第50話
翌朝、辰の初刻(午前7時)、安宿前。
ジンノジョウ、ナガタニ、トワダが並び、順に王女に挨拶をしていく。
「ジンノジョウ=サカバヤシと申します」
「ナタノスケ=ナガタニと申します」
「サトシゲ=トワダと申しまする」
はて? と王女が首を傾げる。
「トワダと申したか」
「は」
「トミヤスからは聞いておらなんだが、そちは・・・」
随分と歳を食って見える。
この独特の物腰、腰に下げた剣。
「何流の者じゃ?」
「恥ずかしながら、一剣流トワダ道場の道場主をしております」
あ! とアナスターシャが声を上げた。
「なんと!? そちは一剣流の道場主であったか! これは礼を失した。許せ」
トワダが丁寧に頭を下げ、
「あいや、ナガタニの誘いに無理矢理についてきただけでござりまするゆえ、知らずも当然にござりまする」
「そうか、道場主か。ナガタニの師であったか。うむ。してサカバヤシとやら」
「はあ」
「お主、あれか? ローニンとやらか?」
菅笠に長い楊枝を加えた姿、まさに浪人の見本。
「浪人・・・まあ、そうっちゃそうですかね? 家業の手伝いはしてますが」
「家業は道場というわけじゃな」
「はい」
アナスターシャが歩いて来て、下からジンノジョウの顔を覗き込む。
ん、ん、とジンノジョウが背を反らす。
アナスターシャが口を尖らせ、
「何か不満でもあるのか?」
「まさか。王女様の護衛なんて、この上ない名誉ってもんで・・・」
「ふうん・・・」
「・・・」
この人は・・・とマサヒデ達が溜め息をついた。
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がらがらと2台の馬車が走る。
マサヒデ、アルマダが並んで、先頭で馬を進める。
「で、マサヒデさん、今日はどこに行くんです?」
「近くに変わった温泉があるそうで、まずそこへ行くと」
「変わった温泉?」
「川の近くに穴が開いていて、温泉になってるとか」
川の近くの穴が温泉? アルマダが首を傾げる。
「穴? それって、温泉ではなく間欠泉ですか? 湯が吹き出るという」
「ではないでしょう。終日無料で、入り放題なんですって」
「ほう」
「宿泊施設はないので、まあ入ったら次に行くと」
「ふむ。しかし、穴が開いていて温泉ですか。何か想像出来ませんが」
「私もです。しかし、露天ですからね。裸になった所で襲われたら困りますね・・・」
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馬車の中。
「サカバヤシ」
「え? あ、はい。何でございましょう」
憐れな事に、マサヒデ達の馬車にナガタニとトワダが乗ってしまい、王女の馬車にはジンノジョウが乗る事となったのだ・・・
「ヒラウチ温泉は知っておるか?」
「ああ、知ってますよ。私らもたまに行きますから」
アナスターシャがカオルが買って来てくれた『秘湯も!? ゾエの温泉全網羅! 全て周ればあなたも温泉達人に!?』という冊子のページを指差す。
「川の横に穴があるとは、どういう温泉じゃ?」
「いや、そのまんま。河原に穴があって、温泉になってんですよ。露天風呂」
王女が首を傾げる。やはり良く分からない。
「どんな温泉じゃ?」
ジンノジョウが顔をしかめ、頬に手を当てる。
「んー・・・この時間なら大丈夫だと思いますけどね。昼過ぎると、村のババア共が占領しちまうんですよねえ。出るまで待ってろ! とか言いやがって、半刻も待たされたりして」
「何と!? それほど人気なのか?」
ジンノジョウが得意気に頷く。
「そりゃもう! 確かにいい湯ですよ、あそこは。あ、卵買って行きましょうや。あそこ、熱いのが出てる所がありますから、美味い温泉卵作れますよ。道場の皆で行く時は、いつも卵持ってくんです」
「おお、そうか!」
喜ぶアナスターシャを見て、ジンノジョウがにやりと笑う。
「ですがね、王女様。あそこ、たまに熊が入ってますぜ」
「は!?」
「熊も入りに来ちまうくらい、良い温泉なんですよ」
「・・・ちと見てみたい気もするが、熊と混浴は怖ろしいの・・・」
「なあに、トミヤスさん達が追い払ってくれますって」
「そちは何もせんのか」
ジンノジョウが手を振って、
「良いんですかい? ご入浴されてる横で立ってて。ちっ、ちっ・・・しーっ」
と、爪楊枝を口で鳴らす。アナスターシャがむっとして、
「貴様、態度が悪いな」
「は・・・? あれ、そすかね? いやあ、すんません。礼儀とかはちょっと知らなくて。そんなの学ぶより剣を学べって感じで」
「ふーん・・・」
ごろりとジンノジョウが寝転がる。
「おい!」
「は?」
「寝るな!」
ジンノジョウがひらひら手を振る。
「王女様、分かってませんねえ」
「何がだ」
「いざって時に動けるように、少しでも暇がありゃ身体を休めとかないと。武術家って奴の心得ですよ、心得。嘘だと思うなら、トミヤスさん達に聞いてご覧なさい」
「・・・」
ちらりと一緒に乗っている騎士を見ると、騎士は肩をすくめて首を振った。
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ウスケシを出て2刻(4時間)。
昼前になり、前方に川が見えてきた。
「マサヒデさん。あれ川ですよ」
「ええ・・・大きい川ですね。あの川沿いですかね? 湯気とか見えませんけど」
「外ですから、風で流れてしまうんでしょうか。どこでしょう?」
マサヒデが左の方を指差す。
「あ、あの辺。木が生えてる所、見て下さい。掘っ立て小屋、見えません?」
「ああ・・・あの近くですかね・・・行ってみますか」
ぽっくりぽっくりと馬を進めて行くと、微かに硫黄の匂い。
「あ、これ温泉の臭い」
「そうですね。この近くですよ」
そのまま掘っ立て小屋まで近付いて行くと、小屋の周りが広くなっている。
馬の繋ぎ場もあるし、おそらくこの近く。
馬車を止めさせると、ジンノジョウが下りてきて、ぐーっと伸びをする。
「あー、着いたか! おい、ちょっとこっち来いよ!」
ジンノジョウが小屋の前に歩いて行き、看板を指差す。
『熊に注意』
「熊・・・」
絶句するマサヒデを見て、ジンノジョウが楽しげに笑う。
「ここ、熊まで温泉に入りに来るくらい良い温泉なんだぜ。すげえだろ?」
んん! とアルマダが咳払いして、顔を整える。
「まあ、凄いですね・・・ええ」
2人を見て、ジンノジョウは楽しそうだ。
「温泉卵、作りに行こうぜ! ゆっくり湯に浸かってりゃ、いい感じに出来上がるぜ。牛乳も買ってきたからよ、上がったらぐっとな!」
トワダもにこにこしながら馬車を下りて来た。
「おお、ジンノジョウ君、分かっとるな! ヒラウチ温泉と言えば温泉卵よな!」
「ですよね! さっすがトワダ先生! 分かってらっしゃる!」
「しばらく足が遠のいておったがな。いや、ここの温泉卵は絶品じゃで」
ジンノジョウもトワダも楽しそうだが、マサヒデもアルマダも『熊』という字から目が離せなかった。
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ジンノジョウとトワダに案内されるまま、林の中に入って行くと、
「おおっ!?」
と、マサヒデが声を上げた。
「ああっ! これ凄いですよ! 皆さん、こっち来て下さい!」
何だ何だと皆が集まってきて、驚きの声が上がる。
小さな穴に湯が溜まっていて、ふつふつと泡を立てている。
マサヒデが指差して、
「ジンノジョウさん、これ、凄く熱そうですけど」
「ここは温泉卵作る所。川の方に行くと、いい露天風呂があるんだ。隣がすぐ川でよ、のぼせそうだと思ったら、ちょいっと川に浸かってまた湯に入るんだ。きりっと身体が冷えて気持ちいいんだ、これが! ずーっと入ってられるぜ」
「へえ!」
「あ、トミヤスさん達、人族組は川に浸かるなよ。王女様も駄目だぜ。川でうっかり転んだりしたら、20秒で死ぬから」
「え!?」
「そうじゃな」
20秒で死!?
マサヒデは驚いたが、流石アナスターシャは雪国の王女、分かっている。
「冷たくて動けなくなるからな。そのまま死ぬ。温度が急に変わって、心臓が止まっちまう事もあるんだ。手桶でかけるだけにしとけよ」
うんうん、とトワダが頷き、
「儂も歳じゃし、気を付けねばな」
ジンノジョウが途中で買ってきた卵を網に入れ、慎重に湯の中に漬ける。
「トワダ先生は多分大丈夫でしょ・・・さて、これで良しと! へへ、王女様、楽しみにしてて下さいよ。湯上がりの温泉卵と牛乳! 堪んねえ一品だぜ!」
「そこまで美味いのか?」
「勿論! ですよね? トワダ先生」
トワダが笑顔で頷く。
「そうですぞ。王女、ゆるりと湯に浸かって参られませい。じっくり浸かった後! というのがミソでございまする。そこで温泉卵に牛乳! いやあ、堪りませぬぞ」
「そうか! では参るか! 湯はどこじゃ?」
ジンノジョウが立ち上がり、川の方を指差す。
「すぐすぐ! あ、足元気を付けろよ。ここみたいな熱い湯が出てる穴、いくつかあるからな。足い突っ込んだら火傷しちまうから」
がさがさと落ち葉を踏んで、皆が河原に下りて行く。
ぱっと林が開けると、河原に広い穴が開いており、湯気が立ち上っていた。




