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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第3章 四人目のルナと、完璧すぎる記憶

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第64話 完璧すぎる証拠と、崩れる足元

昨日の帰り道のことが、朝からずっと頭にこびりついていた。


 ——私が、あなたの本当のルナだから。


 電車の吊り革につかまっている間も、黒板の文字をノートに写している間も、あの声が耳の奥で勝手に再生された。

 完璧な笑顔と、最後にかすかに掠れた声の残像。

 信じたくなかった。

 けれど否定する材料が、手元にない。


 昼休みも、購買のパンを半分残したまま窓の外を眺めていた。

 三桜さんに二度名前を呼ばれて、ようやく気づいた。


「誠くん、どうかした?」


「……いや。ちょっと寝不足で」


 嘘ではなかったが、本当でもなかった。

 二葉さんが本から目を上げて、何か言いかけて——やめた。

 一花さんは頬杖をついたまま、いつもの軽口を投げてこない。

 篠崎は昼休みの終わりに「センパイ、今日ちょっと変ですよ」とだけ言い残していった。


 誰にも、説明のしようがなかった。

 俺自身が、何ひとつ整理できていないのだから。


  ◇


 放課後、今日も一人だった。

 一花さんたちにはそれぞれ用事があって、いつもの騒がしい帰り道は遠い。

 ほっとしている自分に気づいて、すぐに嫌になった。

 校門を出て、駅へ続く坂道を下り始めたところで——深い紺のブレザーが、視界の端に映った。


「お待ちしていました、【リオン】さま」


 同じ声だった。

 柔らかくて、よく通る。

 昨日と同じ他校の制服、同じ穏やかな微笑み。

 ただ今日はどこか——待ち構えていた、という佇まいがあった。


「……君か」


「はい。昨日の続きを、お話しさせてください」


 少女はまっすぐにこちらを見ていた。

 逸らさない。

 逃げない。


「少し歩きませんか。近くに、静かな場所があります」


 断る選択肢は最初からなかった。

 確かめなければならないことが、あまりにも多すぎた。


 少女の半歩うしろを歩いた。

 少女の歩幅は小さく、それでいて迷いがなかった。

 この道を知っている足取りだった。


「……なんで、この道を知ってるんだ?」


「【リオン】さまが、毎日通る道ですもの」


 振り返りもせずに、少女は答えた。

 それきり、言葉は途切れた。

 靴底がアスファルトを擦る音と、遠くの車の走行音だけが夕暮れの道に落ちている。


 鞄の持ち手を、両手できつく握っているのが見えた。

 風が一度だけ吹いて、少女の髪が揺れた。

 甘い花の香りがかすかに届いて、昨日の記憶が一瞬重なった。


 少女に導かれるまま、通学路の途中にあるいつもの公園に入った。

 ツツジの植え込みや、大きな滑り台の影が長く伸びて、砂場を覆っている。


 夕暮れの光が低く差して、少女の横顔に薄い影を落としている。

 人気のないベンチの脇で、ブランコの鎖が風で軽く鳴った。

 それ以外に、音はなかった。


「——証拠を見せてくれ」


 ベンチに腰を下ろした直後、口を開いた。

 少女との間に、拳ひとつ分の距離を置いた。

 昨日は動揺で何も訊けなかった。

 今日は違う。

 覚悟はしてきた。


「君が本物のルナだって言うなら——俺とルナしか知らないことを、言えるはずだ」


 少女は微笑んだまま、静かにうなずいた。


「では——ひとつ目」


 少女が、息を整えた。


「深夜に【リオン】さまが打った言葉です。——『俺さ、たまに思うんだよ。自分がいなくなっても、教室の中は何ひとつ変わらないんじゃないかって』」


 心臓が、跳ねた。


 覚えている。

 深夜二時を過ぎていた夜だ。

 テスト勉強に煮詰まって、何となくログインして——思わず打ってしまった弱音。

 画面の向こうのルナにだけ見せた、誰にも聞かせるつもりのなかった言葉だ。


「そしてルナは、こう返しました。——『そんなことないよ。【リオン】がいなくなったら、きっと誰かがすごく寂しがる。……少なくとも、わたしは絶対泣いちゃうもん』」


 一字も、違わなかった。

 あの夜の画面に映った文字を今でも覚えている。

 だから——一字のずれもないことが、わかってしまう。


 唾を飲み込んだ。

 喉が、痛いほど乾いていた。


「ふたつ目」


 少女は続けた。

 淀みがなかった。


「装備の振り方で悩んだ夜のことです。防御に振るか、攻撃に振るか——ルナはこう送りました。『【リオン】は前に立ちたい人でしょ。だったら倒れない方がいい。倒れない【リオン】が、いちばん強い』」


 呼吸が、止まった。

 パーティチャットではない。

 ルナとの個人チャットだ。

 二人だけの、深夜の密室。

 三姉妹にも、誰にも話したことがない。


 ベンチの端を掴んだ手が、白くなっていた。

 ひとつなら偶然で説明がつく。

 だが二つ目だった。

 スクリーンショットも撮っていない。

 ログを見せたこともない。


 あの言葉を知っている人間は、俺とルナの二人しかいないはずだった。


「……もう、いい」


 声が出た。

 これ以上は聞きたくなかった。


「もうひとつだけ」


 少女の声は変わらなかった。

 穏やかで、滑らかだった。


「初めてのレイドで全滅した夜。【リオン】さまが落ち込んだとき、ルナが送ったメッセージ。——『【リオン】のせいじゃないよ。みんなで突っ込んだんだもん。全滅の責任を人数で割ったら、一人分なんてほぼ誤差だよ? ね?』」


 間違いなかった。

 あのとき俺は、画面の前で思わず笑ってしまったのだ。

 深夜なのに声が出るくらい、あの一言に救われた。

 あの夜のことを思い出しただけで、まだ唇の端が緩みそうになる。


 少女は、それを——一字一句違わず並べてみせた。

 俺とルナの二人だけの会話を、なぜこの少女が知っている。


「これで——私が本物だと、わかっていただけましたか?」


 少女を見た。

 完璧な微笑みは崩れていない。

 呼吸も乱れていない。

 こちらを見つめたまま、その睫毛が一度も下りなかった。

 答えを、待っている。


 ただ——膝の上に置かれた少女の手が、スカートの布をかすかに摘んでいた。

 指先にだけ、ほんのわずかな力がこもっている。

 次の瞬間にはもう手はおとなしく重なっていて、何もなかったかのようだった。


 不思議だった。

 一字も違わない完璧な再現のはずなのに、聞き終えた後に何かがかすかに引っかかった。

 何がおかしいのかはわからない。

 今の俺にその正体を掴む余裕はなかった。


「……なんで、君がそれを知ってる?」


 声が掠れた。


「私がルナだから——それ以外に、理由がありますか?」


 答えになっていない。

 けれど反論の言葉が出てこなかった。


 頭の中で何かが軋んでいる。

 あの三人の顔が浮かんだ。


 一花さんが腕を掴んだときの、指の熱さ。

 二葉さんが差し出した手書きのノートの、丁寧すぎる蛍光ペンの線。

 三桜さんが作ってくれた弁当の、不揃いな卵焼きの形。


 あの温度は、嘘では出せないはずだ。

 ——じゃあ、あの人たちのあれは全部嘘だったのか。


 一瞬、別の考えがよぎった。

 もし本物のルナがこの少女なら——三姉妹は、ルナから聞いた話をなぞっていただけなのか。

 一人だけが本物で、残りは話を合わせていただけ?


 胃の底が冷えた。

 そんなはずはない——と思いたかった。

 あの三人の温度は借り物では出せない。

 ——けれど、目の前のこの証拠もまた、借り物では出せないものだった。


 答えが出ない。

 信じたい方ではなく、正しい方を選ばなければならない。

 なのに——正しさがどちら側にあるのかさえ、もうわからなかった。


「今日はここまでにします」


 少女が立ち上がった。

 長い髪が風に揺れて、花の香りがかすかに鼻をかすめた。


「焦らせるつもりはないの。【リオン】さまが受け入れてくれるまで、何度でもお話しに来ます」


 穏やかだった。

 けれど語尾にわずかな力がこもっていた。

 祈りに似た響きだった。


「では——また」


 少女は微笑んで、背を向けた。

 角を曲がる直前、歩く速度がほんの一拍だけ落ちた気がした。

 振り返りたかったのだろうか。

 けれど振り返ることはなく、そのまま姿が消えた。


 ベンチに残されたのは、甘い残り香だけだった。

 夕焼けはとうに沈んで、公園は藍色に変わっている。


 立ち上がれなかった。

 ベンチの冷たさが、背中から染みてくる。

 どれくらいそうしていたかわからない。


  ◇


 家に帰っても、エデンを起動する気にはなれなかった。

 ログインしてルナに訊けば、何かがわかるかもしれない。

 ——けれど、その向こうにいるのが、今日の少女だったとしたら。

 俺は、どんな言葉を返せばいい。


 部屋の静けさが、鼓膜を押してくるようだった。


 布団に入っても、眠気は来なかった。

 暗い天井を見つめている。


 目を閉じると、少女の声が再生される。

 一字一句違わない、俺とルナの言葉。

 俺が夜中に打った弱音と、ルナが返してくれた温もり。

 二人だけの言葉を、あの少女が知っていた。


 同時に——三人の顔が、消えてくれない。

 寝返りを打つたびに、少女の声と三人の顔が交互に入れ替わった。

 どちらかが嘘なら話は簡単だった。

 けれど、どちらも——嘘には見えなかった。


 あの三人はそれぞれ、自分の言葉で、自分の温度で、俺に近づいてきた。

 ルナの記憶を確かめるためじゃなかった。

 俺自身を見て、俺自身に笑いかけてきた。

 ルナの名前を借りた真似じゃなかった——少なくとも、そう信じてきた。


 完璧な証拠を突きつけられた。

 否定できない。

 だけど——あの三人の体温も、嘘じゃない。

 嘘で出せる熱さじゃないはずだ。


 ——はずだ、と繰り返した。

 繰り返すたびに、そのはずだという土台が少しずつ崩れていく気がした。

 あの少女が嘘をついているなら、なぜあれほど正確に知っている。

 あの三人が嘘をついているなら、なぜあれほど温かかった。


 枕に顔を押しつけた。

 暗闇の中で、あの花の香りがまだ鼻の奥に残っている気がした。


 誰を信じればいいのか、わからなかった。

 完璧な言葉と、不完全な温もりのあいだで、天井だけが暗く広がっている。

 答えは出なかった。

 目を閉じても、朝は遠かった。

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