第9話 塩加減の答え合わせと、三人目の本物
人気のない中庭のベンチ。
朝から作ってきたという弁当を一口ずつ食べさせられ、俺は肩にもたれかかられたまま身動きが取れずにいた。
これが、三桜さんの言う二人きりのお昼らしい。
「次はね、タコさんウインナーっ! はい、あーんっ!」
「だから、自分で……んぐっ」
「おいしい? おいしいよねっ?」
「……まあ、確かに美味いけど」
三桜さんが箸を止めて、頬に手を当てて俺を見つめる。
「ふふっ、誠くん、もぐもぐしてる顔、可愛いよ」
「絶対それ、男にかける言葉じゃないだろ」
「えーっ、可愛いものは可愛いんだもーんっ」
有無を言わさぬ笑顔で、次々とおかずが俺の口に放り込まれていく。
一花さんの小悪魔みたいなからかいでも、二葉さんの理詰めの包囲網でもない。
三桜さんの武器は、ただひたすらに俺への好意を全力でぶつけてくる、その圧倒的な無防備さだった。
「おにぎりも食べて! 塩加減ね、すっごく悩んだの」
「……うん、美味い。ちゃんとしょっぱい」
「やったぁ! 誠くんが好きなしょっぱさ、ちゃんとわかったんだ、私……!」
しょっぱい卵焼きが好き。
おにぎりも、少し塩気が強いくらいが好き。
どっちも、深夜のチャットで、ルナにだけぽろっとこぼしたことのある、ささやかな好みだ。
それを三桜さんは、弁当の一品一品に、完璧に反映していた。
「……三桜さんは、さ」
「うん?」
「どうして、そんなに俺のこと、よく知ってるんだ。顔も知らなかったネトゲの相手だぞ。現実で会ってみたら、こんな地味な奴で、期待外れだったかもしれないのに」
俺の言葉に、三桜さんは箸を止めて、少しだけ真剣な顔になった。
「ううん。期待外れなんかじゃ、ないよ。誠くんは、ゲームの中の【リオン】と同じだもん。とっても優しくて……一緒にいると、すごく安心する人」
まっすぐに俺を見て、三桜さんの声が少しだけ柔らかく震えた。
「嫌なことがあった日も、疲れてる日も、【リオン】はいつも、最後まで、ちゃんと話を聞いてくれたの。もう寝なよって言ったのに、『大丈夫だ、俺がついてる』って……文字だけなのに、すごく、温かかった」
……覚えている。
ルナが珍しく弱音をこぼした夜が、何度かあった。
俺はただ彼女の言葉を受け止めて、不器用な慰めをタイピングし続けた。
俺のブレザーの袖を、きゅっと、小さな指が掴んだ。
絆創膏のカサカサした感触が、布越しに伝わってくる。
「私はね、誠くんの言葉に、何度も、何度も救われたんだよ。だから……今度は、私が。現実で、誠くんを笑顔にしたいなって」
三桜さんの言葉に、嘘はなかった。
その瞳は、ゲームの中の【リオン】っていう役割じゃなくて、今ここにいる相沢誠っていう俺自身をまっすぐに見つめている。
「このお弁当もね、誠くんが喜んでくれるかなって。それだけ考えて、作ったの」
深夜のチャットの向こうにいた、甘えん坊で不安げな、素のルナ。
俺の些細な一言に一喜一憂して、不器用なくらいまっすぐに感情をぶつけてきた、あの声。
あの、一番心を通わせたルナは――目の前の三桜さんの、絆創膏だらけの指先と、濡れた瞳に、ぴたりと重なった。
……いや。
また、これだ。
一花さんのときも、二葉さんのときも、俺は同じことを思った。
三人とも、それぞれが本物のルナに見えてしまう。
本物のルナは一人で、あとの二人はその子から話を聞いて、上手に合わせているだけなんじゃないか――?
ふと、そんな仮説が頭をよぎる。
でも、俺を見つめる三桜さんの、この潤んだ目が、ただの口裏合わせだとは、どうしても思えなかった。
それに、もしそうだとして。
じゃあ、今目の前で俺のために一生懸命作ってくれた弁当を広げて、こんなに嬉しそうに笑っているこの子は、誰なんだ。
「……ありがとう、三桜さん。すごく美味しかった。その気持ち、ちゃんと受け取ったよ」
「……じゃあ、明日も、作ってきていい?」
「ああ。もちろん――」
俺が、そう答えようとした、まさにその瞬間だった。
「――へぇ。ずいぶんと、良い雰囲気じゃない、二人とも」
「三桜。抜け駆けは、ルール違反だと言ったはずよ。万死に値するわ」
背後から、地獄の底から響くみたいな二つの冷たい声が降ってきた。
振り返ると、中庭の入り口に、はっきりと怒気のオーラを背負った一花さんと二葉さんが立っている。
一花さんは腰に手を当ててぷりぷり怒っているし、二葉さんは弁当箱を片手に、絶対零度の目をしていた。
「ひぃっ!? い、一花お姉ちゃん、二葉ちゃん……!」
三桜さんが小さく悲鳴を上げて、俺の背中にぽすんと隠れた。
もともと小柄な三桜さんは、俺の背中にすっぽりと収まってしまう。
背中越しに、三桜さんの心臓のどきどきが伝わってきた。
「あたしだってお弁当持ってきてたのに! 誠に食べさせようと思ってたのに!」
一花さんの矛先が、今度は俺に向いた。
「誠も誠だよ! あたしには『周りの目が痛い』とか言ってたのに、こんなとこで『あーん』なんて、しちゃってさ!」
いつから見ていたんだ。
痛いところを突かれて、返す言葉がない。
「マコト。私の作った弁当も、今すぐ食べなさい。栄養バランスは、こちらのほうが上のはずよ」
「いや、ちょっと待ってくれ、もうお腹いっぱい……」
「いいから、食べなさい!」
「あたしのも食べるっしょ! こっちは探しまくったんだからね!」
「ひ、ひぃっ……誠くん、助けて……!」
一花さんがぷりぷり怒りながら俺の右腕に絡みつき、二葉さんが無表情のまま俺の左にすとんと座って、三段重の豪華な弁当を広げる。
そして背中には、俺の服の裾をぎゅっと握りしめる三桜さん。
右に小悪魔、左にクーデレ、後ろに妹系。
全方位から、三者三様の温度に挟まれる。
そこへ――昼休みの終わりを告げる予鈴が、無慈悲に鳴り響いた。
「やばっ、戻らなきゃ!」
「……授業に遅れるのは、許容範囲外ね」
「えぇっ、もうちょっとだけ……!」
三桜さんが名残惜しそうに俺の袖を掴んだまま立ち上がると、一花さんが片方の腕を引き、二葉さんがもう片方の腕を黙って確保する。
三方向から引っ張られながら、俺は中庭から教室へ連行されていった。
「……誰か、俺の自由意思を返してくれ」
誰も返してくれない。
……だが、放課後、この三人が俺をまっすぐ帰してくれるはずなんて、なかった。




