第27話
マサヒデ達がイン道場で子供達と遊んでいる頃―――
ウスケシ郊外の農村の片隅。
「・・・」
医者が険しい顔で、服を脱いで寝転がった男の腰の横辺りに手を当てる。
「もはや、この上は薬は詮無い事でしょう」
「左様か。拙者に残された時間は、どのくらいであろうか」
医者が手を引き、項垂れる。
「持って・・・3ヶ月と見ました」
「ほう。まだ3ヶ月もござるか」
こふ、こふ、と咳をしながら男が身を起こすと、医者が服を肩に乗せ、男が袖を通し、軽く帯を巻いて、天井を見て笑顔を浮かべる。
「・・・」
「まだ、ひとつだけやり残した事がありましてな。三月もあれば十分に足りましょう。それで思い残すことはありませぬ」
「マチダ殿、御息女は」
「む・・・や、そうでありました。良い婿を探さねばならぬ。どなたか、良い御仁に心当たりはございませぬか」
はは、と笑う途中で、えふ、と一度咳き込み、ゆっくりマチダが立ち上がる。
「出来れば、あれの嫁姿は見ておきたいが・・・」
呟きながら、そっと障子を開ける。
医者がマチダに向き直り、真摯な顔を向けた。
「マチダ殿」
「なにか」
「マチダ殿のやり残された事とは? 私で力になれましょうか」
医者が真摯な目でじっとマチダを見上げる。
マチダは黙って目を逸らし、庭に目を戻して、小さく頷いた。
「これは、私がやらねばならぬ事でしてな。言うなれば、ご恩返しでござる」
「恩返し」
「如何にも」
「どなたへの。私が」
いや、とマチダが手を出して、途中で遮る。
「いや。いや、お気持ちはありがたいが、私がやらねばならぬ事。この一命を捨てても・・・そのお気持ちだけで十分にござる」
「・・・」
しばし沈黙が続いた後、医者が鞄から粗末な印籠を出し、マチダに差し出した。
「マチダ殿。これからは痛みが更に酷くなるはず。これは痛み止め」
「感謝致す」
「これは劇薬。飲むのは日に1度、1錠まで。どんなに痛くなっても、それ以上は決して飲みませぬよう。残りのお時間を・・・ぐっと縮める事となる。下手をすると、そこで残りの三月が終わる。繰り返しますが、必ず日に1錠まで。飲む時はお気を付けて」
「しかと」
「では、これで失礼致しますが、何かあればいつでもお呼び下され」
マチダは医者の前に座り直し、手を付いて、
「ありがたく存じます」
と、頭を下げた。
医者が立ち上がり、マチダも見送りにと立ち上がったが、医者は慌てて手で止めた。
「あ、マチダ殿。ご養生なされ。ささ、寝ておられよ」
慌てた医者を見て、はは、とマチダが小さく笑った。
「残された三月を寝てばかりでは、それが未練となってしまいますでな」
医者が小さく頷き、玄関を出て、見送りに玄関まで出て来たマチダに頭を下げ、ボロ家を出て行った。医者が遠ざかり、見えなくなって、マチダは腕を組んで空を見上げた。今日は晴れている。
「持って三月・・・まともに動けるは、あと一月、か・・・」
マチダは「こふっ」と小さく咳き込み、一旦中に戻って、腰に二本を差して、ボロ家を出て行った。
----------
マサヒデ達は帰途の途中、農道を歩く医者と出会った。
周りは何もない、雪が積もった畑と田んぼだけ。
少し不審に思いながら、農道を馬で進めて行くと、先を歩いて行く医者がこちらを見て頭を下げ、道の脇に寄る。
カオルを見ると、大丈夫、と頷いた。忍の類ではない。
マサヒデは皆に先に行け、と手で合図して、医者の前で馬を止め、さっと下りて、
「失礼。そのお姿、お医者様ですか?」
「はい」
頭を下げたまま答える医者に、マサヒデは笠を取った。
「頭をお上げ下さい。私はただの浪人者です」
医者が頭を上げ、マサヒデは歩いて来た農道を振り返って、また医者に目を戻す。
「お医者様がこのような所で・・・この先で、何かあったのですか? 私達、向こうのイン先生の道場から歩いて来たのですが」
「あ、イン先生の所から。私は向こうのセキト村です。別に何もございません。患者がおりますので、往診に来ただけです」
「往診ですか?」
この先はウスケシまで村もないが・・・
がらがらとクレール達が乗る馬車の音が遠ざかっていく。
マサヒデが怪訝な顔で、
「ウスケシから?」
「はい」
「まだ半里(2km)はありますが。何故、こんな遠くに」
「私、セキト村の出。幼少の頃、お世話になった方が身体を壊しておりまして。命の恩人、とでも言いましょうか。」
「ああ、そうでしたか」
医者が沈痛な顔に変わった。
「もはや、余命幾ばくもない・・・」
「・・・」
は、と医者が顔を上げ、慌てて顔の前に手を上げて、左右に振る。
「あ、これは。いや、患者の事を喋ってはなりませぬ。聞かなかった事に」
「はい」
医者が頭を下げ、マサヒデも笠を被って振り返り、馬に跨がろうとした時である。
「あっ」
と声がして、医者が慌てて駆けて行く。
何だ、と振り返ると、二本差しの男が歩いて来るのが見えた。
そのまま馬に跨って、ゆっくりと医者の後について行くと、
「マチダ殿ー!」
と、医者が転びそうになりながら名を叫び、足をもつれさせながら走って行く。
「マチダ殿! なりませぬ! こんな所まで出歩いては!」
もしやこの男が、余命幾ばくもないという・・・
マサヒデは少し離れた所で馬を止め、笠で顔の見えない男を見る。
「いや、少々酒でもと」
「酒など呑んではなりませぬ!」
「娘に会いに行くだけでござる。そのついでに一献だけ」
「なりませぬ! さあ、お戻りなされ! 御息女には私が伝えておきますゆえ!」
笠の男が下を向き、少しして、医者に目を戻して頷いた。
「分かり申した。ご心配をお掛けして申し訳ござらん」
「さ、礼など宜しいゆえ、早くお戻りなされ」
「相わかった」
マサヒデを見て、男が笠を取って深く頭を下げ、振り返って歩いて行った。
猫族だ。人族なら齢60は超えていようか。立ち居振る舞いは出来ている。
マサヒデの愛馬、黒嵐は立派なので、貴族と勘違いしたのだろう。
「・・・」
マサヒデはゆっくり馬を進め、医者の側で下りて、頭を下げた。
「申し訳ありません。覗き見するつもりはなかったのですが」
「いや、声を上げた私が悪うございました。驚かせてしまいましたか」
頭を上げ、去って行く男の背中を見る。
「もしや、あのお方が・・・その」
余命幾ばくも、と言いそうになり、言葉を飲み、おほん、と咳払いして、
「その、ご幼少の頃に、お世話になったご恩人ですか」
「はい」
医者が遠ざかっていく男を見ながら頷き、振り向いて、はあ、と溜め息をつき、
「ウスケシへ・・・」
と、歩き出した。
マサヒデも馬の口を取り、医者と並んで歩いていく。
しばらく黙って歩いていると、医者が口を開け、ぽつぽつ話し出した。
「以前から、病を患っておりましてな。静かに死にたいと仰っておられたそうですが、何やら一命を捨ててもと思い立った一念があるそうで、今少し生きたいと、私の所へ参りまして」
「その一念とは?」
「いや、いくら医者でも、あちらが教えてくれねば聞く事も出来ませんので」
医者は少し黙り、顔を上げ、マサヒデをまっすぐ見た。
「お手前は、トミヤス殿とお見受けしましたが」
「はい」
「実は、先程のお方も、若い頃は、剣で鳴らした方だそうです」
「やはりそうでしたか。お名前は」
「サクゾウ=マチダ、というお方です。ご存知でしょうか」
「サクゾウ=マチダ・・・いえ、知りません。知りませんが・・・あの立ち居振る舞い、かなりの腕のお方と見えます。それが一命を捨ててもとなると、尋常の事ではないのでは?」
はあ、と医者が溜め息をつく。吐く息が白い。
「そう言えば、御息女とか申しておられましたが、娘さんの事ですか?」
「では、ないようです」
「剣で鳴らしたお方、となると・・・仇討ち・・・とか・・・」
「かも、しれませぬが・・・どうにも」
「ふうむ。娘さんはそれを?」
医者は首を振る。
「知らないようです。父に急に生きる元気が湧いてきた、と喜んでおりました」
「その病は、魔術では治らないのですか? 私の連れに、良い治癒師がおりますが」
医者がまた首を振る。
「魔術も万能ではございません。肝の臓に大きな腫れ物が出来ておりましてな。もう外から見ても分かるほどです。風邪や怪我と違って、こういった症状は、治癒の魔術ではどうともならぬのです。物理的に切ってしまわねば。もっと早くに気付いておれば、切り取って治す事も出来たかもしれませぬが、もはやどうにも。持ってあと3ヶ月です」
「そうですか・・・」
振り返ると、小さく点のようにマチダという男の後ろ姿が見えた。
一命を捨ててもやり遂げたい・・・何をやり残したのであろう。
「お邪魔を致しました」
軽く医者に頭を下げて黒嵐に跨ると、医者も馬上のマサヒデに頭を下げた。
「こちらこそ、お騒がせを致しました」
先に行ってしまった皆を追い、マサヒデは馬を急がせた。
これはマチダの都合、自分には関係の無い事・・・
マサヒデは首を振ったが、引っ掛かってしまった。




