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三年間愛を育んだネトゲ嫁が三つ子になって転校してきた〜「「「私があなたのお嫁さんだよ?」」」三姉妹全員が譲らない、甘くて騒がしい正妻戦争〜  作者: ハイさん
第2章 後輩ヒロイン襲来と、期末テスト包囲網

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第62話 黒い車の少女、見つけた【リオン】

六時間目の終わりを告げるチャイムが鳴って、教室がざわめいた。


 月曜の放課後。

 返ってきた答案を見せ合う声が、まだ教室に残っている。

 週末にクロウと遅くまで東の森を狩り歩いた分、今朝は少し眠かった。

 けれどあの三人がいる教室で、静かにまどろんでいられる時間などあるはずもない。

 昼休みの騒ぎもあって、今ではすっかり目も覚めている。


 鞄に教科書を詰めていると、左隣から声がかかった。


「マコト」


「あ、はい」


「少しいい?」


 二葉さんが、手書きのルーズリーフを一枚差し出してきた。

 今日返された数学のテストの、復習用メモらしい。

 俺が間違えた箇所だけが的確にピックアップされていて、正しい解法が丁寧に書き添えてある。

 数式の横には、分かりやすいように補助線の図まで描かれていた。


「三問目。符号が逆よ」


「係数の符号は最初の代入で決まるの」


「あ、本当だ。……って、俺が間違えた場所、いつの間にチェックしたんだ?」


「答案が返されたとき、少し見えたから」


 目を合わせずに答えて、自分の答案をきっちりとファイルにしまっている。

 見えたから、などと言っているが、わざわざ俺のために解説を作ってくれたらしい。

 耳がほんのわずかに赤い。

 それを見なかったことにするのも、もう慣れてきた。


「ここも危ないわ。次は落とさないで。公式の展開を端折る癖、直さないと駄目よ」


 指先でルーズリーフのもう一箇所を示して、二葉さんは視線を窓のほうに逸らした。

 言い方はそっけないのに、赤ペンの字は俺が読みやすいように角度まで揃えてある。

 テストが終わってからも、管理が終わる気配はない。


「毎回、細かいところまですごいな」


「別に、大したことじゃないわ」


「頼んでもいないのに、ここまでやってくれる人はそういないと思うけど」


「頼まれる前にやるから意味があるの」


「助かる。ありがとう」


 素直に礼を言うと、二葉さんの手がファイルの縁をきゅっと掴んだ。

 一瞬だけ唇が動いて、何も言わずにそのまま鞄のファスナーを閉めた。

 言いかけたのは何だったのか。

 訊くのは野暮だと思った。


「誠っ」


 後ろから腕が首に巻きついた。

 柑橘の甘い香り。

 一花さんだ。


「なにボーッとしてるわけ。燃え尽き症候群?」


「燃え尽きるほど燃えてない」


「うわ、それはそれでどうなの」


 一花さんが声を上げて笑って、それから視線が俺の手元で止まった。


「あ、それ二葉の字じゃん。……二葉ってさ、六限ずっと下向いてそれ書いてたんだよ。先生に当てられて固まってたし」


「……一花。余計なことを言わないで」


「事実じゃん」


 二葉さんが、閉めたばかりの鞄のファスナーをもう一度開けて、また閉めた。

 あの二葉さんが、授業中に上の空になっていたのか。


「……で、一花さんはさっきから何しに来たんだ?」


「今日さぁ、駅前のクレープ屋で新作が出たんだって。行こうよ」


 答えながら、巻きついた腕にさらに体重をかけてくる。


「首が絞まる」


「えー、これくらいスキンシップでしょ」


「スキンシップの域を超えてると思うんだが」


「細かいこと気にしないの。ほら、ちゃんと息できてるじゃん?」


「できなくなってからじゃ遅いんだけどな」


 一花さんが笑いながら腕を緩めた。

 緩めただけで離れはせず、今度は肩に顎を乗せてきた。

 距離感という概念が、この人の辞書にはたぶん載っていない。


「で、新作って?」


「期間限定の、イチゴと生チョコのやつ! 行列できる前に行かないと売り切れちゃうかも」


「……それは少し気になるけど」


「じゃ決まり!」


 勝手に決めて、一花さんは楽しそうに笑った。

 こういう押し切り方をされると、断る隙がない。

 もっとも、断る気もなかったのだけど。


「誠くん!」


 席を立った三桜さんが、両手にタッパーを抱えて駆け寄ってきた。


「スコーン焼いたの! 昨日の夜、頑張ったの!」


「おお、ありがとう」


 蓋を開けると、小ぶりなスコーンが並んでいた。

 少し焦げたのも混じっているけれど、バターの甘い匂いがふわりと広がった。

 すべてハートの型で抜いたらしいが、生地が自由に膨らんで丸っこくなっている。


「ちょっと形が崩れちゃったんだけど……食べてくれる?」


「いい匂いだ。もらうよ」


 ひとつ摘まんで口に入れた。

 外はサクサクで、中は素朴なバターの味がした。

 焦げた部分はほろ苦いけれど、ひとつごとに焼き加減が少しずつ違って、丁寧に焼こうとしたのが伝わってくる。


「……おいしい」


「ほんと!?」


 三桜さんの顔がぱっと明るくなった。

 嬉しいとすぐ全部顔に出るのは、この人の一番いいところかもしれない。


「レシピは動画で覚えたの。三回失敗しちゃったんだけど」


「三回」


「焦がしたり、石みたいになったり。これが四回目」


 昨日の夜と言っていたのに、四回。

 一回目からだと、いつから台所に立っていたんだろう。

 さりげなく手元を見ると、左手の人差し指に新しい絆創膏が巻いてあった。


 一花さんが「あたしにもちょうだい」と手を伸ばした。

 二葉さんが「先に手を洗いなさい」と返す。

 「細かいなぁ」と笑う一花さんに、二葉さんが「衛生管理よ」と眉も動かさずに答えた。

 いつもの掛け合いだ。


「センパイ!」


 廊下から声が飛んできた。

 篠崎だ。

 教室の戸口で、ショートヘアがぴょんと跳ねている。

 この後輩は、放課後になるといつの間にか二年の教室まで来ている。


「あ、また篠崎さん来たよ」


「あの子、放課後になると必ず来るわね」


 一花さんが呆れたように笑って、二葉さんが小さく息をつく。


「月曜から元気だな」


「元気が取り柄なので! なんか廊下までいい匂いすると思ったら、やっぱりここでしたか!」


 言いながら、篠崎は一直線にこっちへ駆けてくる。

 上履きがきゅっと鳴って、机の手前で急ブレーキがかかった。


「あ、スコーン! 私も食べたいです!」


「いいよ、たくさん焼いたから」


 三桜さんがタッパーを差し出すと、篠崎が目を輝かせて覗き込んだ。


「これ全部、三桜先輩が焼いたんですか?」


「うん、昨日の夜」


「先輩すごい! お店のみたいです!」


 二人で並んで、「この子がいちばん上手にハートの形になったの」と三桜さんがひとつを摘み上げる。

 篠崎が「かわいいー!」と声を上げた。


 一花さんが「全部ハート型ってことは誠にあげるつもりだったでしょ」と三桜さんの頬をつついた。

 三桜さんが真っ赤になって「べ、別にそういうわけじゃ」と口ごもった。

 二葉さんがため息をひとつ落として、でもその手はちゃっかりスコーンをひとつ取っていた。


 丸く崩れてしまったものを選んでいた。

 ただひとつだけのハート型は、取らなかった。

 その選び方ひとつにも、何かが透けている気がした。


 教室が賑やかだった。

 五人でいると、いつもこうなる。

 声が重なって、誰が何を言っているのかわからなくなって、気づいたら笑っている。


 テストの点数も、答案の赤ペンも、全部どうでもよくなるような時間だった。


  ◇


 鞄を肩にかけて、昇降口に向かった。

 四人が後ろからついてくる。

 一花さんのクレープと、二葉さんの本屋と、三桜さんの「家でちゃんと紅茶と一緒に食べてほしいな」と、篠崎のボウリングが、全部同時に主張されていた。


「だから、絶対今日クレープ行くべきだって! 新メニューなんだから!」


「駅前の本屋、今日が新刊の入荷日なのよ。放っておくと売り切れるわ」


「せ、せっかく焼いたスコーンだもん。誠くん、ちゃんと紅茶と一緒に食べてほしいな……」


「そんなの全部後回しにして、みんなでボウリング行きましょうよ! スコア勝負です!」


「いや、ちょっと待ってくれ。同時に言われても困るんだけど」


 四人分の勢いに、俺は思わず苦笑する。

 週末は石の魔物を二体まとめて受け止めたのにな、と場違いなことを考えた。


「いきなりボウリングって……俺、あんまりスコア良くないぞ」


「大丈夫です、私が全力でカバーしますから!」


「いや、そういう問題じゃなくて。クレープと本屋も、どっちかに行けばどっちかが……」


 言い終わらないうちに、一花さんが篠崎のほうへ向き直った。


「あのさ篠崎さん、あんた遠慮ってものがないよね」


「遠慮したら負けなので!」


「なにそのルール」


 一花さんが噴き出して、二葉さんが額に手をやった。


 結論が出る気配はない。


「多数決にしましょうよ!」


「多数決って、それ絶対に票が割れるだけだろ」


 篠崎の提案に、一花さんが「あたしは絶対クレープ」と即答した。

 三桜さんが「ボウリングも楽しそう……」と揺れて、二葉さんが「本屋は一人でも行けるわ」と静かに降りた。

 降りたくせに、足は俺の隣から離れない。


 靴を履き替えて、校門を出た。

 七月の風が頬をなでていく。

 夕方にはまだ早くて、空は高いところから薄い橙に染まりかけていた。

 遠くで野球部の掛け声が聞こえる。

 その声すら、今日はどこかのんびりと響いた。


 少し歩調を落とした。

 後ろから、四人の声が追いかけてくる。


「ねえ誠、結局どうするの!」


「センパイ、やっぱりボウリングですよね?」


「一花、あんまり急かすとマコトが困るわよ」


 一花さんが大きな声で笑って、二葉さんが眉ひとつ動かさず言い返して、三桜さんが篠崎の袖を引っ張って何か耳打ちしている。

 いつもの光景だ。

 いつからこうなったのか、もうはっきりとは思い出せない。

 何も特別じゃない、月曜日の放課後。


 理由もなく振り返った。

 四人とも、それぞれの顔で笑っていた。

 一花さんは口を大きく開けて、二葉さんは唇の端だけで、三桜さんは目を細くして、篠崎は両手を広げてはしゃいでいた。

 全部違う。

 全部、こっちを向いている。


 このまま、こういう日がずっと続けばいい。

 そう思って、前を向いた。


  ◇


 同じ日の夕方。


 繁華街を少し外れた大通りを、黒い車が音もなく走っていた。

 窓のフィルムが濃くて、外から車内は見えない。

 エンジンの振動さえ、足元の絨毯に吸い込まれて消えていた。


 後部座席に、少女がひとり座っている。

 窓の外の夕焼けには目もくれず、膝の上のスマートフォンだけを見つめていた。

 背筋は真っ直ぐで、姿勢に一切の乱れがなかった。

 膝の上で指先がきちんと揃えられ、制服のスカートに皺ひとつない。


 他校の制服だった。

 深い紺色のブレザーに細い銀のラインが一本走り、スカートの裾にも同じ色のステッチが入っている。

 校章は金糸の刺繍。

 その仕立てだけで、在籍する学校の格が知れた。


 画面には、ゲームのコンパニオンアプリが開いていた。

 プレイヤー情報が表示されている。

 少女の指先が、ひとつの名前の上で止まった。


 【リオン】。


 所属ギルド、最終ログイン、登録されたプロフィール。

 画面に並ぶその数行を、少女はゆっくりと目でなぞった。


 車が赤信号で止まった。

 運転手は前を向いたまま、振り返らない。

 信号の赤い光が窓越しに滲んで、少女の頬をうっすらと染めた。


 瞳がわずかに見開かれて——すぐに、細く絞られた。


「……見つけた」


 呟きは車内の静寂に溶けて、消えた。

 吐息のような声だったのに、端末を挟む手だけは、爪の色が変わるほど強く握られている。

 やがてその力がほどけて、少女は画面の文字を指先でそっとなぞった。

 壊れものに触れるように、丁寧に。


 長い睫毛が、画面の淡い光を受けてかすかに影を落としていた。

 何度もなぞるうちに、唇の端がゆっくりと持ち上がった。


「見つけたよ、【リオン】さま」


 声が、甘く低くなった。

 車内には冷房の低い唸りだけが流れていて、その声の余韻を誰も聞いていない。


「偽物の泥棒猫には、渡さない」


 少女は両手でスマートフォンを包み込んで、そのまま胸に抱き寄せた。

 心臓の位置を確かめるような、きつい抱き方だった。


 信号が、青に変わった。

 車がまた、音もなく滑り出す。


 運転席から、声がかかった。


「お嬢様、間もなくお屋敷に着きます」


「ええ。ありがとう」


 返事だけは、どこまでも穏やかだった。

 少女はスマートフォンの画面を閉じて、鞄にしまった。

 窓の外に目を移す。

 夕焼けが街並みを橙に染めて、ゆっくりと流れていく。

 住宅街の看板も、電柱も、同じ色に溶けていた。


 その唇に、笑みが浮かんでいた。

 穏やかなようでいて、どこか違う。

 長い間ずっと探していたものを、ようやく手の届く場所に見つけた者の、静かな確信。

 それが、笑みの奥に灯っていた。


 黒い車が、夕暮れの大通りを走り去る。


 少女の名前を、まだ誰も知らない。

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