第10話 賑やかな放課後と、三色の甘さ
放課後の教室は、昼間の張り詰めた空気が抜けて、解放感の混じった騒がしさに満ちている。
昼休みに中庭から三人に連行されて無事に午後の授業を乗り切った俺は、帰り支度をしながら、なんとなく教室の後ろのほうへ目をやった。
そこには、やけに賑やかな人だかりができている。
中心にいたのは――一花さんだった。
明るい茶髪を揺らして、けらけらと笑っている。
囲んでいるのは、クラスの女子が四、五人。
誰かのスマホをのぞき込んでは、いっせいに吹き出したり、肩を叩き合ったり。
転校してきて、まだほんの数日。
なのに一花さんは、もうすっかり、この二年B組の空気の真ん中におさまっていた。
……すごいな、と素直に思う。
俺は二年も同じ顔ぶれで過ごしておきながら、未だにクラスの連中とは、当たり障りのない世間話しかできない。
なのに一花さんときたら、たった数日で、まるで何年も前からそこにいたみたいに、自然と輪の中心におさまっている。
同じ教室にいるはずなのに、彼女の周りだけ、やけに陽が当たって見えた。
あの距離感のバグり方は、こういう場所でこそ本領を発揮するらしい。
そう思うと、なんだか妙に感心してしまった。
関わると、長くなりそうだ。
俺はそっと鞄を肩にかけて、気配を殺して教室を出ようとした。
――が、ひと足、遅かった。
「あっ。あたしの旦那様、見ーつけた」
よく通る声が、背中に突き刺さる。
振り返るまでもなく、誰の声かは分かった。
「出たー。一花の旦那様」
「相沢ー、今日も連れてかれるのか? ご愁傷さま」
囃し立ててくるのは、この数日ですっかり見慣れた様子のクラスメイトたちだ。
一花さんが転校してきて以来、彼女が事あるごとに俺を「旦那様」と呼んで絡んでくるのは、もう二年B組の日常の一部になりつつある。
最初こそ相沢にそんな相手がいたのかとどよめいた連中も、今ではすっかり慣れて、はいはいと笑って受け流すくらいだ。
「ちょ、やめろって。冷やかすな」
俺の制止もむなしく、にやにやした視線が、いっせいにこちらへ集まってくる。
人だかりの一人が、からかうように一花さんの肩を小突いた。
「いっか、ほんとぶれないよねー。毎日旦那様って」
「当たり前じゃん。世界一可愛いお嫁さんだもん、あたし」
きゃあきゃあと盛り上がる友人たちに、一花さんはむしろ胸を張って、自慢でもするみたいに俺を指し示す。
「でしょー? いいでしょ、あたしの旦那様」
「その呼び方、毎回ほんとにやめてほしいんだけど……」
俺のぼやきは、女子たちの笑い声に、あっさりかき消されてしまった。
誰一人として、一花さんの暴走を、もう本気で止めようとはしない。
からかいながらも、当然みたいに受け入れている。
この子はこの数日で、二年B組の中に、もうとっくに自分の居場所を作ってしまっているのだ。
一花さんは人だかりをかき分けて、いそいそと俺のところまで駆けてきた。
そして、迷いなく俺の右腕に抱きついてくる。
細い指に、意外なくらい力がこもっている。
腕全体に、制服越しの柔らかい感触がむぎゅっと押し当てられた。
「ちょっと、一花さん、近いって……」
「ちょうどよかった。ねえ誠、これから暇でしょ? 付き合ってよ」
「暇って、決めつけるなよ。俺はこれから……」
「これから?」
「……特に、何もないけど」
「じゃあ決まりっ。ほら、行こ行こ」
ぐいと腕を引かれる。
――が、その手首を、横からすっと別の手がつかんで止めた。
「待ちなさい、一花」
冷ややかな声が、割って入る。
いつの間にか、隣の席で帰り支度を終えていた二葉さんが、無表情のまま立ち上がっていた。
「二人きりで出かけるなんて、抜け駆けが過ぎるわ。合理的に考えて、私も同行すべきね」
「えー、なんで二葉まで来るのよ」
「マコトのことは、私が見てるって、決めてるの」
淡々と言い切って、二葉さんは当たり前みたいに俺の反対側の左腕を確保する。
ひんやりとした清楚なシャンプーの匂いとともに、音もなく距離が詰まる。
一花さんとは対照的に、きっちりと着こなした制服。
だがその下にある隠しきれない起伏が、腕にぴったりと寄り添ってきた。
右と左で、たちまち引っ張り合いが始まった。
「ずるいずるい! 今日はあたしが先に誘ったんですけど!」
「先着順という概念に、何の合理性もないわ」
「あるし! 大ありだし!」
……昼休みから思っていたが、この二人、放っておくと一日中こうしている。
「ま、待って、誠くん! 私も、私も行きたい!」
今度は、教室の前のほうから、三桜さんが空っぽのお弁当袋を抱えたまま、ぴょこんと跳ねるように手を挙げてきた。
「三桜さんも来るのか……」
「うんっ! だって、みんなで遊んだほうが、ぜったい楽しいもん!」
こうして、ちょっとした放課後の寄り道になるはずだった予定は、あっという間に四人での外出に膨れ上がっていた。
背中では、一花さんの友人たちのいってらっしゃいというからかい混じりの声が、楽しげに弾けている。
「……なあ。これ、本当に俺、必要か?」
誰も、俺の問いには答えてくれなかった。
◇
校門を出て、駅前の通りへ。
一花さんが真っ先に俺たちを引っ張っていったのは、行列のできるクレープ店だった。
「あたし、ここの限定のいちごのやつ食べたかったんだよね。誠は? どれにする?」
「いや、俺は別に……」
「えー、せっかくだから食べようよ。じゃあ、半分こにしよ。それなら、誠も気が楽でしょ?」
返事を待たずに、一花さんはてきぱきと注文を済ませ、当たり前みたいに片方を俺の手に押しつけてくる。
いちごと生クリームがたっぷり乗った、見るからに甘そうなやつだ。
「待って。半分こなら、私とも半分こする権利があるはずよ」
二葉さんが、横からすっとメニューの写真を指でなぞる。
「カロリーと糖質を均等に分配するなら、四人で四種類を頼んで、四等分するのが最も効率的。計算上、一人あたりの摂取量も平準化される」
「だから、なんで全部効率の話になるの!?」
ヒートアップしそうになる姉二人をよそに、三桜さんはマイペースにショーケースを覗き込んでいた。
「えへへ、私はチョコバナナがいい!」
そのまま二人は手早くカウンターで注文を済ませ、それぞれのクレープを受け取って戻ってきた。
「誠くん、私のチョコバナナ、ひと口あげるね? はい、あーん」
満面の笑みを浮かべた三桜さんが、自分のクレープを俺の口元へと差し出してきた。
「いや、だから、自分で……」
思わず顔を引きつらせて後ずさるが、逃げ場を探す間もなく反対側から声が飛ぶ。
「あ、ずるい三桜! じゃああたしのいちごも! ほら、あーん」
「もー、一花お姉ちゃんもずるいよっ!」
身を乗り出してきた一花さんに三桜さんが抗議の声を上げる中、それまで静観していた二葉さんがすっと一歩前に出た。
「待ちなさい。あなたたちが先に食べさせたら、マコトの口が汚染されるわ。衛生面と味の混濁リスクを考慮して、まずは私から」
「ちょっと、それどういう意味!?」
失礼極まりない二葉さんの理屈に一花さんが即座に食ってかかるが、二葉さんはそんな抗議などどこ吹く風だ。
甘い匂いの三方向から、次々とクレープが差し出されてくる。
『あーん』と見本のように口を開けながら、一花さんが俺の鼻先すれすれまでクレープを突き出してくる。
そのすぐ隣で、二葉さんが無表情のまま、ずいっとクレープを押しつけてくる。
三桜さんに至っては、俺の服の裾を引いて背伸びまでしている。
道行く人の生温かい視線が、ぐさぐさと突き刺さった。
「……俺に食べさせる順番より先に、少しは周りの目を気にしてくれ」
俺の抗議は、三人の笑い声にきれいに飲み込まれていく。
くすくす笑いながら、一花さんは自分のクレープにかぶりついた。
その横顔が、あんまり幸せそうで、つられてこっちまで肩の力が抜けていく。
食べ歩きながら駅前のアーケードを歩く。
一花さんが、次から次へと話題を変えていった。
「ねえねえ、誠は知ってる? うちのクラスの山田くん、文化祭で告白して見事に砕け散ったらしいよ」
「いや、知らないけど。なんでお前、転校数日でそんなこと知ってるんだ」
「ふっふー、あたしの情報網をなめないでよね」
「数日で情報網って単語が出てくるのが、もう不可解だわ」
二葉さんが横から、真顔で静かに突っ込む。
「不可解じゃないし。コミュ力って言葉、知らないの?」
「知ってるわ。あなたから学ぼうとは思わないけれど」
二葉さんにすげなくあしらわれた一花さんは、つまらなそうに手元のスマホへ視線を落とした。
だが、すぐに何かを思いついたようにニヤニヤと笑い、俺の顔を覗き込んでくる。
「……あ、そうだ。ねぇ、これどう思う?」
「何が?」
「今さっき、誠があたしたちから『あーん』されてる写真撮ったんだけど。これ、あたしのスマホの待ち受けにしたらどうなるかなって」
見せられた画面には、両脇と正面からクレープを突きつけられ、完全にフリーズしている俺の情けない姿がばっちり収められていた。
いつの間に撮っていたんだ。
「やめろ。絶対にやめろ」
「えー、なんで。いい記念じゃん」
「少し面白いわね。……マコトへの精神的牽制として、有効かもしれない」
「二葉さんまで乗らないでくれ」
「あっ、いいな一花お姉ちゃん! 私もその写真欲しい! 待ち受けにしたい!」
「三桜さんまで……」
三人がいるだけで、沈黙の生まれる隙がどこにもなかった。
俺がうまく言葉を返せなくても、一花さんがボケて、二葉さんが冷ややかに突っ込んで、三桜さんが全力で乗っかって、会話が勝手に転がっていく。
放っておいても成立してしまう、この気安さ。
それはどこか、チャットの向こうで気軽に雑談を振ってきた、あのルナの空気とよく似ていた。




