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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第3章 四人目のルナと、完璧すぎる記憶

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第81話 二葉の迎撃、裾を握る手

月曜日の放課後は、あっけないほど普通だった。


 終業のチャイムが鳴って、クラスメイトがざわざわと教室を出ていく。

 窓の外は七月の日差しで白く光っている。

 土曜の海の匂いも、あの少女の冷たい指先も——休み明けの教室に戻ると、ひどく遠い。


 教室に残っているのは、俺と二葉さんの二人だけだった。


「……まだ終わらないのか?」


 教卓の上でプリントの束を揃えている二葉さんに声をかける。

 一花さんと三桜さんは、それぞれ別の用事があって先に帰っていた。

 二葉さんはクラスの雑事を引き受けて居残っている。

 別に頼まれたわけでもないのに、放っておけない性分らしい。


「あと少しよ。マコトは先に帰ってもいいのよ」


 二葉さんは手元から視線を外さずに答えた。

 淡々とした声だ。

 綺麗に揃えられた長い黒髪が、午後の光を受けて微かに透けて見える。


「手伝おうか?」


「結構よ。マコトの不器用な手が入ると、五十音順のソートが狂うわ。非効率極まりない」


「五十音順くらい間違えないって」


「知識と実行能力は別物よ。あなたの実務におけるエラー率は高すぎるわ」


「不良品みたいに言うなよ」


「経験則に基づいた客観的な評価よ」


 経験則、という単語に嫌な予感がした。


「前に配布物を逆順で棚に入れたのは、どこの誰だったかしら」


「……あれは急いでたんだよ」


「言い訳しないの」


 すげなく切り捨てられる。

 けれど、二葉さんの鞄の横には、俺の机の中に乱雑に突っ込まれていたはずのノートが、教科ごとに綺麗に積み上げられていた。


「辛辣な割に、俺のノートまで整理してくれてるだろ」


 指摘すると、二葉さんの手がぴたりと止まった。

 ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。


「……視界に入って不快だっただけよ。ついでに揃えたほうが、私の精神衛生上、都合が良かったの」


「そっか。ありがとう」


「お礼を言われる筋合いはないわ」


 二葉さんはそっぽを向いた。

 耳の先が少しだけ赤くなっている。

 相変わらず、行動と建前が裏腹すぎる。


「土曜日は、悪かったな。色々と振り回して」


 ラーメン屋での解散から、日曜日は誰とも会わずに過ごした。

 あの水族館での騒動と、その後の遊歩道での出来事が、まだ頭の片隅に引っかかっている。


「気にしていないわ。ただ、夕方に予定外のラーメンというのは、カロリー計算の観点から見ても暴挙だったわね。私の週末の栄養管理計画が完全に狂ったわ」


「でも、二葉さんも醤油ラーメン、スープまで全部飲んでただろ」


「それは、あのスープは出汁の構成が複雑で、検証する価値があったからよ」


「美味しかったからだろ」


「検証のためよ」


 絶対に素直には認めない。

 そういう不器用なところが、少しだけおかしくて、安心した。

 あの少女の完璧すぎる言葉よりも、二葉さんのこの面倒な理屈のほうが、ずっと体温を感じる。


「そういえば、この前の期末、二葉さんの要点まとめがすごく効いたよ」


「ええ。私の立案した学習計画は、想定通りの投資対効果を生み出したようね」


「当然、みたいな顔してるな」


「当然よ。マコトの認知傾向に最適化して作成したもの」


「認知傾向って?」


 俺が聞き返すと、二葉さんは手を止めずに淡々と答えた。


「複雑な数式で符号を見落とす癖よ。緑色の蛍光ペンで視覚的に補強しておいたわ。極めて効率的だったはずよ」


「……よく見てるよな、本当に」


 二葉さんは小さく息をつき、最後のプリントを整え終えた。


「……もうすぐ終わるわ。退屈なら、校門で待っていてちょうだい」


「わかった。じゃあ、先に行ってる」


 俺は鞄を手に取ると、教室を後にした。

 昇降口を抜け、校門へと歩き出す。


 部活帰りの生徒たちの声が遠くから響いていた。

 日常の音だ。

 そう思って息を吐き出した瞬間、足が止まった。


 校門が見えた。


 ——見覚えのある影が、門柱の横に立っていた。


 他校のブレザー。

 ゆるふわのロングヘア。

 穏やかな微笑みで、まっすぐこちらを見ている。


「こんにちは、【リオン】さま」


 少女が小さく頭を下げた。

 土曜の昼、駅前で崩れかけた仮面は、もう完璧に元通りだった。


「……天道」


「お休みの日はありがとうございました。とても楽しかったです」


「うん。……それより、なんでここにいるんだ?」


「ここでなら、お会いできるかなと思いまして」


 悪びれもしない。

 半歩だけ距離を詰めてくる。


「あの日、お別れしてからずっと考えていたんです」


「考えて……?」


「【リオン】さま。土曜のお返事——まだ、聞けていないんです」


「返事?」


「私を信じてくださいと——お願いしましたよね」


 穏やかな声だった。

 その穏やかさが、逃げ道を塞いでいる。

 ——俺があの駅前で答えたのは、記憶のことだけだ。

 答えを待つ目だった。


「天道。俺は——」


「土曜日は、お友達がいらしてとても賑やかでしたね」


 俺の言葉を、少女がやんわりと遮った。


「友達というだけじゃない。俺の大切な人たちだ」


「知っています。彼女たちは、一生懸命私の真似をしようとしている。でも、コピーは決してオリジナルにはなれません」


「誰も真似なんてしてない」


「そうですか? なら、どうして彼女たちはあなたに隠し事をするんでしょうね」


 少女がさらに半歩、距離を詰めてきた。

 甘い香りだけが、やけに生々しく近い。

 だが、その言葉にはやはり熱がない。

 完璧な台詞を再生しているような、ぞっとするほどの平坦さがあった。


「あなたはまだ迷っているはずです。誰が本物なのか、本当はわかっていないでしょう?」


「それは……」


「私だけが、あなたとの思い出を完璧に証明できるんです。いつか必ず、わかってもらえます」


 このままここに長居するのは良くない。

 そう思って後ずさりしようとした時だった。


「迷惑よ」


 冷たい、氷のような声が背後から響いた。

 振り返ると、二葉さんが立っていた。

 きっちりと着こなした制服姿で、感情の読めない瞳で少女を見据えている。


「……あなたは」


 少女の微笑みが、ほんのわずかに揺らいだ。

 二葉さんは俺の横を通り抜け、少女との間にすっと割って入る。

 俺を庇うような立ち位置だった。

 薄い背中が、壁みたいに硬く見えた。


「他校の生徒が、用事もなく校門付近をうろつくのは、防犯上の観点から見ても推奨できないわ」


「うろついてなんていません。私はただ、【リオン】さまと少しお話ししていただけです」


「マコト、でしょう」


「……いいえ。【リオン】さまです」


「マコトには、あなたと話す義理はないはずよ」


 二葉さんの声には、一切の容赦がなかった。

 理詰めの刃で、少女の言葉を切り捨てていく。


「それは【リオン】さまが決めることです。あなたに、口を出す資格がありますか?」


「少なくとも、見ず知らずの他校生よりは親しい立場にいるわ」


「ふふっ。親しい、ですか」


 少女が小さく笑い声をこぼした。

 その目には、敵意に似た光が宿っている。

 けれど笑みの割に、そこには少しも余裕がなかった。


「その親しい方のために、走っていらしたんですね」


「何のことかしら」


「あちらの昇降口から、駆け出していらっしゃるのが見えましたから」


 二葉さんは、今度は答えなかった。

 その沈黙は、否定にはならなかった。


「……見ていたのなら、尚更よ」


 二葉さんの声が、低くなった。


「走ってでも来る人間がいるの。それだけは、覚えておいて」


「あなたは次女の方ですね。自分の感情が怖くて、いつも理屈の後ろに隠れている」


「見ず知らずの人間による心理分析は、極めて不正確よ」


「間違っていますか? 彼を管理しているふりをして、本当はあなたが彼に依存しているだけでしょう?」


 図星を突かれたかのように、二葉さんの肩がわずかに跳ねた。

 だが、二葉さんは一歩も引かなかった。


「依存は弱さを意味するわ。私はただ、自分の正当な場所を主張しているだけよ」


「彼が深夜にどんな言葉を紡ぐか、あなたは知っていますか? 彼がどれほど不器用で、どれほど優しい人なのか。……私の方が、ずっと深く彼を知っています」


 土曜日の遊歩道と同じだ。

 記憶を盾にして、揺さぶりをかけてくる。

 だが、二葉さんは微塵も動じなかった。


「それがどうしたの」


「え……?」


「過去のデータがどれだけ豊富だろうと、現在進行形の事象には勝てないわ。今のマコトの時間を埋めているのは、私たちよ。イレギュラーな存在が割り込む隙はないわ」


 二葉さんの右手が、背後に回された。

 そして、俺のシャツの裾をきゅっと強く握りしめる。

 振り返らなくてもわかる。

 その手は、かすかに震えていた。


「過去の話なんて無意味よ。今、現実に彼の隣に立っているのは、私よ」


 理屈で武装した言葉の奥底から、隠しきれない独占欲が漏れ出していた。

 重くて、不器用で、途方もなく真っ直ぐな感情。

 少女はその気迫に押されたのか、ふっと息を吐いた。


「……なるほど。今日は分が悪いみたいですね」


 少女はいつもの完璧な微笑みを貼り付け直す。


「今はその隣を譲ってあげます。でも……私からは逃げられませんよ、【リオン】さま。あなたが振り向くまで、何度でも来ますから」


「何度来ても同じことよ。空いている場所は、ひとつもないわ」


「……空けていただきます」


 優雅なお辞儀を残して、少女は踵を返した。

 門の外に黒い車が停まっていて、少女はそこへ吸い込まれるように消えていった。

 車が走り去るまで、二葉さんは俺の裾を握りしめたまま動かなかった。


  ◇


 校門の周りから、生徒たちの姿もまばらになっていた。

 夕方の風が、少しだけ冷たく感じる。


「二葉さん。……ありがとう。助かったよ」


 俺が声をかけると、二葉さんはゆっくりと振り返った。

 氷のように冷たかった表情は、もうそこにはない。

 俺の裾を握る指先は白くなるほど力がこもっていて、その震えはさっきよりも大きくなっていた。


「なぜ、すぐに追い払わなかったの?」


 責めるような口調だったが、声はわずかに上ずっていた。


「ごめん。急に現れたから、ちょっと驚いて」


「……非合理的よ。未知の変数に遭遇した場合、速やかに距離を置くのが最適解のはずよ」


「そうなんだけど、あの子が知ってることとか、色々考えてしまって」


「そんなこと、どうでもいいわ!」


 声を荒らげた二葉さんに、俺は息を呑んだ。

 二葉さんはうつむいたまま、俺の裾から手を離そうとしない。

 清涼感のあるシャンプーの香りが、風に乗ってふわりと漂ってきた。

 いつもなら、ここで「じゃあ帰りましょう」と冷静に切り出すはずなのに、今日は違った。


「二葉さん?」


「……あの子の言う通りよ」


 消え入りそうな声だった。

 顔を上げた二葉さんの耳は、真っ赤に染まっている。

 いつも完璧に取り繕っている仮面が、完全に剥がれ落ちていた。


「理屈の裏に隠れているだけ。効率のためとか、管理のためとか……そう言っていないと、怖くて仕方がないの」


「怖い?」


「誰かに、マコトを取られてしまうのが。私の居場所が、なくなってしまうのが」


「そんなことない。俺はどこにも行かないよ」


「……一人で、抱え込まないで」


 裾を握っていた指が、ようやくほどけた。

 二葉さんが半歩踏み出し、俺の腕に両手を添えて身体を寄せる。

 触れたところから伝わってくる体温は、さっきの少女の平坦な言葉とは比べ物にならないほど熱かった。

 制服越しでもわかる、予想以上の柔らかさが腕に押し付けられる。


「理屈なんて、もういいの。私は……ただ、マコトの隣にいるためにいるんだから」


 その言葉には、いつもの建前はひとつもなかった。

 ただの、重すぎるほど真っ直ぐな本音。


「誰にも、譲る気はないわ」


 俺の肩に軽く額を押し付けるようにして、二葉さんが呟く。

 その重みをしっかりと受け止めながら、俺は頷いた。


「ああ。……わかってる」


「……なら、いいわ。困った時は、ちゃんと言いなさい」


 声はいつもの二葉さんに戻っていた。

 けれど、肩に押し付けられた額は動かなかった。


 校門の前に二人で立っていた。

 夕陽が校庭の金網をオレンジに染めている。

 部活の声が遠い。


「帰ろう、二葉さん」


「……ええ」


 二葉さんがゆっくりと身体を離した。

 半歩、隣についた。


 歩き出した二葉さんの歩調は、いつもより少しだけ遅い。

 隣を歩く横顔は、揺れる髪に隠れてよく見えなかった。

 けれど、髪の隙間から覗く耳だけは、まだ赤いままだった。


「……二葉さん。さっき、走ってきたって」


「聞こえていなかったことにしなさい」


 二葉さんの歩幅が、ほんの少しだけ広くなった。


 俺は少しだけ笑った。

 困った時は言えと言われたけれど——今はまだ、隣に人がいるというだけで十分だった。

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