第56話
クスシ温泉。
予想通り宿にはマサヒデ達だけで、宿の者は喜んで歓迎してくれた。
すぐに大部屋に通され、酒に料理にと運んでくる。
「こちら、鹿刺しでございますよ」
「しかさしとな?」
アナスターシャの左右にはカオルとイザベルが座り、毒を警戒している。
「はあい! 新鮮な鹿の肉のお刺身でございます」
「刺身・・・日輪国の者は、生で食すのが好きじゃの」
「あら。お客様・・・」
ん? ん? と女将が座を見渡し、口に手を当てて、
「あの、つかぬことをお聞き致しますが」
「申せ」
「もしかして、白露の・・・王女様?」
「・・・」
アナスターシャは口をつぐんだが、カオルとイザベルはにやりと笑う。報道に報せたかいがあった。
うむ、とイザベルが頷き、
「左様。こちらは白露帝国第一王女、アナスターシャ=ヒョドルーバニー=アレクサンドル=ウィンズ=エイパッチェフ様である」
ああ、と女将の目に涙が浮かぶ。
「まあ・・・号外でお聞き致しました。大変な事でございましたね。ゾエの民は、皆、力の及ぶ限り、王女をお守り致しますよ。今夜は精一杯のおもてなしを致します」
おほん、とアナスターシャが咳払いして、気不味いようなすまないような、という顔を向けた。
「ああ、うむ。済まぬ。真に申し訳ない。その言葉に甘えさせてもらおう。知っての通り、私は追われる身じゃ。ここで何か起こらぬとは保証出来ぬ。それでも、ここに泊まっても良かろうか」
「勿論でございますとも! 何日でもここに!」
「女将よ、感謝する」
ぐ、とアナスターシャが頭を下げる。
「ああ、そのような。頭をお上げ下さいまし! ささ、お疲れでございましょう。今日は美味しいものを食べて、湯で休んで、ゆっくりとお身体をお休め下さいませ。お酒もすぐに参りますから」
「ありがたい」
女将が手を付いて頭を下げ、すすっと下がって行く。
少しして、くす、とカオルが笑った。
「お見事でございました」
「む、そうかの」
「しかし、ここまでも伝わっているとは思いもしませんでした。これは喜ばしき事。シラタ伯爵が広く通信を広めてくれたお陰です。王女は今や薄幸の姫。ゾエの民は皆が王女に手を貸してくれましょう」
「他国の民に憐れみを受けるというのも、ちと抵抗があるが」
「今回は甘えて下さいませ。その方が民は喜びます」
「そうかの? では、まず鹿刺しとやらを甘えさせて頂くか」
ぺらりと薄切りの鹿刺しを器用に箸で取り、たれにつけ、口に運ぶ。
「う、うむ・・・うむ。うむ! 悪くないの!」
王女を挟み、カオルとイザベルが話を始めた。
「イザベル様、いつ頃が危険でしょうか」
「定石であれば夜明け前に突入です。王女目指して一直線。部屋を特定出来れば、外から爆弾を投げ込む事もありえます」
「ふむ・・・人数は何人と見ますか」
「3人です。狙撃であればスナイパー1人、スポッター1人、バックアップ1人。距離によっては、スポッターはおらぬやも。突入であれば3人まとめて」
「狙撃ポイントはどこでしょう」
ぱちりとアナスターシャが箸を置き、
「おい」
「は」「は!」
「私を挟んで物騒な話をするでない。鹿刺しが不味くなるわ」
「失礼致しました。あ、王女。私、少々中座致します」
「む。見回りにでも参るのか?」
「はい。と言っても、軽くここの建物を見てくるだけですので、すぐに・・・」
カオルが頭を下げて立ち上がり、部屋を出て行った。
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そして、露天風呂。
(ほほう)
カオルがにやりと笑う。
宿の建物からは少し離れており、飛び石が続いている。その途中に脱衣所。
温泉の周りを見回す。
湯の周囲だけは開けているが、周りは完全に森。
あの中に潜んで来られては・・・
(という訳か。なるほど、なるほど)
ぴちゃり、と温泉に手を浸けてみる。派手に湯気は立っているが、ぬるい。寒いから湯気が派手に見えるだけ。これは冬場に入るのは厳しい温泉だ。
「ううん・・・」
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カオルは座に戻り、ジンノジョウと、アナスターシャの騎士を呼んで、頭を突き合わせて何やら話し、難しい顔でそれぞれに指示を出す。
「イザベル様!」
「は!」
イザベルも呼ばれ、何やら話した後、
「ははは!」
と、イザベルが声を上げて笑う。
アナスターシャが気になって、盃を置く。
「おい! サダマキ!」
む? とカオルが振り返り、頭を下げて、ささっとアナスターシャの前に座る。
「先程から何を話しておる」
「今夜の警備の打ち合わせです」
「警備で笑うのか。ファッテンベルクは随分と楽しそうであったな?」
カオルがにやりと笑った。
「ふふふ。はい。今夜の警備は楽しくなりましょう。されば、王女にもおひとつ楽しんで頂きます」
「む。座興か。良かろう」
アナスターシャが機嫌を直して箸を取った。
カオルが頭を下げる。
「では芸をひとつ」
すっとカオルが立ち上がり、皆に目配せをすると、ジンノジョウとイザベルが出て行く。
カオルが座の真ん中に立ち、騎士達を手招きすると、騎士達がにやにや笑いながらカオルの左右に立つ。
「されば王女。このサダマキめの芸を、しかとお楽しみ下さいませ」
ばさっとカオルが長羽織を投げると、そこにはアナスターシャが立っていた。
「・・・」
ぽろり、とアナスターシャの箸が落ちて転がる。
「私は湯に参る! 露天風呂に入りたいのじゃ!」
「ははは!」
マサヒデが笑う。
アルマダも苦笑して、小さく首を振る。
シズクとクレールからも声が上がる。
「あっははは! お見事っ!」
「いよーっ! カオルさーん!」
騎士がわざとらしく、カオルに手を差し出し、
「王女! 我儘は控えて下され! 危険でございまするぞー!」
「控えい! 参ると言ったら参るのじゃ! さあついて来い!」
「ああーっ! お待ーち下されえーい!」
アナスターシャの顔をしたカオルが優雅に頭を下げ、部屋を出て行った。
「・・・」
驚きのあまり言葉も出ないアナスターシャが、首を回してカオルを見送る。
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露天風呂前。
脱衣所から出て来たアナスターシャが声を上げる。
「寒いではないか!」
「湯はすぐそこでございます」
「急ぐ!」
爪先立ちで、寒そうに肩を竦め、ぴょん、ぴょん、とおぼつかない足取りでアナスターシャが湯の前まで来て、
「おお、湯じゃ!」
「ささ、王女」
「うむ!」
騎士に浴衣を脱がされ、ぴちょりとアナスターシャが湯に入る。
そこから少し離れた岩陰で・・・
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「見えるか」
「ち・・・湯気が濃いな。見えない。影で・・・くそ、騎士が邪魔だ」
「待つか」
きちち・・・と慎重に特殊部隊員が遠眼鏡のピントを合わせる。
「見えた所でいく」
「よし。風なし・・・素人でも外す距離ではない。待機。いける所でいけ」
「・・・」
ふわり、と音もなく、スポッターの後ろに影が下りてきた。
風か。
スポッターは遠眼鏡から目を離すこともなく、軽く首を撫でた。
と、スポッターの口に手が当てられ、静かに、慎重に寝かせられた。
その耳には、長楊枝が深々と突き立てられている。
「見えないな」
「・・・もう少し・・・騎士は離れた。湯気が流れれば・・・」
「見たいな」
「・・・」
くるっと銃が後ろを向いたが、銃口が向く前に、ぱん、と手で止められた。
にやにや笑う男は、ジンノジョウ=サカバヤシ。
「見えないか。ここなら覗けると思ったが」
「!」
ぱっと銃を離して拳銃を抜いたが、さ! とジンノジョウが手を出す。
「何!?」
く! く! と引き金を引こうとしても引けない!
「ほら。ここ。ここ見て」
なんと引き金の裏にジンノジョウの指が入っている。
横に拳銃を動かそうとしたが、ぐっと握られてしまい、動かない。
拳銃も離してナイフを抜こうとしたが、さっとジンノジョウの手が動いたと見えた瞬間、ナイフはジンノジョウの手に納まっていた。
「遅いなあ。あんたもサカバヤシ流で稽古したらどう?」
「・・・」
ジンノジョウが指にぶら下がった拳銃を落とし、ナイフを見て、
「これ、刀身が飛ぶやつだよな。ああ、ここんとこ押せば良いのか。試してみて良いか?」
すす、とナイフの切先がスナイパーに向けられる。
「あ、そうそう。死ぬ前にひとつだけ残念な報せがあるんだ」
「・・・」
ジンノジョウがにやっと笑って顎をしゃくり、
「ふふ。あれ、影武者だぜ。餌ってわけだ。本物はとっくに別の所。残念だったな」
かり、と小さな音。
ぱ! とジンノジョウが下がったが、ばたりとスナイパーが倒れた。
覆面の口の所が、じわじわと濡れてくる。
慌てて近寄り、ばっと覆面を取ると、泡を吹いていた。
「あーっちゃあ・・・逃がすつもりだったのに」
首に手を当てたが、既に脈は止まっていた。
影武者と言いふらしてくれれば良かったのだが、まあ良しとするか。




