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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第4章 夏を待つ五人と、還ってきたルナ

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第93話 人気者の放課後、一花の素顔

七月中旬、火曜日の放課後。

 六時間目の終わりのチャイムが鳴り終わり、二年B組の教室は帰宅の途につく生徒たちの喧騒に包まれていた。

 昨日は昼休みから下校まで三姉妹に囲まれっぱなしだったが、今日はどういうわけか、まだ誰にも捕まっていない。

 鞄に教科書を詰めながらふと顔を上げると、教室の中央、窓寄りの一角に自然と人の輪ができていた。

 その真ん中にいるのは一花さんだ。


「えー、マジで? それ超ウケるんだけど」


「ねえねえ、綾瀬さーん、駅前のクレープ屋に新作出てるんだって! 今日行かない?」


「えー、行きたーい! でもごめん、今日はちょっとパスで。また今度ね?」


 一花さんが声を上げると、周囲の女子たちが弾けるように笑う。

 会話のテンポが速く、誰の発言にも間髪を入れずリアクションが返る。

 場の空気を掌で転がすように操る一花さんの手腕は、見ていて感心するほどだ。

 俺の左隣では、二葉さんが静かに席を立った。


「マコト。私は今日、図書室に寄っていくわ。……先に帰っていて」


「了解。気をつけてな」


「ええ。寄り道しないで真っ直ぐ帰るのよ」


 そう言いながら、二葉さんの視線が一瞬だけ人の輪のほうへ流れる。

 それから素っ気ない声を残して、教室を出ていった。

 入れ替わるように、前の席から三桜さんが日誌を抱えながら振り返る。


「誠くん、私、購買の裏のにゃんこのところに行ってくるね! 今日も膝に乗ってくれるかなぁ!」


「あの猫、俺には匂い嗅ぐだけなのにな。頑張れ」


「えへへ、頑張る!」


 小さく手を振って教室を飛び出していく三桜さんを見送り、俺は帰り支度を再開した。

 やがて部活組が足早に出ていき、帰宅組もぞろぞろと席を立ち始める。

 最後のグループが教室を出ていくと、ようやく静けさが戻った。


「ふぅー……」


 一花さんが、両腕を天井に向けてぐーっと伸ばした。

 少し着崩した制服のブラウスが引き上げられ、引き締まったウエストから胸元にかけてのしなやかなラインがはっきりと浮かび上がる。

 ——思わず見てしまった。

 俺が慌てて手元の教科書に目を落とすと、気づけば一花さんが俺の机の前に立っていた。


「何してんの、誠」


「帰り支度してるんだけど」


「おっそーい。いつまで詰めてんの」


「一花さんこそ、断ってたじゃん。クレープ」


「だって今日は気分じゃなかったし」


 そこで一度言葉を切って、一花さんが俺の手元の教科書を指先でちょいちょいとつついた。


「……ていうかさ。あたしのほう見てたでしょ、さっき。ずっと」


「……見てない」


「嘘。目、合ったでしょ」


 一花さんが、にんまりと笑う。


「べつにいーけどさ。あたしの顔、そんなに見たいなら見せてあげるよ? 特等席、今なら空いてるし」


「……勘弁してくれ」


 一花さんはくすくすと笑って、俺の横に回り込んだ。

 そのまま、まだ半分開いたままの鞄に視線を落とす。


「ほら、まだ片付いてないじゃん。手伝ったげよっか」


「いや、自分でやるから」


「遠慮しないでよー。あたし、こう見えて片付け得意なんだよ」


 有無を言わさず、机の中に残っていた教材を引っ張り出して、てきぱきと鞄に詰めていく。

 いつもの小悪魔というよりは、どこか世話焼きめいた手つきだった。

 最後の一冊を押し込んで、一花さんが顔を上げる。


「はい、完了。ほら、あたしにかかればこんなもんっしょ」


 言うが早いか、するりと俺の右腕に自分の腕を絡めてきた。

 密着した部分から、服越しに予想以上の柔らかさが押し付けられる。

 肩口の近さのぶんだけ、甘い柑橘系の香水が濃く立ちのぼった。


「ちょっ、一花さん。教室だって」


「誰も見てないってば。ほら、誠を独り占めするチャンス! 早く行こ!」


 俺の抗議など意に介さず、一花さんはぐいぐいと腕を引いて歩き出す。

 腕に伝わる柔らかな感触と熱に急かされるように、俺は彼女に引きずられて教室を後にした。


 西日に白く灼けた、通学路の長い坂道。

 ミンミンゼミの鳴き声が、じりじりとした暑さをさらに煽り立てているようだった。

 一花さんは相変わらず俺の右腕にしがみついたまま、上機嫌で鼻歌を歌っている。


「あー、あっつーい! ねえ誠、ちょっとあそこの自販機寄ろ! 冷たいもの飲まないと死んじゃうー!」


「はいはい。……何がいいんだ? 俺が奢るよ」


「まじで!? やったー! じゃあ、あたし炭酸! 一番シュワシュワするやつ!」


「そんなの飲んだら、余計に喉渇かないか?」


「いいの! 今は刺激が欲しいお年頃なのだ。ほら、早く早く!」


 俺は苦笑しながら、リクエスト通りに強炭酸のペットボトルを買い、自分用にはスポーツドリンクを選んだ。

 寄り道しないで真っ直ぐ帰れ、と言った人の顔が、一瞬だけ頭をよぎる。


「はい、どうぞ」


「さんきゅ! 誠ってば、たまに気が利くよねー」


「たまには余計だ。……っていうか、炭酸なんか一気に飲んでむせるなよ」


「むせないもーん。……ぷはーっ! しみるー!」


 一花さんは満面の笑みでペットボトルを掲げた。

 太陽の下ではしゃぐ彼女の姿は、どうしようもなく目を惹く。

 ふと、一花さんが歩きながら下から覗き込むようにして聞いてきた。


「ねえ誠。昨日の宿題、進んでる?」


 昨日の宿題。

 それは間違いなく、月曜の昼休みに俺が保留にした三姉妹のさん付け外しのことだろう。


「あれは……いきなりは無理だって言っただろ。自然にそう呼べる瞬間が来るまでって」


「えー、ケチ。あたし的には、今が絶好のタイミングだと思うんだけどなー」


「どういう理屈だよ」


「だって、今ならあたしと誠の二人っきりだし。誰にも聞かれないんだから、練習するには最適でしょ?」


 一花さんが、わざとらしく俺の腕に胸の膨らみをすり寄せてくる。

 制服の薄い生地越しに伝わる感触に、俺の心臓がうるさく跳ねた。


「……それにさ。あたし、篠崎ちゃんの件、まだ根に持ってるんだからね」


「そこ、競うところなのか」


「競うに決まってんじゃん。毎日あんだけ絡んでんのに、後輩に先越されたままなの、けっこう悔しいんだから」


 一花さんが腕を揺すると、手の中で炭酸がこぽりと小さく鳴った。


「ほらほら、一回だけ! 一花って呼んでみて? ね?」


「だ、だから、そういうふうに急かされると余計に言いにくいんだって……」


「あはは、誠、顔赤い! ほんと可愛いとこあるよね」


 俺の動揺を見て、一花さんは満足げに笑う。

 いつも通りの、余裕たっぷりの小悪魔な振る舞い。


 坂の途中で、後ろから軽い足音が二つ追いついてきた。


「あ、綾瀬さーん! おつかれー!」


 一花さんが、体をひねって振り返る。


「おつかれー! また明日ねー!」


 そのまま、大きく手を振り返す。

 声が、その一言だけひときわ高くなる。

 さっき人の輪の真ん中で見たのと、寸分たがわない笑顔だった。


 同じクラスの女子二人が、俺たちの絡んだ腕を一度だけ見て、それでも何も言わずに追い越していく。

 坂の下へ小さくなっていく背中を、一花さんはしばらく目で追っていた。


 ——だから、前を向き直した瞬間も、俺は見ていた。

 笑顔が消えたわけじゃない。

 ただ、ひと呼吸ぶんかけて、人前で灯していた眩しさだけが静かに引いていく。


 俺はその横顔を見つめながら、ふと口を開いていた。


「一花さんって、本当にいつも元気だよな」


「え? 何、いきなり」


「教室でも、今のもさ。ずっと笑ってて、周りを気遣って……すごいと思うよ、純粋に」


 何気なく言った俺の言葉に、一花さんの足がふと止まった。

 一花さんは絡めていた腕をほどき、ガードレールに腰を預けて、傾きはじめた陽に目を細める。


「……あたしってさ、誰とでもすぐ仲良くなるタイプでしょ。教室でもさ」


「ああ」


「あれ、別にキツいとかじゃないんだよ? 自然にできるし、楽しいし。……でもさ、たまにね。みんなが笑ってくれてるときに、ふっと思うの」


 ガードレールを掴む手に、わずかに力がこもるのが見えた。


「——あたしじゃなくても、同じだったんだろうなーって。嫌な空気になるくらいなら、あたしが笑ってた方がいいでしょって」


 その言葉の奥に、見えない身構えのようなものを感じた。

 表面だけの顔を求められ、本当の自分を見せることを恐れているような、脆い響き。

 俺は一花さんの顔を真っ直ぐに見下ろした。


「それ、違うと思う」


「……え?」


「一花さんじゃなきゃ、ああはならないだろ。少なくとも俺は、一花さんが話してるからつい見てたわけで。別の誰かが同じことやっても、たぶん目は止まらない」


「…………」


「みんなの前では、それでいいかもしれない。でも……俺の前でくらいは、無理しなくていいからな。一花さんがずっと笑って楽しませてくれなくても、俺は一緒にいるのが楽しいから」


 場を明るくする役なんて、俺の前では要らない。

 俺はただ、彼女自身を見ているのだと伝えたかった。

 セミの声だけが響く坂道で、一花さんは目を丸くして俺を見上げていた。

 彼女の唇が、微かに震える。

 いつも纏っている余裕という名の小悪魔の鎧が、その一瞬だけ、するりと緩んだのがわかった。


「……誠って、ほんと……バカ」


 小さな、吐息のような声だった。

 からかいの色は一切ない。

 一花さんは俯き、俺のシャツの裾をきゅっと掴んだ。


「……そんなこと言われたら、勘違いしちゃうじゃん」


 再び顔を上げた彼女の瞳は、ほんの少しだけ潤んでいるように見えた。

 それは、誰にも見せない素顔の片鱗。

 俺が中身を見てくれているという確信に、心底安堵したような、柔らかくて無防備な顔だった。


「勘違いって……」


 俺が何かを言いかけるより早く、一花さんは小さく息を吸い込んだ。

 次に瞬きをした時、彼女の顔にはすっかりいつもの小悪魔な笑みが戻っていた。

 だが、その奥にある熱は、先ほどよりもずっと優しくて甘い。


「充電中! 誠が甘いこと言うから、あたしのエネルギーがショートしちゃったの」


 一花さんは一歩踏み込み、俺の胴体に両腕を回して抱きついてきた。

 俺の胸に顔を埋めるようにして、ぎゅっとしがみつく。


「うわっ、い、一花さん!?」


 腕をどける先が、どこにもない。

 密着した体から伝わる柔らかな感触と、夏の暑さにも負けないくらい熱い体温。

 首筋に当たる彼女の吐息が、理性を容赦なくかき乱してくる。


「……それなら、離れて休んだ方がいいんじゃないか?」


「だーめ。誠のエネルギーをもらわないと回復しないもん」


「そんな機能、俺にはついてないけどな……」


「ついてるの! あたし専用のバッテリーなんだから、おとなしく充電されててよね」


 俺の胸元から見上げてくる一花さんの瞳は、挑戦的でありながらも、どこか嬉しそうに輝いていた。


「ねえ、誠。……次に呼ばれるのは、絶対あたしだからね」


 昨日も聞いた宣言だった。

 けれど、込められた熱量はまるで違う。


「……善処するよ」


 俺の降参めいた言葉に、一花さんは今日一番の明るい声で笑った。

 夏の空に響くその笑い声は、誰かに見せるための笑い方ではない。

 俺だけに見せてくれた、心からの本音だった。

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