第53話
ヒラウチ温泉。
女衆が温泉を楽しんでいる中、マサヒデ達は護衛に周りを回っていた。
この男もその1人。
(暇だねえ)
熱湯が湧き出ている穴の側で、胡座をかき、ぴこぴこと口に加えた長楊枝を動かす。
ぴし、と小石を弾き、熱湯に放り込む。
ぴちゃ・・・
「ふわーああ・・・」
と、あくびをかいた時、かさ、と小さな音。
ぱ! と立ち上がると同時に、柄に手が掛かっている。
「・・・んん?」
この気配、獣。人ではない。なあんだ、とまた座り、ぴちん、ぴちん、と指で小石を弾いていると、のっそりと熊が歩いて来た。
「ふああ~・・・」
退屈そうにあくびをするジンノジョウを、熊がじっと見ている。
ジンノジョウはひらひら手を振って、
「行け行け。向こうにゃ酒もあるぞ」
獣人族は、何となく、うっすらと、獣の感情のようなものを感じる事が出来る。
レイシクラン一族は、完全に喋る事も出来るのだが・・・
「強いのがいるからなー。青い奴に気を付けろよ。危ねえと思ったら逃げろよ」
「ふ、ふ」
熊は鼻から息を吹きながら、興味深そうにジンノジョウを見ている。
「つまんねえよなあ・・・お前、ひと騒ぎ起こしてきてくれる? すぐ逃げろよ? 斬りたくねえし・・・」
熊は5分程、ぴす、ぴす、と小石を弾くジンノジョウを見ていて、ゆっくりと温泉の方に歩いて行った。
(やった)
ジンノジョウがにやりと笑った。
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ぱき・・・
「ん?」「むっ!」
シズクとカオルが林の方を向き、さっと河原の石を取った。
遅れて、イザベルも石を取る。
「なんじゃ」
「何か・・・来ます」
ちゃぷ、ちゃぷ、と湯の中を歩き、
「皆様、後ろへ。頭を低く。シズクさん。イザベル様」
「おう」
「は!」
じゃばじゃばとクレール、ラディ、アナスターシャが後ろに下がる。
と、シズクがぴんときた顔で、
「あっ。熊じゃねえの? それっぽい感じ」
「熊!?」「何!?」
カオルとイザベルが声を上げた時、がさ、と茂みから熊が顔を出した。
「ほおら、熊じゃん」
「ち! シズクさん!」
「いいじゃん、別に・・・殺気立ってないし」
シズクは石を放り投げ、ばっしゃん、と湯に沈む。
クレールの顔が蒼白になり、
「くくく熊ですよ!?」
「大丈夫だって・・・はあーあ。湯に入りに来たんじゃないの」
「え、ええーっ!? 本当に!?」
シズクが手を振って、つまらん、という顔で湯に沈む。
「こういう時は大丈夫だって。砂漠とかで水場にいる動物とか、喧嘩しないんだよ」
「温泉でもですか!?」
「多分ねー」
ばしゃ! とアナスターシャが湯を弾いて手を振り、
「適当すぎるわ! 貴様は鬼族であろう! 何とかせい!」
「んー・・・頑張るけど、文句言わないでよ」
「言わぬ!」
「あそう? じゃ頑張る」
シズクが徳利を取り、ちろちろと酒をお猪口に注ぐ。
「呑んどる場合かぁーッ!?」
「呑まん、呑まん」
よ、と手を熊の方に伸ばし、ちょこんとお猪口を置いた。
「はい。私、頑張った」
ふすん! ふすん! と熊が鼻を鳴らし、ゆっくりと温泉に近付いてくる!
「ひえっ、ひえっ!」
クレールが変な声を上げ、ラディが目を見開き、アナスターシャは手を合わせて、ぶつぶつと祈りのようなものを囁いている・・・
「大丈夫だってー。危ねえ! ってなったら、私がぶっ飛ばすからさあ。皆、鬼じゃ不満なのかよ・・・信用ないなあ」
のっしり、のっしり。
熊が歩いて来た。
シズクが置いたお猪口に鼻を近付け、ふん、と鼻を鳴らし、う! と鼻を避ける。
「美味いぞおー」
ひょいっとシズクが手を伸ばすと、うが! と熊が声を出した。
腹に響く鳴き声!
びく! と皆が身を竦めるが、シズクはお猪口に指を入れ、ぺろりと舐める。
「ほおーら。美味いぞおー」
ぺろぺろ。
熊は、ふん、ふん、と鼻を鳴らし、ぺろり・・・
ぺろり、ぺろり。
シズクは湯船に戻り、ぐるりと首を回し、にこっと笑った。
「な? だーい丈夫だって。ビビってると、熊もビビって手え出してくるよ。ビビらない、ビビらない」
「む、無理じゃ・・・」
「じゃ、大人しくしてなさーい。声出さないで」
こくこくとクレールとアナスターシャが頷き、とぷん、と湯に沈む。
「あ、酒終わった?」
熊のお猪口を取り、今度は自分がぐいっと呑んで、もう一度注ぎ、熊の前に置く。
ぺろり・・・ぺろり・・・
「・・・」
ごくん、と喉を鳴らし、クレールが熊を見ていたが、いつの間にかカオルもイザベルも落ち着いて、頭に手拭いを乗せている。
「クレール様ー。落ち着いて。熊の声、聞いてみなよ。何て言ってる?」
「ん、ん?」
ぺちゃり。
(美味えなあ!)
ぺちゃり。
(堪んねえなあ!)
ぺちゃ。ぺろぺろ。
(もう1杯!)
のそっと熊が顔を上げ、シズクを見る。
「無くなった?」
「バアフゥーッ」
「はーい。じゃ、あげちゃうー。これ最後」
(そんな殺生な!?)
「はい」
ぺちゃぺちゃ・・・
「ううん・・・完全に酔っ払いのおじさまですね」
「だろー? 怖くない、怖くない」
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暇なジンノジョウが温泉の方を見る。
「何もねえな・・・どっか行っちまったのかな・・・あーあ、つまんね」
ぴち、とまた小石を弾いた時、
「サカバヤシー!」
アナスターシャの声。
「ちっ・・・はあーい!」
「来ーい!」
「はあーい!」
面倒くせえなあ、と立ち上がったが、その時!
(はっ! これは好機!)
温泉で酒に酔っ払った女共・・・にやり。
「はいはいっ! 今すぐっ!」
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「・・・」
淀んだ温泉では、何も見えなかった。
皆、肩までしっかり浸かっている。
はあっ、とジンノジョウは溜め息をついて、
「なんでござんしょ」
アナスターシャは眉を吊り上げてジンノジョウを睨む。
「貴様、サボっておったな! さっき熊が来たぞ!」
「なあんですって!? 熊がー!? ううむ、殺気がねえと、分かんねえからなあ。温泉に入りに来ただけ?」
シズクが頷いた。
「そうそう。酒呑んで帰っちゃったんだよ。全然殺気とかなかった」
「くそ、そうなのか・・・ちょっとでも殺気出てたら分かったんだけど」
ジンノジョウが悔しそうに下を向く。
バレずに済みそうだ。良かった。
「だね。王女、仕方ないって」
「ううむ。まあ良いわ。おいサカバヤシ。何か芸を見せろ」
「ええー」
やっぱり。ジンノジョウがうんざりして、
「駄目ですよ」
「何故じゃ」
ぴしん! と殺気を出す。
は!? とカオルとイザベル、シズクの身が固まる。
「俺が抜く時は、斬る時だけですぜ。見てえってんなら、それなりのものを出して下さい」
「何が欲しい」
「あんたの命」
ごく、と誰かが喉を鳴らす。
この殺気、ジンノジョウは本気だ。
「私の命・・・か?」
「ええ」
はあ! とアナスターシャが頬に手を当てる。
「そ、そうか? 我が生命の為にしか、剣は振らぬと言うか」
えっ、と皆がアナスターシャを見る。酔っているのか・・・
どう取ればそうなる?
ジンノジョウも、あらっと肩を落とした。
「あいや、そうじゃなくて」
「分かっておる。みなまで言うな。そういうのにも憧れぬでもないが」
「いやだから」
「サカバヤシ、いやジンノジョウ。済まぬ・・・これも我が美しさの罪よな」
「違うって!」
「照れるな・・・分かっておる。ああ、こんな人前で・・・」
ぶは! とシズクが吹き出して笑う。
「ぎゃーははは! ジンノジョウ、やるな!」
「く、くくく・・・」
皆もくすくすと笑いを堪える。
「ああ、皆、笑わんでくれ。ジンノジョウも叶わぬ願いと分かっておるのじゃ・・・あんなに真剣に」
「はっ! はははは!」
イザベルも笑い出した。
クレールも両手で口を押さえ、笑いを堪えながら、慌てるジンノジョウを下から覗く。
「うふ、うふふふ。サカバヤシ様! こんな人前でやりますね!」
「だからっ!」
「良い! ジンノジョウ、もう良い! お主の言葉、このアナスターシャ、心に刻むぞ。終生忘れぬから・・・」
「だからーっ! 違うって言ってるだろおー!」
「ジンノジョウ・・・嗚呼! もう顔を見ていられぬ! 下がって、下がって良いから・・・時間をくれ。頼む」
「おいおいおいおいおい!?」
カオルが声を上げて笑った。
「はははは! サカバヤシ様、後は私共にお任せ下さい! 何、一夜の夢でございます」
「一夜の・・・うん。一晩・・・だけであれば・・・ジンノジョウ・・・」
「あ、そなの? 一晩だけ? あ、それは悪くないかな?」
「サカバヤシ様!?」
「ごめんなさーい!」
すぱー! とジンノジョウは駆けて行ってしまった。
ふん! とクレールがジンノジョウが駆け込んだ木立を睨む。
「全く! マサヒデ様を見習って欲しいですね!」
イザベルはまだ笑いながら、アナスターシャの肩に手を置いた。
「ふふふ。さ、王女。落ち着きなされませ」
アナスターシャは顔を真赤にして、ぶんぶん首を振る。
「嗚呼! 落ち着いてなどおれぬ! 胸が張り裂けそうじゃ!」
ぷ! とラディが吹き出した。




