第55話
ひと騒ぎもあり、あまりのんびりしていると宿が取れぬ心配が、とマサヒデ達はヒラウチ温泉には入らず、馬車を走らせた。
次に目指すは更に西へ、深い森の中にひっそり佇むマコト村。
「・・・」
「・・・」
後ろの馬車では、寝転がって顔に笠を被せたジンノジョウと、気不味い顔のアナスターシャが、気不味い空気で乗っている。
「のう」
「・・・」
「ジンノジョウや」
「・・・何でございましょ」
「あのな」
「・・・」
もじもじするアナスターシャ。
酔いも覚め、誤解も解けたのだが、これは気不味い。
話を聞いた騎士達がにやにやしている。
「変な誤解をして、すまなんだ」
「もう良いですよ。あーあ! 恥ずかしいったらねえですよ!」
「言うな・・・私も皆に聞かれたのじゃ」
ジンノジョウが笠を上げ、じろっとアナスターシャを睨む。
「これ、貸しにしときますよ」
「うむ」
----------
「マサヒデさん、次はどこなんです?」
「この道を真っ直ぐで・・・途中でカオルさんが道案内してくれます。まさに秘湯って場所らしいですよ。マコト村っていう、小さな村らしいですけど」
「まさに秘湯、ですか。山の中とか?」
「さあ。想像もつきませんが・・・」
マサヒデが遠くに霞がかって見える山を指差し、
「あの山ですかね? 結構大きいですよ」
ぽくぽくとカオルが馬を進めて来て、山の下の方を指差す。
「山の中ではなく、麓の深い森の中の小さな村です。温泉の名はクスシ温泉。奇跡の湯と呼ばれております」
「奇跡の湯?」
「先程の温泉のような茶色の濁り湯ですが、この色が変わる温泉です」
色が変わる温泉!?
「凄いではありませんか! ははあ、それで奇跡の湯ですか」
「それもありますが、クスシとは『薬の師』と書くクスシから。名の通り、どんな病もたちどころに治すという謂れからです。色が変わるのは、他の温泉にもございます。鉄分が多いとそうなるのですね。隣接して透明な温泉もあり、内湯、露天風呂、どちらでもその湯を楽しめる温泉です」
「へえ・・・」
「実はこの温泉、日輪国三大秘湯のひとつ」
「有名なんですか?」
「はい。ですが、文字通りの秘境なので、人はそれほど多くありません。しかも雪の季節です。客は私達のみであろうと思います」
つまり、他に誰かが居たら・・・誰かが来たら、まず間違いなく。
「・・・他に客が来たら、というわけですか」
こく、とカオルが頷く。
「露天風呂は、現地で様子を見てから、使用するか否かを決めようかと。良い場所であれば、私めが」
「なるほど。その時は頼みます」
「は」
----------
途中でカオルの馬が前に立ち、がらがらと馬車を走らせる事、休憩を挟んで既に3刻(6時間)。
坂を登った所でカオルが手を挙げて、馬を止めた。
「もう半刻もかかりませぬ。しばし休憩を致しましょう」
「おお・・・」
馬を並べていたアルマダの口から声が漏れる。
凍った湖。
西に傾いた陽に輝く、一面の氷。
きらきらと黄色い夕陽を輝かせ、その景色は絶景。
「凄い・・・」
マサヒデも絶句。
御者台のトモヤもフードを取り、目を細めている。
馬車から皆も下りてきて、氷の湖を見て息を飲む。
「ああっ」
「すっげえ・・・」
「ううむ・・・」
「・・・」
後ろの馬車からも、アナスターシャとジンノジョウ、アナスターシャの騎士達が下りてきて、はあ、と息を飲む。
ジンノジョウが腕を組み、うっとりと湖を見つめるアナスターシャを見る。
「どうだい、王女様。こんなの、白露にも中々ねえんじゃねえのか」
「ないな・・・美しい」
「遠くに見える周りの山は、全部火山。それでぼこっと出来た穴が湖になったのさ」
「そうか・・・火の山が、氷の湖を作るか」
ジンノジョウが声を上げて笑う。
「はっはっは! 流石、王女様は詩人だな!」
トワダとナガタニも、湖を見て目を細める。
「ナタノスケ。お前も冬にはここまで来たことはあるまい」
「はい・・・なんと言葉にして良いのか」
「言葉にすると安くなる。儂もこの景色を見るのは、もう何年ぶりかのう・・・」
さくり、さくり、とアナスターシャが雪を踏んで来た。
「トワダ、ここは毎年こうなのか」
「如何にも。儂が産まれてこの方、冬になるたび、湖が凍っておりまする」
「そうか・・・」
「されども、氷の湖の下には魚が泳いでおりますぞ」
「何? この湖にか? 真か?」
「そうですとも」
ぽん! とアナスターシャが手を叩く。
「あ! もしやワカサギか!?」
「お、ご存知で?」
「うむ。いや、白露では海が凍るのは知っておろう? ワカサギはその凍った海で釣るのじゃ。あれは海の魚じゃと思っておったが」
「この湖にもおりまするぞ。明日はワカサギ釣りでもなさいますかな?」
「あ、それも良いな・・・うむ、この美しき湖で釣りか」
釣り。
ぴくん、とマサヒデが反応した。
マサヒデは釣りが大好きなのだ。
「トワダ先生。ここで釣りが出来るんですか?」
「お。トミヤス殿は釣りをなさいますか」
「大好きです。剣術が駄目なら、釣りで生計を立てようと考えております」
「はっ・・・はははは! それは良い、それは良い! 王女、明日は釣りでも楽しむのは如何でございましょうかな!」
「悪くない」
くすくすとアルマダ達が笑っている。
----------
美しい氷の湖を眺めた後、目の前に見える森の中に入って行く。
既に夕方という事もあり、暗い。
「カオルさん」
マサヒデが前を行くカオルに声を掛ける。
「む。何か」
「こう言うのもなんですが・・・ここ、怖いですよ」
くす、とカオルが笑い、
「またご冗談を」
すいっと前を向き、カオルが馬を進めて行く。
少し離れると見えなくなりそうだ。
「・・・」
横で馬を並べているアルマダの顔もよく見えない。
「アルマダさん」
「ここで襲われるとまずいですね」
「そうですね。あのボロ家を思い出しますよ」
「ええ・・・あの時は冗談でしたが、ここは本当に出そうです」
マサヒデが後ろを向き、ゆっくりついてくる馬車の影を見て、懐から鉄扇を出して、松明のように挙げて握る。これは魔術の籠もった鉄で出来ており、ぱちぱちと雷の魔術が出る。雷自体は非常に弱く、ぴりっとくる程度だが、光が出るので、暗い所で役に立つ。
「やっとこれの出番が」
ば! とカオルが振り向き、後ろ向きに馬の上に立ち、
「ご主人様!」
「大丈夫!」
「あ・・・」
ほ、とカオルが息をつき、するりと馬に跨る。カオルも落ち着いて見えて、ぴりぴり警戒していたのだ。
「驚かしてしまって、すみません」
「いえ」
「マサヒデー! よう見えるわー!」
後ろの馬車から、トモヤの声。
そのまま少し進んで行くと、前にぽつんと灯りが見えた。
----------
宿に着き、馬車を停める。
アナスターシャがうんざりした顔で外に出ようとしたが、
「待て。まだ下りるな」
と、ジンノジョウが止め、しゃっと下りて、目を細めて周りを見回す。
暗くなり、猫族のジンノジョウの勘が冴え渡る。
何かが居る。ここには危険がある。
近くなくても油断ならない。
相手は鉄砲使いだ・・・
「なんぞおるのか」
「黙れ」
「何!」
「いいから静かに・・・」
ゆっくりとジンノジョウが周りを見渡す。
「よし・・・ゆっくり下りるんだ。すぐ引っ込めるようにして、ゆっくりだぞ」
「わ、分かった・・・ジンノジョウ、怖いぞ」
「黙って下りるんだ。俺の後ろに貼り付け」
「ん」
アナスターシャが下りてきて、ジンノジョウの後ろに貼り付く。
「こりゃあ、ちょいとまずいなあ。どっかに居るなあ。騎士さん達、早く下りて王女様を囲め」
「は!」
ぞろぞろとアナスターシャの騎士も下り、びたりとアナスターシャを囲む。
「ど、どうしたジンノジョウ?」
「後だ。早く宿に入れ。窓に近付くなよ。急げ。トワダ先生! 王女頼んます!」
「ほいほい」
トワダとナガタニも馬車から下り、アナスターシャの左右に立って、宿に入って行く。
マサヒデもシズクを呼び、
「イザベルさんと一緒に、すぐ中に。クレールさんとラディさんを頼みますよ」
「ん。ヤバい感じするね」
マサヒデがちらちらと周りに目をやる。
気配は掴めないが、嫌な感じがする。
森が暗くて不気味だからではない。
ジンノジョウとシズクが言う通り、これは確かにいる。
「ええ・・・何人いますかね・・・ここに来ると読まれましたかね」
「分かんない。上手いね。あんまり近くない感じはする。撃ってくるかな」
「かもしれません。早く入って下さい」
「はーい」
不安気なクレールとラディを押すように、シズクとイザベルも入って行く。
アルマダがマサヒデの横に立つと、馬車の影から宿の下男の姿の男が出て来て並ぶ。
「今夜中に全員を仕留めませぬと、王女の身が危険でございますな」
「ええ。マサヒデさん」
「・・・」
ジンノジョウもちらりと後ろを見てから、マサヒデの所に歩いて来る。
「あんた誰だい」
下男姿の男は、クレールの影護衛、レイシクランの忍。
「クレール様の護衛にございます」
ジンノジョウがちょっと驚いた。
「へえ・・・居たのか?」
「はい。サカバヤシ様、ヒラウチ温泉でさぼっておりましたな」
「うっ」
マサヒデが呆れた顔で、
「ジンノジョウさん・・・頑張るって言ってたじゃないですか・・・」
「違う! 違うぞ! 本番は夜! そう思って、身体を休めてただけだ!」
「ほおう?」
アルマダも呆れた声を出す。
ジンノジョウは諦めて、ふう、と俯いた。
「ああ、もう・・・暇だったんだよ・・・」
が、すぐ顔を上げたジンノジョウは、にやっと笑った。
「しかしなあ、忘れちゃいねえだろうな? 俺は猫族だぜ。ま! 夜が本番で良かったのさ」
ふ、とマサヒデ達が笑う。
「カオルさんが良い策を考えているんです。出来るかどうかは、見てみないと分かりませんが。取り敢えず、中に入りますか」
「そうすっか。うう! 寒いぜ・・・」
ぴん! と尻尾を立て、ジンノジョウが肩を抱いて、ぶるっと身を震わせた。




