第28話
その晩、ウスケシの安宿。
夕餉も済み、シズクとアルマダの騎士達はちびちび呑みつつ、何やら話しながら、時折大きな笑い声を上げている。
クレールとラディは魔術の練習と、早々に部屋に戻ってしまった。
アルマダは暖炉の前で本を開き、イザベルはマサヒデのテーブルの横で、ボディーガードのように立っている。
マサヒデはずっと黙り込み、湯呑を両手で持って、茶を睨んでいる。
「ご主人様」
「・・・」
「ご主人様」
は、とカオルの声に気付き、マサヒデが顔を上げた。
「ん? 何です?」
カオルの心配そうな顔が、マサヒデの目の前。
「どうかなされましたか。先程から湯呑とにらめっこをして。お食事も上の空。イン先生に驚かれましたか」
「いや・・・まあ、確かにイン先生には驚きましたが、別の事です」
「別の事?」
「ええ・・・」
カオルが離れて座り直すと、マサヒデは冷めきった茶を一口飲んで、湯呑を置いた。
「カオルさん、前にイザベルさんから熊の一部を買い取って、薬にしていましたよね」(※勇者祭689話)
「はい。何かご入用でしょうか」
ぴく、とイザベルが固まる。熊の性器を切り取った事を思い出し、苦い顔で目を閉じる。
「精のつく物、ありますよね。明日、2人で出掛けませんか」
「はっ!?」
カオルが声を上げ、イザベルも驚いてマサヒデを見る。
「おう! おうおうおうおう!」
隣のテーブルで客と賭け将棋をしていたトモヤが声を上げ、仕切りの上から顔を覗かせる。
「マサヒデぇ~」
「何だ」
にやっとトモヤが嫌らしく笑う。
「何じゃあ、そういう事か。次の嫁はカオル殿か」
マサヒデが仕切りの上のトモヤに顔を上げると、カオルが真っ赤な顔を下に向ける。
「何を・・・? ああ、おい! 勘違いをするな!」
「精のつく物を持って、2人でお出掛けとなあ」
「ああもう! 違うわ!」
マサヒデが、はあ、と溜め息をつき、神妙な顔に変わり、腕を組む。
「実はな。余命幾ばくもないお方がおる。そのお方に、1日でも長生きしてもらおうと思ってな」
「あの昼間の恐ろしい爺様か?」
「いや。別のお方だ」
「知り合いか?」
「全くの他人だ」
「全然知らん奴か? 何故じゃ」
ふう、と息をついて、マサヒデが天井を見上げる。
「さ、何故かな。何となくだ。理由はないが・・・何か、気になってな」
「ふうん。じゃそうな。カオル殿、もう顔を赤くせんで良いぞ」
こほん、とカオルが小さく咳払いして、顔を上げる。
まだ少し顔が赤い。
「すみません。また勘違いさせるような事を」
「いえ・・・」
テーブルの脇に立っているイザベルが、ほ、と小さく息をついた。
ふん、と鼻を鳴らし、トモヤが引っ込む。
「まあ、今話した通りです。ただ、そのお方、昔は剣で鳴らしたそうで」
「剣で・・・その者が何か?」
「最初は死を受け入れていたのに、一命を賭しても死ぬ前にやり遂げたい事があると、医者に来たと。それが武術家としてなのか、別の事なのかは分かりませんが」
「なるほど。帰りに道を歩いていたあの医者。その死にかけの名を聞いても?」
流石はカオル、察しが良い。
「死にかけって・・・サクゾウ=マチダ。知ってますか?」
「いえ。ご主人様は?」
マサヒデがゆっくり首を振る。
「私も知りません。人族なら年齢はもう60を超えていると思います。長い病で老けて見えたのかもしれませんが、猫族だと何歳くらいでしょうか」
「100と、80から90といった所でしょう。病で老けて見える、という事もありますが」
「ふむ」
あの医者も結構な年齢に見えた。それが幼い頃に世話になったという事は、30年以上は前に、セキト村なる村に来ていたと見える。
剣で鳴らしたが、ずっと知られていなかった。隠れていたのか?
一命を捨ててもとは、一体、何をしたいというのだろうか・・・
「その者のいる場所は?」
「セキト村です」
「セキト村・・・遠いですね。イン殿の道場と同じくらいの距離がございますが」
「ええ。付き合ってもらえますか」
「勿論です。用意をして参ります」
カオルが席を立った後、イザベルがちらちらとマサヒデを見る。
「マサヒデ様」
「来て良いですよ」
「は!」
ぶぶん! とイザベルの尾が嬉しそうに振られた。
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翌日、セキト村。
マサヒデ達がぽっくりぽっくりと馬で村を歩いて行くと、村人達が道を開け、へへえっ! と頭を下げる。
そのたびにマサヒデは「大丈夫です」とか「頭を上げて」などと言い、イザベルはイザベルで、凛とした声で「ご苦労!」と声を掛けて行く。
途中で馬を止め、村を見渡し、
「道場らしき建物は見当たりませんね。やっぱり隠棲しているのか」
カオルが頷き、
「ご主人様、村の者に家を尋ねましょう。場所が分かりません」
「そうしましょうか」
馬を下り、口を取って歩いて行く。
少し歩いた所で、イザベルが声を上げた。
「マサヒデ様! しばらく!」
ぱ! ぱ! と周りを見回す。
「どうしました」
言いながら、ぱっと柄袋を取って袖に突っ込み、袖の中の棒手裏剣に手を掛ける。
す、す、とイザベルが何度か小さく鼻を鳴らし、声を潜め、
「血です。新しいものではありませんが」
血と聞いて、マサヒデとカオルに緊張が走る。
「どこから」
「向こうの林の方です。これは獣の血ではございません。人です」
「人・・・確か、ここ数日でここらに事件はなかったですよね」
「はい」
3人が警戒の目で周りを見渡す。
周りは平和な村の風景。雪遊びをしている子供が見えるだけ。
「イザベルさん、ちょっと見てきてもらえますか。人の気配を感じたら、そのまま逃がしても構いません。即戻って下さい。後で私達と追った方が良い」
狼族の自分とカオルが居れば、追跡など楽なものだ。
引けと言われたが、イザベルはあっさり頷いた。
「は!」
しゃ! とイザベルが馬に跨がり、ばかか、ばかか、と駆け出していった。
一体、何があったか・・・
「ご主人様。私達は、マチダなる者の所へ参りましょう。イザベル様なら、匂いで私達の場所が分かります。後で参られましょう」
「うむ・・・ええ。そうしましょうか」
こくりとカオルが頷き、近くの家に歩いて行った。
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村を外れると小さな寺があった。村人が寺の向こうを指差し、
「こっからじゃ見えんけど、あの寺の向こうじゃで、も少しじゃ」
「お手数をお掛けします」
馬を引き連れ、足元に気を付けながら歩いて行く。
ボロ家の垣根に手綱を引っ掛け、中に入って行く村人についていくと、
「せんせー! マチダせんせー! お客様じゃー!」
村人が声を上げた。
しばらく待っていると、小さな音が聞こえ、がた、と戸が開き、昨日の老人が杖をついて出て来た。
背は曲がってはいないが、家に居る時は、病の身体に少しでも負担を掛けないようにしているのだろう。
マサヒデを見て、少し驚いた顔で、
「貴殿は、確か昨日の・・・」
マサヒデとカオルが頭を下げる。
「マサヒデ=トミヤスと申します」
「マサヒデ様の内弟子、カオル=サダマキと申します」
全く知らない名だ。マチダが首を傾げる。
「トミヤス殿、サダマキ殿・・・して、本日は」
マサヒデが頭を上げ、
「上がっても宜しいでしょうか」
「構いませぬ。さ、どうぞ。汚くしておりますが・・・」
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中では、ぱちぱちと囲炉裏の火が音を立てていた。
マサヒデ達は、囲炉裏を囲んで座ると、早速にマチダが口を開いた。
「トミヤス殿は、お若く見えますが・・・そちらの・・・内弟子とは、道場を?」
「いえ。父が道場を開いておりますが、私は家を追い出されました。恥ずかしながら、父の道場では高弟でして。カオルさんは私の方に弟子入りしたいと」
「左様でしたか」
マサヒデは少し間を置き、
「昨日のお医者様に、剣で鳴らしたと聞きました。マチダ殿は道場を?」
マチダは苦笑いで頷いた。
「あいや、道場と言っても、名ばかりのもので」
「どちらに?」
「キホ・・・ですが、それも・・・50年・・・いや、もう60年か。辺り前に閉じて、こちらに、流浪の旅で。お恥ずかしい限りでござる」
キホ。ここからは随分遠い。本土の西側だ。
「道場をお閉めに? 何故です」
マチダが答えに困った顔で、目を泳がせる。
「は・・・まあ、些かの・・・事情がありましてな」
聞かぬ方が良いか、とマサヒデが白湯の入った湯呑を取ると、マチダも湯呑を取ったが、こん、と湯呑を置き、むっと小さな声を上げ、顔を歪めて横腹を押さえた。
「あ、大丈夫ですか。横に」
慌ててマサヒデが片膝立ちになると、
「あいや、お気遣いなさるな」
と、マチダが軽く手を上げ、震える声で、何とか笑顔を作る。
「この、この痛みとは、長年の付き合い。もう慣れておりまするので・・・」
「でしたら、良いのですが・・・」
マサヒデが座り直す。
「何か、お役に立てる事があれば・・・と、思いまして」
は、とマチダが痛みに歪んだ顔を上げた。
「では、本日はその為にわざわざ?」
「はい」
マサヒデが頷くと、マチダは姿勢を直し、何とも言えない顔で頭を下げ、
「確かに、やり残した事はござるが・・・それは全くの私事にて。どうか、ご放念を願います」
「・・・」
はっきりと拒絶された。
会話が途切れ、気不味い感じになった所で、カオルが懐から小瓶を取り出す。
「熊の血を乾かした粉でございます。滋養に。指先につけて、舐めるだけで効果がございます。高い効果があるので、例え猫族といえど、多く飲むと逆に毒にもなり得ます。日にひと舐めだけで」
マチダが小瓶を見て、カオルを見る。
「熊の・・・それは値の張るものでは」
「いえ。これは以前に人里近くに来た熊を狩った時に作った物です。私、少々調薬も学んでおります。金で買った物ではありませんので、お受け取り下さいますか」
マチダは少し黙ったまま小瓶を見ていたが、頭を下げ、
「では、遠慮なく」
と、小瓶を押し頂き、マサヒデとカオルに頭を下げた。




