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ダンジョン点検員、リストラされる。〜「何もしてない」と切られた俺の巡回ルートで、翌週から事故が止まらない〜  作者: 更田遅筋


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第1話 成果ゼロの男

「灰田くん。君はこの十年、成果報告をただの一件も上げていない」


会議室の長机の向こうで、査定部長の皆木がそう言った。


穏やかな声だった。


責めるというより、決まりきった書類を読み上げるような声。


「昇降機の油差し。結界柱の見回り。照明の交換。排水路の掃除」


「それは、仕事と呼べるのかね」


窓の外では、第七ダンジョンの入場ゲートに探索者の列ができている。


「探索者の稼ぎで、君たち設備班の給料は出ている。その自覚はあるかね」


「公社は来期から、収益に直結しない部門を整理する。何もしていない人間を、雇い続ける余裕はない」


何もしていない。


俺は口を開きかけて、やめた。


「……十年、お世話になりました」


椅子を引き、頭を下げた。


顔を上げたとき、皆木は少しだけ、拍子抜けした顔をしていた。


会議室を出るとき、ドアの横で、査定部の若い職員が目を伏せた。


議事録係だろう。


今日が何件目の面談なのかは、知らない。


廊下の掲示板には、「経営効率化推進月間」のポスターが貼ってあった。



管理棟を出ると、昼の光が目に刺さった。


十年間、ほとんど地下にいたせいだ。


ゲートには、会議室の窓から見えたのと同じ、探索者の列。


列の先頭が資格証をかざすたび、読み取り機が短く鳴る。


彼らが魔石を一つ持ち帰れば、公社の帳簿に数字が載る。


俺の十年には、載せる数字が一つもない。


それは、そのとおりだ。


第七ダンジョン、地下三十八層。


昇降機が四基、結界柱が九本、照明が千百二十個、排水路が延べ十四キロ。


それを区画に分けて、毎日歩いて回った。


十年で、歩いた距離はだいたい二万二千キロになる。


地球を半周して、少しお釣りが来る。


朝七時、第三柱の音を聴く。


昇降機四基の巻き上げを順に聴いて、遊びの増えた滑車に油を差す。


千百二十個の照明は、切れる前に音で分かる。


灯具の中で安定器がジジ、と鳴き始めたら、次の休場日に交換する。


排水路は、水音の高さで詰まりの位置が分かる。


夕方、詰所に戻って、記録を書く。


それだけの、十年だ。


その間、俺の担当区画で、設備が原因で死んだ人間は一人もいない。


──成果報告がゼロなのは、報告するべき事故を、一件も起こさせなかったからだ。


そこまで考えて、自分で笑ってしまった。


やめよう。


こういうのを、負け惜しみと言うのだ。


起きなかった事故は、誰にも数えられない。


数えられないものは、なかったことと同じだ。


世の中はそういうふうにできていて、それが正しいのだと思う。


俺はただ、油を差していただけの男だ。


三十四歳、無職。


履歴書に書ける肩書きは、今日から、それだけになった。


考えてみれば、俺は最初、あの列に並ぶ側になりたかったのだ。


二十歳から三年、探索者試験を受けて、三回落ちた。


落ちたのは、三回とも実技だ。


筆記と、設備構造と、応急処置の科目は、三回とも満点だった。


的に向かって剣を振ると、途中で教官が笛を吹いて止めに来る。


そのくらい、駄目だった。


三回目の不合格通知が届いたのは、二十二歳の春だった。


同じ封筒に、公社設備班の募集案内が同封されていた。


拾われた、ということだと思う。


ただし、枠が空くまで、二年待たされた。


二十四歳で、ようやく第七の詰所に配属された。


それから十年、剣の代わりに油差しを持って、地下を歩いた。


向いていたのだとは、思う。


少なくとも、笛は一度も吹かれなかった。



私物を取りに、最後にもう一度だけ第七の詰所へ向かった。


ゲート前で、若い探索者の女の子とすれ違った。


歳は二十代前半。


背中に配信用の撮影機材。


腰に降下用の命綱。


その命綱の金具が、歩くたびに鳴っていた。


カチ、カチ、と鳴るはずの音が。


カチャ、と濁って聞こえた。


「すみません」


気がついたら、呼び止めていた。


「その腰の金具、中の板バネがへたってます。今は嵌まってますけど、荷重をかけて三十メートルも降りたら、たぶん抜けますよ」


「……え?」


彼女は目をまるくして、それから金具を外して、耳の横で振ってみせた。


「これ、先週買ったばっかりですよ? 傷とかも、どこにもないですけど」


「外からは見えないです。音が違うので」


「音」


「はい」


工具袋の底に、予備の板バネが残っていた。


詰所の借り物の作業台で、三分。


金具はカチ、と乾いた音を取り戻した。


「はい。これで大丈夫です」


「……えっと、音って言いました? 今、ほとんど見ないで直しました?」


「見ましたよ、ちゃんと」


「音でわかるんですか? バネのへたりが?」


「わかりますよ」


何を驚いているんだろう、と思った。


「毎日聴いてれば、普通、わかると思いますけど」


彼女は、口を半分開けたまま俺を見ていた。


変な子だな、と思った。



詰所のロッカーには、大した物は残っていなかった。


替えの作業着と、欠けた湯呑みと、十年使った工具袋。


工具袋の油差しは、柄が手の形に凹んでいる。


湯呑みは配属の年に売店で買ったもので、縁が欠けたのは五年前だ。


捨てるほどのものも、飾るほどのものも、なかった。


段ボール一つで、足りた。


詰所を出る前に、警備員に職員証を差し出した。


「今日で、最後なので」


警備員は一瞬、意外そうな顔をしてから、回収用の小さな箱に証を落とした。


会釈をして、外に出た。


帰り道、第三結界柱の前を通った。


第七の心臓部だ。


高さ十二メートルの黒い柱が、地下から生えて天井を貫いている。


柱はいつも、低く唸っている。


魔素の圧を抑え込む、あの独特の唸り。


十年間、毎朝この音を聴いてから巡回を始めた。


俺にとっては目覚まし時計みたいなものだ。


その前で、足が止まった。


「……」


段ボールを置いて、柱に耳を近づけた。


唸りが。


半音、低い。


聞き間違いかと思って、三分待った。


低いままだった。


先週の金曜、退職前の最後の巡回では、いつもの音だった。


巡回は、その金曜で委託の会社に引き継いだ。


今週の俺の仕事は、面談の日を待つことだけだった。


つまりこの柱は、四日で半音下がった。


結界柱の劣化は、ゆっくり進む。


音が下がり始めてから支持部が崩れるまで、普通は、平均で四十一日かかる。


四十一日あれば、補修は余裕で間に合う。


だから今まで、何も起きなかった。


でも。


四日で半音は、速すぎる。


こんな下がり方は、十年で一度も聴いたことがない。


俺は柱を見上げた。


十二メートルの黒い胴は、見た目には、いつもと何も変わらない。


通りすがりの見学者が、柱に耳を当てている俺を、少し離れて避けていった。


無理もない。


計器盤のランプは、魔素圧も、出力も、温度も、全部、涼しい顔で緑に灯っている。


緑というのは、便利な色だ。


見た人間に、それ以上考えさせない。


「……誰かに、言わないとな」


言ってから、思い出した。


俺はもう、ここの点検員ではないのだった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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