第33話
安宿に戻る頃には、とっくに昼も過ぎていた。
あっと暖炉の前のクレール達が、入って来たマサヒデ達を見る。
「マサヒデ様!」
ぱたぱたとクレールが駆けて来て、マサヒデに跳びつき、
「ああ! 遅いので心配しておりました!」
と、ぐいぐいと顔を押し付ける。
「大丈夫ですけど、徹夜したので疲れました。湯を借りたら寝かせてもらえますか」
クレールが泣きそうな顔を上げたが、
「はい!」
と返事を返してくれた。
マサヒデはクレールの頭に手を置き、
「少し休んだら、何があったか話しますから。申し訳ありません」
「お休みになって下さい」
「すみません」
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湯船に入ると、ぐっと疲れてきて、瞼が閉じそうになる。
風呂のある宿で良かった・・・
「マサヒデさん」
「は。何でしょう」
アルマダの声が掛かり、はっと顔を上げると、アルマダがにやにや笑っている。
「疲れたようですね」
「ええ。そりゃあ疲れましたよ」
アルマダが真面目な顔になる。
「マサヒデさん。これは憶測なんですが」
「む。何でしょう」
「マチダ様に情報を提供していたのは、奉行所の者では」
「何故」
ばしゃ、とアルマダが顔に湯をかけて、ばっと拭い、マサヒデに鋭い目を向ける。
「先程の同心。覚えてます? マチダ様の事を、先生と。マサヒデさんが剣客と知ると、ああ、それで来たのか、と」
「どういう事でしょう」
「マチダ様は、自分の事を隠していた・・・とまではいかなくとも、隠棲していたのでは? 村の者以外、マチダ様の事を知る者は少ないのでは?」
マサヒデも顔に湯をかけ、少しあの同心の事を思い出す。
「いや。奉行所の皆さんは、マチダ殿の事を知っていてもおかしくないです。泥棒を捕まえたり、危険な動物や魔獣を退治したり。捕らえた泥棒は奉行所に突き出されるので、当然ながら誰が、とくる」
「ああ。確かに」
それもそうだが・・・あの同心はそうだろうか。
アルマダには、あの同心が情報提供をしていたとしか思えない。
マサヒデが首をぐるぐる回す。
「確かに、悪党の情報を提供するには、同心ってぴったりですけど。悪党ってのは分かっているのに、捕まえられないとか、そういう感じの・・・は、ないか。ちゃんと証拠を集めていたんですから」
「ふむ」
「ここを詮索するのはやめましょう。マチダ殿も知られたくないみたいですし、厄介事になりかねない」
「そう・・・ですね。すっきりしませんが」
アルマダはどうもここで落とせないようだが、マサヒデはこれ以上はやめた方が良いと思う。首を突っ込んでしまった以上、すっきりさせないと気が済まないのは分かるが。
「見ざる、言わざる、聞かざるでいきましょう。例え悪党とはいえ、マチダ殿が人斬りをしていたのは確か。襲われたでもなく、自ら斬りに行く。紛うことなき連続殺人犯です」
「それはそうですが」
「そうですよ。聞かずにおきましょう。マチダ殿にも、色々あるんです」
「色々? 他にも何か?」
「昔は、キホで道場を開いていたとか」
「ほう」
「道場を閉め、幼い娘を連れ、ゾエまで浪々の旅を・・・あれ?」
はて、とマサヒデが首を傾げた。
「どうしました」
「奥方がいなかったですよね」
アルマダが顎まで湯に沈む。
「そこではないですかね。道場を閉めた理由。何があったかまでは分かりませんけど、孫程の年齢の娘と、居ない奥方・・・まあ、単純に旅の途中でという事も考えられますけど」
「ううむ」
「下世話な話ですが、年若の奥方が道場の門弟と・・・などという所では? それは道場も閉めたくなりますよ」
「なりますかね?」
「マサヒデさん。あなた、マツ様やクレール様が門弟に寝取られでもしたら、どう思います」
「・・・」
確かにそうだな、と頷くと、ざば、とアルマダが立ち上がる。
「では、私は先に上がりますよ。マサヒデさんも風呂で寝ないうちに」
「はい」
湯船にもたれ掛かり、湯気で薄っすらと見える天井を見上げ、これまでのマチダの人生を思う。道場を閉め、娘を連れての旅。どのような人生であったろうか・・・
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部屋に入ると、クレールが茶を飲んでいた。
「マサヒデ様」
くす、とマサヒデが笑う。
「ふふ。下に居ても良かったのに」
「心配だったんです」
「すみませんでした」
「謝ってばっかり!」
声を上げるクレールに、マサヒデは困ったような笑顔を向け、ベッドに座る。
「ではもう謝りません。おやすみなさい」
「もう!」
ぷんぷんするクレールを置いて、ベッドに潜り込む。
横になったマサヒデは目を閉じたが、クレールは出て行かず、視線を感じる。
「クレールさん。マチダ殿という方ですが」
「はい」
「キホからゾエまで、まだ幼かった娘さんと旅をしてきたそうです」
「はい」
「行く宛もなく、ここまで。大変だったでしょうね」
「はい」
「・・・寝ます」
「おやすみなさいませ」
それから、目を閉じたマサヒデは、すぐに寝息を立て始めた。
クレールは静かにカーテンを閉めて、静かに茶を飲む。
マサヒデの言うマチダなる者とは、何者だろう。
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夕方頃になって、マサヒデが起きて2階から1階の酒場を見下ろす。
酒場では皆がクレールを囲んで、おお、と声を上げている。
何事かと手すりから覗き込んで見ていると、おお! とまた声が上がった。
「ジャンプです!」
「すげえ!」
木の人形がぐるぐる走り回り、クレールの手を飛び越えている。
あれは首都でキョウイチから習った、陰陽術の練習だろう。(※首都編89話)
(楽しそうだな)
何となく、下りるでもなく上から眺めていると、静かに宿の戸が開いた。
笠を取ると、カオルの頭。
そして後ろに先程の同心。
窓の外は茜色で、もう日は沈みにかかっている。
(こんな時間までかかっていたのか)
カオルは昨晩から寝ずに、同心に付き合っていたのだ・・・
自分は疲れたと言って、クレールもぞんざいにして、ぐうすか寝ていた。
申し訳ない気持ちになり、カオルに頭を下げて、もう一度階下を見渡す。
アルマダもイザベルも居ない。2人も寝ているのか。
起こそうかと思って部屋のドアに目を向けると、がちゃりとドアが開いた。
「あっ」
イザベルかと思ったが、ラディだ。同じ部屋。
ラディがマサヒデを見て、急にむっと不機嫌な顔になった。
(ラディさんも怒っているのか)
と、小さく頭を下げると、ラディは静かにドアを閉めて、マサヒデの前に歩いて来て、
「マサヒデさん」
「心配をかけて、申し訳ありません」
少しラディの顔が和らいだが、むっすりと眉に険が寄っている。
「あの、何か・・・」
「コートに血が」
「あっ!」
ラディから借りたもこもこのコートを着て、立ち回りをしたのだった! すっかり忘れて、朝までばっちり染み込ませてしまったではないか!
「あれは取るのが大変です」
「はい。すみませんでした」
「あのコートは気に入っています」
「はい」
小さくなってマサヒデが頭を下げていると、がちゃっとドアが開き、
「どうした、ラディ」
と、つなぎを着たイザベルが眠い顔を出し、マサヒデとラディを見る。
「あのコートは気に入っています」
「それがどうかしたのか」
「ばっちり血が染み込んでいます」
「ふっ」
イザベルが鼻で笑うと、む! とラディが振り返ってイザベルを睨み、
「借り物を血で汚して返すのはどうですか?」
「まあな。それはそうだが」
イザベルはまだにやにやしている。
「何がおかしいのですか」
「あんなもこもこしたコートをお気に入りとはな。お前のイメージが崩れるな」
ぴくぴくとラディが震え、拳を握ったが、
「あ、あ、イザベルさん。今、起こそうと思ってました。同心の方が来られてます。ほら、ね?」
と、マサヒデが作り笑いの顔で階下を指差す。
「ほら、お調べがありますから。行きましょう」
「は!」
イザベルが廊下に出て、ぴしりと頭を下げる。
「先に下に行って下さい。私、アルマダさん起こしてきますから」
「は!」
「じゃあ、ラディさん、また後で・・・ごめんなさい」
「・・・」
ラディはぎろりとマサヒデを睨み、ぱたんとドアを閉めて部屋に入ってしまった。
イザベルもマサヒデの横を通り過ぎ、1階の酒場に下りて行く。
(イザベルさん、しれっとした顔で)
全く! と顔をしかめ、アルマダの部屋のドアをノックする。




