第47話
そして夜。
白露帝国第一王女、アナスターシャの日輪国お忍びの最後の夜。
マサヒデ達とテーブルを囲み、アナスターシャはがぶがぶと酒を呑む。
「随分とハイペースですが、大丈夫ですか?」
アルマダが心配気に声を掛ける。
アナスターシャは、ふうっ、と息をつき、くっと口の周りを拭いて、濁った目でアルマダを見てから、かくっと項垂れてしまった。
「実はの。しばらく日輪国に来られぬやもしれぬと思うてな。此度はそれで我儘を言って、半ば強引に出て参ったのじゃ」
「来られない? 何故?」
「戦じゃ。父上は日輪国に目をつけておる」
しーん、と場が静まり返った。
白露帝国と戦争となると、大きな戦になる・・・
アルマダがナイフとフォークを置き、
「ハラムィ陛下は、親日輪国派と聞きますが。皇后との結婚が決まる前は、日輪国の者を娶りたいと仰っていたそうではありませんか」
アナスターシャが首を振る。
「変わった。今や日輪国は猿の国と言う始末じゃ」
「・・・」
「今は勝てはせぬ。それは分かっておる。白露帝国は大きい。守る場所が多すぎ、海軍力が散っておるゆえ、今は戦は出来ぬ、などと言う。今は、今は。数年したらと」
「そこまで仰っておられるのですか」
こく、とアナスターシャが頷く。
「そうじゃ。ミスジ殿があしげく白露に来るのも、父上の意を何とか変えねばとな」
ミスジとは、日輪国の外務大臣である。
マサヒデ達とも縁がある者で、踊らされて刺客を送ってきた。(※首都編96話)
だが、騙されただけでミスジ本人は人格者であり、諸芸を極めた達人でもある。
「嫌じゃ! 私は嫌じゃ!」
酒をあおり、アナスターシャが声を上げる。
「名の知れた日輪国の騎士が欲しかった。父上に見せてやりたかったのじゃ。日輪国には敵わぬと思ってくれれば・・・大臣共も、もはや日輪国との戦を反対する者は、少数になってしもうたわ・・・」
アルマダが険しい顔で、顎に手を当てる。
「何を思ってこの国を。米衆連合との同盟を快く思っていないのは分かりますが、手を出せば痛い目を見るのは白露帝国のはず」
ふん、とアナスターシャが鼻を鳴らす。
「そんな政の事なぞ知らぬ。のう、レイシクラン様」
「はい」
クレールを見るアナスターシャの目は、酒に濁ってはいたが、真剣に縋るような目であった。
「父上に親書を書いてもらえませぬか。このような事を聞いたが真か、真であればやめてもらえぬかと。レイシクラン様の一言、私の我儘よりは響くはずじゃ」
「何通でも書きますけれど、国の方針までは変えられないと思います。そもそも、私はこの国の者ではないのですから」
かん! とアナスターシャが盃を置く。
「クレール様はトミヤス家の者ではありませぬか!」
「それが通じるのであれば、陛下もミスジ様も、私の所へ参っております」
「うっ、うう・・・」
アナスターシャが、がっくりと肩を落として俯く。
酒も回ったせいか、ぼろぼろと涙を流して泣き出してしまった。
「嫌じゃ。嫌じゃ。嫌じゃ。私はまだ牡蠣を食いたい。柚子を風呂に浮かべたい。のう、ファッテンベルク、お主の口利きでは利かぬか? 魔王軍の大将であろう?」
イザベルも首を振る。
「その娘でございます。私がいくら声を大にしても、ハラムィ陛下のお耳へは届かぬかと」
「ハワード」
無言でアルマダが首を振る。
「役立たずが!」
アルマダは立ち上がって、アナスターシャの横に座って両手で手を取る。
「教会に働きかけてみては。白露は教会が強い。既に抑えられている者は多くいるでしょうが、王女がバックアップして教会に声を上げさせてみてはいかがです。声を上げたいが上げられない、という者が必ずいます。彼らを後押しなさい」
「・・・うん」
「ミスジ様にも、その旨をお伝えしておきます。私達も、ミスジ様とは浅からぬ縁があります。王女がそのつもりなら、力を貸してくれましょう」
「うん」
「王女。このような事を、人前で喋ってはいけません。もうやめましょう。お酒を召され過ぎです。カオルさん、王女を部屋に」
「は」
カオルが立ち上がると、アルマダが取っていた手を少し上げた。
その手を取り、カオルは王女の肩に手を置く。
「さあ、王女」
「参る」
がっくりと肩を落とした王女が立ち上がり、カオルに連れられて部屋に戻って行く。
王女が去った後のテーブルには、厳しい空気が下りていた。
マサヒデ達には何も出来ない、政の話。
たったひとつ浮かぶ解決策は・・・
「マサヒデ様・・・」
クレールの小さな声に、マサヒデが首を振る。
ああは言ったが、レイシクラン家の一言は大きい。
実際、日輪国と戦をするならもう白露に食料は売らぬと言えば、止められる。
止められずとも、少なくとも数年は遅らせる事が出来る。
だが、事後であればまだ良いが、事前では明らかな脅迫と内政干渉。
個人的な感傷も入るし、余計に戦の理由を増やす事になりかねない。
これはしてはいけない。
であれば、出来る事はたったひとつ。
国王暗殺。
レイシクランの忍であれば出来る。
だが、そんな事は絶対にしてはならない。
ましてレイシクラン家に何の意もない国の王を、暗殺など・・・
この国の忍なら分かるが、レイシクラン家の忍を向かわせる理由にはならない。
ましてや、アナスターシャの実父なのだ。
「何も出来ないのですね」
アルマダが頷く。
「ええ。私達には何も出来ません」
クレールが顔を上げた。
「マサヒデ様、私、親書を書いて参ります」
「そうして下さい。ほんの少しでも、白露の王の心が動いてくれれば。脅迫のような事は」
「書きません。イザベルさん。連署致しましょう」
「は!」
クレールとイザベルが2階に上がって行った。
「食べましょう。私達には、どうしようもない話です」
アルマダが小さく呟くと、マサヒデも頷いた。
「そうですね・・・」
----------
すっと静かに王女の部屋のドアを閉め、カオルが廊下に出た時であった。
(!)
ぴくりとドアノブに掛かったままの手が、一瞬だけ止まった。
(聞かいでもの事を聞きすぎたか?)
これは恐らく王女の影護衛、白露の忍だ・・・
今まで殺気を感じた事は無かったが、微かに感じる。
白露帝国の王が明らかな戦の目を向けているなど、聞いてはまずかったか?
(出方を見るか)
しかし、外務大臣のミスジも、それを知ってご機嫌取りに通っているのだ。既に国の首脳部は承知の事。それが広まるのが嫌だという事か? 確かに日輪国の民草に広まれば、戦の機運は高くなるが、それは白露側が願う事・・・何故、今なのだ?
(ただの警戒か? であれば良いが)
カオルはドアに向かって軽く頭を下げ、マサヒデとクレールの部屋の前に立った。
----------
こんこん。
「はあい」
クレールの声。
「カオルです。失礼致します」
「どうぞ」
ドアを開けて中に入ると、イザベルも机の横に立っている。
2人で親書を書いているのだ。
この部屋の中は、クレールの忍がついている。絶対安全。外の忍は近付けない。
すすっと2人の側に近付いて囁く。
(白露の忍がおります)
む、と2人が顔を引き締める。
王女なのだから、影護衛はついていて当然。
だが、カオルが報告してくるという事は・・・
(何かありましたか)
(殺気を向けられました。ただの警戒か、余計な事をするなという事か)
すっとクレールがペンを置く。
(この親書、届かない事もあると?)
(レイシクラン家とファッテンベルク家の連署、よもや届かぬという事はないと思いますが、中身がすり替えられる事はあるかもしれません)
イザベルが頷く。ありえそうな話だ。
しかし、いくら何でも、白露帝国まで手紙がすり替えられないようにと見張りをつけるわけにもいかない。
クレールが肩を落とし、
「無駄になるのですね」
イザベルがクレールの背に手を当てる。
「クレール様。その可能性もあるというだけです。政の世界では往々にしてある事」
「分かってますけど・・・」
「王女が手ずから運ぶ手紙。王女に中を確認して頂いてから、封を閉じれば良い事です。中身が変われば、王女には分かります」
「あ、そうですね! そうしましょう!」
「教会へも書いておきましょう。レイシクラン家の目が向いているというだけで、教会も気にするはず」
「確かに! よし、書きましょう。カオルさん、ありがとうございました」
「はい。では、下がります」
ドアを開けて外に出ると、先程の殺気は微塵も感じられなかった。
何かおかしい。
何故、殺気が向けられた?
階段を下りかけてはっとした。
ば! と王女の部屋を向く。
(もしや!?)
ばさっと羽織を鳴らして王女の部屋の前に立つ。
自分に向けられた殺気ではなかったのだ!
「ちっ!」
脇差に手を掛け、そっとドアノブに手を掛ける。
(鍵が!?)
開いている!
迂闊! クレールの所に行っていた間に入りこまれた!
抜きながらするりとドアの隙間に入り込み、すっと閉める。
「・・・」
目の前には、鍼を打たれて動けなくなった、変わった軍服の者が立っていた。
横でレイシクランの忍が口に指を当てている。
忍がベッドに目をやると、王女が静かに眠っていた。
カオルは静かに息をつき、脇差を納めた。




