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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第3章 四人目のルナと、完璧すぎる記憶

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第63話 見知らぬ制服、綺麗すぎる笑み

放課後の帰り道を、一人で歩いていた。


 一花さんはクラスの子と寄り道、二葉さんは掲示物の貼り替え、三桜さんは篠崎と図書室の手伝い。

 たまたま全員の予定が重なった、珍しい放課後だ。


 教室を出る間際、掲示物の束を抱えた二葉さんに呼び止められた。


「マコト。今日は私たちが誰もついていられないのだから、寄り道はしないで、真っ直ぐ帰りなさい」


「自分は残るのに?」


「私の予定と、あなたの帰り道は、別の問題よ」


 取りつく島もなかった。

 廊下に出ると、図書室のほうへ小走りで向かう三桜さんとすれ違った。


「誠くん、ごめんね。今日はお手伝いなの」


「気にするな。俺も真っ直ぐ帰るよう言われてる」


「あはは、二葉ちゃんに?」


「三桜先輩、置いてかないでくださいー!」


 本の山を抱えた篠崎がその後ろを追いかけていって、二人の声が廊下の先へ遠ざかっていく。

 賑やかなのは、そこまでだった。


  ◇


 駅へ向かう緩やかな坂道。

 下校のピークを過ぎて人通りが減ったせいか、自分の靴音だけが妙にはっきり響いた。

 空の端が薄い橙に染まり始めている。

 風がぬるい。

 いつもなら隣で誰かが喋っているのに、今日は自分の息遣いしか聞こえなかった。


 静かだ、と思った。

 普段は騒がしい帰り道だ。

 一花さんが腕に絡みつき、二葉さんが歩く速度を冷静に調整し、三桜さんが反対側の袖を引く。

 篠崎がそこに割り込んでくれば、さらにひと騒ぎだ。

 それが当たり前になりすぎていて、一人で歩く帰り道の静けさが、むしろ落ち着かない。


 昨日、帰り際に思ったことを、ふと思い出す。

 このまま、こういう日がずっと続けばいい——と。


 駅前通りの角を曲がったところで——背後から、声がかかった。


「ずっと、探していました」


 知らない声だった。

 柔らかくて、よく通る。

 足が止まった。


「——【リオン】さま」


 体が固まった。


 【リオン】。

 ゲームの中でしか使わない名前だ。

 見知らぬ少女が——しかも、さま付きで呼んでいる。

 心臓が嫌な速さで打ち始めた。


 ゆっくりと振り返った。


 少女が、立っていた。


 他校の制服だった。

 深い紺のブレザーに細い銀のラインが一本走り、胸元には金糸の刺繍で校章が施されている。

 清華の制服とは仕立ての格が違う——見た瞬間にわかるほどの、品の良さだった。

 長い髪がゆるく波打って、風にかすかに揺れている。

 見たことのない少女だった。


 整った顔立ちに、穏やかな微笑みが浮かんでいる。

 正統派の美少女という言葉が、そのまま形になったような子だった。

 けれど俺の目を捉えたのは顔の造形ではなく、その瞳だった。

 探し物を見つけた人間の目をしていた——安堵と、それよりずっと深い、飢えのような光。


「初めまして」


 少女が一歩、近づいた。

 ほのかに甘い、花の香りが届く。

 三姉妹の誰の香りとも違う、初めて嗅ぐ甘さだった。


「やっとお会いできました」


 その声は穏やかだった。

 けれど嬉しいというよりも、どこか——安堵に近い響きがした。

 長い間ずっと走り続けていた人が、やっと足を止めて息をついた時の、そういう声だ。


「……君は?」


 自分の声が硬かった。

 当然だ。

 見知らぬ他校の少女に、ゲーム内の名前で呼ばれている。

 しかも、さま付きで。


「怖がらせてしまったなら、ごめんなさい」


「いや……人違いじゃないのか?」


「人違いではありません。あなたが【リオン】さまなのだから」


「……どこかで会ったことが?」


「いいえ。一度も」


 即答だった。

 初対面だと認めておいて、人違いではないと言い切る。

 その言い切り方が、かえって不気味だった。


 少女は微笑みを崩さなかった。

 完璧だった。

 唇の端の角度も、目元の柔らかさも、一分の隙もなかった。

 作り物みたいだ、とどこかで思った。


「でも——どうしても、伝えたかったの」


 一拍、間が空いた。

 少女が真っ直ぐにこちらを見つめる。


「私が、あなたの本当のルナです」


 風が、止まった気がした。


 本当のルナ。


 その言葉が、頭の中で反響している。

 思考がうまく回らなかった。


「……本当の、ルナ」


 繰り返す自分の声が、遠かった。

 ルナは——画面の向こうにいる。

 声も顔も知らない、俺のネトゲ嫁。

 それが目の前の少女の口から、当然のように出てきた。


「ええ」


「ルナって、ゲームの……? どうして、俺の顔を知ってるんだ?」


「探したんです。ずっと」


 少女はうなずいた。

 完璧な微笑みだった。

 唇の角度も、目元の柔らかさも、一分の隙もない。


 けれど——その両手が、スカートの脇でかすかに握りしめられていた。

 白い指先に、力がこもっている。

 完璧なのは、顔だけだ。


「……どうやって、俺の学校まで来たんだ?」


「【リオン】さまのことなら、探せない場所はありません」


 疑いもしない口ぶりだった。

 ゲームの中の繋がりだけを頼りに、現実の学校と、この顔まで辿り着く。

 それがどれだけ異常なことなのか、この少女は気にも留めていない。


「……待ってくれ」


 声を絞り出した。


「いきなりそんなことを言われても、信じろっていうのは——」


「わかっています」


 少女が静かに首を振った。


「急にお話ししても、戸惑うだけですよね」


 その声は穏やかなのに、辛抱強さのようなものが滲んでいた。

 急かすつもりはないと、態度の全てが語っている。

 ——だったら、なぜこんな場所で声をかけた。

 その矛盾に、頭の端が引っかかった。


「……じゃあ、名前は。君は誰なんだ?」


「……今は、言えないの」


 少女は視線を落とした。

 長い睫毛が影を落とす。

 さっきまで一分の隙もなかった微笑みが、その一瞬だけ、薄い硝子のように頼りなく見えた。


「名前を知ったら、きっと【リオン】さまは調べてしまうでしょう?」


 否定できなかった。

 俺なら、間違いなくそうする。


「もう少しだけ——このままでいさせて」


 少女はそう言って、再び穏やかな微笑みに戻った。

 切り替えが、あまりにも滑らかだった。


 意味がわからなかった。

 わからないことが、不安を煽る。

 けれど目の前の少女が嘘をついている気配は——不思議と、なかった。

 嘘をつく人間の目は、もっとどこかを避ける。

 この少女は、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「……でも、君の喋り方は、俺の知ってるルナじゃない」


 口をついて出ていた。

 文字だけの相手に、喋り方も何もあるものか。

 それでも——ルナの言葉には、いつも余計な一文字がくっついていた。

 語尾が跳ねて、顔文字がふたつみっつ飛んできて、こっちの返事を待たずに次が届く。

 目の前の少女の言葉には、その余りがひとつもなかった。


「文字だけのお付き合いでしたもの。【リオン】さまは、私の声を聞いたことがありません」


 返す言葉がなかった。

 その通りだった。


「戸惑うのは当然です」


 少女が、静かに言った。


「だって、あの方たちに囲まれて過ごしてきたのだもの」


 あの方たち。

 三姉妹のことを言っているのだと、すぐにわかった。

 知っている。

 この少女は、俺の周りに誰がいるかを知っている。


 喉が渇いていた。

 頭の芯がぐらぐらしている。


 喜びは、なかった。

 ずっと探していたはずの答えが、突然目の前に落ちてきたようなものなのに。

 胸に湧いたのは、探していた相手に会えた安堵でもない。

 もっと生々しい、泥を呑むような動揺だった。


 ——なぜ、今なんだ。

 会うはずのなかった相手が、どうして今日、この道に立っている。


「でもね、【リオン】さま」


 少女の声が、わずかに低くなった。


「あの方たちは——偽物の泥棒猫よ」


 泥棒猫。

 断言だった。

 迷いのない、澄んだ声だった。

 さっきまでの丁寧な口調が一瞬だけ崩れて、剥き出しの何かが覗いた。

 敵意——に、見えた。


 気づけば、足が一歩うしろに下がっていた。

 その分だけ、少女がなめらかに前へ出た。


「偽物って、あの三人のことか?」


「ええ。あなたを騙している、悪い人たち」


 この少女は、俺の周りの人間を知っている。

 名前ではなく、存在として。

 そのことが、何よりも背筋を冷たくした。


 脳裏に、三姉妹の顔がよぎった。

 一花さんの笑い声。

 二葉さんの耳が赤くなる横顔。

 四回も焼き直したスコーンと、三桜さんの指先の絆創膏。


 ——あの人たちとの日々は、じゃあ何だったんだ。

 否定したかった。

 けれど、そのための根拠が自分の手元にはなかった。


「あいつらが俺を騙してる? 君は、彼女たちの何を知ってるっていうんだ。……何を根拠に」


 声が震えていた。

 怒りなのか動揺なのか、自分でもわからなかった。


「……名前だって、知らないんじゃないのか」


 少女は、その問いには答えなかった。

 微笑みだけが、そこに残っていた。


「全部お話しします。【リオン】さまが望むなら」


 少女はそう言って、小さく首を傾げた。

 その仕草の一つ一つが、不自然なほど整っていた。

 整いすぎていて、逆に人間味が遠い。


「……もっと詳しく——」


「今日はご挨拶だけ。急にたくさんは、重いでしょう」


 少女が穏やかに遮った。

 遮り方まで、丁寧だった。


「でも、覚えていてください」


 少女が半歩だけ、距離を詰めた。

 花の香りが、一段近くなる。


「現実とゲームは、違うものです。それでも——私の中にある記憶は、全部本物ですから。……嘘じゃないの。お願いだから、私だけを見て」


 夕焼けの光が少女の横顔を染めていた。

 影の中で、瞳だけが妙に澄んでいた。


「信じて。私が、あなたの本当のルナだから」


 完璧な笑顔だった。

 ——けれど、その声がほんの一瞬だけ、掠れた。

 聞き間違いかもしれない。

 けれど、俺の耳はそれを拾ってしまった。

 反論の言葉が、見つからなかった。


「……待ってくれ。せめて連絡先だけでも……!」


「また会いに来ます。今日は、私を見つけてもらうためのご挨拶だから」


 少女は静かに踵を返した。

 長い髪が揺れて、花の香りの残り香だけが風に溶けていく。

 角を曲がって、姿が消えた。


 追いかけようとは、思わなかった。

 というより、足が動かなかった。

 花の香りの名残だけが、鼻の奥にまだかすかに残っている。


 帰り道の景色は何も変わっていない。

 電柱も、アスファルトも、空の色も、さっきと同じだ。

 けれど、さっきまでと同じ場所に立っているはずの自分の足元だけが、もう信じられなくなっていた。


 ポケットの中のスマホが、やけに重かった。

 ルナに、訊きたかった。

 今夜ログインしたら、画面の向こうのルナは——いつも通り笑っているのだろうか。

 それとも。


 考えるのをやめた。

 答えを出すには、足りないものが多すぎる。

 今わかっているのは一つだけだ。


 ゲーム内の名前を知る見知らぬ少女が、俺の前に現れた。

 本物のルナを名乗った。

 ——そして、あの三人を「偽物」と呼んだ。


 それが事実なのか嘘なのか、今の俺には確かめる術がない。


 家までの道を、一歩ずつ踏みしめた。

 夕焼けが沈んでいく。

 さっきまでと同じ道のはずなのに、自分の足音だけがひどくよそよそしく聞こえた。


  ◇


 同じ日の夜。


 少女は、鏡の前に座っていた。


 広い自室の化粧台だった。

 三面鏡に、ブラウス姿の自分が映っている。

 制服のブレザーは椅子の背にきちんと掛けてあった。

 皺ひとつなく、アイロンの折り目が残っている。

 広い部屋に、人の気配は自分だけだった。


 唇の端を持ち上げた。

 今日、あの人の前で浮かべたのと同じ笑顔。

 角度を確かめる。

 目元の力加減を、少しだけ変える。

 何百回と繰り返した、笑顔の練習だった。


 鏡の中の少女は、完璧に微笑んでいた。

 けれど、鏡から目を逸らした瞬間——笑みが、音もなく剥がれ落ちた。


 空調の低い唸りだけが、広い部屋に流れている。


 手の甲を見下ろした。

 スカートの脇で、ずっと握りしめていた手。

 爪の跡が、うっすらと赤く残っている。

 力を抜いたつもりだったのに、指は、まだかすかにこわばっていた。


 やっと会えた。

 名前を呼んで、声を聞いて、同じ道の上に立った。

 それなのに胸の奥にあるのは、望みが叶ったという手応えではなかった。

 息をするのが億劫になるほどの重たい疲れだけが、肩に残っている。


 もう一度、鏡を見た。

 少女が、もう一度だけ笑ってみせる。

 完璧な笑顔。

 誰に見せるためでもない、練習のための笑顔。


 明日も、この顔で会いに行く。


 その目だけが、笑っていなかった。

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