第29話
マサヒデとカオルがマチダの家を出ると、表でイザベルが待っていた。
2人がイザベルの所に歩いて行くと、イザベルが口に手を当てた。
「天虎です。斬られた者は野盗と見えます。近くにねぐらがあるようで、斬りに行く、と書き置きがございました」
「・・・」
マサヒデがカオルを見ると、カオルが頷く。
いくら鈍いマサヒデでも、これは分かる。
カオルが口に指を当て、小声で、
「声をお静かに。猫族ですから聞こえるかもしれません」
そう言って、後ろのボロ家を見て、
「イザベル様。ここに住んでおられるマチダ殿が天虎です」
「やはり・・・薬のような臭いが、薄く残っておりました」
イザベルが目を細め、閉まった障子に目を向ける。
あの障子の向こうに、天虎が居る・・・
「斬り口は見事な太刀筋。胴を払い抜け、後ろから袈裟斬り。肩口から胸までばっさりと。一瞬で絶命したでしょう。斬られた者は刀を抜いてはおりましたが、瑕はなく、撃ち合った跡は見受けられませんでした」
マサヒデが小さく唸り、閉まった障子を見る。
「むう、凄い腕ですね。今まで知られていなかったのか・・・」
カオルが口に指を当て、ちらちらと周りを見る。
「ここを離れましょう。話は後で」
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途中で会った村人に少し話を聞くと、マチダはもう40年も前にゾエに来たという。
その際、病の娘を連れており、このセキト村を通りかかった時に、村の者が総出で助けたそうな。
以来、マチダは村の近くの小屋を借りて村に居着き、村の仕事を手伝いながら、危険な動物や魔獣を追い払ったり、時には泥棒を捕まえたり、子供達には読み書きを教えるなどして、村を助けてくれていたという。
病になってからは、村人から今までの礼と、食べ物を分けてもらって暮らしていて、ウスケシで奉公している娘は薬代を医者に払っており、週に一度は帰って来て、マチダに1日中ついているとか。
「そうでしたか」
「マチダ先生のお陰で、この村あゾエ一番の平和な村になったんだ。俺の爺様がおヨネちゃんを助けたんだ」
「おヨネ? ああ、娘さんですか」
「ああ。今あ50かなあ。60はいってねえよ。丁度婿探しって所だが、先生の為に仕事一筋で頑張って、薬の金を稼いでんだ。偉え子だよ。うちのドラ息子に爪の垢でも煎じて飲ませてやりてえぜ」
「勤め先はご存知で」
「何つったかな。何とかっちゅう材木問屋だ。大店だそうだが・・・ええと・・・」
村人が首を傾げたが、カオルが、
「ウノ屋」
ぱん! と村人が手を叩く。
「そうそれ! ゾエじゃ一番でけえ材木屋だ。白露とも貿易して、繁盛してるって話だぜ」
「貿易ですか」
村人が手をひらひら振る。
「いやいや、他国と貿易っちゅうと何かと噂が立つもんだが、ウノ屋さんにゃ変な話は聞かねえよ。まっとうな店だぜ。奉公に入れたってのも、おヨネちゃんがちゃんと読み書き算盤を出来たからだな」
「私は読み書きは出来ますが、算盤は出来ませんね」
はは! と村人が笑う。
「じゃ、兄さんにゃ無理だな。マチダ先生に教えてもらいなよ」
マサヒデは苦笑して、刀の柄にぽんぽんと軽く手を置き、
「私はこっちの勉強中ですから」
「おっ! 武者修行かい?」
「そんな所です」
「へえ、若いのに大変だねえ。何流?」
「トミヤス流です」
「へえ! 今、噂の・・・」
じ、と村人がマサヒデの顔を覗き込む。
「あんたあ・・・もしかして、剣聖の?」
「ええ」
うわ! と村人が跳び上がって驚く。
「なあんてこった!? あ、おい! もしかしてマチダ先生を!?」
「ははは! そんな事はしませんよ。では失礼します」
頭を下げ、マサヒデ達は村を出て行った。
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マサヒデ達が出て行った後、ボロ家に村人がそっと近付いてきた。
「せんせ・・・せんせ? おりますか? ご無事で?」
けふ、と小さな咳の音が聞こえ、村人が慌てて障子を開けると、布団に寝ているマチダが何事かと縁側に顔を向けた。
「どうした」
ほ、と村人が胸を撫で下ろし、
「良かった! ご無事でしたか。さっきの若造は、何しに来たんで」
「うむ。私の病を気にかけてくれてな。滋養に良い薬を持って来てくれた。なんと熊の血だ。貴重な物であろうな」
はあ、と村人が息ををつき、縁側に腰を下ろして雪靴を脱いで、上がって障子を閉める。
「それ、まさか毒とかじゃ」
馬鹿な、とマチダが苦笑する。
「ははは。まさかな。違う違う。昨日、通りで医者と揉めてな。丁度そこにおったのよ。おそらく、医者から私の事を聞いたのだな。ただお互いに顔を見ただけ。声も掛けなんだ。その私に、情を掛けてくれた。ありがたい事よな」
「左様で・・・」
村人が心配そうにマチダの顔を覗き込む。
「どうかしたか」
「先生、あの若造、何者かご存知で?」
マチダが怪訝な顔で村人の顔を見て、
「何か、怪しい者か?」
「先生、本当にご存知ないんで? ありゃあ、今の剣聖の息子ですよ」
「な、何っ!?」
げふ! とマチダが大きくむせ、身体を起こそうとしたが、村人が押さえる。
「あー! 寝てなせえ!」
村人がぐいぐいとマチダを布団に押し付ける。
「いや、トミヤス殿に知らず無礼を働いた・・・こほっ」
「そんならあっしが代わって謝りに行きますで! さあ!」
マチダが横になると、村人が布団を肩まで掛けて、うーん、と腕を組んだ。
「トミヤス流っちゃ、15年くれえ前かな。もうちょい前かな。剣聖になったカゲミツ=トミヤスってお方が開いた流派だ」
「むう、そうであったか。この村に籠もりきりで、全く知らなんだ。知らず、世に疎くなったな」
「あの若造も、叩き込まれてるはずですぜ」
「で、あろうな。供について来た者は、内弟子だそうだ」
おおっ! と村人が驚く。
「弟子ですか!? あの歳で!」
「何気ない動きひとつひとつに、鍛錬を積んだ所が見えた。あれは相当だ」
ぱしん! と村人が膝を叩き、
「そりゃあそうですよ。あのサカバヤシの若に勝ってるんだ」
「な、何!? ぐ、ごほっ!」
驚いて、またマチダが身を起こそうとし、むせる。
「あ! 駄目ですって! ささ」
「う、けふ、けふっ・・・」
村人がマチダを押さえつけ、布団を掛け直す。
「大丈夫ですかい」
「ううむ、すまぬ・・・調子の良い日は、出歩いても平気なのだが。今日はちと身体が言う事を聞かぬな・・・う、ごふ」
「今日は大人しく寝てなせえ」
マチダが苦笑を村人に向ける。
「ううむ、ジンノジョウ殿に勝ったお方であったか。もう驚かすなよ」
「あのトミヤスの若造にゃ、驚く話しかありやせんぜ。きっと、どっかで先生の事を聞きつけたに違いねえ。本当は一手ご指南願いますって来たのかな?」
マチダが自嘲して、枕の上で首を振る。
「ふふ。そうかな。もう私の事など、世間からは忘れ去られておろう。噂で構わぬ。トミヤス殿の驚く話を聞かせてくれるか」
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農道をぽっくりぽっくりと馬を進めながら、マサヒデ達が話す。
「あの方が天虎でしたか」
「天虎が悪人を斬っているというのは、おそらく今まで助けてもらった礼という事かと思います。剣でしか恩を返せぬという事でしょう」
「ふうむ」
イザベルが頷き、
「あの太刀筋、尋常の者ではありませぬ。これまで噂にならなかったのも、努めて世に出ぬようにしていたのかと」
「でしょうね」
「ご主人様、いくら相手は悪党とはいえ、人斬りには変わりありませぬ。探りを入れましょうか」
マサヒデは少し考え、首を振った。
「やめましょう。理由はあるでしょうが」
「理由」
「マチダ殿は幼子を連れての流浪の身であったと。道場を畳んで・・・天虎の働きは、娘を助けてもらった恩というだけかもしれませんが。まあ、本人が固く口を閉ざす事を、知ってしまうのもどうかと思います」
「・・・」
「正体を隠して悪党を斬っているのは、自分の事を世に知られたくないから・・・でしょうね。サカバヤシさんかトワダ先生、マチダ殿の事、知ってますかね」
カオルがむっとして、
「結局、探りを入れるのですか」
「いや。余計な詮索はしません。お二方なら、知っていても余計な事は喋らないでしょう。ただ、マチダ殿を知っているか、とだけ・・・他の事は聞こうとは思いません」
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そして、昼もとっくに過ぎた頃、マサヒデ達はサカバヤシ道場へ着いた。
今日の雪かきは済んだようで、道場の前の道は綺麗になっている。
マサヒデ達は縁側に周り、門弟に指導をしているジンノジョウに頭を下げた。
「よう!」
ジンノジョウがにこやかに笑って、縁側に出てくる。
「どうしたんだ? 今日は3人だけか」
「今日は稽古でなく、少しお聞きしたい事があって」
「ふうん」
ジンノジョウが座ると、マサヒデ達も縁側に腰掛ける。
「サカバヤシさんは、セキト村のご浪人をご存知ですか」
ぴく、とジンノジョウの顔が変わった。
知っているのだ。ただ知っているという感じではない。
「どこで聞いた?」
「昨日、イン先生の所からの帰り、村への道で医者に出歩くな、と注意されている所に通りかかって」
「ふうん・・・それだけ?」
マサヒデは腕を組み、逡巡して、
「はい。あんな所で二本差しの方を見かけたので」
「ふうん・・・そうか。で、今、セキト村に行ってきた帰りか」
「はい」
「元気・・・じゃあ、ねえよな」
「はい」
「そうか」
「もう、長くはないと」
ふう、とジンノジョウが溜め息をつき、空を見上げる。
「そうか・・・マチダの爺さんも、病にゃあ勝てねえか」
「セキト村の近くの林で、盗賊が斬られていました。そこに天虎の書き置きが」
「そうか」
ジンノジョウが小さく頷く。気付いていたのだ。
気付いていても、見て見ぬふりをしていた・・・
おそらく、ジンノジョウの父ジンゴロウも、一剣流のトワダも。
ゾエの武術家でマチダを知っている者は、何となく気付いているのだろう。
「では、今日の所はこれで。稽古の最中、失礼しました」
「ああ。何人かはあの振り、少おしだけ、出来るようになったんだよ。また見に来てくれ」
「はい」
軽く頭を下げ、マサヒデはサカバヤシ道場を出て行った。




