第58話
クスシ温泉、大浴場。
食事も終わり、風呂の時間。
ここには濁り湯と透明な湯のふたつの大きな湯船があった。
ナガタニが徳利を抱えて、風呂に入ってくる。
「お、ナガタニさん。お先に頂いてます」
「トミヤス殿、ハワード様」
ごと、と湯船の縁に徳利を置き、ナガタニも入ってくる。
湯船に浸かったナガタニが驚いて、
「お、お?」
と、変な声を上げ、腕を湯から上げる。
「凄いでしょう? これ。泡がいっぱい着くんです」
「はあ・・・これは驚きました。なるほど、女将が驚くと言っていたのはこれか」
薄く濁った湯から、ぷつ、ぷつ、と小さな泡が浮き上がってくる。不思議な湯だ。痛い、痒いなどの不快な感覚はない。
手拭いを湯に浸けてみると、ふつふつと小さな泡が大量に上がってくる。
「これは面白い。あちらの透明な方は?」
「あちらの湯は塩辛く、海水に似ているそうです。湯冷めしにくいので、後で入るようにと」
「身体がべたつきませんかね?」
「しっかり浸かった後でしたら、水浴びしても平気だそうです」
「おお、それは凄い・・・」
ふう、とナガタニが息をつき、お猪口を取って、酒を注ぐ。
マサヒデに差し出すと、マサヒデは苦笑して首を振る。
「ハワード様は?」
「頂きましょう」
アルマダはお猪口を受け取り、にっこり笑って、ついっと軽く呑む。
ナガタニが首を延ばし、ん、ん、と浴場を見回す。
「サカバヤシさんは・・・」
アルマダがもう一口飲む。
「まだ来てませんね」
ナガタニがお猪口を取り、酒を注ぐ。
「いや、先程の抜き打ちは驚きました。皆、目を丸くしておられて。笑っていたのはトワダ先生だけでしたが」
マサヒデが首を振る。
「いやあ、やはり見えませんでしたね。ナガタニさん、見えましたか?」
「全くです。トミヤス殿はよく勝てましたね」
「運ですよ」
ふ、とアルマダが鼻で笑い、
「ナガタニさん、これは嫌味です。クボタというサカバヤシ流の使い手の方が言うには、サカバヤシさんも取られて当然だと仰っておられましたよ」
「えっ」
ぱちゃ、とマサヒデが湯から手を出して、ひらひら振る。
「お世辞ですよ。大体、アルマダさんはサカバヤシ流の方と本気で立ち会った事がないから、そんな事を言うんです。本当に怖いんですよ。ナガタニさんはありますよね?」
「いえ、ないですが」
あれ、とマサヒデとアルマダが驚く。
「こんなすぐ近くなのに、ないんですか?」
「はい。別に嫌っている、嫌われているとかではないんですが・・・」
ナガタニが声を潜め、
「多分、トワダ先生のせいです」
マサヒデとアルマダが顔を寄せる。
「と言うと?」
「トワダ先生、若い頃に、血気に逸ってジンゴロウ先生に挑み、こてんぱんにのされた事があるとか。それで、稽古となるとトワダ先生が行きづらいのでしょう」
「ははは!」
「ふふふ」
ナガタニも笑いながら、ちょび、と酒を口に入れる。
「私も疑問に思っていたのです。特に仲が悪いでもなく、ジンゴロウ先生とも仲良くしてらっしゃるのに、何故か出稽古だけはしないのです。きっと、バツが悪いからですよ」
マサヒデがくすくす笑いながら、
「あのトワダ先生にも、そんな時期があったんですね」
「あ、しまった! これは秘密に。トワダ先生にも尋ねないで下さい。私も、つい先日まで知らなかったんです。いや、酒で口が滑りましたよ」
ナガタニはそう言いながら、またお猪口に酒を注ぐ。
マサヒデはそれを見て、
「ナガタニさんは、お酒好きなんですか?」
「いいえ。嫌いです。身体を温める為だけに呑みます。薬みたいなものですね。温かい季節になれば、祭とか寄り合いでなければ、全く呑みません」
がらっ! と勢い良く浴場の戸が開く。
「いよう!」
ぱしん! と背中に手拭いを叩き付け、ジンノジョウが入ってくる。
「おっ! やってるねえー」
ジンノジョウも徳利を持って来ていて、ごとんとナガタニの徳利の横に置き、ばしゃりと湯に入り・・・
「うわうわうわ!? ななな何じゃこら!?」
「そんなに驚かなくても・・・」
ぷつぷつとジンノジョウの足からも、細かい泡。
「こういう、泡が出る温泉なんですって」
「そ、そうかい? 大丈夫かこれ?」
「私達、ずっと浸かってますよ」
「そう・・・?」
恐る恐る、ジンノジョウが湯に浸かる。
あれ、とマサヒデがジンノジョウの背中に目をやると、凄い泡が出ている!
「うわ! ジンノジョウさん!? それ、尻尾ですか!? 泡が!」
「え?」
ナガタニも目をやり、ぎょっとして、
「うわあ!? サカバヤシ殿!?」
「いや、いやいや! ちょっと待ってくれ。最初ビビったけど悪い感じはしねえな。あ、でも毛え抜けたりしねえよな」
背中から尾を回し、手で掴んで、つー、つー。
手を開くと、抜け毛ひとつない。
「うん、大丈夫」
ぶつぶつぶつぶつ・・・まだ凄い量の泡が出ている・・・全然大丈夫に見えないが、本人が言うから大丈夫なのであろうか。
「そうだそうだ。昔の人もここに入ってたはずじゃねえか。この辺、昔は猫族ばっかだったはずだぜ」
「あ、そうか!」
「大丈夫だよ。猫族にやべえ温泉だったら、絶対に注意の看板とかあるはずだって。なあなあ、それよりさ、トミヤスさん、ハワードさん」
「はい?」
「何でしょう」
ジンノジョウが徳利を取り、お猪口に酒を注いで、
「首都でいくつか道場回ったろ? 俺、ほとんど素通りでさ。一番凄かった道場ってどこ?」
「打剣館です」「打剣館ですね」
ナガタニもジンノジョウも、これは意外と小さく口を開ける。
「車道流ではないのですか?」
マサヒデもアルマダも、車道流と聞いて思い出すのは、まずあの輩。
「いや、確かに凄かったですよ。ヤナギ宗家には驚かされましたし、何百もある型も、全てが無刀取りに辿り着く為の糸の1本とか・・・」
「ほおう」
「ただ、ねえ? 車道流と言うと・・・」
「ええ・・・」
アルマダが渋い顔で酒を注ぎ、
「門弟の数が凄いですからね。まあ、腐った輩もいるわけで、散々に面倒な目にあったわけです」
お、とジンノジョウが身を乗り出し、
「斬り合いか?」
「いえ。そこまではいきませんでしたが・・・剣では敵わないと知り、爆弾を持って道を塞いできましたよ」
「まじで!?」
「まあ、大事にならずに終わりましたが・・・いや、大事と言えば大事ですかね。その輩の自宅で、爆弾がどかん。父親が亡くなりました」
「おいおい! 思いっ切り大事じゃねえか!」
「自業自得です。我々は何もしていません。亡くなった父親もゴミ貴族でしたよ」
ぐいっとアルマダが酒を煽る。
本当は、レイシクランの忍達が輩の爆弾を持って行ったのだが、父親も腐り貴族だったので、アルマダは気にもしていない。
「そうですか・・・で、打剣館というと、確かブランクマインド流ですよね。どのような稽古を?」
マサヒデが打剣館を思い出して頷く。
「怖ろしい稽古でした。面、胴、小手と防具を着けての撃ち合いなんですが、もう戦で足軽が組討をしているようで。鍔迫り合いから殴る蹴る、投げ倒して踏みつけたり、竹刀なんですが、ぼこぼこと叩いたりして。クレールさんやラディさんも見学していましたが、顔を真っ青にしてましたね」
ぷ! とアルマダが酒を吹き出し、けふけふ、とむせて、
「くっ、ふふふ。けふ、いや、失礼・・・」
こん、こん、と咳払いして、酒を注ぎ足し、くい、と一口。
「そのクレール様、打剣館の中で、死霊術で虎を出しましてね」
「は!?」「まじ!?」
「その後は阿鼻叫喚の地獄絵図です。門弟さん達の手や足がちぎれ飛び、そのたびにホルニコヴァさんが治癒しては、また虎が爪を振るい・・・あれは恐ろしかった。死者が出なくて幸いでしたね。ねえ、マサヒデさん?」
「や、それは、イトウ先生が魔術師相手の稽古をと願ったからではありませんか」
「ああ、そう言えばそうでしたね」
「・・・」
ナガタニが、マサヒデ達が道場に来た時の事を思い出す。
1頭では簡単だから、弱くて良いので狼を数頭でと頼んだのであった。
虎であったらどうなった事やら・・・
「マサヒデさんは虎なんて楽勝ですから」
「えっ」
アルマダがマサヒデを指差す。
「この人、子供のお七夜のパーティーで、虎を頭から尾まで一刀両断したんです」
「アルマダさん、酔ってませんか? 指差すのやめて下さいよ」
ナガタニがお猪口を縁に置き、自分の頭に手刀を置いて、
「こうですか? 頭から尾までというと、つまり縦に一刀両断ですか?」
ん、とアルマダが頷く。
「そうですよ。それで楽勝とか言うんです。魔獣ならまだしも、普通の虎なんて、だなんて口を滑らせて。大勢を集めての晴れの舞台なのに、全然やる気もなく、クレール様には「武術に大事な脱力です」だなんて言ってましたよ」
「・・・」
ばつの悪い顔のマサヒデを見て、ふふん、とジンノジョウが笑う。
「へーえ・・・やるじゃん。ああ! あの刀なら出来るよな」
「ええ。雲切丸だから出来たんですよ。さすがに腰は少し伸びてしまいましたが」
「ほう。曲がったりしなかったのか」
「それは無かったですよ。いい手応えで入りましたし」
「ううむ、いいなあ・・・あーあ、俺もあれくらいのやつ欲しいなあ・・・」
「そう言えば、ジンノジョウさんの刀はなんです?」
「カツミツ」
「有名所じゃないですか」
「でもさあ、ちょっと俺には短いんだよなあ。最低でもあと1寸は欲しいんだよな。2尺3寸。いや、4寸は欲しいよ。もうちょい長いのが、さ・・・」
「贅沢な悩みですね」
「け! 何言ってやがる。ハワードさんのは何?」
「無銘です。勇者祭の者が捨てていった物なので、ありがたく頂戴しました。地鉄が随分と詰んでいるので、鍛冶族の注文打ちの物ではないかと見ています」
「ほーう・・・やっぱ高いのかい?」
「分かりませんよ。捨てられた物なのですから」
「そりゃそうだ。ナガタニさんは?」
「私のも鍛冶族の無銘です。父上にねだって借金をしまして、しばらくは冒険者仕事漬けでしたよ」
「冒険者ですか・・・ふふふ」
マサヒデが含み笑い。
「何か」
ジンノジョウがにやっと笑って、
「ああ。トミヤスさん、冒険者ギルドで稽古つけてたもんなー」
「いや、違います。イザベルさんですよ。あの人、実は冒険者です。それもまだ黄帯ですよ。水色にはなったのかな?」
「えっ!?」
「私の稽古を受けたければ、冒険者になって稼げって条件で、立ち会いをしました。それで負けて・・・」
は! とマサヒデが顔を変えた。
「しまった! ちょっと待ってて下さい!」
ばたばたとマサヒデが出て行く。
「どうしたんだ・・・?」




