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江戸っ子歌い手少女  作者: 水海月
第一章『始まりの音色』
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第一章エピソード15『現実と想い』

紅葉のその一言で伊右衛門が顎に手を当てて興味深そうな様子で紅葉の瞳を眺めた。


「ほう、天榎の話とはなんだ?申してみよ。」


「ありがとうございます。」


軽く一礼をしてから頭を上げ、紅葉は言葉を発した。


「彼女が今いじめを受けていることを御存じでしょうか(ごぞんじでしょうか)?」


少し重い話題ではあるので、どんな伊右衛門は一体どんな顔をするのかと

不安にはなりながらも、恐る恐る顔を上げてみた。

しかしそこに広がっていたのは・・・


「知らない。だからどうしたというのだ。」


少したりとも表情を変えずにそう言い切った伊右衛門の姿であった。


「えっ?・・・・・」


普通いじめと聞いたら少しは深刻に捉えるはずだ。

どういうこと?とか詳しく聞かせて?とか。

だが目の前のこの老人は違った。微動だにしないその瞳からは、

彼が今まで沢山の人間と出会い、人の全てを見てきたからだろう。

将軍であるこの老人は人脈もかなりあるはずだ。

だからこそ彼にとっての些細な事では動じもしないのだ。


「な、なんでそんなに堂々としてらっしゃるのですか?普通の方だともうちょっと

驚くと思うのですが・・・・」


紅葉なりに伊右衛門の気に障らないような

言い方をしたつもりだったのだが、

紅葉に疑問を抱かれた伊右衛門の瞳は、本来より余計細まり、


「ほう、お主それは私が普通の人間であると申しているのか?」


手を顎に添えながら静かにこちらを見下ろした。

不快な思いをさせたとすぐに察し、慌てて伊右衛門にフォローをする。


「い、いえそういうわけではございません!一般的な場合そういう方が多いというだけです!」


そんな紅葉の言葉は伊右衛門にはどうやら効いたようで。


「ならよい。」


そう言って顎に添えていた皺が刻まれた手をおろした。


「それで、お主は天榎が集団で何をされているというのだ?」


話題に興味を示した伊右衛門が紅葉に問いを投げかける。


「実は彼女、自身の楽器を蹴られたり、本番直前に整えた髪を濡らされたりと

他にも沢山の嫌がらせを受けているのです。そこで私達は何とかならないかと

こうして伊右衛門様の前にやってきたのです。」


さすがに管理室に入ったという事を言ったら拘束されると思い、

一応契約書の事については何も知らないという設定で話を通してみる。


「き、貴様何を言っている!?自分がどうして拘束されたのかっ・・・」


「黙れ。」


真実を告げようとした木戸の言葉を、伊右衛門はすかさず遮った。

そしてその瞳からまたしてもただならぬ雰囲気を感じた。


「今は我々が話しているのだ。貴様が介入せんでよい。」


その迫力に怖気づいた木戸の額から汗が噴き出る。

そしてすぐさま頭を下げ、伊右衛門に謝罪をすると、その後は一向に口を開くことはなかった。


「それで?続きを聞かせるのだ。」


肝が冷えそうな緊張感から伊右衛門の言葉で現実に引き戻された紅葉は、

続きを話し始めた。


「・・・!あぁそれでですね?楽団の中に沙門虎子という方がいらっしゃいますよね?」


「あぁいるな。」


あれ意外とちゃんと名前は覚えているんだ─────


「それでですね、彼女が仕えている旦那様から虎子様が特別気に入られているようでして・・・

それで本人が天榎ちゃんをいじめていると聞きました。」


全てを話し終えた紅葉は次に発される伊右衛門の言葉を待つ。


「なるほど。それで全てか。周りの者は何をやっているのだ?」


他の楽師や関係者がなぜ天榎を助けないのかを紅葉に聞く。


「どうやら虎子様に何か告げたら自分達にまで飛び火してしまうかもしれないという事を恐れ

誰も天榎ちゃんを助けていないようです。」


「ほぉ・・・」


周囲の状況も全て把握した伊右衛門がしばらく考え込む様子で下を向く。

そして顔を上げて次に発せられた言葉は


「故に聞くが。お主はなぜ事態をそこまで詳しく把握しているのだ?

お主は劇場の関係者でもなく紅葉山楽団の関係者でもないだろう?」


痛い所を突かれた紅葉は、突然の事だったので口が回らず、

「え~えっと・・・それは」とか「そ、それはですね~・・・」

なんて言葉しか出てこなかった。


ど、どうしよう・・・このままじゃ怪しまれて捕まっちゃう────


「実は我々、現在開催されている世話方体験に参加している身でございまして・・・

そこで楽団の関係者の方々が教えてくださったのです。」


愛想笑いをしながら助け舟を差し出したのは、凪だった。

助けてくれた凪が映る紅葉のその瞳は、星のように輝いていて、

彼女は凪へあ・り・が・と・うと口の動きだけで伝えた。

礼を言われた彼女は少し照れながらも、すぐに気を取り直して顎をしゃくって

伊右衛門を指した。


「つまりお主等は見知らぬ赤の他人を助けるために私の元へやってきたと?」


あれ怒ってるのかこれと思いつつ、恐る恐る首を縦に振る紅葉。

そんな彼女が浴びた次の言葉はこうだった。


「お主等そのお節介が相手をどう思わせているか考えたことはあるか?」


「えっ?」


「全く関係のない赤の他人に自分の事を気遣われて。

助けようとされて。それがどれだけのお節介なのか分かっているのか?」


確かにそうだ。伊右衛門の言っている事は間違ってない。

痛い所を突かれ、ぐうの音も出ずに紅葉はただひたすらに黙る事しかできなかった。


「確かに私がどうこう言えば天榎を救い出すことは可能だ。

だがそれが本人にとって一番良いことなのかどうかというのはまた別の話だ。」


「で、でもいじめられて助けてほしいって思わない人はいないのではないでしょうか!?」


思わず出てしまった言葉。間違っていないのにそれに対して出てしまった言葉。

それを元に戻すにはもう手遅れで。


「お主等は知っているか?お主等のような者共の事を世間では偽善者と呼ぶのだぞ。」


ただ純粋に助けたい。そう思っていただけなのにそんな言葉を吐かれるとは思わず、

ただ茫然と紅葉はその場に立ち尽くしていた。


「お主等最近ここら辺で舞姫というのを始めようとしていると聞いたぞ。

舞と歌は音がなければできない。だから楽師を探している。

私の耳にはそう入っているがな。」


そう告げた伊右衛門は、傍仕え達を連れて劇場内へと入っていった。

何も言えなかった紅葉は、ただその場に立ち尽くして、伊右衛門達が劇場内に

入っていくのを見届ける事しかできなかった。

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