第一章エピソード19『夜闇に溶け込むその音は』
「はぁ、はぁ、もうどこなのよ!どこにいるのよ!」
夕暮れが迫る中、紅葉と凪は人通りが少なくなってきた近所の通りをひたすら走り回っていた。
もちろんただ走り回っていたというわけではない。天榎を探すために来たのだ。
紅葉山楽団がこちらの方向へ帰っているのを確認したので、やってきたのだが・・・・
「やっぱりもう暗くなってくるし全員帰っちゃったんじゃない?」
時間も時間なので、全員自宅に帰ってしまったという可能性を凪に提示する紅葉。
彼女も懸命に探しているが、やはりそこら中に楽師なんて一人もいなかった。
「あとはどこにいる可能性が一番高いか・・・・・」
近所の茶屋、広場、河原・・と可能性がある場所を紅葉はひたすら頭に思い浮かべ、
少しでも可能性が低い場所はすぐさま切り捨てる。
とはいえこんな時間だ。どこにいるかなんてわかったもんじゃない。
江戸の生活は太陽と共に過ごすような毎日だ。日が昇る頃に起床し、日が沈む頃に就寝する。
そんな生活をしている地でこんな時間に外を出歩く者なんて中々いないだろう。
「やっぱり家に帰っちゃったのかな・・・・」
紅葉があってほしくない可能性に不安を感じていると、どこからか楽器の音色が響いてきた。
小鳥のように幼いけれど、どこか芯のある強さがある。
なのに、こんな夜だからなのかとても静かでどこか寂しげな雰囲気も感じた。
夜の静寂さに溶け込む静かなるその音にはどこか儚さも感じて。
こんな時間に楽器を演奏する物好きな者もいるのだなとも一瞬頭をよぎったのだが、
この音色の正体が、天榎のものではないかと脳裏に一つの予想が浮かんだ。
早く凪にも伝えなくてはと思い、彼女の方を向くと、どうやら同じ事を考えていたようで
紅葉の顔に同じタイミングで顔を向けた。
「ねぇ、凪。これって天榎ちゃんかな?・・・」
「ええ、私も同じ事を思ってたわ。」
「じ、じゃあ早く行こう!」
焦りで震えた声なんて気にせず、紅葉はただ目の前の物事に真摯に向き合っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
日が沈み、辺りが夜闇に包まれた江戸の街並み、
そこに流れる河原に座り、ただひたすらに能管を吹いていた。
特にそれといった意図はない。無意識に足が動いていたのだ。
きっとこの河原に引き寄せられる何かがあったのだろう。
静寂さが漂うその場所には、川が流れる美しい水の音と、天榎の能管の音色だけがあった。
今の自分は一体どんな顔をしながら吹いているのだろう。
自分の音は周りの人々にはどういう風に感じ取られているのだろう。
無意識に駆られるまま、ひたすら音を鳴らし続ける。
こんなにも静かな夜は久しぶりだ。
楽団にいる時も十分気持ちは沈んでいるが、こういう夜にはまた違った気持ちの沈み具合がある。
何というか感情の落ち着きを保てている感じだ。
人というのは環境に感情が左右される事が多いなとしみじみと感じる。
曲が終わり、彼女は長い時間能管を口元に当てていた手を自身の膝へゆっくりと下げた。
そのまま膝に下ろされた笛をゆっくりと見下ろす。
「人間って不思議・・・・」
自身の体験から感じた感想が不意に口からこぼれる。
今この瞬間の天榎の感情もそうだが、紅葉山楽団のこともそうだ。
人間というのは同調圧力に流されやすい。
自分の感情を持つことは誰にだってできることだ。
だが、それを実際に口に出すことができるかどうかは限られた人間だけだ。
それ以外の者は自分の感情を一文字も発することなく周りに流される。
「って、なんで急にこんな事考えてんの。
いつもの自分じゃないみたい。」
自分じゃない自分と出会い、
天榎はまたもや驚く。
そのまま夜風と共に余韻に浸っていると、遠くから草履が地面に擦れる音が聞こえてきた。
それは少しずつ大きくなり、こちらに近づいてくる。
「?」
こんな時間に出歩くなんて珍しい者もいるなという感情が頭をよぎったが、
よく考えればこんな真夜中だ。下手人や盗人が出歩いていても何も不思議ではない。
もしかしたらたった今民家から物を盗んだり、人を殺めた帰りなのかもしれない。
そう思うとたちまち背筋に寒気が走った。
自身の楽器を守る為に、伸ばしていた足を立起こして、体を起こした。そして例の足音の反対方向に必死に足を動かす。
自身の胸にしっかりと楽器を抱きかかえながら我が子を守るような思いで
走り続けていた。




