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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第4章 夏を待つ五人と、還ってきたルナ

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第92話 月曜の教室、その名前の波紋

月曜日の昼休み。

 二年B組の教室は、午前中の授業から解放された生徒たちの、穏やかな喧騒に包まれていた。

 俺の机を囲むようにして、一花さん、二葉さん、三桜さんが集まっているのも、すっかり見慣れた日常の風景だ。


 パンの袋を開けながら、俺はなんとなく廊下の方に目をやった。

 別に、誰かを待っているわけではない。

 ――というのは嘘だ。

 金曜の放課後に交わした約束が、週末のあいだずっと頭の隅に貼り付いていた。


「誠、また購買のしょっぱい系? あたしのおかず、分けてあげよっか?」


 身を乗り出してきた一花さんが、俺の手元の惣菜パンを覗き込んでくる。

 少し緩めたネクタイの端が、身を乗り出す動きに合わせてわずかに揺れる。

 半袖ブラウスの薄い生地が、その下の豊かな輪郭に沿って張り詰めていた。


「いや、俺はこれでいいよ。甘いおかず担当は三桜さんだろ」


「うんっ! 今日の私の卵焼き、すっごく甘くて美味しいんだよぉ」


 向かいの席から、三桜さんが嬉しそうに自分のお弁当箱を掲げてみせる。

 少し短めのボブカットがふわりと揺れ、小動物のような愛嬌が弾けていた。


「一花。マコトが困っているわよ。……マコト、私の生姜焼き、一つ食べる?」


 左隣の席から、二葉さんが静かに口を挟む。

 彼女は自分の弁当箱から見事な照りの生姜焼きを箸でつまみ、すっと俺の口元へ差し出してきた。

 有無を言わさない距離感。


 顔が近い。

 きっちりとした制服姿からは想像もつかない量感が、前傾姿勢のせいで際立って、目のやり場に困る。

 清涼感のあるシャンプーの匂いが、俺の理性をわずかに揺さぶる。


「あ、ありがとう、二葉さん。……うん、美味い。完璧な味付けだな」


「当然よ。生姜焼きは私の得意料理だから」


 二葉さんは表情を変えずにそう言ったが、耳の先がほんのりと赤くなっていた。

 そんな俺たちのやり取りを見て、一花さんが不満げに頬を膨らませる。


「ちょっと二葉、抜け駆けはずるいんじゃない! 誠、ほら、口開けて! 唐揚げ、あーんっ!」


「ちょ、一花さん、自分で食べられるから!」


「あっ、一花お姉ちゃんと二葉ちゃんばっかりずるい! 誠くん、私の卵焼きも食べて!」


 三桜さんまでが箸を伸ばしてきて、俺の視界は色とりどりのおかずで埋め尽くされた。


「だから、いっぺんに三方向から迫るなって……んっ、美味い」


 右からは一花さんの唐揚げが、正面からは三桜さんの甘い卵焼きが、同時に俺の口元へと迫ってくる。

 三者三様の好意が飛び交う、いつも通りのにぎやかな昼食時。

 そんな平和な空気が、次の瞬間に一変することになるとは、この時の俺は思ってもみなかった。


「センパーイ!」


 教室の入り口から、弾むような声が響いた。

 ひょっこりと顔を出したのは、一年生の後輩だ。

 制服のネクタイをゆるめ、少し大きめの半袖ブラウスの袖をラフにまくった、ボーイッシュな夏の着こなし。


「月曜ですよ、センパイ!」


 息を弾ませて、彼女は俺の机の横に滑り込んできた。

 改札越しに交わした「月曜も……呼んでくれますか?」という約束。

 それが彼女をここまでウキウキさせているのは、少し色づいた頬を見れば一目でわかる。


 ――けれど、三姉妹の視線が机の周りに集まっているのが視界の端に映る。

 金曜の帰り道の温度そのままで呼ぶには、周りの目が気になった。

 だから俺は、いつも通りの調子で声をかけた。


「ああ。よく来たな、篠崎」


 心花は俺を見上げたまま、にこにこと微笑んでいる。

 返事がない。

 聞こえなかったのかと思って、俺は少しだけ声を大きくした。


「どうした、篠崎。何か──」


「…………」


 心花の口元から、笑みがふっと消えた。

 きゅっと結ばれた唇と、心なしか翳った上目遣いが、じっと俺を見上げてくる。

 言葉にならない、けれど雄弁な抗議。


 その視線の圧に、俺は言葉を詰まらせた。

 金曜の改札で交わした約束を、たった二日で撤回されたと思われているようだ。

 ……ああ、そういうことか。


「悪い。──よく来たな、心花」


 ――ピシッ。

 教室の空気が、完全に凍りついた音がした。


 一花さんの笑みが、貼り付いたまま動かなくなる。

 俺の口元に唐揚げを運ぼうとしていた手が、空中でぴたりと止まった。

 二葉さんは手元の箸を置いたまま、微動だにしない。

 三桜さんに至っては、目を丸くしてぽかんと口を開けたまま、息をするのすら忘れているようだった。


 そんな空気の中、心花の顔がぱあっと輝いた。

 まるでスイッチが切り替わったように、子犬みたいな声を上げて俺の左腕に飛びついてくる。


「はい! センパイ! いっぱい呼んでください!」


 時が止まったような数秒の沈黙の後、最初に動いたのは二葉さんだった。


「……マコト。今、篠崎さんになんて呼んだのかしら?」


 声のトーンが、いつもより一段低い。

 静かな詰問。

 その言葉には絶対零度の冷気が混じっていた。


「えっ? いや、だから……心花、だけど」


 二葉さんは一拍だけ目を閉じ、何事もなかったように弁当へ視線を戻した。

 けれど、弁当箱の縁に添えられた指先は、そのまま動かなかった。


「え、ちょっと待って誠? 聞き間違いじゃないよね? なんで篠崎ちゃんのこと、いきなり下の名前で呼んでるわけ!?」


 一花さんが机に両手をついて、ぐいっと顔を近づけてきた。

 ただの軽口のように聞こえるが、その奥の目はまったく笑っていない。


「誠くん……心花ちゃんのこと、心花って……!」


 三桜さんは、わなわなと震えながら俺と後輩を交互に見比べていた。

 友達としての嬉しさと、ライバルとしての焦りが入り混じったような、なんとも複雑な顔だ。

 俺の左腕に飛びついたまま、心花はぎゅっと腕を抱き込んだ。

 細い指先から伝わる力は小さいのに、半袖ブラウス越しの腕に触れた柔らかさが、不釣り合いなほどしっかりとした存在感を持っている。


「いきなりじゃ、ないですよ。三桜先輩に『心花でいいですよ』って言った時から、ずっと待ってたんです。それで金曜に、やっと呼んでもらえて……!」


「……そっか。心花ちゃん、そうだったんだね」


 三桜さんが、ぽつりと呟いた。

 嬉しさと困惑が入り交じった声だった。


「私、あの時……なんとなく、誠くんにも気づいてほしいのかなって思ってたの。でも、心花ちゃんの気持ちだから、私が勝手に言っちゃいけないと思って黙ってたんだ」


「三桜先輩……ありがとうございます。三桜先輩がいてくれたから、勇気出せたんです」


 心花が少しだけ目を潤ませて微笑むと、三桜さんもつられたように柔らかく笑った。

 ……けれど、次の瞬間。


「でもさ、誠くん」


 三桜さんの笑みが、ほんの少しだけ揺れた。

 上目遣いで、俺の袖をきゅっと引きながら、小さな声で言う。


「私たちの『さん』は……いつ、外れるの?」


 その一言で、場の空気が明確に変わった。

 一花さんと二葉さんの目が、同時に俺へ向く。


「そうよ。後輩には金曜で応じて、私たちにはいつまで他人行儀を続けるの。……納得できないわ」


「あたしも聞きたいんだけど。なんで後輩が心花で、あたしたちはいつまでも『さん』付きなわけ? 順番おかしくない? しかも三人まとめて、個人差ゼロじゃん」


 一花さんが、さらに一歩距離を詰めてくる。

 俺の腕に彼女の腕が触れ、服越しの豊かな柔らかさが容赦なく押し付けられた。

 逃げ場がない。


「距離のバロメーターがおかしいわね。マコトの左隣にいるのは私よ。物理的に最も近いのは確定事項なのに」


「何その理屈?」


「理屈ではなく、事実よ」


 反対側からは、二葉さんが静かに圧をかけてくる。

 俺の左腕に張り付いていた心花に、二葉さんは冷ややかな視線を一秒だけ落とした。


「センパイ……」


 その無言の圧に耐えかねたのか、心花は小さく声を漏らして、しぶしぶ俺の正面側へと場所をずらす。

 空いた左腕に、二葉さんは当然のようにその腕を絡めてきた。

 着痩せする彼女の、予想以上の確かな重みが伝わってくる。

 左右から挟み撃ちにされ、俺は完全に身動きが取れなくなった。


「ずるい! 私も、誠くんに呼び捨てにされたいよぉ! 一花お姉ちゃんと二葉ちゃんばっかりくっついて、ずるい!」


 三桜さんまでが俺の背中側に回り込み、背中からぎゅっと抱きついてきた。

 小動物のような柔らかな体温が、服越しにじんわりと伝わってくる。

 ベビーパウダーのような甘い匂いが、俺の首筋をくすぐった。


「お、お前ら、ちょっと離れろって! 教室だぞ!」


「離れないわよ。マコトが私たちのことも呼び捨てにするまでは」


「そーだそーだ! 誠のえこひいき!」


 三姉妹の猛抗議が、四方八方から降り注ぐ。

 冗談まじりの猛攻とはいえ、いきなり全員を呼び捨てにするなんて、ハードルが高すぎる。

 俺は必死に声を絞り出した。


「わ、わかった! ちょっと待ってくれ! あのな……名前で呼ぶなら、ちゃんとそうなるタイミングで呼びたいんだ」


「タイミング?」


 一花さんが首を傾げる。


「心花の時は、自然にそうなったんだ。だから……一花さんも、二葉さんも、三桜さんも。ちゃんと、自然にそう呼べる瞬間が来るまで……これは、俺の宿題にさせてくれ」


 苦し紛れのはぐらかしにも聞こえるかもしれない。

 けれど、それぞれにちゃんとした瞬間があるべきだと思った俺なりの本音だった。


「宿題って、いつまでよ」


「期限を明確に切りなさい。さもなければ、このまま放課後まで離れないわ」


「そんなの俺が決めることじゃないだろ! ええっと……そのうち、必ず」


 三姉妹の抗議の波に揉まれていると、ふいに無邪気な笑い声が聞こえた。


「えへへ」


 見れば、心花が満面の笑みを浮かべてこちらを見ている。

 彼女は俺の正面に立ち、少しだけ上目遣いになって俺を見上げた。

 小柄な体つきからは想像できない不釣り合いな膨らみが、不意打ちのように俺の視界に入り込む。


「センパイに名前で呼ばれるの、すごく嬉しいです! 私の方が、一歩リードですね!」


 悪気のない、純粋な勝ち誇り。

 なのに、その無邪気な一言は、さっきまでの詰め寄りよりずっと厄介な破壊力があった。

 その言葉を聞いた瞬間、三姉妹の目の色が変わった。


「……なるほど。そういうことね」


 二葉さんが、スッと目を細めた。

 静かな冷気が、彼女の周りに渦巻いているように見える。

 俺の左腕を抱き込む力が、さらに一段階強くなった。


「篠崎ちゃんに負けてられないよね。誠、覚悟しといてよ。次に誠の口から名前を呼ばれるのは、絶対あたしだから!」


 一花さんが、ペロリと舌を出して挑発的に笑う。

 からかいの調子とは裏腹に、その目の奥で何かが本気の色を帯びて揺れた気がした。


「私だって……負けないんだから!」


 三桜さんが、背中からさらに強く抱きしめてくる。

 どうやら、俺の不用意な一言が、とんでもない波紋を広げてしまったらしい。


「センパイ、放課後も会えますか?」


 心花だけが、この空気にまるで気づいていない調子で聞いてくる。


「……今日はやめとけ。俺の命がもたない」


「? 面白いこと言いますね、センパイ」


 小首を傾げてから、心花はぱっと表情を切り替えた。


「それじゃ、センパイ! また明日!」


 心花は昼休みの終わりに、五時間目の予鈴に追い立てられて自分の教室へ駆け戻っていった。


  ◇


 放課後になっても、昼のあの騒ぎの余波はまったく収まっていなかった。

 三姉妹の俺に対する包囲網は、解けるどころかむしろ強固になっていたのである。


 いつものように、俺たちは四人で連れ立って学校を出た。

 夏の西日が照らす通学路の坂道を下りながら、三姉妹は俺を完全に包囲している。


「ねえ誠、あたしのこと、試しに一回呼び捨てにしてみてよ」


 一花さんが、歩きながら顔を覗き込んでくる。

 俺の右腕にしがみついたその感触に、心臓が再び早鐘を打つ。


「無理言うなよ。そんな急に言われても、照れくさいだろ」


「えー、ケチ! じゃあ、自然に言えるようになるまで、ずっとくっついてるからね!」


「一花、抜け駆けはずるいわ。マコトの左隣は私の指定席よ」


 二葉さんが静かに俺の左側に回り込み、同じように腕を絡めてくる。

 いつもは冷静な二葉さんまでが、一花さんの挑発に乗って対抗心を燃やしていた。

 と思ったら、絡めた腕を軽く引いて、二葉さんが声を落とした。


「……覚えておいて。私の名前は、たった三文字よ。呼ぶのに、勇気なんて要らないはずでしょう」


 首筋のすぐ横で、それだけが落ちてきた。

 背筋に小さな電流が走る。

 横を見ても、二葉さんは何事もなかったような顔で、前だけを見ていた。


「ああっ、もう! 私も誠くんにくっつくんだから!」


 三桜さんが背中から抱きついてきて、俺は完全に三姉妹のサンドバッグ状態だ。

 周囲の生徒たちが、驚きと羨望の眼差しでこちらを見ているのが痛いほどわかる。


「お、おい! ほんとに離れろって! 歩きにくいだろ!」


「「「離れない!」」」


 三人の声が見事にハモり、俺はがっくりと肩を落とした。

 名前ひとつ呼んだだけで広がったこの波紋は、そう簡単には収まりそうにない。


 この宿題を終わらせる日が、いつか来るのだろうか。

 三姉妹のぬくもりと重みを感じながら、俺はふと、そんなことを考えていた。

 今はまだ、この賑やかで騒がしい日常に流されているだけかもしれない。

 それでも、俺の隣で笑い、競い合う彼女たちの姿が、少しだけ愛おしく感じられた。


 俺の宿題は、まだ始まったばかりだ。

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