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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第3章 四人目のルナと、完璧すぎる記憶

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第76話 クラゲの前、四つの『偶然』

クラゲの水槽が、通路の両側でぼんやりと光っていた。


 傘を開くたびに、光がゆっくりと膨らむ。

 透き通った身体の中を脈のように明滅する光が、壁にも床にも波のような影を落としている。

 通路は暗い。

 自分の足音が、やけにはっきりと聞こえた。


 隣を歩く少女の指先が、袖の生地に触れたまま離れていなかった。

 引くでもなく、強く掴むでもなく——ただ、そこに置かれている。


「きれい」


 少女がひとつの水槽の前で足を止めた。

 大きなミズクラゲが、ガラスの向こうを漂っている。

 青白い光を受けて、傘が透きとおって見えた。


「この子たちは自分では泳がないんですよ、【リオン】さま。流れに乗って、ただ漂うだけ」


 少女がこちらを向いた。

 クラゲの光が、瞳の中にいくつも映り込んでいた。


「でも——こんなにきれいに光るんですね」


 声がやわらかかった。

 やわらかいのに、どこかに力がこもっていた。

 水槽の光を顔に受けたまま、少女はこちらを見上げていた。

 その目が——何かを確かめるように、動かなかった。


「……そうだな」


 俺は水槽を見た。

 見ていたかった。

 少女の目をまっすぐ受け止めたら、今日一日ずっと引っかかっている何かが——掴めなくなりそうだった。


 少女が半歩、近づいた。


「【リオン】さま」


 名前を呼ぶ声が、通路の暗がりに落ちる。

 振り向いた瞬間——少女の顔が、すぐ目の前にあった。


 クラゲの光が、睫毛に影を落としている。

 唇が薄く開いていた。

 目を伏せて、ゆっくりと顔を傾けていく。

 息が、かすかに頬に触れた。

 水槽の明滅が、視界の端でゆっくりと遠ざかった。


 空気が止まった。

 体が動かなかった。

 測りに来たはずの頭が、何ひとつ考えられなくなっている。


 唇が——あとほんの少しで——


「やっほー! 奇遇じゃーん、誠!」


 声が通路に弾けた。


 少女が弾かれたように顔を上げた。

 振り向いた先に、一花さんがいた。


 帽子を被り、サングラスを額に押し上げた格好。

 息が上がっている。

 右手に丸めたラーメン屋のチラシを握ったまま。

 ……水族館にラーメン屋のチラシはいらないだろ。


「い——一花さん?」


「え、何? あたしたちもクラゲ好きだし、たまたま来ただけだし!」


「たち?」


「……あたしが。あたし一人が、ふらっと来ただけだし! ——ていうか誠こそ、こんなとこで何してんの?」


 一花さんが二歩で距離を詰め、俺の右腕に両手で絡みついた。

 薄い生地越しの柔らかさが、二の腕にぐいと押しつけられる。

 袖にそっと触れていただけの指先の感触が、一瞬で遠くなった。

 振りほどく隙を与えない力だった。


「……お友達ですか?」


 少女が半歩退いて、微笑みを浮かべたまま首を傾げた。


「クラスメイト! 超仲良し!」


 一花さんが笑顔で答えた。

 けれど目が笑っていなかった。


「そうですか。——今日は二人でのお出かけの途中なので……」


「えー、いいじゃん! みんなで見たほうが楽しいし! ——ねえ誠、あたしもクラゲ見たいー」


 一花さんの腕が、一層きつくなった。


「センパイ!!」


 通路の入口から、足音が駆けてきた。

 スニーカーの底が、床をキュッと鳴らす。

 篠崎が、ゆるいロング丈のシャツの裾を翻して飛び込んできた。

 肩で息をしている。


「わあ! クラゲですか! すっごいきれい!」


 篠崎は俺と少女の間に、さも当然のようにするりと入った。

 小柄な背中が少女との間に壁を作る。


「篠崎、お前なんで——」


「偶然ですよ! クーポンもらって一人で来たんですけど、びっくりですー!」


「あの……すみません、少しだけ——」


 少女が横に出ようとした。

 篠崎がにこにこ笑ったまま、同じ方向にするりとずれた。


「こっちのクラゲもきれいですよー! ね、センパイ!」


 遮り方が——偶然にしては的確だった。

 シャツの裾を握る手だけが、わずかに白くなっていた。


「——マコト」


 低く、冷たく澄んだ声が届いた。


 通路の角に、二葉さんが立っていた。

 紺のワンピースに白いカーディガンを羽織った姿が、薄暗い通路に静かに浮かんでいる。

 走った気配はない。

 息ひとつ乱れていなかった。

 どうやってここがわかったのかは、聞かないほうがいい気がした。


「二葉さん——」


「偶然よ。水族館くらい、一人で来るわ。——同級生がいるのなら、解説に付き合ってあげるのが合理的だわ」


 三人目。

 三人とも——偶然にしては出来すぎていた。


「それと、公共の場で騒がしいわよ。二人とも」


 一花さんが、はっと口をつぐんだ。

 篠崎の背筋がぴんと伸びる。

 叱られた二人とも、立ち位置だけは一ミリも動かなかったけれど。


 二葉さんは俺のところに来なかった。

 少女の前に一歩踏み出して、正面から向き合う。

 カーディガンの裾を、右手がかすかに掴んでいた。


「先日、校門にいらした方ですよね。——私たちのクラスメイトに何かご用件でも?」


 声に色がなかった。

 丁寧な言葉づかいなのに、一語ずつが刃のように薄い。


「デートの途中なんです」


 少女が穏やかに答えた。

 二葉さんの目が、一拍だけ細くなった。


「聞いてないわ。——マコト?」


「いや、その——」


「私がお誘いしたんです」


 少女がそっと半歩前に出た。

 二葉さんの冷えた視線を、同じ微笑みで受け止めていた。


「……そう」


 二葉さんは少女から目を逸らさなかった。


「誠くーん!」


 通路の奥から、ぱたぱたと軽い足音が駆けてきた。

 三桜さんだった。

 両手にカフェのパフェカップを一つずつ抱えている。


「お待たせ! カフェで二つ買ってきた——わっ」


 足がもつれた。

 パフェが大きく傾く。

 クリームが三桜さんの手の甲にべちゃりと落ちた。


「だっ、大丈夫! こぼしてない! ——はい、誠くんの分!」


 クリームまみれの手で、満面の笑顔でパフェを差し出す。


「三桜さん、手——」


「平気! ちょっとだけだもん!」


 ハンカチを出して手を拭きながらも、もう片方のパフェのカップだけは水平に保ったまま下げなかった。

 クリームの甘い匂いが、水槽の冷えた空気にやわらかく混じった。


「……四人目、ですか」


 少女の声が、静かに落ちた。

 微笑みは崩れていなかった。


 通路が、一気に変わっていた。


 右腕に一花さんが絡みつき。

 正面に篠崎の小さな背中。

 少女の前には二葉さんが壁になり。

 後ろから三桜さんがパフェを差し出している。


 四方を塞がれた。

 クラゲの通路が、急に狭くなった気がした。


「ちょっ——全員偶然はないだろ」


「偶然だってば!」


「偶然ですー!」


「偶然よ」


「えへへ……偶然、だよぉ」


 四つの声が重なった。

 誰も偶然だと思っていなかった。

 俺も思っていなかった。


 少女は——微笑みを崩さなかった。

 ただ一瞬だけ、水槽の明滅に紛れるように、指先がきつく握りしめられるのが見えた。

 次の瞬間にはもう、穏やかな顔に戻っている。


 完璧に組まれたペースが、四人のなりふり構わない乱入で粉々になっていた。


 ——偶然なわけがなかった。

 最初に俺たちを見つけたのは、たぶん一花さんだ。

 一人じゃ分が悪いと踏んで、二葉さんたちを呼び、篠崎は三桜さんが引っ張ってきたんだろう。

 嘘の下手な四人が、示し合わせてここまで来たのだ。


 けれど、安堵が先に来た。

 理由なんかなかった。

 四人の声が聞こえた瞬間に、体が先に答えていた。


 一花さんの腕は震えていた。

 篠崎は肩で息をしながら笑っていた。

 二葉さんの視線は少女を射抜いて一歩も退かなかった。

 三桜さんはクリームまみれの手でまだパフェを差し出していた。


 四人とも息が荒かった。

 誰一人、余裕なんかなかった。


 完璧な記憶も、正確すぎる言葉の再現も、一分の隙もないエスコートも。

 少女が並べてきた全部よりも——息を切らして駆けつけてきた四人の温度のほうが、生きている感触がした。


 差し出されていたパフェを、いつの間にか受け取っていた。

 パフェのカップの冷たさが、指先に伝わった。


「——にぎやかな方々ですね」


 少女が一歩退いた。

 微笑みは穏やかだった。

 けれど目の奥に、さっきまでなかった光が浮かんでいる。

 うっすらと、冷たい。


「【リオン】さま」


 四人の騒がしさの隙間を縫うように、少女の声が通った。

 穏やかなのに、はっきりと届く声だった。

 四人が作った壁を、声だけで越えてきた。


「少しだけ——二人で、お話しませんか?」


 クラゲの光が、少女の横顔に揺れる影を落とした。

 微笑みの奥に浮かんだ光は冷たかった。

 けれど冷たいだけじゃない——その底に、必死な何かが一滴だけ滲んでいた。


 一花さんの腕が、びくりと強張った。

 篠崎の背中が硬くなった。

 二葉さんの唇が薄く引き結ばれた。

 三桜さんのパフェが、かすかに揺れた。


 四人が、一斉に動きを止めた。

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