第59話
クスシ温泉、大浴場。
話が盛り上がってきた所で、マサヒデが慌てて風呂から飛び出して行った。
何だと驚いていると、がっくりと肩を落としてマサヒデが戻って来た。
アルマダが怪訝な顔で、マサヒデを覗き込む。
「どうしました?」
マサヒデはしょぼんとして、
「陛下から頂いた銀の印籠、真っ黒にしてしまいました。温泉、忘れてましたよ」
下賜品を!
ナガタニとジンノジョウはぎょっとしたが、アルマダは大笑い。
「ははは!」
「おいおいおい! 笑い事じゃねえんじゃねえの!?」
あ! とナガタニが顔を向け、
「はっ! そうだ、トミヤスさん! 銀は酢です! お酢を使うと綺麗になりますよ!」
がばっとマサヒデが顔を上げ、
「酢!」
「鍋で湯をぐらぐら沸かして、火から下ろした後に、酢を匙で1杯だけ入れるんです。それに入れて、半刻寝かせるんです。父上がやっているのを見た事があって。こうすると良いんだって」
ぱあ・・・とマサヒデの顔が明るくなる。
「ナガタニさん! ありがとうございます!」
「ははは! マサヒデさん、助かりましたね!」
「危ねえよー! 助かったな、トミヤスさん・・・で、それ何でもらったの」
「それはあれですよ、私、狼族の主ですから。あの印籠」
「あ! ああ、あれか! 前、道場に来た時に見せてもらったやつ?」
「そうです」
「狼族の主かあ・・・印籠持ち歩いてんだな。自慢かあ?」
「違いますよ。身分証みたいなものですから・・・それに、最近になってやっと慣れましたけど、最初は大変だったんですから」
「大変って?」
「イザベルさんのお父上、魔王軍の騎馬隊の大将って知ってますよね。私が主になりましたって挨拶したんですよ! 通信の画面ごしでも、えらく怖かったんですから! 押し潰されそうでしたよ」
「あれか! うちの娘はやらん! みたいにか!」
「違いますって。全然怒ってないんです。普通に座ってるだけで怖いんですよ。軍の大将って、伊達じゃありませんよ。滅茶苦茶に緊張しましたよ・・・アルマダさんも緊張したでしょう?」
「しましたとも! 確かにリチャード様は他を圧倒させる空気がありましたね」
「良かったら、今度ジンノジョウさんにも紹介しますよ。あの恐ろしさを味わって下さい」
「いいよ、別に・・・面白がって連絡とかすんなよ」
「アルマダさん、しちゃいましょう。呼び出しくらったら逃げられないですから」
「ははは!」
「絶対するなよ! したら道場出禁にするからな!」
「ふふ。分かりました。しません」
ふん、とジンノジョウが鼻を鳴らし、酒を注いで一気に飲み干し、また注ぐ。
「で・・・」
ジンノジョウがにやあっと笑い、
「あのファッテンベルクのお嬢さん、最初どんなだったの? 面白い話ある? 弱味になりそうなやつ」
「そんな話はしません」
「つまんねーの・・・」
ぐ、とジンノジョウが拗ねた顔で酒を飲み干すと、アルマダも酒を口に入れ、
「蒸し風呂で倒れたことがありましたね」
「アルマダさん!」
マサヒデが声を上げたが、アルマダは笑って、
「良いではないですか。ああいう失敗を乗り越え、家臣として成長してきたんです」
お、とナガタニも期待の顔を向ける。口にはしないが、やはり興味はあるのだ。
「やっぱハワードさんは話せるねえ! で? どんな?」
「シズクさんと蒸し風呂でどっちが長く入っていられるか、なんて下らない勝負で、命を落としかけましてね」
「ぎゃーはははは!」
「ふふっ」
ジンノジョウもナガタニも笑う。
アルマダもにこにこして、
「あの時、マサヒデさんは随分と怒りましたね。そんな下らない事に命を張るな、お前はクビだ! なんて。それで、ふらふらしながら、クレール様に支えられて私の所に来て・・・で、私のアドバイスでイザベル様は立ち直り、少しましな家臣になったんです」
「ははは! 結局は自慢かい!」
「ふっ。事実ですから・・・」
くすっとマサヒデが笑い、
「そう言えば、カオルさんも最初は大変でしたよ。何か厄介事があると、すぐ『始末しますか』なんて」
「こわ!」
「し、忍ですね・・・」
「今は随分と柔らかくなりました。でも、ジンノジョウさん、あまりカオルさんを怒らせないで下さい。もう覗きなんてやめて下さいよ。カオルさん、どうやってしまってるのか分かりませんが、火薬とか毒とか山程懐に入れてますからね」
「え、まじ?」
「本当ですよ。後で隠し持ってる物、見せてもらいましょうか」
とぷん・・・
「正面きっての斬り合いなら楽勝でしょうが、カオルさん、父上から刀盗んでバレないくらいの達者ですからね。急な病で倒れても知りませんよ」
「・・・そう・・・」
「・・・」
ごく、とジンノジョウとナガタニが喉を鳴らす。
「あの、お願いだから、一言口添えしてくれる? もう覗きはしません」
「それは構いませんが、証拠を残すような仕事をしませんから・・・はいはいと頷いても、私に分からないように何かされたら、どうしようもないですよ」
「そらそうね・・・」
す、とナガタニがジンノジョウから離れる。
「な、何!? ナガタニさん、なんで離れるの!?」
「いや。私は覗きなどしませんし・・・巻き添えはちょっと」
「巻き添え!? 俺、もう手遅れなの!?」
大人しく話を聞いていたアルマダが、くす、と笑い、マサヒデもげらげら笑い出した。
「ははは! 大丈夫、大丈夫! カオルさんはそんな事はしませんよ!」
「まじで? ほんと大丈夫?」
「大丈夫ですよ! でも、後で隠してる得物、見せてもらいましょう。面白いですよ。どうやってあんなに持ってるか、今でもさっぱり分かりません」
ふうー、とジンノジョウが息をつくと、がらりと戸が開いた。
「楽しそうじゃのう!」
酒に酔って上機嫌のトワダが入って来た。
湯気の向こうから歩いて来たトワダを見て、うっ、とマサヒデとアルマダが驚く。
とても老人とは思えない体つき。
細身ではあるが、その筋肉はがっちりと硬そうだ。
アルマダよりも力はありそうに見える。
「うーい・・・」
と、トワダが変な声を出して入って来て、ナガタニのお猪口をすっと取り、ぐいっと空けて、新しく注ぎ、
「何の話をしておられた?」
「あ、ああ、カオルさんです。どうやって入れているか分からない量の得物を隠し持っているって。後で見せてもらおうと」
「ふむ! それは面白そうじゃの! で、サダマキ殿はどの流派かな?」
マサヒデが言葉に詰まった。いくらトワダとはいえ、これは軽々と答えられない。
「ううむ、すみません。それはちょっと・・・」
「知らぬではななく、答えられぬと。と・・・言うと・・・ふむ。イノカシかブデンか・・・かな?」
ぎく! としたが、何とか顔に出さないで済んだ。
なんと鋭い・・・
「イノカシ? ブデン? てえと・・・」
ジンノジョウとナガタニがゆっくりと目を合わせる。
情報省か、軍諜報部。
「ま、合っておるかどうかは聞かんでおこう。残り少ない寿命を縮めたくはないしの・・・ナタノスケ、お主も聞くなよ。ジンノジョウ殿もの」
「はい」「はい」
「で、首都では忍術道場などには行ってみたかの? いくつかあるじゃろう?」
「ああ、行きました」
ジンノジョウとナガタニが驚き、ぶん! とマサヒデに顔を向けた。
「え! そんなんあるの!?」
「そのような道場が!?」
ふふん、とトワダが笑う。
「どこへ行かれた?」
「イノカシ流の黄龍穴道場と、カザマ流の都忍庵を」
にやりとトワダが笑い、酒を注ぐ。
「はあてな。都忍庵は潰れたと聞いたが・・・」
マサヒデが渋い顔をして、アルマダも顔にばしゃっと湯をかける。
「ううむ、ご存知でしたか。トワダ先生も意地が悪いですね」
「はっはっは! 酔っておるでのう。何か盗めたかの?」
「ええ。私達には盗めませんでしたが、カオルさんは大喜びでした」
「ふむ・・・ふむふむ・・・見たいがのう・・・」
ちらり。
「先程の変装には驚いたのう・・・」
ちらり。
「・・・」
ジンノジョウとナガタニも、ちらちらとマサヒデを見る。
「聞いてはみますが、期待はしないで下さい。いくらトワダ先生の頼みとはいえ」
「おおそうか! 楽しみじゃのう! 見せてくれると良いのう!」
「はい! トミヤス殿、お願いします!」
「トミヤスさん、頼むよ!」
ナガタニもジンノジョウも、目を輝かせてマサヒデを見る。
ふうー、とマサヒデが溜め息をついた。
ジンノジョウが酒を注いで、ぐいと呑み、マサヒデを見て、にやりと笑う。
「なあなあ。ところでさあー」
「なんでしょう」
「さっきの話に戻るんだけどさあー」
「何の話です?」
「お七夜で虎斬ったって話。おーしーちーや!」
「あっ!」
ナガタニも声を上げた。
もしかして・・・
「トミヤスさん、子供、もういんの?」
「居ますよ。ジンノジョウさんも見てますよ」
「へっ?」
「うちで朝餉食べてた時、変な物、見ませんでした?」
「変な物? 変な物・・・あったかなあ?」
「床の間に」
ううん? とジンノジョウが首を傾げる。
「いやあ・・・あの時、緊張してたから・・・」
ふふっ、とマサヒデが笑った。
「床の間に、私とマツさんの子がいました。タマゴです」
「まじでっ!?」
「ははは! 余程に緊張していたんですね! 皆、初めて見る時は驚きますよ!」
「ううん、そうだったのか・・・」
ほう、とナガタニが息を吐く。
「トミヤス道場に行く際、必ず立ち寄らせて頂きます。お子にも挨拶を」
「ありがとうございます。マツさんが喜びますよ」
くすっとアルマダが笑った。
あのタマゴを見たら、ナガタニがどう反応することやら・・・




