からも緊張が抜けてしまう。
横から聞こえる深呼吸の音は弟達のものだろう。
「あ、えっと……私もお母様のハーブティがいいです。美味しいもの」
「ふふ、嬉しいわ。ありがとう」
爽やかでほのかに甘い、晴れの日の花畑のような香りのお茶に口を付ける。
貧しい食卓の中、これだけは心の底から美味しいと思えるものだった。
(15歳で飲酒ってのもねえ……)
『この王国では成人の年齢だ。飲酒も問題ないぞ』
(前世の常識的にどうしても気になっちゃうもんなのよ)
『常識をメモリ削除とアップデートで処理できないのは人間の厄介な所だな』




