↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第4章 夏を待つ五人と、還ってきたルナ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
98/112

第98話 立花の本気と、動けなかった俺

七月も中旬に入り、容赦ない日差しが窓の外を白く焦がしていた。

 エアコンの冷風が届きにくい窓際の席で、俺は額に浮いた汗を手の甲で拭った。


 数日前の日曜の夜。

 ルナが二週間ぶりに復帰したあの夜の浮き足立った余韻は、心地よい安心感へと変わっていた。

 毎晩ログインすれば、いつも通りの緑色のランプが灯っている。

 それが確かめられるようになっただけで、この数日、俺の足取りはずっと軽かった。


 現実の三姉妹と、画面の向こうのルナ。

 両方が揃った日常は、こんなにも安定していて、こんなにも平穏なのだと今更ながらに実感する。

 そう、回っているはずだった。


 昼休みの教室。

 俺と、左隣に座る二葉さんの席へ、一花さんと三桜さんが机を寄せる。

 そうしていつものように、四人で昼食をとっていたときのことだ。

 その平和な輪のすぐ外側から、大きな声が降ってくる。


「綾瀬さん! 今日のお弁当、すっげえ美味そうだな! それ、自分で作ったの?」


 声の主は、三桜さんの隣の席の立花陽斗だった。

 彼は近くにあった椅子を逆向きに跨ぎ、三桜さんの手元をきらきらとした目で見つめている。

 少し明るめの茶髪に、ゆるく崩したネクタイ。

 いかにもクラスの中心にいる陽キャといった風貌の彼は、なぜか最近、三桜さんにばかり構うようになっていた。


「えっ? あ、えっと……うん、今日は、私が作ってきたの」


「へえ! 綾瀬さん、料理できるんだ! 俺なんか料理まったくできねえからさ、手作りの弁当って本当にすげえと思うわ」


 三桜さんは少し肩を竦め、困ったように眉を下げて曖昧に笑う。

 今日の弁当は、三桜さんが朝から張り切って作ってきたものだった。

 メインの生姜焼きは、二葉さん直伝の味付けらしい。

 ……そして、俺の分にはわざわざ、大好物のしょっぱい卵焼きまで一切れ多く詰めてくれている。

 そんな三桜さんの弁当を褒められて、なぜか氷点下の反応をしているのが、隣の二葉さんだった。


「立花くん。常識的に考えて、食事中に他人の弁当を大声で覗き込むのはマナー違反よ」


「あ、ごめん! でもほんと美味そうだったからさ。綾瀬さん、その卵焼き、俺の唐揚げと一口交換しない?」


「えぇっ!?」


「あはは、タチバナくんウケる。三桜の卵焼き狙い? でもそれ、誠の好物だから三桜が甘めじゃなくて、しょっぱく作ってきたやつだよ?」


 向かいの席から、一花さんが面白そうに口を挟んだ。

 おい、なんで俺の好物に合わせてるってばらすんだ。


「ちょっと、一花お姉ちゃん、余計なこと言わないで!」


「本当のことじゃん。ねー、誠?」


「俺に振るなよ」


「へえ! 相沢の好物なんだ! じゃあ俺もますます食ってみてえな。ダメ?」


 立花の辞書には『遠慮』という文字がないらしい。

 悪気のない、純度百パーセントの直球。

 その無遠慮な距離感に、三桜さんはパニックを起こしたように目を白黒させている。


 気づけば、俺は箸を止めて二人を見ていた。

 弁当はまだ半分残っているのに、口をつける気になれなかった。

 持ったままの指先に、余計な力が入っている。


「う、ううん……立花くん、唐揚げ好きみたいだし、いっぱい食べた方がいいよ。私の分は、気にしないで……っ」


「ほんと? ……綾瀬さん、優しいんだな。じゃあお言葉に甘えて……って、あれ? いいの、ほんとに?」


 三桜さんは気圧されたまま、こくこくと小刻みに頷いた。


「ちょっと三桜、あんたそれでいいの!?」


「あー、悪い。やっぱり一方的にもらうってのはできねえわ。だから交換な。俺の唐揚げの方、綾瀬さんが食ってくれ。ほら、好きなの取って」


「あ……えっと、私は、ほんとに、大丈夫だから……」


 差し出されたおかずを前に、彼女の箸は止まったまま動かない。

 平穏ではない。

 少なくとも、三桜さんにとっては。


 三桜さんの手元をしばらく見ていた立花が、ふっと自分の昼飯を引っ込めた。


「……いや、やめとく。無理にとは言わねえよ。綾瀬さんが食いたくなった時でいいから」


 引いた、と思ったのも束の間だった。


「じゃあさ、代わりに——」


「立花くん」


 二葉さんが箸を置き、静かに口を開いた。

 きっちりと第一ボタンまで留めた夏服。

 着痩せしたシルエットからは想像もつかないほどの威圧感を放ち、二葉さんは立花を冷たく見据えた。


「あなたの卵焼きに対する情熱は理解したけれど、三桜のパーソナルスペースを侵食しているわよ。少し離れなさい」


「あ、ごめん次女さん! つい気になっちゃってさ。……そっか、次女さん厳しいな。綾瀬さん、また今度な」


「後でも来なくていいわよ」


 理詰めで壁を作る二葉さんに、立花はカラカラと笑って自分の席に戻っていく。

 三桜さんは細く長い息を吐いて、ようやく椅子の背に体を預けた。


「よかったね、三桜。二葉が守ってくれて」


「う、うん……びっくりしたぁ……」


 向かいの席では、一花さんが頬杖をついたまま、まだ立花のほうを眺めていた。


「タチバナくん、ほんっと分かりやすいよねー。ストレートでバカっぽくてさ。あたし、面白いおもちゃ見つけちゃったかも」


「一花。人をおもちゃと呼ぶのはやめなさい」


「えー、あたしは褒めてるんだけど」


 褒め言葉に聞こえないのは、たぶん俺だけじゃない。

 三桜さんは、まだ卵焼きに手をつけられずにいた。


  ◇


 放課後。

 終礼が終わり、帰りの支度を始める教室の喧噪。

 今日一日を締めくくるその時間帯に、立花は行動に出た。


「綾瀬さん! ちょっといいかな?」


 教室の前のほうで、よく響く声が上がった。

 鞄を肩にかけた立花が、三桜さんの机の前に立っていた。

 周囲の生徒たちが、何事かと視線を向ける。


「えっ、立花くん……帰る準備、まだ終わってなくて……」


「手伝おうか? ていうか、俺が鞄持つよ」


「だ、大丈夫だよ! 自分で持てるから……!」


「そっか、悪い。じゃあ、支度終わるまで待ってる。……その前に、ちゃんと伝えておきたいことがあってさ」


 立花はまっすぐに三桜さんを見据えた。


「俺さ、綾瀬さんの笑った顔、いいなと思っててさ」


「……えっ」


「うまく言えねえけど、俺、本気なんだ。……綾瀬さん、今度、二人だけで、出かけよう」


 いつもより一段低い、本気の声。

 ただのクラスメイトへの誘いではないことは、誰の目にも明らかだった。

 悪気のない押しの強さが、ついに明確な好意という形を持って突きつけられた瞬間。

 教室の空気が、ピンと張り詰めた。


「え……あ、あの……えっと……」


 困り果てた三桜さんの視線が、教室中の生徒たちを一巡する。


「みんな、見てるよぉ……?」


「みんなの前で、悪い。……でも、俺は綾瀬さんと行きたいんだ」


「でも、その……私、誠くん以外の男の人と、二人だけで出かけたこと、ないから……」


「だったら、俺が相沢以外の最初になりたいんだよ。頼む、一回だけでいいから!」


 三桜さんは目を見開き、咄嗟に言葉を失っていた。

 断れない彼女にとって、大勢の前で向けられた本気の誘いは、最も対処の難しい攻撃だ。


「立花くん」


 二葉さんが立ち上がり、静かに声をかけた。


「これ以上、三桜を困らせるのは感心しないわ。帰り支度の邪魔よ」


 だが、立花は振り返らなかった。


「次女さん、ごめん。でも俺、今は綾瀬さんの答えが聞きたい」


 その横顔には、昼休みの軽薄さは微塵もなかった。

 彼は彼なりに、真剣なのだ。


 三桜さんは唇を震わせ、小動物のように怯えたまま、視線を泳がせた。

 そして。

 彼女の目が、ふらりと教室の後方へ向かい——俺の顔を捉えた。


 助けて、と。

 すがるような、湿った視線。

 声にならないSOSが、距離を超えて俺の胸を貫くような錯覚。


 俺が何かを言えば、この状況は変わるのかもしれない。

 でも、何を?

 俺は、三桜さんの何だというんだ。


 俺は。

 その視線の重さに、自分の立ち位置の曖昧さに耐えきれず。

 思わず、三桜さんから目を逸らしてしまった。


「……そっか」


 立花の声が、一段落ちた。

 三桜さんの答えが出ないこと、教室中の視線が集まっていること。

 それらを全部飲み込んだ上での、諦めではない声だった。


「悪い。今すぐ返事しろってのは、ワガママすぎたな。……綾瀬さん、ちゃんと考えてくれるだけでいい。今日はもう、その、忘れてくれてもいいから」


 立花はそう言って、少し照れくさそうに頭を掻いた。

 鞄を肩にかけ直し、あっさりと踵を返す。

 教室を出ていく背中は、告白した男の未練とは違う、真っ直ぐな軽さを持っていた。


「……立花くん」


 三桜さんが、消え入りそうな声で呟く。

 絞り出されたのが、ありがとう、なのか、ごめんなさい、なのか、聞き取れないほどの声だった。


「三桜。立花くんのことは、しばらく放っておきなさい」


 二葉さんが三桜さんの席まで歩み寄り、その背中にそっと手を添える。

 いつもの冷ややかさとは違う、姉としての温度で。


「今、答えを出す必要はないわ。……先に、帰りましょう」


「……うん」


 三桜さんは力なく頷き、二葉さんに促されるように鞄を抱え直した。

 二人が並んで、教室の前扉から廊下へと消えていく。

 その背中を見送っているうちに、周囲のクラスメートたちも、気まずさをやり過ごすように帰り支度に戻っていった。

 嵐が去った教室に、いつもの喧噪が少しずつ戻ってくる。


 俺は、まだ動けなかった。

 助けを求めるように揺れていた三桜さんの湿った視線が、瞼の裏に焼き付いて剥がれない。

 あの目から、俺は逃げた。

 立花のように真っ直ぐでもなく、二葉さんのように守れもせず、ただ立ち尽くしていた。


 胸の奥、鳩尾のあたりで、名前のつけようがない黒い靄のようなものが渦を巻いていた。

 これは何だ。

 誰かが彼女の隣に立つことへの戸惑いなのか。

 それとも、もっと泥臭い感情の一滴なのか。


「——誠、意外と臆病だね」


 肘のあたりを、こつん、と軽く小突かれた。

 いつの間にか隣に立っていた一花さんが、こちらを覗き込むように顔を寄せてくる。

 口元は笑っているのに、目はまったく笑っていなかった。

 まるで、俺の胸の奥のモヤモヤをとっくに見透かした上で、そこに指先を差し込んでくるみたいに。


「臆病って……なんだよ」


「だってさ。三桜、SOS出してたっしょ? なのに、動かなかった」


「動かなかったわけじゃ……」


「ふーん? じゃあ、助けに行けばよかったじゃん」


 軽い口調のはずなのに、言葉は容赦なく胸の柔らかいところを抉ってきた。


「それは……俺の役目じゃ、ないだろ」


「じゃあ、誰の役目? 二葉? ……それとも、あたし?」


 答えられなかった。

 どちらの名前も、口に出せなかった。


「それとも、自分だけの三桜を取られそうで焦ってる?」


「なっ……そんなんじゃない」


 反射的に返した声が、自分でも驚くほど硬かった。

 一花さんはふっと満足そうに息を吐き、悪戯っぽく目を細める。


「そういうとこだよ、誠」


 一花さんの指先が、ふいに俺のネクタイの結び目に触れた。

 冗談のような、けれど本気のような、絶妙な力加減で。


「もっとグイグイ来てもいいんだよ? あたしは歓迎するけど」


 声のトーンがひとつだけ、落ちた気がした。

 軽さの奥に、いつもより一滴だけ濃い甘さが混じっている。


「……何、言ってんだよ」


「あはは、冗談だって。……誠らしいなって思っただけ」


 その笑みの意味を問い詰めることすら、今の俺にはできなかった。

 鞄を肩にかけ直す一花さんに促されるまま、俺も席を立つ。


「ほら、帰ろ。二葉たちに置いてかれちゃう」


「……ああ」


 鞄を肩にかけ、俺は一花さんの後を追う。

 夕方の光が差し込む廊下は、いつもと変わらない色をしていた。

 なのに、胸の奥で渦を巻いていた黒い靄だけが、まだ、消えてくれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。